第十三話 闇
コロとヒィーコ。
片やその身を装甲で覆い、片や縦ロールに火を宿す。まだ低レベルなのに、信じられないほど才能あふれる二人の少女たちの戦いに決着がつく少し前。
そんな二人から、ほんの少しだけ離れた場所で、リルとギガンも戦っていた。
リルとギガンの争いは、一目見れば優劣がはっきりと分かった。
素手のギガンは一切傷を負っていない。疲れた様子もなく、退屈そうにリルを眺める。対して、レイピアを振るうリルは肩で息を切らせていた。
「なあ嬢ちゃん。すげえな、あんたの連れは」
そんな戦闘中。少し離れた場所で燃え盛る炎を見たギガンは、心の底から感嘆する。
まだ、レベル十にも至っていない小娘。それが魔法を発現させたのだ。いくらレベルと魔法の発現が関係ないとはいえ、そうそうあることではない。
「センスがずば抜けてるのか、よっぽど迷宮と相性がいいのか、並外れて想いが強いのか、他になんかあるのか……それに比べて、あんたはつまんねえ女だよ」
「だまり、なさい!」
小馬鹿にされ激情に駆られたリルはレイピアの一撃を放つ。
突き出された単調なレイピアを、ギガンはあっさりかわした。
あまりにわかりやすく、工夫もない剣筋だ。なんとか型どおりにはふるえているだけのレイピア。こんなものが通じるのはせいぜいゴブリンまで。そこを過ぎれば牽制にすらなりはしないだろう。
才能のかけらもない退屈な剣先をさばきながら、ギガンは視線で才能あふれる二人を指し示す。
「きれいだろ? なあ、嬢ちゃん。あの炎を見て、どう思ったよ」
「うるさい、ですわ!」
「はっ、つまんねえな」
炎が噴き出し縦横無尽に駆け回り、槍と鎧がそれを迎え撃つ。白熱するヒィーコとコロの闘いに比べて、こちらはまるで盛り上がりがなかった。
突き出されるリルのレイピアには関心を寄せず、ギガンは小さく呟いて笑う。自分を小馬鹿にする嘲笑に、リルは無性に苛立ちを抑えられない。
また、じわりと胸の中で黒い染みが広がる。
コロの炎を見て、リルの胸から染み出したもの。少し前から黒々と汚らしく心を浸食する思いの内を、あっさりとギガンは見抜いていた。
「やっぱり、つまんねぇ女だよ。嫉妬だけならまだ救いはあったろうになぁ。あの赤毛の嬢ちゃんは、どっからどう見ても天才だ。あんなんが傍にいたら、嫉妬ぐらいどうしたってするだろうさ。でもなぁ」
「だまりなさいと――」
「お前、あれを見て安心しただろ」
「――っ」
ひく、とのどが引きつった。
胸に染み出していた黒い感情をあらわにされて、リルの動きが停止する。知られたくなかったことを言い当てられて、心がすくんだ。自分で見ないふりをしていた感情を指摘され、思考が凍り付いた。
ギガンの言うとおりだった。
リルは、偶然一緒に行動するようになったコロの才能に気が付き、嫉妬し――そして、安堵した。コロの強さに、安心してしまった。
「あの子の才能を見て、お前は安心しやがった。なんで安心したか、言い当ててやろうか?」
「だ、だまりなさ――」
「自分が戦えなくなっても、相棒が強けりゃ進めると思ったんだろ?」
ぶるぶると震えるリルの制止など聞かず、ギガンは見下す。
「自分が弱くても、相棒が強くなればいいと安心したんだろ? 自分が弱くて迷宮を進めなくなっても、あの子に助けてもらえると思ったんだろ? あの女の子の積み上げる栄光を、自分のものにしてやろうって考えたんだろ?」
「――だまりなさぁあああああああああい!」
正鵠を得た言葉が、無意識のうちに防衛線を張っていたリルの心をさらけ出して決壊させた。
あふれて流れ出した感情に身を任せたリルは、ただ全身全霊を込めてレイピアを放つ。ギガンは、笑って右手を広げて前に出すだけだ。
リルは、そのわかりやすい標的めがけてレイピアを突き出す。貫け。目の前の嫌なものを、すべて壊してしまえ。消えてなくなれ。邪魔をするな。どっかにいけ。自分の前に、立つな。
泣き出したくなるくらいにぐちゃぐちゃになった心のまま突き出したレイピアは、突き刺さりすらしなかった。
「舐めんな。やけっぱちで敵を倒そうだなんて思い上がんなよ」
「ま、ほう……?」
レイピアを握る手に返ってきた固い感触に、愕然と呟く。
レイピアが突き刺さらなかったのはレベル差によるものと考えられなくもない。レベルが上がっていけば、人間の体は信じられないほど頑健になっていく。ましてリルの技量は大したものではない。大きなレベル差があれば、そういうこともあるだろう。
