表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
嘘つき戦姫、迷宮をゆく  作者: 佐藤真登
七章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

142/158

第百二十八話 世界で輝くリルドール

 夢幻を超えた無限の宇宙に、光があった。

 きらめく意思、くじけぬ希望、尊き思想、無数の想い。

 いまのリルはそれらすべてを兼ね備えている。煌々と輝く太陽のような輝きそのままに、精神を黄金として自らが輝いている。

 リルが、三位一体でできた巨人を動かす。


「この拳っ、受けてみなさいッ、化け猫!」


 縦ロールでかたどられ、魔力装甲でおおわれ、内部を炎で満たした巨人の腕で化け猫を殴りつける。距離の概念を膨れ上がった質量で踏みつぶし、すさまじい勢いで化け猫に迫る。


「――吾輩は、猫である」


 だが化け猫は屈しない。

 膨れ上がったリルたちの想いに対抗するため、化け猫は全身の毛を逆立たせて巨人の拳を前足で振り払い、のどから獰猛な唸り声を発する。


「吾輩は、猫であるっ。宇宙樹の根の又から生まれ落ちた偉大なる世界猫が吐き出した毛玉を核に、堕ちた世界の怨念が集まってできた名もなき猫である!」


 どんな希望を前にしても、彼には決して譲れない理由がある。巨人のごとき威容を前にしても、折れるはずのない膨大な想いを身に宿している。

 宇宙樹の樹上から、化け猫が飛び跳ねる。一直線ではない。あたりにある雄大な枝葉を使っての立体起動。俊敏に跳躍してリルを惑わせ爪を繰り出す。


「この毛の一本一本が、いままでにつぶれた幾億千もの世界の人毛でできている! この体の細胞の一つ一つがつぶれた世界の人間の肉でできているッ。吾輩の体液は抵抗もできずに潰えた人々の涙と血で循環しているっ。貴様ら超越者を目指すものが見捨てた者の末路の結晶こそが吾輩である!」


 柔軟な体、四足をフルに使った跳躍。跳ね回る化け猫の俊敏さに、リルはついていけない。縦ロールの五体を動かすリルの攻撃をかわし、背後を取った化け猫がリルの巨人の足にかぶりつく。


「くぅっ!?」


 足に噛みついた化け猫が、牙を食いこませたまま首を振る。巨人を引きずり倒し、のしかかって抑えつけようする。

 彼の存在理由。超越者が無限宇宙に飛び出す踏み台として落とされた世界の残骸にして、住まう世界ごと叩き潰された人類の怨念は、他の超越者を決して許しはしないのだ。


「世界のつぶれる音を知らぬ貴様らの傲慢で世界は腐るっ。幾億万の慟哭の悲しみを知らぬ貴様らの我欲で世界が堕ちるっ。幾億千万兆の悲哀を省みぬ貴様らの無関心さが世界を潰して吾輩たちを殺したっ。何が成長かっ。何が進化か! 何が限界の突破か!! 周りを巻き込み膨れ上がる? なにをほざくっ。貴様ら個人が去った後に滅びた世界にどれだけの犠牲が重なっていると思っているのだっ!!」


 いままで、いくつの世界が堕ちたか。幾千幾億の力なき人々が贄となったか。兆を凌駕するほどの人々が死に絶え、混ざり合い、もはや名前もなくなるほどに亡者が積み重なった。

 世界が、六十億潰えたのだ。一つに付き、二十億の人が住まう世界が、六十億も落ちたのだ。その悲劇の末に、化け猫という怨念の結晶が生まれたのだ。


「この復讐心を逆恨みと思うならば謗ればよい! 弱き者の負け犬の遠吠えと思うなら糾弾せよ! まさにその通りであるが、そのような正論など痛くもかゆくもないわ! どんなに弾劾されようと、吾輩たちの感情は貴様ら超越者を許しはせん!」


 あまりに突然の悲劇、避けえぬ終焉に直面した人々の怨念。世界の墜落という滅び。世界は最初からそういう風にできていた。たった一人の英雄を、世界を超える超越者のためだけできていた。

 でも、そんなことは無辜な人々にとってみれば、知ったことではない。

 自分たちは、その一個を生み出すために生きてきたのかという弱い人々の嘆き。自分たちはお前たちのために生まれてきたんじゃないんだという普通の人々の怒り。世界の墜落に抗えず潰れた人々の怨念より生まれた化け猫は、その身をもって彼らの執念を示しているのだ。


