第百三十一話
どおんと空で爆発音が響いた。
カスミが打ち上げた試作有人ロケット五号が空を覆う天蓋に衝突して爆発した音だった。街から離れたただっぴろい平原の中、錬金したロケットもどきを打ち上げた張本人は空を見あげて難しい顔をしている。
「うーん……あの蓋、どうすれば超えられるのかなぁ」
飛ばしたロケットに積み込んでいたテグレの生死の心配はちっともすることなく眉をしかめて天蓋を睨み付けていた。
「ドリルかしら……やっぱり先端にリルさんの縦ロールみたいなドリルを付けるしかないのかしら……うまく突き刺されば掘り進めるかもしれないし……」
ぶつぶつつぶやきながら空を阻む天蓋の突破方法を練る。
リルがこの世界を巻き込んだことによって、世界は少し変わった。
晴天の空の様子は、いままでと少し様子が変わっている。
かつては星々が見えていた空。それが透き通って、うっすらと違う世界の情景が見えるようになっていた。
リルの縦ロールに一度巻き込まれて再編されたことによって、ほんの少し仕組みが変わったのだ。
空に見える違う世界の光景もその一端だ。青い空の果てにうっすらと映る、別の世界。肉眼ではその営みまでは見えないが、そこに人が住んでいるということは確認されている。
空の先があることが、明確に目に見えるようになったのだ。
「いつ見ても、変わった空は少し不思議ですね」
「あ、セレナさん」
「こんにちは、カスミさん。今日は休暇だったはずなのに、熱心ですね」
「そりゃもう。趣味と実益を兼ねてますから」
打ち上げ結果に難しい顔をしていたカスミに声をかけたのはセレナだ。ここまで徒歩で来た彼女は、背中に何やら重厚な木箱を背負っていた。
『雷討』に『無限の灯』。お互いに最前線のクランのマスター同士、それなりに付き合いがある。
「世界が変わる瞬間を目にするなんて、そうそうないと思っていたんですけどね」
感慨深そうに空を見上げるセレナの言う通り、目に見える世界はいまもなお少しずつ増えていっている。リルのことだ。無限宇宙に出た後でも、他のこぼれて潰えそうになっている世界をことごとく助けて巻き込んでいるに違いない。リルの縦ロールに巻き込まれた世界が増えるごとに、空に見える世界も少しずつ数を増やしていっているのだ。
やはり変わった青空は少し奇妙だ。それでも、リルを知っているからこそ二人は思うのだ。
「リルドールさんらしい景色だとは思います」
「うちの初代マスターですからね」
二代目『無限の灯』のマスターは、初代の心意気にえっへんと胸を張る。
「それよりセレナさん。頼んでいたものなんですけど……」
「ええ、できました。今日はそれを届けに来たんです」
そういってセレナは背負っていた荷物を差し出す。
木箱に中に入っていたのは細身のレイピアだった。
「ミスリル合金製のレイピアです。確認してください」
「……ありがとうございます!」
鞘から刀身を出してその輝きを確認したカスミは頬を緩める。正真正銘のミスリル合金製のレイピアだ。
ミスリルは五十階層主を討伐しなければ手に入れることができない特殊な金属だが、どこにも備蓄が全くないというわけではない。過去、五十階層主を討伐したことのある迷宮を有する国は、量こそ少ないがミスリルを所有をしている。セレナとカスミ、二大クランのマスターが結託してリルの実績を盾にして、いくつかの国にある備蓄をもぎ取るようにして造らせたものだ。
「コロネルさんとヒィーコさんの話だと、リルドールさんが持っていたものは砕けてしまったそうですからね」
「はい。だから、新しいのを届けに行きたいんです」
手に持つレイピアの重みを感じながらもカスミは返答する。
カスミはリルにいつか会いに行くと言った。その時に、手土産の一つもないというのはあんまりにも無礼だ。だから、その時に持っていくためのレイピアの手配をセレナに頼んでいたのだ。
「実際、どうなんですか。カスミさんのやろうとしていることはわかりますが、正直いまの技術水準だと厳しいものがあると思いますけれども」
