第十六話
「勝った……?」
ギガンが去った後、リルはポツリとつぶやいた。
自分より、レベルが十近くも高い相手。それを退け、勝つことができた。
信じられなかった。
負ける気はなかった。絶対に負けられない場面だった。でも、リルは己の力で勝利をつかんだ経験があまりにも少なかった。
だから、己の勝利を信じきれずに現実感もなく呆然としてしまう。
達成感もなく立ち尽くししていたリルだが、はっと我に返った
「あ……!」
コロが気絶したままだ。
自分の勝利を噛み締める前に、慌てて倒れているコロに近づく。
叩きのめされたコロの傷は決して浅くない。リルは躊躇せずコロに自分の冒険者カードを押し当て、経験値を消費させて傷を癒す。
「……んぅ」
しばらくして全快したコロは、目を覚ました。
「リルドール様……?」
「そうですわよ、コロネル」
無事目を覚ましたコロを見て、リルはほっと息をついてほほ笑む。
その顔はリルらしくもなく穏やかで、やさしかった。
倒れていたコロは上体を起こし、きょろきょろと辺りを見渡す。
「あ、あれ? あの人たちは……」
「ふふん。あの無礼者どもは、わたくしが撃退してみましたわ」
「え」
自慢げに語ったリルの言葉を聞いて、コロは愕然と目を見開き、次いでくしゃりと顔をゆがめた。
まさか泣き出されるとは思わなかったリルは慌てるも、どうすればいいかわからない。
「ど、どうしましたの!? もしかしてまだどこかの傷が治りきっていなくて痛むとかですの!?」
「ご、ごめんなさい」
「は?」
狼狽するリルに、コロはなぜか謝罪を口にする。
コロが謝った理由が分からなくて、リルは困惑に首を斜めにする。
だがコロは泣きそうなまま謝罪を続ける。
「ごめんなさい。わたし、戦うことしかできないのに負けちゃって……勝つことでくらいしかリルドール様に恩返しできないのに負けちゃって……!」
コロの謝罪を聞いて、リルは目を見張った。
「いっぱい、いっぱいリルドール様にはよくしてもらったのに、それなのに役に立たなくてごめんなさい」
じわり、とコロの瞳にたまった涙がこぼれそうになる。
それでもコロは、負けた自分が悪いんだと謝罪を口にしようとして。
「ごめんないふぁい!?」
その頬を、リルはむにゅりとつまみあげられた。
「ふぇ!? な、なんですか!?」
「笑いなさい、コロネル」
「え?」
つねられた頬を押さえてぽかんとほうけるコロを、リルは真剣の見据える。
「謝罪なんて、やめなさい。言いましたでしょう。わたくしは、あなたに何の対価も求めませんわ」
もう、もらったのだ。
あの時の輝かしい憧憬を、燃えるような思いを。
それは、リルの胸に染みて落とせなかった黒い感情を、丸ごと焼き払ってくれた。嫉妬、劣等感、無力感。それらを丸ごとすべて蹴ちらす明るさに満ちていたのだ。
確かにコロは戦うことしか知らないのかもしれない。彼女の最も優れた才能は、戦闘の分野に開けているのは疑いない。リルだってその才能に嫉妬し利用しようと考えた。
でもいまのリルにとって、コロの価値は戦うことにないのだ。
「わたくしは、あなたの姉分ですわ。そのわたくしが、妹分のあなたから何かを巻き上げようだなんて思いません。あなたがあなたらしくいるだけでいいんですわ。わかりましたこと?」
「……い、いいんですか?」
「当たり前ですわ。わたくしを、誰と心得ていますの?」
「……世界に輝く、リルドール様です」
「その通り。さすがコロネルは、わたくしが誰だかきちんと心得ていますわね」
リルが自信満々の笑顔でコロを支える。
これからのリルは、コロの前では絶対に弱気を見せない。コロの思っていてくれるリルでい続ける。そうしていつかは偽物から本物に成り上がるのだ。
コロの憧れた、この縦ロールを武器にして。
「そしてコロネル。ひとつ、しっかりとその胸に刻みなさい」
軽く見得を切ったリルは、ぴしっとコロを指さした。
これから嘘を真実に変えていくために、リルはしっかりと言い切る。
「あなた、さっきの戦いの時にわたくしが弱いとか言ってましたわね」
「い、いいましたっけ……」
指さされたコロはそろりと目をそらすが、自分の悪口に対しては耳ざといリルはばっちりしっかり聞いていた。
「言いましたわ。弱くても強くあるのが云々と」
「うっ……」
「でも、どうですの」
気まずそうに言葉を詰まらせるコロを、しかしリルは責めはしない。
ただ代わりに、己の胸に手を当てて誇り高く謳いあげる。
「わたくしはあなたが倒せなかった相手を倒してみせましたわ。しかも二人続けての二連勝。わたくしは、強いのです。強くて強いのですわよ!」
「……はい!」
自分のついた嘘を真実に変えるため、紛れもない事実を一つ積み上げたリルに、コロは笑顔でうなづいた。自分の憧れの人は、やっぱり自分の憧れた人だと改めて思った。