だが、彼の広げた掌は、あまりにも大きかった。リルの主観や気持ちの問題ではない。ギガンの右手が、物理的に巨大になっていた。
おそらくは、魔法による部分的な巨大化。膨れ上がった傷だらけの右手の大きさは、リルぐらいならば片手でつかんで握りつぶせてしまいそうだ。
「何も考えないで突っ込めばどうにかなるなんて勘違いすんな。どうしようもないものはどうしようもないんだぜ。それすらわかんないのかよ。お前は、気の毒になるくらいに、つまんねぇな」
嘲笑った拳が、リルのレイピアを握りつぶしてくしゃくしゃにした。
「う、うそ……」
「嘘じゃねえさ。現実ぐらい見つめろや」
茫然とするリルに、ギガンは踏み込む。その切り替えにリルは反応できない。何もできずにいるリルの腹に、常識的な大きさに戻ったギガンの拳が突き刺さる。
「ぁがっ」
「弱ぇな。そもそもお前、なんで冒険者になろうだなんて思ったんだ?」
耐え切れない痛みに、リルはあっさり膝をつく。
腹を抑えてうずくまるリルに、しかし容赦はされない。うずくまったリルの胸倉をギガンが乱暴につかんでひねり上げる。
「な、んで……?」
「ああ」
とぎれとぎれのリルのうめき声に、ギガンは頷く。
「冒険者になるやつってのは、命を懸けるしかない奴がなんだよ。それなのに、どうしてお前みたいなやつが冒険者をやろうなんて思ったんだよ」
「わ、わたくしだって――」
「黙って聞けよ」
「あがぁ!?」
まだ何かを弁明する前に、理不尽にもひときわ強くリルの首元が締め上げられる。
「お前が命を懸けてるなんて、間違ってもほざくなよ。冒険ってのは、生きるため仕方なくやるんじゃねえ。生きるためだっていうだけなら、他にやれることはあるさ。いくら俺たちが底辺の生まれだからって、死なない仕事ぐらいは残ってる。だから冒険者ってのは、戦えて命を懸ける奴がなるんだ。それがさ、なんで来たんだよ、お前は」
淡々と理性的に、しかし抑えきれないほどの感情をにじませて、ギガンはリルの心を折るために、リルの冒険を終わらせるために言い聞かせる。
「お前みたいな勘違い野郎を見てると、さすがに腹が立つんだよ」
それは依頼を遂行するためのものであると同時に、まぎれもないギガンの本音だった。
「身分がある。家名がある。教養がある。金だってある。帰る家が用意されている。生まれた家が立派な一等地に建ってて、そこに家族だって残ってる。そんなお前が、何で冒険者になんてなるんだ?」
ギガンがふっと力を抜いてリルを地面に落とす。
「覚悟もない。目的もない。熱意もない。力もない。飢えもない。意地もない。懸けられるものがなんにもないお前が半端な覚悟のままで冒険者になろうだなんてよ……あんまり、俺たちをバカにすんな」
「……ぁ」
「自分で自分が恥ずかしくねえのか? お前、いま胸を張って自分が誰だか言えるのかよ」
「わ、わたくしは――」
自分の名前が、のどの奥で引っかかって出てこない。
いまの自分のありさまを見せつけられて聞かされて、これ以上ないほどに思い知らされて、なお自分で自分を誇れるような強さはリルになかった。
「恥があるなら、もうおとなしくして諦めろ。わかっただろうが。……お前はその程度だってことだ。あとは分をわきまえて生きろよ」
どこか寂し気に毒づいたギガンの言葉に打ちのめされ、五本の縦ロールを地べたに付けたリルは、立ち上がれなかった。
「わたくしは……」
自分は何なのか。
叩きのめされ心を折られ己を見失ってうつむいて今を諦めたリルから目を反らし、ギガンは視線を熾烈を極める闘いに向ける。
コロが炎を溜め、ヒィーコは魔法を攻撃にのみ注ぎ込んでいる。一目で決着の場面だとわかった。
ギガンは、右手を大きく広げる。
誰かを守るために得た魔法。
コロとヒィーコ。二人の天才の激突に、ギガンは相方を守るための手を差し込む。
「悪いな。守るためのこの手が、そう簡単に燃え尽きちまったら困るんだよ」
熱い。
レベル一桁の冒険者が放ったとは思えないほど、その想いの塊は熱かった。
だがそれでも、隔たるレベル差と鍛え上げたギガンの想いを焼き貫くには足りない。
「少しだけ、見守っていたい気もしたんだがな」
「リルドール、様……」
コロが、つぶやく。自分の想いが防がれたことよりも、うなだれうつむいたリルを見て動きを止める。その隙を付かれ、ヒィーコの槍に打倒された。
そうして、コロが挑んだ試練との闘いは、敗北で終わった。