第二話
あの決闘騒ぎから数日後。
リルは実家から追放されていた。
悪事をつまびらかにされ、決闘で醜態をさらしたリルに対する親の態度は冷たいものだった。屋敷から追い出され、当座の生活資金と下町にあるちっぽけなアパートの権利だけがリルの手元に渡された。
実質的な勘当だ。父親から直々に、もう家名を名乗るなとすら言い渡されている。
そうして与えられたアパートの一室で、リルは復讐心を燃やしていた。
「よくもよくもよくも……! わたくしを誰と心得ていますのっ。王国三百年の歴史を支えたアーカイブ侯爵家の娘ですわよっ。それをたかが些細な不祥事で追い落とすなど……あんな女にそそのかされるなど、嘆かわしいっ」
ぶつぶつと恨み言を漏らすリルは、復讐心を糧に気炎を上げる。
リルの敵愾心は、自分の元婚約者でも実家から追い出した親にでもなく、ライラに向いていた。
優秀だからという理由で学園の入学を果たした元平民の女。迷宮攻略の功績者だからと一代で男爵位を授与された成り上がり。リルはそれをしつけてやろうとしただけだ。
だというのに、あの女は反抗してきた。
嫌味には面罵で返し、嫌がらせを叩き潰し、権力には武力で抗う。そのあり方は身分社会の貴族としては常識知らずであり、何より苛烈だった。
歯向かう敵を駆逐する生き方。敵を叩きのめす圧倒的な力。まぶしいほど正々堂々として立ち向かったライラに、権力を振りかざし意地になって反抗したリルは無残に敗北した。
結果、リルは落ちぶれた。
周囲から見限られ没落しアーカイブ家から放逐され、かろうじて持たされたのが今いるアパートの権利だ。アーカイブ家が持っている資産からすれば、本当にちっぽけな土地である。
むろん、ここの収入だけでも、リル一人がつつましやかな一生を送ることくらいはできるだろう。アーカイブ家当主も鬼ではない。愚かで不出来な子供とはいえ、実の娘を路頭に迷わせるつもりもなかった。
だがそんな境遇に満足できるくらいならば、リルは最初からこんな処分を受ける様な行動はとらなかった。
「冗談じゃありませんわ。このわたくしが、平民と混じって暮らすなど!」
自分は誇り高き貴族なのだ。その自尊心だけを頼りに、リルは己に喝を入れる。
凝り固まった自意識と自尊心が合わさってこじれている。そのほぐし方を知らないリルには、よくも悪くも直進するしか能がなかった。
「いつまでもこんな場所にいられるはずがありませんわ。でも、どうすれば……」
ぶつぶつと苛立ちを吐き出すように呟きながら考えを進めていく。
生家は頼りにならない。リルをここに追い落とした原因なのだ。頼りにできるはずもなかった。
個人で成り上がるのも難しい。お金を稼ぐにしてもリル個人の縁に商売の伝手などあるはずもない。研究や発明でなりあがれるほど頭脳明晰でもない。文官になるにしても、学園を退学になった身では仕官すらかなわないだろう。
「ならば、あとは武の道……」
成り上がる道はいくつもあるが、武勇を挙げるのは最も耳障りが良いものの一つだ。その困難さとは裏腹に、英雄譚として謳いあげられることが多く、一見した限りでは華々しい。
王立学園は国の精鋭を育てる教育機関だ。学芸の一つとして戦闘訓練も必須のものとしている。ライラにこそ無残に敗北したが、あれは相手が悪すぎたという一面もある。リルとて、まったく武術の心得がないというわけではなかった。
だからこそ、無駄な自負心を根拠にリルは一つの道を志す。
「女のわたくしが騎士として軍に入るのは現実的ではありませんわね。ならばあとは冒険者ギルド……そこしかありませんわ」
この王都の東西南北に四つある、迷宮の入り口。そのうちの南北の二つは国の管理下に置かれているが、残りの東西二つは解放されている。
地下深くに広がる迷宮を探索し魔物を駆逐して資源を得る職業を冒険者と呼んでいる。そこで武勇を上げれば、時として貴族の位を授与されることすらある。
そう。
あの、ライラ・トーハと同じように。
「あのライラと同じ方法であるのは気に入りませんが……」
そこまで呟いて、いや、と思い直す。
自分のことを侮蔑し見下したあの女と同じ方法で成り上がればこそ、ライラを見返せる。そうやって恨みを原動力にして意気を上げる。そうやって、リルはあの時に無意識で気がついて認めてしまった己の空虚さをごまかす。
そこに現実的な思考はない。ただの机上の理論であり空想の類に近い思考だったが、それでもリルはそれが現実的な方法だと思い込んだ。
なにか考えていないと、なにかにすがりついていないと、あの時に気がついた虚無が自分の人生を呑み込んしでまいそうで恐ろしかったのだ。
なんにせよ、やることが決まれば話は早い。
リルはすくっと立ち上がり、腕を組んで命じる。
「馬車を用意なさい。冒険者ギルドに向かいますわ」
「僭越ながらお嬢様」
勇ましいリルの号令に、同室していたメイドが恭しく頭を下げる。
実家を追い出されたリルに、唯一つけたられた使用人だ。その彼女が丁寧に頭を下げたまま告げる。
「このアパートの管理業務が山のように控えております。入居者の情報や家賃の回収状況の把握、物件の管理情報などのもろもろの引継ぎと確認。入居者から上がっているクレームや要望の対処もしなくてはいけません。それとなにより、私の先月分の給金の支払いが、まだなのですが――」
「そんなどうでもいいこと後回しですわぁ!」
いままでただのお嬢様として過ごしてきたリルに、実務的なことで何か一つでも対処できるわけがない。必要最低限なことを並べ立てられただけでも、なにをどうすればいいのかすらさっぱりわからない。
だが、それでもリルの収入源なのだから、分からないなりにもっと真摯に対応すべき事柄だ。
「後回し、ですか……」
「そうですわっ。わたくしには、もっとやるべきことがありますもの!」
「……」
自分の収入源の管理以上に大切なものが人生にどれだけあるというのか。自分の生活の生命線を放り投げる発言をしたリルに、メイドは閉口する。取り扱いづらい困ったちゃんをみる目になったが、他人の顔色をうかがうことなどしないリルにはそれがわからない。
「……かしこまりました、お嬢様。馬車の準備ですね」
「そうですわ!」
「本当に、冒険者ギルドに向かうのですか?」
「もちろんですわっ。なにか問題がありまして!?」
問題ならさっきメイドが告げたように、山のようにある。引きとめる理由も、リルがやるべき義務もいくらでも思いついた。
だが、リルはそんな意見に耳を貸さないだろう。それを承知しているメイドは小さくため息を一つ。
「かしこまりました。前のように持ち馬車はありませんので、辻馬車を呼ぶことになります。よろしいですか?」
「かまいませんわ!」
どこまでも人任せなくせに、どこまで高圧的で身勝手。夢ではなく空想を信じて、目の前の現実の道筋から目をそらして自分のよいように解釈する。
いまのリルは、間違いなくそんな人物でしかなかった。