第百二十四話 戦姫突破ライラ・トーハ
無限の宇宙に、一本の巨木があった。
宇宙樹。それは世界を実らせる大樹だ。
世界を実らせ、超越者の種子たる英雄の種を吐き出し落ちる樹木。落ちた世界は果実のようにぐしゃりと潰れる。中にある世界もろとも、そのすべてをまき散らして死に絶える。
宇宙樹とは、そんなサイクルを繰り返す意志なき偉大な生命を生む樹木だ。
いつだったか、世界樹の木の又から一匹の三毛猫が生まれた。
親もいない。兄妹もいない。猫という生物にあるまじき一人っ子。まさしく世界樹の落とし子である奇跡のような猫だった。
その猫は、生まれながらに巨大な力を持っていた。無限宇宙のひしめく超越者の中にあっても上位の力。その猫が木の根元に寝そべっているだけで、宇界樹の実をむさぼろうという超越者がいなくなるほどその猫は強かった。
猫は、気ままに無限世界を生き抜いた。時折狩りに出かけることもあったが、遠出はしなかった。自分の生まれた世界樹の根元こそが猫の寝床だった。
宇宙樹の根元を住みかとする猫だったが、ひとつだけその寝床に不満があった。
世界が落ちて潰れる音が、不快だった。
その猫にとってみれば、宇宙樹の実など、それこそ毛虱のような大きさでしかない。そこに住む生物学など微生物だといって過言ではないだろう。
だというのに、耳に障るのだ。
潰れたその瞬間に響く幾億千万の悲鳴は、その猫にとっては蚤が潰れる悲鳴に等しいのに、なぜか耳にこびりついて離れない。
幾年たったのか、時間の概念すらない無限宇宙で宇宙樹が実らせた世界の墜落が六十億回続いた。
けほり、と猫は毛玉を吐き出した。
その毛玉に、怨念が集っていった。潰れていった世界の亡者たちが形となるに足る依代だった。
より固まった怨念は、小さな猫の形をとった。
宇宙樹より生まれた猫に比べればちっぽけで、しかし宇宙樹の実に比べれば遥かに大きなまだら模様の猫だった。
墜落した世界の亡者がこり集まって生まれた化け猫は、一つの意思を持ち、許さぬと鳴いた。
落ちて滅びた自分たちを見捨てた超越者どもを、決して許さぬと。
同時に、生み親である猫を煩わせることないよう、墜ちる世界の人類すべてを救うと、彼は誓った。
その誓いのまま、彼は動き続けた。
世界を飲み込み、人の魂を飲み込み、無限概念を内包する己の腹の内で魂だけとなった人々に夢を見させ続けた。
夢であろうとも、それが覚めなければ幸福な現実との違いなどない。
彼が行使した救済は愚かな盲進だったのかもしれない。もしかしたら、また別の救済手段があったのかもしれない。もっともっときれいできらびやかな救済もあったのかもしれない。
それでも彼は呑み込んだ。
その腹のうちに無限の夢幻を見せながら、彼は落ちる全てを呑みこんだ。
***
暑い、暑い夏の日だった。
肌が熱を感じて汗を出し、鼻が湿気と緑の匂いを嗅ぎ取って、アスファルトから揺らめく蜃気楼が見えるような真夏日。
日本の夏は暑いが、リルの生まれ故郷のイギリスの夏も快適というわけではない。どちらも地域差があるし、どちらの夏も結局は暑いが、やはり日本のほうが不快度は高い気がする、もちろん、地方によって程度の差はあるが、やはり都心の夏はいけない。立って歩くだけで、人類はなにか間違っていると悟ってしまいそうになるくらい度し難い暑さなのだ。
「……はぁ」
外で歩いているだけで億劫になる天気だ。
リルドール・アーカイブはイギリス生まれの少女だ。その生まれからして生粋の英国人である。
親の仕事の関係で日本に来ることになったのは、六歳の頃だった。
小学生の低学年の頃に、リルはひどくいじめられていたことがあった。
日本人は、自分たちが思っている以上に外来人を嫌う。単一民族である彼らは、自分たちの風習になじまぬ異国人には手厳しい。それが観光客ならばまだしも、腰を落ち着ける相手と見ればお前がこちらに合わせろと告げる。
風習や言葉は仕方ないだろう。それは学べばいい。移住するからには風土を合わせろというのは理解できることだ。
でも、見た目はどうにもならないのだ。
滑らかな陶器のように白い肌も、空のように青い瞳も、きらめくような美しい金髪も、それらは羨望の対象であり、同時に異物として認識されるものでもあった。
それが子供であれば、なおさら顕著になる。
みんながそろいもそろって黒髪黒目の黄色人種。そんな中に白人の子供がいれば嫌でも目立つ。挙句の果てに、リルは日本語すらままならない。
それが原因で、ひどくいじめられていた。
小学校に入って、少しずつ児童の自由時間が増えるにつれて顕在化していった。
そんな時に、まるでヒーローみたいにいじめっ子を蹴散らした人物がいた。
――Are you alright?