「なぜ貴様ごときが希望を語る。ただ強いお前に、どれだけの価値があるというのだっ。なぜ、拳を振りかざしただけの貴様だけが生き延びるのだ! 人間はそんなものなのか? ただ武力が強いものだけが上に行くものか? 他者を潰して排するだけしか能がない物狂いじみた戦闘狂だけが前に進むのか? 世界を超えるのは、暴力に秀でた一個人の能力によるものだけなのか? くだらない……くだらないくだらないくだらない! あまりのくだらなさに反吐が出る!」


 過去に確かにあった悲劇を叫び、英雄を超えて超越者にならんとするリルを引き倒し、首筋に噛みついて、口内に灼熱が流れ込んでも構わずに装甲をかみ砕いて引きはがす。


「こ、のぉ……!」


 五体と変わった縦ロールを動かし逆に頭を掴んでやろうとすれば、すかさず距離を開く。

 そうして離れたところから、幾億千万の眼球を詰め込んだ瞳でひるむことなくリルを睨み付けた。


「貴様らを生み出すための理の、なんと野蛮で身勝手なことかッ。理性も知性も感じられぬ! 人間とは、そんなものではないはずだろう!? 人間の進化とは、人類の真価とはもっと尊きものであろう!! 我ら人類は、絶えずして思考することによって進歩する生き物であろうが!! それこそが人間であり、人類であろうが!!」


 いままで潰された人類の慟哭を背負った化け猫は、叫ぶ。


「それなのに、なぜ否定するっ。人の営みを、築き上げた国家を、つないできた文明を、紡いできた歴史をっ、貴様らが生きてきた世界をッ、そのことごとくが滅ぶのを、どうして見過ごしたのだ!? 偉大な人類の結晶がどうして貴様一人に劣るというのか。吾輩たちは貴様一人の進化のために生きていたとでもいうのか? そのための歴史、そのための文化、そのための世界で、だから死ねと、そういって貴様らは吾輩たちを見捨てるのか!?」


 それは、幾億兆もの犠牲となった世界の叫びだ。紛れもなく、見捨てられた人々の怨念だ。


「貴様に何ができる? 人を豊かにする発明をなせるのか? 人々を生かす文明を統治できるのか? 集団の住まう幾千万の建物を築くことができるのか? 彼らを賄う食料を耕せるのか? 彼らが身に包む衣装を繕えるのか? 彼らが安らぐ居場所を用意できるのか? できぬだろう。闘うばかりの貴様らには、何一つとして活かすことも創り出すこともできぬだろうが!! 戦い壊し殺すばかりの分際が、どうして己を英雄などと増長できるのだ!?」


 戦いの天秤が化け猫へと傾く。俊敏に飛びまわり、食らいつく化け猫の優位へと形勢が向かっていく。鎧を噛みはがし、リル本体に牙と爪を突き刺さんと迫りくる。化け猫の猛攻を、リルはさばききれない。ところどころ魔力装甲がはがされて縦ロールがむき出しになり、血が流れるように内部の灼熱があふれ出す。


「よりよい明日を手に入れるために努力し、夢を描き、希望を胸に、輝かしい未来を目指して可能性をかけ、目の前の危険を恐れ、過去の行いを後悔し、それでも先の苦難の数々を乗り越えて強く生きる人々が世界にいるのだっ。限界を突破できず、己の矮小さを嘆き、苦汁をなめて這いつくばり、それでもなお石にかじりついてでも己を生かし、身を削ってでも生きようとする彼らこそが人間なのだ!」


 一際大きな主張と同時に、リルの隙を付いた化け猫が頭部に噛みついた。

 正面からの大胆な攻撃をリルはまともに受けてしまう。化け猫は胴体に爪を突き立て、守りをはがしてリルの本体を引きずりだそうとかぶりつく。


「なるほど貴様らは超越者たる資格はある! 強き者である。研鑽を積んだものである。個人の進化の果てに世界を旅立つ器を作り上げた! 貴様らの軌跡は素晴らしいっ。世界の奇跡である。認めよう! だがなぁっ、それでもお前がお前以外のすべての滅びを見捨てるというのならば、吾輩は貴様らのことを塵芥だと断じるに何の迷いもないッ!」


