第百三十話
その後の番外編の更新をちまちまと開始します。
宇宙樹から、一つの世界が飛び立っていった。
遠く、宇宙樹の根元からそれを眺めた世界猫は、哀悼の鳴き声を上げた。宇宙樹に実っていた小さな世界が持ち上げられて離れていったからではない。小さな小さな自分の眷属が潰えたのを知ったからだ。
長い間、自分の平穏を守ってくれた眷属の消失。それは世界猫をして感傷に浸らせるものであった。
一匹、宇宙樹の根元に残された猫は考えた。
これではいずれ、また世界が潰れる音が響く。
墜落する怨嗟を救ってきた小さな眷属は消え去った。幸福に満たされて逝ったのだから、倒した相手に噛みつくのは筋違いだと見逃した。
新たに生まれた超越者は宇宙樹から離れ、旅立っていった。無限宇宙に慣れないうちは、自由に移動することすらままならない。彼女は新たに墜落する世界が出る前までに戻ってくるつもりだったようだが、一つの世界が落ちるまでにこの宇宙樹の根元まで戻ってこれるとは思えなかった。そもそもあの程度のちっぽけな存在が無限宇宙で力を付けるまで生きてゆけるのか、甚だ疑問だ。
さて、さて、それならどうするか。
世界猫は前足をなめて毛づくろいをしながら考えた。
眷属を新たにつくるにしても、それは幾億の墜落が必要となる。墜落の嘆きを防ぐための眷属だというのに、墜落の悲劇を前提としているのだ。
矛盾である。八方ふさがりとは言わないが、何かしら問題はある状態だ。
世界猫は力はあるが万能ではない。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地をつき通せば窮屈だ。
ままならない人の世の理は、存外無限宇宙の超越者たちにもつながる道理である。
そもそも世界猫はあまり物事を難しく考えるのが得意ではない。なにせ猫として生まれたのだし特に考えることなく感じるままに生きてきたのだ。無限宇宙にあって無邪気に生き抜けるだけの力を持っているのだから当然だった。
どうするべきか。
雄大なる世界猫の思考のスパンは長い。彼にとってみれば少しの間とりとめもない思考に浸っていただけなのだが、その答えが出るより先に一つの世界がぽろりと落ちた。
世界猫の鋭敏な感覚は世界の落下に気がついた。放っておけば潰れてしまう。そうして悲哀の声が積み重なる。それが満ちれば、また同じような悲劇が繰り返されるのかもしれない。
それは嫌だなぁと思った猫は、なんとなく前足を伸ばして落ちた世界を毛皮の中に受け止めた。
柔らかな世界猫の獣毛は、世界を潰すことなく受け止めた。少しくすぐったかったが、不快ではなかった。少々の驚きはあったようだが、世界猫の中で世界は生き、営みを続けた。
ああ、こうすればよかったのか。
小さな小さな、しかし温かい世界の感触に世界猫は自分が生まれた本当の理由を悟った。
そうだったのだ。宇宙樹の根元で生まれた一匹きりの彼は、最初からこうするべきだったのだ。たぶん、こうして世界を受け止めるために彼は生まれたのだ。彼の柔らかい毛皮は、柔軟な体は、鋭敏な感覚は、そのためにあったのだ。
彼にとってはノミのような大きさの世界を潰さぬよう丁寧に毛づくろいをして、感謝の鳴き声を響かせた。
自分に世界の救い方を教えてくれてた小さな超越者と、役目を押し付けてしまったにもかかわらず慈悲深く生を全うした名もなき眷属に感謝の意をささげて。
その時から、その宇宙樹では世界が落ちても潰えることはなくなった。
これもまたまぎれもなく、五本の黄金の無限をたなびかせる彼女が変えた無限の理の一つだった。




