第二十一話
部屋に踏み入ったリルたちの目に入ったのは、壊滅したパーティーと一匹の魔物だった。
迷宮ではもっとも基本とされる五人一組のパーティー。そのうち四人は、傷つき、あるいは気を失って地面に付している。そしてリーダーと思しき少女が、膝をついて迫りくる魔物を呆然と見上げていた。
彼女に死を覚悟させたのが何なのか、一目見れば誰だってわかる。
一匹の巨大な魔物、ミノタウルス。
堂々たる体躯に牛頭を乗せた異形の魔物。その魔物こそ二十階層の階層主。中級者殺しとして立ちふさがり、あまたの冒険者を屠ってきた怪物だ。
その猛威を前にして、壊滅したパーティーのリーダーは生きるのを諦めていた。
「……ふんっ」
リルは眉をひそめたのは、膝をついた少女を見たからだった。
諦観のこもった姿の、なんと不愉快なことか。夢を見ることを諦め、現実にあらがうことをやめ、ただうつむいて地べたに座り込む。自分の力が届かないではなく、相手の力が強いからと諦める。自分が悪いのではなく、周囲が悪いのだと言い訳をする。そうして自分の心をごまかしうずくまって、迫りくる死にすら目を反らす。
それは、この世で最も醜いあり方の一つだ。
「情けないですわね」
死を前にして心を折った冒険者を、リルは容赦なく評する。
目の前にある事態に諦観するのは、諦める為に自分を諦めただけだ。それが何よりも醜いことを、リルは知っている。
理想は今の自分の手に届かないほど高く、現実は人を押しつぶすほどに厳しい。そんなの、当たり前のことだ。
だから人は手を伸ばす。だから人は冒険に挑む。そうして冒険者は現実を乗り越え夢をつかむ。だから冒険者たるリルは、理不尽を砕いて巻き込み糧とすると決めたのだ。
「なにを諦めていますのッ!」
膝をつく少女に、声を大にして呼びかける。
少女はうつろな瞳のまま反応しない。いまさら間に合わないと諦めているのか、身じろぎ一つしない。
だがリルは構わずに声を張り、大音声を響かせる。
「わたくしたちは、命を懸けて冒険をしていますのよっ。それが死を前にしたからといって、なんですの? もっと懸命におなりなさい!」
リルの叫び声が聞こえないはずがないのに、それでもなお少女は諦めている。
だがリルは、そんなことでは諦めない。
声が耳に響かないのならば、目に光をぶちこんでやる。自分の想いを通すために、二十階層に響き渡るような大声を出したリルは、同時に自分の魔法を行使する。
想いを己の意志で振るえるようにする力、魔法。
人によって異なる千差万別の力。その人物の心を、誇りを、信念を、執念を、強い想いを映し、自在に操れる力となって発現するのが、魔法だ。
「――え?」
膝をついた少女の絶望と諦観の象徴だった斧は、黄金の輝きにはじかれた。
諦めの淵にあっても思わず目を奪われてしまうほど輝いた、美しい金色の塊。リルの想いがつながって昇華された、黄金色に輝く魔法。
それこそが縦ロールだった。
リルから伸びて渦巻いた縦ロールが、まさに少女を両断しようとしていた斧を弾き飛ばした。
「な、なにこれ」
リルの誇りは、縦ロールだ。己を飾り、見せびらかすため巻いて巻いて巻きこんだ縦ロールこそがリルの想いであり、信念だ。
縦ロールが動き、縦ロールが渦巻き、縦ロールが伸び、縦ロールがミノタウルスの一撃をはじくという想像を絶する光景に、助けられた当の少女は、むしろ恐怖におののいた。
「髪の毛が、え? どういうことなの……? 夢? 幻? 新手の走馬燈!? わたし、やっぱり死ぬの!?」
「わたくしが来て、死人をだすわけがありませんでしょう」
パニックになる少女の傍まで悠然と近づいたリルは、ふふんという音が鳴りそうな得意げな笑みを浮かべる。
「え? で、でもさっきの髪の毛はなんなの?」
「なにって、わたくしの縦ロールですわよ。なにせわたくしの縦ロールは無双の一振り。たかがミノタウルスごときが振るう斧を弾くことなど、造作もありませんのよ」
「どういうことよ!?」
リルが丁寧に説明しても壊滅したパーティーのリーダである少女が状況を理解できないのは、彼女が死ぬ寸前だったからだろう。おそらく恐慌状態からくるパニックに陥っていると解釈したリルは、まだ混乱してい少女を無視して状況を把握に努める。
ここは階層主の支配する二十階層。だが、敵がミノタウルス一匹ということはありえない。
階層主には、それにふさわしい数の取り巻きがいるのだ。
「む。リル様。なんか出てきました!」
強敵のいる二十階層に入っても恐れる様子の一切ないコロが周囲をぐるりと指さす。
リルとコロが入ってきたのがきっかけとなったのだろう。見える限りの壁から天井から、次々と魔物が湧いてくる。