 血を吐くような主張。刮目した瞳から血涙を流し、化け猫は無限の宇宙で吠えたてる。


「世界を見捨てる者が英雄など、吾輩は断じて認めぬ!! 世界の墜落を知って見過ごす貴様らは、人以下の塵芥でしかないッ! 絶対に――絶対に、だ!!」


 化け猫が吠えるのは、超越者の踏み台となった罪なき人々の嘆きだ。購うことなく積み重なった屍の果てに化け猫は生まれたのだ。

 顧みられることなく潰れた魂こそが化け猫の核なのだ。


「わかったか、塵芥がごとき超越者どもよ! 人はただ人らしくあれ! 己の分際をわきまえろ、人間よ! その分際を超えようとする傲慢な貴様ら超越者を罰するために、吾輩は名もなき猫であるのだ!!」


 人の殻を破って超越者となった慮外者を処分するために形となった化け猫は、だからこそ猫の形をとった。つぶれて重なった怨念の人の名をすべて捨てて、ただの一匹の猫になり果てたのだ。


「世界を超えて世界が落ちるのを見捨てるその大罪っ。それを許さぬために、吾輩は! 貴様らを殺す!!」


 それはまさしく、正当な復讐だった。

 絶対の正義だ。見捨てられたものの怨嗟だ。いままでの超越者が聞き逃してきた大罪だ。

 突きつけられる罪状に、化け猫の一気呵成の攻勢にさらされ傷ついて、五体を抑えつけられリルのちっぽけな体が引きずり出されようとしている。

 見るからに勝てそうもない不利な状況。あまりに強大無比な化け猫の力。なにより揺るぐことなどありえないほどの膨大な意思。逆転など不可能にしか思えない差が、歴然と示された。


「勝手に、あなたの理解の範疇にわたくしを押し込めるんじゃありませんわ……!」


 だが、リルだって揺るがない。


「世界が墜ちるというのなら、その悲劇はわたくしが受け止めて見せますわ。この縦ロールに巻き込んで支えてみせますわよっ」

「な、に……?」


 化け猫が驚嘆したのは、リルの言葉にではない。

 攻撃が空ぶったのだ。体を抑えつけて噛みつき引きちぎってやろうとしたというのに、巨人となった構成要素すべてが霧のように雲散霧消して感触なく素通りした。

 驚愕する化け猫の背後で再構築されたリルは、落ち着きを払って返答する。


「聞き取れませんでしたの? すべてを受け止めると、そう言ったのです」

「なにを……なにをしたぁ!」


 予期せぬ攻撃の空振りに動揺を隠せない。

 リルドールの縦ロール、コロネルの炎、ヒィーコの鎧。それ以外の魔法などないはずだ。だというのに、なぜ。

 狼狽する化け猫の頭に、今度は見えない掌のような力場が圧し掛かる。


「奇怪な――だが、この程度ぉッ、何するものぞ!」

「奇怪などと言い表してもらっては困りますわ。受け止め巻き込んだからこその力。あってしかるべき想いですのよ」


 初動を阻害するようにのしかかる力場。その無色の掌を押し切って顔を上げ噛みついた化け猫の牙を、リルはするりとかわす。さっきまでは化け猫の俊敏な動きについてこれていなかったというのに、まるでどこが危険かわかっているような動きで化け猫の攻撃のことごとくを華麗にかわす。

 空ぶる攻撃に苛立った化け猫が、尻尾を大きく膨らませた。逃げる余地もないほどの広範囲で、圧殺してやろうと薙ぎ払う。


「ちょこまかとぉ! 逃げてばかりで勝てると思うなよ!!」

「一時の退却は、黄金の時を稼ぎますのよっ。それにわたくしたちは、逃げるばかりではありませんわ!」


 宣言と共に、回避の間で練り上げた想いによって虚空に巨大な槍が錬金される。世界より大きく膨れ上がったリルの縦ロールに匹敵するほど武骨で巨大な槍だ。それを掴むリルの縦ロールの右腕部分が、膨れ上がるように巨大化した。