「まだまだ厳しいですね。あの夢の世界でいろいろと知識が増えましたけど、そのまま流用できない部分が多いですしね。どう転用するか、悩んでます」
「ああ、カスミさんは覚えているんですね」
「はい。ばっちり覚えていますよ」
化け猫の腹のうちにいた時の世界のことを覚えている人間は少ない。多くの人は夢の世界として、この世界で目覚める時に忘却してしまった。唯一ほとんどの人間が忘れなかったのは、輝く縦ロールに手を伸ばしたその瞬間だけだ。
それでもカスミやセレナ、その他少数の人間は夢の世界をしっかりと覚えていた。
「高校で巨大ロボを造ってました。ものすっごく楽しかったです」
「ああ……私も似たような感じですよ。巨大ロボを操縦するヒィーコさんのオペレーターをやってました」
「オペレーター……なんか楽しそうですね。それにヒィーコちゃん、軍用機のパイロットしてたんですか。いいなぁ。こっちは学生集団だったんで、さすがに軍用品とは比べ物にならなかったと思うんですよ」
「カスミさんのほうが楽しそうですけど」
実際楽しかったので、特に言い返さない。エイスが途中途中で逃げることを除けば、自分の趣味に非常に合致した世界だった。幸せな夢の中は、夢見た技術を学べて実践でき、競うことができた。
楽しかった。
だが、リルに巻き込まれて戻ったことには一片の後悔もない。
カスミはもとに戻って少しだけ変わった空を見あげる。
「リルドールさんたちは、地の底に続く迷宮を踏破して先に進みました」
リルが突き抜けた過程であり、自分がかつて志して挫折した道。
迷宮の百層踏破。リルが示して照らしたこの世界を超える道のりの一つ。いま隣にセレナのように、選ばなかったのではない。単純にカスミでは力足らずできなかったという手段だ。
ただ、それができないからといってカスミは世界を超えることを諦めていない。
「私にはそれは無理ですけど、世界を超える手段は一つじゃないはずです」
自分よりずっと可能性にあふれる仲間に夢を託すだけではない。尊敬する人から託されたクランの運営に注力するだけではない。カスミ自身が、彼女の知恵を振り絞って限界を超えるのだ。
山を登る道がいくつもあるように、高みにある道はたったの一本ではない。この世界に果てがあると知り、リルがその外に出れるんだと証明してくれた。
「だから私は、あの天蓋を突破して見せます」
待ってくれているあの人に会いに行って、いつか胸を張ってレイピアを届けるために。
決意を表明したカスミに、百層に行き世界を超える実力を持ちながらもこの世界に残ることを決めたセレナは微笑みを送る。
「頑張ってください、カスミさん」
「はい」
言うほど簡単ではない。
空は遠く、そこに至るまでには足場すらない。天を覆う天蓋の強度はいまだどれほどか知れず、そもそもそれを破ってしまっていいものなのか、それもわからない。途方もない困難が待っているだろう。
でも、憧れてしまったのだ。
だから歩みを止めることができない。理屈ではなくて、損得でもなくて、それでも目指すのだ。
言葉に出して人に聞かせて周知させればそれがいつか真実になるとリルが示してくれた。努力すれば、少しずつでも絶対に実るんだとその身で輝き示してくれた。
「一生を費やしても、超えてみせますよ」
言葉通りの覚悟を胸に、カスミはいつか自分が超える空を見あげた。
カスミ:迷宮最終到達深度・七十階層。
二代目『無限の灯』のクランマスター。冒険者としての腕は上級中位にとどまったが、初の天蓋突破を成した人物として歴史に名を残す。
トライ&エラーを繰り返して蓄積された彼女の技術は、のちの世界間交通に多大な貢献をした。
セレナ:迷宮最終到達深度・百階層。
三代目『雷討』のクランマスター。冒険者として世界トップクラスの実力を誇り、三度百層に到達したものの世界を超えることを選ばなかった。
生涯自身の生まれた世界にとどまり、後世の冒険者育成に注力した。