階層主であるミノタウルスに合わせているのだろう。亜人系統の魔物に揃えてあるが、オークにゴブリンにハーピーにラミアにと、その種類は多種多様だ。
扉をぶち壊したことによって新たに湧いて出たのだろう。多勢に無勢。傍目では一気に劣勢になった状況。それでもリルとコロの顔に恐れの色はない。
「どうしますか、リル様っ」
「言うまでもありませんわっ。もの知らずどもに、思い知らせてあげるのです!」
実直な剣を構えたコロは、絶大な信頼と、あふれ出る憧れをリルに注いでいる。どんな状況でもリルがどうにかしてくれると信じて疑っていない。
ならば、リルはそれに応える義務がある。
リルは傲岸不遜に顎を上げ、だんっと足を踏み鳴らし魔物の群れ相手に見栄を切る。
「控えなさいっ。わたくしを誰と心得ておりますの!」
迷宮の魔物はごく一部の例外を除いて知恵を持たない。だからリルが述べている口上なんて何の意味も持たない。いまのリルの演説は、ただ無意味に時間を浪費し隙をさらしているだけだ。
分別のある人間は愚かと眉をしかめるだろう。歴戦の戦士は無駄と嘲笑うだろう。リルの今の行為は、そういった類のものだった。
それを承知していながらも、リルはあえて見栄を切る。
「わたくしは冒険者のリルドールっ。妹分のコロを引き連れ相方に、この迷宮の一層から十九層まで、たったの三か月で踏破してみせた俊英ですのよ!」
自分の背を見てくれるものがいる限りは見栄を張るのをやめはしない。無意味だといわれようと、馬鹿らしいとののしられようと、それでもカッコよくあるために、カッコつけるのを恐れない。
「そのわたくしに楯突こうなど身の程知らずの雑兵どもですわね……!」
リルはあふれ出る魔物を睥睨する。
階層主を打ち倒すのは、リルの役目だ。だから扉を壊しただけでコロの活躍で終わってしまうのは、少々物寂しいと思っていた。そんな折に相棒の活躍の場を提供してくれるなんて心憎い演出だ。リルの胸には、場違いなことに感謝の念すら湧いていた。
数多ひしめく亜人型の魔物ども睥睨し、リルは言い放つ。
「コロ! やっておしまいなさい!」
「はい!」
リルが指示を飛ばすのと同時に、コロの縦ロールが火を吹いた。
踏み込みと同時の点火。猛る炎が縦ロールの中で燃え盛り、爆発。ロールジェットの推進力を得た踏み込みは、もはや滑空に近い。爆発的な加速を誇るコロは、すれ違いざまに剣を振るってオークやゴブリンの亜種を駆逐していく。
自分の相棒ならば間もなく雑魚の軍団など掃討して見せるだろう。
その確信を持つリルは、めぐるましく推移する状況に忘我していた少女に声をかけた。
「あなた、さっさと仲間を保護して下がりなさい。巻き込まれますわよ」
「あ、ありがとう。えっと……リルドール、さん?」
「ええ。それと、わたくしに対しての礼はいりませんわよ。おせっかいな受付嬢に感謝なさい」
「受付嬢って、もしかしてセレナさんが?」
「ええ」
困惑をにじませる少女の言葉を肯定する。
リルは担当の受付嬢から、己の力を過信したパーティーが階層主に挑んでいるから助けてほしいと頼まれたのだ。
もともと階層主には今日挑む予定だったが、それでも道中コロにお姫様抱っこをされるほどに急いでいたのはそのためである。
「そっか。今度、お礼をしなきゃ。でも、他のみんなを隅に避難させたら、わたしはまだ戦えるから少しでも手伝って――」
「いいからそこで休んでいなさい。あの程度の魔物、わたくし一人で十分ですわ」
「で、でもあれは階層主よ!? いくらなんでもあなた一人でなんてっ。誰かの力を借りなきゃ! わたしが信用できないっていうなら、せめて赤毛の子と一緒に――」
「お黙りなさい。そんなの、ごめんですわ」
信頼するパーティーメンバーとともに階層主に挑んで破れ、傷ついたリーダーの少女が道理を訴える。敗北を喫したからこそ、彼女は目の前の敵の強大さを知っているのだ。
だがリルは平然としたまま答えを変えない。
「己を研磨し磨き上げるための迷宮で、試練に望まずどうするんですの? 他人の手助けを得て乗り越える困難に、いったい何の意味があるといいますの?」
「なっ……! だって、仲間じゃないの!?」
「仲間ですわ。コロは誰よりも信頼できる妹分ですわ」
「なら――」
「それでもっ、だからこそ!」
言い募る少女に、リルは強く言葉を叩きつける。
「どこよりも格好を付けるべき大舞台で、誰よりも輝かなければならないわたくしが、どうしてよりにもよって妹分の手を借りなければいけないんですの!?」
声高に言い放ち、リルは腰にぶら下げたレイピアを抜いて構える。
彼女の強い意志を見て、少女は説得の言葉をなくした。