変形モード撃槍グングニル


 巨人の体を覆っていた魔力装甲が、錬金された巨大な槍に集中する。同時に、巨人の内部を駆け巡る炎が、沈静化。内に激しく、しかし滑らかな動きを実現するために無駄なく燃え上がる。


「絶招――」


 静かな一声に、マグマよりも熱い炎が水のように流れて巨人を動かした。リルではとても動かせないような流水の挙動で、こちらに向かってくる化け猫の巨大な尻尾の弱所を見極め槍を向ける。


「――鎧貫」


 巨大な一撃が、化け猫の膨れ上がった尻尾を迎え撃つ。突き刺さった一刺しが、風を纏って螺旋に唸る。螺旋に絞った一刺しが、さらに増幅されて前へと進む。

 化け猫の尻尾が、弾けた。

 迎え撃った刺突が、膨れ上がった尻尾を中途で貫き切り飛ばして見せたのだ。


「どうですの。これが、わたくし達の力ですわ」

「ぐ、ぬぅ……!」


 いま行使された、幾多の魔法。リルは紛れもなく、いままでかかわった人の魔法おもいをすべて巻き込んで、一つにして見せた。

 だが、そんなものがどうしたと、化け猫は怨嗟の質を上げていく。まとめ上げた人々の、なんと才能のあることか。力あるものばかり巻き込んで己の力とするなど、なんと身勝手なことか。


「それがどうした……! その縦ロールに纏った力は、しょせん貴様が知っているだけの力、覚えのある人間のものなのであろうが!」


 そんな少数の力に、負けるはずがない。才能ある仲間の力を巻き上げただけの縦ロールに、圧倒的多数の亡者による怨念で生まれた自分が負けられるはずがない。

 溢れ出る憤慨で意気をあげる化け猫に対し、不意にリルが巨人の形態を解除した。

 

「……そうですわね。確かに、この形ではあなたの言う通りですわ」


 化け猫に対抗するために作った巨人形態を解除したリルの縦ロール。それが無限の宇宙にたなびき揺れる。

 なんだ、と警戒をあらわにする化け猫に対し、リルは純粋な敬意を示す。


「あなたは結局……誰一人の魂も、壊さなかった。どんな人間の魂も、それがどんな形の生物だって、知性あるものの魂を救って夢を見せて幸福をもたらしていましたもの」


 この化け猫は、誰一人として理不尽な世界に落とさなかった。超越者の候補として怨敵だったはずのイアソンも、人類の害悪として君臨した悪人でしかなかったクルック・ルーパーも、セフィロトシステムより生まれたカニエルをはじめとする五十階層主たちも、与えられた役目を裏切ったライラ・トーハも、己の腹のうちに呑み込んで、すべての魂を幸せにしようとしていたのだ。


「……当然だ。吾輩は、貴様らなどとは違う。何一つ見捨てはしない。それがどのような人物であっても、すべて救うと誓ったのだ。そのための吾輩なのである。その吾輩が、我欲で誰かを見捨てることなど、どうしてできようかっ!」


 彼もまた、高潔なる意思を持つ一匹の生物だった。

 かつて超越者になった者たちに見捨てられようと、彼は超越者になろうとするものすらも己の腹の中で幸福にしようとした。

 幻であっても魂を救う。それこそが化け猫の誓った救済なのだ。化け猫の救済を気に入らないという人もいた。人の自由意思をはく奪するディストピアだと罵る者もいた。

 それでも化け猫は、弱き人々の幸福こそを祈っていたのだ。強き人々ですらも、不幸にすることはなかったのだ。


「そのあなたを超えるために、わたくしだって世界の誰一人として犠牲にはしませんわ。あなたの意思は尊いもので、あなたの救いは有難いもので、でも、それでもわたくしの気持ちは変わりませんの。世界を超えて、無限に挑む意思が揺るぐことはありませんのよ」


 化け猫の意思に、いままで積み上げてきた救済に純粋な敬意を示して、しかしリルは譲れないと言い切る。


「落ちる世界を救うべく生まれたあなたと違って、わたくしは、どこにでもいるただの小娘として生まれましたわ。英雄なんかじゃなく、ただ見栄を張るしかできなかった女で、たいしたこともできない口先だけの人間で、リルドール・アーカイブという名前は、歴史に残ることなんてなかったはずの、なんてことのない少女でしたわ」