その笑顔を見てようやく、リルの胸に達成感が湧く。自分は勝ったのだと喜びが湧き上がる。
「あと、コロネル」
「はい?」
「今後わたくしのことは、リルと呼びなさい」
幼名を愛称として使うのは、ごく親しい友人や家族くらいなものだ。まだ出会って三日と経っていないコロにねだる呼び方ではなかった。
けれども、リルはコロにだけはリル『ドール』と呼ばれたくなかった。
「いいんですか? その、リル……様って、偉い人ですよね」
「ふふん、その通り。わたくしは、とっても偉い人ですわ。だからこそ、その妹分であるあなたに、愛称で呼ぶ栄誉を与えるのです。わたくしもあなたのことは、これからコロと呼びますわ」
「わかりました、リル様!」
「それでいいですわ、コロ!」
そうしてここに、いつかは最強無敵に至る二人組が誕生した。
リルとコロの伝説が始まる場所から、ほんの少しだけ離れた迷宮の通路。
「兄貴ぃー」
「なんだ、ヒィーコ」
そこで、ヒィーコとギガンは魔物を狩っていた。
「こっそり陰で魔物退治とか、なんなんすかこれ」
「ああん? なんだもくそもあるか」
ぶつくさ言いつつも、ヒィーコの振るう槍がゴブリンを貫き塵にする。
リルにぶち抜かれたヒィーコの怪我は、ギガンの冒険者カードの経験値を消費して治してある。だかいまやっていることがよほど不服なのか、元気に動き回りぶちぶち愚痴をこぼすヒィーコに、ギガンはぶっきらぼうに答える。
「しょーがねぇだろ。あの嬢ちゃんたち、いまは周りを見てねえしな。ほっといたら魔物に襲われちまう」
「はぁ」
手を巨大化させて一つ目ウルフを三匹まとめて叩き潰したギガンを横目に、ヒィーコはため息。
槍を突き出し、死角から襲い掛かろうとしていた別の一つ目ウルフの額を貫く。
「どーすんすか、兄貴。今回の依頼失敗で、ただ働きじゃないっすか。なのに、なんでその原因のお貴族様を助けてるんすか。もー、マジで意味不明っす!」
「うっせぇ。依頼は失敗したけど、すげえもん見れたんだからいいだろうが」
「へー、そっすかー。あたし、そのすごいもん、見てないっすけどね」
「見てなくとも認めろよ。あの嬢ちゃんは、俺の防御を抜いて手をはじいて見せた。すげえ奴だよ」
「嫌っす。見てないんだから認めないっす」
「ていうか、お前も吹っ飛ばされただろ。一撃で」
「あ、あれは油断してただけっす!」
貴族嫌いのヒィーコは反発して頑固に言い放つ。
そうして苛立たしげに、新たに現れたゴブリンの首筋を切り裂く。
「だいたい、兄貴はお人よしなんすよ。あたしは知ってるっすよー。今回の依頼だって、兄貴が率先して受けたのはあんまりあのお貴族様がいじめられすぎないようにっていう配慮から、憎まれ役を買って出たってこと」
ヒィーコの言葉に、ギガンは口をへの字にひん曲げる。
貴族階級の人間が迷宮に潜る時、その多くが貧困層出身の冒険者から反感を買うことは少なくない。普段は厄介ごとを嫌って遠巻きにしているが、そこに大手を振って上流階級出身の冒険者もどきを痛めつけられる依頼が差し出されると、時として過剰にエスカレートすることがある。
「……お前が連れの嬢ちゃんをぼこぼこにしたおかげで、あんまし意味なかったけどな」
「しょーがないじゃないっすか。コロっち、めっちゃ強かったんすもん」
ギガンの嫌味に、ヒィーコは唇を尖らせる。
リルがギガンからダメージを与えられたのは、お腹を殴られた一回きりだ。後は言葉で諭されるように心を折られていっただけ。ギガンはなるべくリルが傷つきすぎないように配慮していた。
それに対してコロのダメージは甚大だ。ギガンとヒィーコにとって、コロの戦闘力は最大の誤算だった。ヒィーコと互角の戦いを繰り広げたために、コロはボロボロにされてしまったのだ。
「レベル的には中級中位の兄貴がこんな低層にいるのも、成人したてでようやくちゃんと迷宮に潜れるようになったあたしのレベル上げに付き合ってくれてるからっす。マジでお人よしっす。兄貴一人だったら、もう二十階層以降も潜れてるのに、そうしたほうがお金も経験値もがっぽりなのにっす。紛れもないお人よしのバカっす」
「おい。あんまりバカにしてっと見捨てるぞ」
「あはは」
脅すように睨みつけるギガンの視線を、ヒィーコはからりと笑って受け流す。
「でも、あたしはそんな兄貴が大好きっす。結婚してください」
「もういい加減黙ってろ。そもそも俺は既婚者だ」
「そっすね」
一通り魔物を殲滅したのを確認して、冗談交じりにプロポーズをしたヒィーコは槍を肩に担ぐ。
「……奥さんの今度のお墓参り、一緒について行っていいっすか?」
「往復一か月もかかる距離だ。今が伸び期のお前の貴重な時間を無駄にすんな」
「……はぁ。兄貴は、ほんとお人よしっす」
素っ気なく気を遣うギガンに、ヒィーコはまた深々と息を吐いた。