クランの猫
クラン『無限の灯』には、今現在、本拠地がない。
理由の一つとして、連盟を組んでいる『栄光の道』の施設を間借りしていたこと。クランの創設初期に、『栄光の道』のメンバーが多く移籍したため、間借りの状態が非常に都合がよかったこと。
そして初代マスターにして伝説となった、リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウ。彼女が自分の所有していたアパートを拠点としていたこともあって、クランとしての本拠地を必要としていなかった。
ただ、ここ最近は組織としての体制が整い人も増えてきたのもあって、二代目マスター、カスミの主導でクランの本拠地の建築を着工し、完成間際となっていた。『栄光の道』の寮を間借りしているメンバーも、それに合わせてそちらに移る予定だ。
そんな状況の昼下がりのこと。
「コロネルちゃんは犬だよね。リルドールさん命って感じの忠犬。中型犬ね」
「逆に……リルドールさんは……猫?」
「澄ました血統書付きの猫っぽい感じはあったかなぁ」
『栄光の道』のロビーにて、ニナファンとエイス、ウテナの三人で何でもない雑談がされていた。
ここ最近、異様に難易度が高いと噂の七十七階層をようやく超えて、深層の迷宮の探索を始めた三人である。七十七階層主を倒したわけではなく「まあ、通してやってもいいか」みたいな態度で突破を認められたわけだが、リルの踏破後、迷宮のシステム自体が一新されてからは初の七十七階層越えである。
というわけで、この三人の実力は世界的に見てもトップメンバーだ。
「カスミはあれだよね。ビーバー」
「まあ、いつもなんかつくってるイメージはあるけど……」
しかし話している内容は『知り合いを動物に例えたらどうなるか』というどうでもよい雑談だった。
「ヒィーコちゃんは何だろう? しっかりした人って、動物で例えるのが逆に難しいね」
「ヒィーコも……犬、かな……?」
「すごくしっかりした番犬って感じ? エイスちゃんは、鳥だね。小鳥のピーちゃん」
「うん……鳥以外ありえない……。うるいさいうえ外に逃がしたら……帰ってこないあたりは特に……」
「ねえ、だからピーちゃんやめてって! あれトラウマだから!」
「あはは。あったね、そんなことも」
エイスは顔をしかめるが、世界一首輪と鳥かごが似合う女の称号は伊達ではない。エイスはいまだに鳥類以外の何物でもなかった。
そんな話をしていると、ざわりとロビーがざわめいた。
赤毛をくるりと巻き、ミスリル製の大剣を背負った少女。コロがロビーに入ってきたのだ。
「あれ? コロネルちゃん、どうしたの?」
珍しい来客に、ニナファンが呼びかける。
コロはいま、リルが住んでいたアパートにアリシアと共に住んでいる。おそらく、『無限の灯』のクラン本拠地ができてもそこにいるだろう。だから何か用がない限りは『栄光の道』の施設に来ることもない。
そんなコロは、顔を困惑気味にさせていた。
百層に挑み、名実ともに世界のツートップの冒険者の片割れである彼女をそんな顔にさせているのは、小さな存在だった。
「あの、この子が道に落ちていて……」
「あ、かわいい」
コロの胸に抱えられた猫が、みゃーんと鳴いた。
コロは困った顔で、相談。
「どうしましょう。たぶん野良の子で、母猫とかはぐれちゃってると思うんです」
「へー……」
小さな子猫だ。生まれたてというほどでもないし、さほど弱っている様子もない。
ウテナはさほど興味がなさげで、エイスは頬を緩ませて撫でようと手を出し、しゃーっと威嚇されていた。子猫にすら舐められる高レベル冒険者が、エイスである。
コロは性根が素直だし、優しい心の持ち主だ。道端にいた猫を捨て置けなかったのだろうと、ニナファンはどうするべきか考える。
「うーん、元の場所に返してくるっていうの、ちょっとねあれだよね。コロネルちゃんのところで飼えないの?」
「うちのアパート、ペット不可です」
「そっかぁ」
なるほど、と納得。
アリシアは例外を許す性格ではない。かわいいでは通らないだろう。だからこそ、コロもこちらに来たのだ。
「鳥なら、飼ったことがあるけど……猫はないなぁ……」
「ウテナしつこいよ!? ……ていうか、ここの寮ってペット禁止だよね」
「うん。禁止されてるよ」
五十階層のシステムが変更されて以来、ちょいちょいデカい蟹やらサソリやらが訓練場を占拠するが、動物の飼育はNGである。
「あ、そうなんですか」
ここも禁止と聞いて、コロの眉根がハの字になる。
「どうしましょうか、この子」
「確かにここじゃ飼えないけど……今度できるうちのクランの施設は、どう……?」
「おお!」
コロが目を輝かす。
「なら、カスミさんに聞いてみます!」
***
「別にいいわよ」
あっさりとOKが出た。
二代目クランマスター、カスミ。冒険者として活動を止め、クランマスターとして組織を動かす立場になってからの方が精力的だ。コロと子猫だけではなく、エイスたち三人も付いて来てのお願いごとに「なんだろう」とちょっと緊張していたのは一瞬。今もヒィーコと一緒に動き回っていた彼女は、時間を無駄にすることなく即座に結論を出した。
「クランの本拠地ができるまで、うちで面倒みるわね。ヒィーコちゃんも、いいわよね。クランで猫を飼うことにしても」
「そうっすねー。猫っていうと、あいつがパッと浮かんじまうっすけど……」
ヒィーコはコロから子猫を受け取って、のど元を指で撫でる。
ゴロゴロと気持ちよさそうにのどを鳴らした子猫に、目元を和ませる。
「猫は、リルさんがこの世界で最後に戦った相手だしね。クランとして飼ってみても、いいんじゃないのかな。象徴的な感じもするわ」
「……かわいいもんすね。普通のにゃんこなら大歓迎っすよ」
ということで、『無限の灯』のクランの本拠地で、一匹、猫が飼われて可愛がられることになった。
おそらくは、施設内を自由に歩く気ままな猫になってくれるだろう。そんな期待が、まだ小さな猫に向けられる。
「ところでさ」
結論が出て、問題は解決だ。
ほっと緩んだ空気の中、エイスが余計な話題を出した。
「みんなって猫と犬、どっちがかわいいと思う?」
「猫です」
「犬っすね」
「普通、犬だよね」
「え……猫でしょ……」
「どっちかって言うと、猫ね」
真っ二つに意見が割れた。
ちょうど、二対三。その場の空気が、ほんのわずかに、しかし確実に硬質なものとなった。
自然と言い出しっぺのエイスへと、視線が向けられる。結論を出す立場に立たされたエイスは、たらりと冷や汗を流しながらも、正直に。
「い、犬派だけど……」
「ちっ……捕食されたくないからか……? 犬だって鳥を食うぞ……?」
「そういう問題じゃないよ!? なんでペットの問題に野生の世界を出してくるの!?」
「これからクランで猫を飼おうって時に、犬の方が好きって言われてもねぇ」
「いやだって、普通に犬の方がかわいいじゃん! 普通に考えよう? 犬だよね、かわいいのは」
「そりゃ犬もかわいいと思いますけど、やっぱり猫ですよ。見てて、なんか懐かしい感じもしますし!」
「コロっち。リル姉と動物を重ねるのは止めるっすよ。やっぱり従順な犬っすよ」
クランマスター以下、トップメンバー六人は、結論の出ない論争に発展する。
そんな平和の論争の中、何の力もないかわいいだけの子猫が、のんびりとあくびをしていた。