 リルの過去にして黒歴史。愚かだった自分を認めて語り聞かせ、それでも恥じ入ることはないと顔を上げる。今の自分に恥じ入るところなどないのだ。ならばこそ、土台となる過去を隠す必要など、一切ない。


「ですが、もうっ、そんなことは! 関係ありませんのよ!!」


 腕を組み、世界を支えて巻き込んで、ただの小娘だったリルは、膨れ上がった今の自分のあり方を目にもの見せてやろうと大きく叫ぶ。


「セット・エクステンション!」


 信頼するものを巻き込んで力とする魔法。技名とともにリルの五本の縦ロールが寄り集まって伸びあがった先は、リルたちがいた世界そのものだった。

 

「なっ!?」


 驚愕する化け猫の前で、リルの縦ロールが、宇宙樹で実りいまにも落ちそうになっていった世界を巻き上げる。縦ロールに巻き上げられた世界は、解けていく。リルが、世界に認められた。渦巻き巻きあがるリルの縦ロールの一本一本に混ざり絡み合い、リルの縦ロールの一部となって輝ききらめく。

 そうして完全に、リルの縦ロールと一つの世界が同一化した。


「どうですの。その幾千万もの眼球で、しかと確かめましたわね、化け猫」

「まさか貴様は、本当に、世界を……」

「ええ、言ったはずですわ。わたくしは、リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウ! 世界に輝く――いいえ」


 世界に輝く。

 世界を巻き込み輝くリルは二の句が継げない化け猫に向けていつもの定例句を言いかけ、かぶりを振る。世界に輝くというのはもう適切ではない。リルは、リルの縦ロールは、世界を超えたのだ。世界を支えるほどの縦ロール、世界を巻き上げて見せた縦ロールが世界の中で輝くというのでは矛盾する。

 なによりも自分で言ったのだ。過去の自分の理想より、さらなる前へと進むのだ。昔の自分が思い及ばなかった領域へと進むのだ。


「世界()輝くリルドールですわ!」


 世界を巻き込んだリルドールの縦ロールが、燦然と輝き無限宇宙の暗闇を照らす。

 世界を一つ巻き込んで、それでもリルはまだまだ止まらない。リルの想いはどこまでも広がる。リルの縦ロールが、一つにまとまり巻きあがる。世界中の想いを束ねて力に変える。

 一つの世界と、その世界を超えた一人の少女。互いに共鳴して膨れ上がる膨大な力を、リルは巻き込み巻き上げ伸びあげる。


無限の灯ノー・リミット・グロウ


 縦ロールの抑えが弾け飛んだ。リルの胸ポケットに入れてある冒険者カード。リルの容量を映し続けた宇宙樹の一葉が、砕け散る。九十九という段階で区切り人間の進化を後押しするシステムが、リルドールという個人の許容を収めきれずに木っ端みじんに砕け散り、そのすべてのシステムごとリルの縦ロールの中に吸い込まれる。

 宇宙樹ユグドラシルの恩恵。人を進化させるレベルの概念を突破し己の力と変えたリルは、無限への第一歩を巻き上げる。とどめられていた人間の限界を超えて、上限の存在しない無限の値に上昇する。


「そうか……それが貴様の歩む道なのか」


 世界を滅ぼすことなく受け止め持ち上げ巻き込んで、さらなる前に進もうという意思。なんと単純明快で、しかし想像を絶する選択なのか。世界を見捨てず己の一部にしてとどまらず、さらに進んで高みに上ろうという高潔さに、化け猫は震える。


「世界すべてとともに、無限へと伸びあがるのが貴様なのか……!」


 夢幻ではなく、無限へと向かう理想の体現。

 思わず飛びつきたくなるほどに強烈な意思だった。巻き込まれてその輝きの一部になりたくなるほどに尊い光だった。

 だがしかし、化け猫はすがらない。

 リル一人、世界一つでは到底足りないのだ。

 リルは知らない。この無限宇宙の広大さと過酷さを。果てなき無限のかなたにひしめく空前絶後の超越者たちの果てしない食い合いを。

 己をはるかに超える超越者たちを知るからこそ、リルの縦ロールに化け猫は巻き込まれない。

 彼女が支えた世界のすべてを巻き込もうとも、世界を巻き込み巻き上げ束ねに束ねて力に変えようとも、その輝きがどれだけまぶしくどれだけ美しかろうが、化け猫は己の意思を手放さない。