「どうして、そこまで……」
「わたくしは、世界に輝くリルドールですのよ。その自負と意思をなくせば、残るものはありませんわ」
だからリルは、それが困難であると知っていても試練に挑み、高みを目指す。
目標は、ずんずんと足音を立てて迫ってくるミノタウルスだ。
それを迎え撃つため、リルは体を半身にし、ぎりっと弓の弦を引き絞るかのように力をためる。
そうして、渾身のタイミング。
「さあ、わたくしの必殺の一突きを受けてみなさい! 必殺っ、エストック・ぶれぐほぉ!?」
レイピアで突きを放とうとしたリルが、あっさりと吹き飛ばされた。
「ええええええ!?」
ミノタウルスの剛腕による一撃。筋骨隆々とした巨体にふさわしい勢いで振りぬかれた斧は避ける間もなくリルにぶち当たり、小さな少女の体を吹き飛ばした。
その光景を目の前で見せられたリーダーの少女は、絶望の悲鳴を上げる。
「あ、あんな自身満々だったのに……ちょ、そこの赤毛の人! 金髪の人が! 金髪の人が死んじゃった!?」
「はい?」
少女の悲鳴に、魔物の群れを一方的に蹂躙していたコロはいったん戦闘を中止。縦ロールからジェットを噴出させ、飛び上がって戻ってくる。
縦ロールジェットという推進力を得ているコロの機動力は、魔物の中にあっても圧倒的だ。飛び上がり様、ついでとばかりにハーピーを数匹叩き落としたコロは、リーダーの少女の隣に着地してきょとんと首をかしげる。
「どうしたんですか? 何か問題でも?」
「問題って! どうしたもこうしたも! あれ! あの自信満々だったゴージャスな人! 死んじゃった!?」
「はい? 死んじゃったって……ああ、あれですか」
半狂乱の少女の指先を追えば、そこには壁にたたきつけられたリルがいた。
吹き飛ばされて壁にへばりついているリルを見て、コロは納得したように頷く。
「あれはリル様の儀式みたいなものです。問題ありません」
「儀式!? 死ぬのが儀式!?」
「あはは。リル様があの程度で死ぬわけないじゃないですか」
リーダーの少女の悲鳴に、コロは大げさだなぁとからりと笑う。
「あのリル様ですよ。あのくらい、楽勝です!」
「わたし、どのリル様か知らないんだけど!?」
初対面の少女にはリル様とやらのほどがさっぱりわからない。だが果たして、壁にたたきつけられたリルはあっさりと起き上がった。
「……ふっ、なかなかやりますわね」
なすすべもなく吹き飛ばされたというのに、なぜか上から目線だ。その自信がどこから来るかわからないが、リルの顔から自信はみじんも失われていない。
「だ、大丈夫なの?」
「当然ですわ」
強がりではなく、ぱんぱんと服の汚れを払ったリルにダメージは見当たらない。動きにも話す声にも、痛みによる乱れはまるでない。
ミノタウルスの一撃を直撃してなおノーダメージのリルは、自慢げに縦ロールをかき上げる。
「わたくしの縦ロールは、最強の矛にして盾でもありますのよ。あの程度の攻撃で、わたくしの縦ロールを打ち破るのは不可能ですわね」
「なに言ってんのあんた?」
リルの意味不明の言い分に対し真顔になった少女は問うが、そのツッコミに答えはない。実際、リルが答えた以上の事実はないのだ。
先ほどのミノタウルスの攻撃を、縦ロールで受け止めた。
横殴りの一撃を、リルは肩口から前に垂らした縦ロールで受け止めていなしたのだ。さすがに吹き飛ばされたものの、衝撃自体は硬軟自在の縦ロールで余さず吸収したので、リルの本体にはダメージは通っていない。
己の手足以上に自由自在に動かせる縦ロールを無類の武器とするリルにとっては当然の縦ロールの運用法であり、コロにとっては見慣れた光景だ。なんの問題もない。
「しかし、わたくしの一突きを避けるとは、なかなかやりますわね」
「いや正直、あの初心者に毛が生えたレベルのレイピアさばきじゃ、ゴブリンも倒せないんじゃ――」
「ご、ゴブリンくらいは倒したことありますわ!」
「――レイピアだとゴブリンくらいしか倒したことないの!?」
「うぐっ」
冗談半分だった少女の驚愕にリルは目そらし。構えていたレイピアはそっと腰のさやに戻す。
「こ、このレイピアはいざというときのとっておきですのよ。そ、そんなことよりも」
早口で己の技量を誤魔化したリルは、ざわり縦ロールがうごめかす。
元より腰のレイピアは飾り、もとい、最終兵器のとっておきだ。リルは縦ロールこそが通常武器。硬軟と伸縮が自在の縦ロールを操り、攻守優れた特性を併せ持つのがリルの特性だ。
「行きますわよ」
ここからがリルの真骨頂。
先ほどのレイピアなどとは次元が違う脅威を前にミノタウルスが吠え、一人と一匹の死闘が始まった。




