噂話・2
地の底で、雷を振るう。
魔法によって生み出された雷を束ねて作った雷霆。彼女は雷でできた鋼鉄をつかんで振るう。
迷宮深層。
迷宮は、七十七層を超えたあたりから、人の姿はなくなる。
そこに横たわる深淵を、ほとんどの冒険者が越えられないからだ。そこを超えて初めて、上級中位より上、上級上位として認定される。
そうしてそこよりさらに下った深層。
迷宮の奥深く。そこはまさしく魔物の楽園だった。
人が踏み入れるには深く、暗く、過酷。冒険者カードの圧倒的な恩恵を得ても、並みの冒険者がため込める経験値ではあっという間に底をつくだろう。
それを打ち砕く雷があった。
ほの暗いそこで、紫電が弾け、雷光がほとばしる。
猛毒を牙から滴らせる大蛇を叩き潰し、八つ首のヒュドラを再生する間もなく焼き尽くす。頑健な地竜の鱗をやすやすと打ち砕き、影のようなのっぺりとした蜥蜴のひそやかな動きを見逃さず叩く。
「弱い」
雷光が、ぼそりと言葉を落とす。
この場にいるどの魔物よりも速く強い雷光は、意思を持っていた。己の動きを理解し制御する絶大の堅固な意思で瞬いていた。
その声が響くよりも早くまた魔物を圧殺して、なおも雷光は走る。
「弱い、弱い、弱い弱い弱い弱い――」
瞬く間に魔物が駆除されていく。この迷宮においても強者の魔物が、たった一匹地上に出ただけでも街一つあっさりと壊しつくせるような魔物が、ただの一人に瞬殺されていく。
「弱い弱い弱い弱い――!」
ライラ・トーハ。
最強の冒険者。迷宮深層の踏破者にして覇者は、たった一人で迷宮最下層を駆け巡る。
速度も、力も、練度も、至高と呼ぶにふさわしい。雷を束ねて鋼鉄とし、その槌を振るう猛威。並ぶ者などいるはずもない。追いつけるものなどいるはずがない。速すぎる彼女に、並べるものなどいはしない。
彼女は、たった一人ですべてを駆逐する。
「――なんで」
その足が、不意に止まった。
好機とばかりに魔物がライラの立ち止まった一点に向かって殺到する。
ここは深層域。いくら魔物を狩ろうと、いくらでも新たな魔物が生まれる。それが迷宮の深層だ。いくら倒そうともきりはない。延々と戦い続けるしか生き残る道はない。そうして進むか死ぬかしか選べない。
そんな場所で、ライラは身じろぎもしない。
「なんでだ……」
零れ落ちる声は、先ほどからの動きとは裏腹に信じられないほど弱弱しい。
ライラの感傷になど魔物の群れは付き合わない。
「どうしてっ」
表出した弱さに食らいつこうとして襲い掛かった魔物が、じゅっと音を立てて蒸発した。
「どうして私はこんなに弱い!」
慟哭と同時に、ライラの全身から圧倒的な雷がほとばしる。
彼女が持つ魔法。速く、熱く、遠く轟けと願った思いから生まれた雷。光だけで目を焼きつくさんばかりの閃光が迷宮を満たし、その熱量に周囲の魔物は残らず焼き尽くされる。
技巧もない、ただの感情任せの雷の放出。全方位に無作為に放出されて雷は、触れた先をすべて弾き飛ばす。
国一つを優に滅ぼせる魔物の群れを焼き尽くしてなお、ライラの苛立ちは収まらない。収まるはずもない。
「くそっ」
焦げ目ひとつつかない迷宮を前に、顔をゆがめる。
崩れない。揺るがない。彼女が暴威をふるおうと、この迷宮には傷の一つも付きはしない。
それがたまらなく悔しかった。
「セフィロトシステムめ……」
ライラの嘆きを聞くものはいない。
最強の彼女は、たった一人だった。
ライラ・トーハ。かつてはただのライラだった少女。死んだ片割れの名をつなぎとめるためだけに、断り続けていた叙勲を受け貴族としての姓名を受けて得た名前。
まるで成長のない自分の無力さに、彼女は苛立っていた。魔法の威力も、放出量も、技巧も、身体能力も、思考速度も、戦術の組み立ても、闘いにおけるありとあらゆるすべてが。
何一つ、まるで上がらない。
「強く、なりたい……いいや、違う」
それでも彼女は歩みを止めない。
涙すらにじませ、激情を吐き捨てる。
「私は、強くなるんだっ。トーハの敵を討つためなら、世界をささげようと構うもんかっ」
決して止まらない思いを抱えたライラは、胸の内にある冒険者カードを取り出す。
レベル・九十九。
その情報には目もくれず、ライラはほんのわずかだけひびを注視する。まるで傷は広がっていない。かつて大きく、半分を超えて割れていた相方のカードには遠く及ばない。
「バカみたいだ」
比翼の片割れを失ってなお飛び続ける彼女は、自嘲する。
あまりにも早く世界の上限に達した女傑は、雷光を束ねて槌に変え、また走り始める。
まだ足りない。まだまだ届かない。自分の目指すところに、彼女はいまだ立てていない。百層に至るための扉を壊し、その先にいる敵を打ち倒すために、彼女はなんとしてでも強くなれねばならない。
試練こそが人を強くする。困難こそが人の歩む足を鍛え上げる。
けれども、ライラを阻むものがどこにあるというのか。
迷宮の深層区域。そんなものでは、もはや意味すらない。
だから、ライラは狂気に近い切望を抱えて願う。
「早く来い……主人公」
打って、砕いて進んで、押しつぶし、ただ無為に進んでいく行き詰った雷光は、ついこの間に排除したリルのことなど欠片も意識せず、いつか駆け上がってくるはずだと知っている試練こそを待ち侘びていた。