 化け猫は世界の慮外から生まれたのだ。


「笑わせるなよっ。その程度で無限宇宙に踏み出そうなど、無謀な冒険にもほどがあるぞ、リルドール!」


 この無限宇宙では、化け猫ですら木っ端以下の生物に過ぎない。偉大なる宇宙樹ですら、広大なる地に生えるやせっぽちな木でしかない。この無限宇宙は果てがない。無限概念を内包する世界を幾億幾兆幾京それらの単位ですらも矮小でしかない無限係数の空間だ。

 この宇宙樹は根元に寝そべる世界猫ケット・シーがいるからこそ平穏が保たれている。それだって、無限に続くとは限らない危うい安寧だ。

 真実無限に広がるこの世界で、たかが一人の人間でしかないリルが、どうして世界を抱えて生きて抜けるというのか。無限宇宙の過酷さの一端を知るからこそ、化け猫はリルの言葉に酔わず、半ばでちぎられた尻尾を膨らませ全身の毛を逆立てて相対する。


「無限を目指すというならば、まずは吾輩に勝ってみせろっ。吾輩ごときに屈するならば、貴様に無限宇宙を漂う資格などないと知れっ、新参者めッ!」

「言ってくれますわね、化け猫! 古参であるあなたに敬意は払いますけれども、古いだけが優れているというわけではありませんのよ!」


 化け猫の挑発に、リルは揺るがずよろめかない。世界のすべてを巻き込んだ縦ロールを輝かせ、まっすぐに化け猫を見据える。


「覚悟なさいっ。あなたをこの縦ロールで打ち砕き、わたくしはさらなる高みへと進みますわ!」

「よくぞほざいてみせたっ、リルドールよ! ならば受けてみせろっ、六十億の世界の怨念をっ。墜落より生まれた怨嗟の声を!」


 生と死。光と闇。希望と絶望。相反する力を糧とする一人と一匹は、ばちりと視線をぶつけあい力を溜める。


「――必・殺」

「――必・滅」


 リルと化け猫の声が、重なる。


「メテオぉ――」

「グラッジ――」


 リルの縦ロールが腕を軸にまとまり回転し、化け猫の怨念が口内にたまりうねりをあげる。

 それは、互いの原初を相反させる想いの結晶だ。


「ロぉウル――」

「シャウト――」


 リルの縦ロールを構成する一本の一本まで世界人類の希望が詰まっている。ミケの細胞の一個一個から抽出された怨念と怨嗟が詰め込まれる。


「スぅゥウトぉリぃいいィイぃムゥぅううゥぅウッ!」

「スゥぅクぅううリぃいいィイぃムゥぅううゥぅウ!」


 色とりどりの輝きを詰め込んだ縦ロールと、怨嗟を凝縮した咆哮が衝突する。

 衝突と、拮抗。絶望と怨嗟の集約と振動に対し、希望を巻き込み膨れ上がって回転する縦ロール。正反対の二つの力が互いに譲らずぶつかり合う。


「ぅうあああああああああああああああああああああああ!」

「なぁあああああああああああああああああああああああ!」


 無限宇宙にまき散らされる衝撃派。世界樹の枝葉を揺らすほどの熱量。

 威力は、化け猫の方が上だった。

 しかしリルの縦ロールの特性が、他者を巻き込む縦ロールの渦巻きが、化け猫の咆哮を巻き取っていく。希望に触れた怨念が、解かれていく。化け猫は、怨霊の集合体だ。その怨霊群がリルの希望に浄化される。せめぎ合う二つの力は、徐々に、ほんの少しずつリルの縦ロールが前に進む。あまたの希望と想いに輝く黄金の輝きに救われていく。

 全てを巻き込むリルの縦ロールが、怨嗟の声すら受け入れて巻き込んでいく。


「うガぁああああああああああああ」


 全精力を懸けた怨念の放出に、化け猫の体が削られていく。化け猫を創り上げた六十億の世界が、六十兆個の怨嗟の意思が、リルの輝く縦ロールに、巻いて巻いて巻きとられていく。偉大な世界猫の毛玉から創られたその体を、リルの縦ロールが巻き込んでいく。

 破壊するのではない。削り取られるのではない。巻き取られていく。巻き取った分だけ、リルの縦ロールはさらに大きく美しく膨らむ。

 希望に巻き取られた誰かの魂を、裏切り者とは決して言わない。彼らは救われた。感謝すらしていた。怨嗟と怨念のみを糧にした彼ら彼女らが輝く希望の力となれたのだ。望外な移籍ではないか。

 だがそれでも負けるわけにはいかない。


「にゃああああああああああああああ!」


 輝く光があろうとも、そこには必ず闇がある。どれだけ輝き照らそうとも、決してリルの希望に賛同できぬ怨念がある。

 平穏を守らなければいけないのだ。

 無限宇宙は広い。世界を餌とする超常の魔物があふれている。宇宙樹の加護がなければ、その根元にいる世界猫の守りがなければ生き延びることなどできやしない。そんな場所に、リルのようなちっぽけな守護で世界を漂わせるわけにはいかないのだ。

 なにより。

 一人の超人に身を削らせて作り上げる平穏など、あまりに悲しすぎるではないか。


「吾輩をぉ、なめるでないぞぉおおおおおお!」


 世界はそんなものではないはずだ。人類はそんなに身勝手ではないはずだ。世界の存続を一人に放り投げてしまうようシステムに彼女がなってしまうというならば、いっそここで討つ。数え切れない数多の亡霊の集合体である化け猫と、ただの少女で生まれたリルとでは、あまりに違い過ぎる。無限宇宙の果てなき概念世界で時間すら無くなるような放浪を、ただの人間として生まれ努力しただけの一人の少女に強いらせるくらいならば、いまここで、一思いに命を奪ったほうがリルにとっては幸福だ。

 身を削られるのを覚悟の上。ならば体は捨てる。化け猫は己の体のほとんどを怨念の咆哮に変えて、それを目くらましとする。最低限の体を残し、魂を詰め込む。

 体はほとんど殺された。宣言通り、必殺の名に恥じない技だ。

 だが、魂は生きている。世界猫ケット・シーの吐き出した毛玉は残っている。

 その毛玉を核にして普通の猫ほどにまで魂を凝縮せしめたミケは、リルの懐に飛び込む。

 必滅の一撃を、ただの目くらましとするなど誰が考えようか。世界の一つを滅ぼせる咆哮をおとりに、魂を圧縮した化け猫はリルの眼前まで間合いを詰めて牙をむく。

 リルの体は化け猫の咆哮を巻き取った強大な縦ロールの元だとは信じられないほどに小さく、脆弱だ。ただの猫ほどになった化け猫でも、一噛みで絶命させられるだろう。

 ただの少女に等しいリルの姿を目にした化け猫は己の勝ちを確信し、


「――必殺ッ」


 バカな、と凍り付く。

 縦ロールはその一本に至るまで先ほどの攻撃に注いであるはずだ。周囲に知覚を広げても、やはり縦ロールは一本残らずすべて使っていた。

 ならば今の掛け声はったりなのか。虚勢なのか。

 いいや、違う。

 化け猫は見た。リルが腰に吊るしていた武器。無用の長物、役立たずの象徴、無駄遣いの頂点。リルの見栄の代物、ミスリル合金製のレイピア。それだけだとばかり思っていたレイピアを引き抜いたリルが、半身になって化け猫を迎え撃ち、踏み込み、叫ぶ。


「エストック・ブレイク!!」


 一閃。

 リルが、唯一縦ロールを使わない技。いまのいままで、たったの一度だって成功したことがない必殺技。何百、何千、何万と練習したたった一つの攻撃。才能などない。普通の人以下の資質しかない剣。あるのはただの意地と根気の二つだけ。脳みそが絞って考え抜き、他人に師事して繰り返し、試行錯誤を体から絞り出した血と汗であがなった修練の結晶。反復練習を繰り替えし、それでもなお、せいぜいが頑張った凡人程度の剣線。

 ただ人である一撃が、弱者の集合体である化け猫の魂を貫いた。


「にゃ、が?」

「残念でしたわね」


 存在が大きすぎるものを貫いた反動で、ミスリル合金製のレイピアが粉々に打ち砕かれる。

 奇跡の軌跡。運命を凌駕し神秘に輝く銀の燐光を身にまとわせて、無限の宇宙に黄金色の縦ロールをたなびかせ、夢幻を打ち砕いた英雄で超越者で、ただの一人の少女であるリルは、毅然と真実を口にする。


「わたくしのレイピアは、どんな強大な魔物でも貫きますわ」


 ただの戯言のはずだった。見栄っ張りのリルがコロに語った最初の、ささいな嘘だった。

 けれども彼女は、本当にすべてを真実に変えてしまったのだ。自分の言葉を真実に変え、なおも先へと大きく膨れ上がるのだ。


「そう、か。吾輩すらも、貫くのか……」

「ええ。進化し続けるわたくしのレイピアは、いつかは無限の宇宙にだって突き刺さりますのよ」

「にゃはは、そうか……まさしく、その通りなのだろうな」


 一言の言い訳も思い浮かばない、ぐうの音も出ない化け猫の完敗だった。


「なぁ、リルドールよ」

「なんですの、化け猫」

「吾輩は、死ぬ」


 胸を貫かれ魂の核に致命傷を穿たれた化け猫は、己の最後の光景にと、その瞳にすら収まりきらない宇宙樹を映し出す。

 全容もつかめぬほどに偉大な宇宙樹。そこに実る宇宙樹の果実は世界の一つでありながらも、無限宇宙の広さに比べれば砂粒より小さな器でしかない。

 そんな小さな世界にだって、幾億もの知性ある生物が暮らしているのだ。


「死んでここに太平を得る。世界をむさぼる超越者がひしめくこの無限宇宙で、太平は死ななければ得られぬ。ゆえに死ぬことは、太平に至る救いである」


 宇宙樹の根元には、化け猫の生み親ともいうべき雄大なる世界猫ケット・シーがいる。この宇宙樹の産み落とした真の超越者であり、実る世界の守護者でもある猫がいる。

 もしかしたら、己はいらなかったのかもしれない。世界を救っているつもりで、その実、世界をむさぼっていただけなのかもしれない。

 ただ、それでも化け猫は呑み込み続けた。


「世界を抱える貴様は、これより先は太平に浸ることなど許されぬ。世界の守護という業、永遠の刑罰よりなお重い責、神になるに等しい役目をその身に抱えることになるのだぞ」


 怨念の集合体として孤独に生まれ、孤高に生き、誰に感謝されることもなく世界の魂を飲み込み、それでも化け猫はずっとずっと守ってきた。幾億幾兆の人の魂を己の腹の内で救ってきた。

 それを、リルは打ち破った。

 彼女は世界を滅ぼす大罪人なのか。宇宙樹の秩序を揺るがす反逆者なのか。

 いいや、きっと違うのだ。

 だから化け猫は、彼女に託す。


「その覚悟は、心にあるか?」


 それがどんなに過酷なことか知っていて、それでも彼女ならと、希望をつなぐ。

 果たして、リルドールは胸をそびやかせて答えた。


「当然ですわ」


 この先に迫る苦難を知らされて、それでも堂々と腕を組んでそびえ立ち、世界をも持ち上げ支え巻き上げた縦ロールをかき上げて、リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウは言い返す。


「わたくしを、誰と心得ていますの?」

「そう、だな。お前は、世界で輝くリルドールだったな」


 なら安心だ。

 貫かれた胸の穴から力強いリルの理想おもいが化け猫に注がれ、魂が酒でいっぱいに満たされたようなぽかぽかした気持ちになる。


「長い間、ご苦労でしたわね。後はわたくしに任せてお眠りなさい、化け猫」

「にゃはっ。そうだな」


 眠りを促すリルの言葉に酔いしれて、にんまり笑った化け猫はそっと目を閉じる。


「有り難い、有り難い」


 名もなき猫の魂は理想に満たされ沈んで広がり、生涯で一番安らかな気持ちに溺れて永遠の眠りに瞳を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


【書籍情報ページ】

シリーズ刊行中!

――作者の他作品――
全肯定奴隷少女:1回10分1000リン
全肯定奴隷少女によるお悩み相談所ストーリー

――完結作品――
ヒロインな妹、悪役令嬢な私
シスコン姉妹のご令嬢+婚約者のホームコメディ、時々シリアス【書籍化】
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