ぱちくりと幼いリルは青い目を瞬かせた。
それはリルの母国の言葉だった。まったく癖のないきれいな発音。久しぶりの、抵抗なく理解できる言葉。思いもよらぬ事態に、泣くのも忘れてぽかんと呆けた。
ふふんと胸をそびやかす。
――My name is Nowa Chris.
長く伸びた黒髪に、頭頂からちょこんとはねたかわいらしい毛先。この世界に恐れるものなんてないと言わんばかりの堂々した態度が、少女の体を一回りも大きく幻視させる。
リルの母国の言葉を話す黒髪の少女は、魅力たっぷりの笑顔を浮かべて告げた。
――I'm a genius!
なんでも彼女はもともとハーフだったらしい。
父親が日本人で、母親がイギリス人。黒髪黒目の見た目こそ日本人に近かったが、幼い頃から整っていた美貌はずば抜けていた。親戚づきあいもあって子供の頃から英語をマスターし、その生まれから日本でも英国でも通るような名前を付けられていたようだ。
常に自身満々で、ちょっとおバカなところが愛嬌で、親戚にいるという妹のような少女をことさらかわいがっていた。金髪碧眼の人形のような少女の写真を見せびらかして自慢するのが彼女の唯一の悪癖だったが、血のつながっていない妹のことを自慢するときの笑顔が一番輝いていたのもタチが悪かった。
自分は天才だと堂々と断言する彼女の自意識過剰さはすさまじいものがあるが、自称するように彼女は本当に頭がよく、同時に努力家だった。呼吸するようにやるべきことをこなし、必要なものを吸収する。何よりもすさまじかったのは、そのカリスマ性だろう。他人を好きになる彼女は同じくらいに他人から好かれ、多少は嫌われ、それでもぐいぐいとリーダーシップをとって前へと進んでいった。
生きていくだけで人に好かれ、人を救うヒーローだった。
リルもそんな彼女に救われた一人だった。
自信をもつこと。己を誇ること。生きる上で重要なことを、彼女自身の生きざまで伝えていた。
そんな彼女は小学校の卒業を期に留学をしてしまった。
少しばかり頭が良すぎて、行動力があり過ぎた。イギリスに留学することになったのは彼女にとって狭い日本の中学校に入るよりは、ずっと向いていたのだろう。
別れは寂しかったが、その頃にはリルも日本語を完全にマスターしていた。置き土産というわけではないが、特別だった彼女がいなくなっても小学校時代のコミュニティは残り、リルが異端視されるような環境はなかった。そうして中学時代までそのコミュニティは引き継がれ、高校生になれば周囲ももうだいぶ大人になっている。日本人じゃないというだけで差別することこそが悪であるという大人びた意識が根付いていたし、リル自身も堂々と自分自身を出すことができた。
かつての親友あってこその、気が強いとまで称されるほど堂々とした自分にできた高校生の友人第一号の家を、リルは訪れていた。
「来ましたわよ、玲子」
「おー」
夏休み中の八月七日のこの時期に、一緒に遊ぼうと玲子の自室に招かれたのだ。
母親の歓待を受けて玲子の自室に通されると、なぜかこのクソ暑いなか、玲子の部屋だけは冷房が効いていなかった。
「なんですの……あなた、自室をサウナにしてダイエットでもしていますの……?」
「いや、クーラーが壊れた……」
絶望がそこにあった。
玲子とリルしかいない部屋に沈黙が落ちる。なんのためにこんな地獄のかまに自分を呼んだのだと視線で問えば、玲子も目が語り返す。
さあ、一緒にこの部屋で溶けようぜ、と。
たぶん玲子は頭が沸騰しているのだろう。熱中症というのはいわく、脳みそが目玉焼きになるのと一緒のことらしいから、玲子の頭の中身はすでに手遅れになっている可能性が大だった。
夏場の密室の湿度は沈黙より重く、ヘドロよりも粘りっこく、友情すらも蒸発させる。
「帰りますわ」
「待って」
あっさりと見捨てると、がしりと足首を掴まれた。
視線を下にやれば、玲子が這いつくばったままリルの足首を引き留めていた。粘性のスライムに足首を掴まれた気分だ。うっとうしい。
「冗談じゃありませんわ。こんなところになどいられませんわよ。ひとりでスライムにでも目玉焼きにでもなっておしまいなさい」
「わかった。遊びに行こう。実は、さすがの私もここには耐えかねてたんだ。涼しいとこ行きたい。プールか水族館にデートに行こう。ね、一緒に遊ぼうよアミーゴ!」
「なんで玲子と水族館に行かなきゃいけませんのよ」
なにが悲しくて女二人で水族館になど行かなくてはいけないのだ。まだ夏休みの宿題でもしたほうが建設的だと嘆くリルに暑さで頭がやられているらしい玲子はじたばたとだだをこねた。
「やーだー! あーそーぶーのぉ! ここにいたら死ぬー!」
「……はいはい。わかりましたわよ」
頭を熱でやられて幼児退行したわがままな友人の願いに、リルはため息を諦めた。
***
「ねえリル」
「なんですの、玲子」
「なんで私、あんなクソ熱い部屋にいたんだろ?」
「さあ? お馬鹿の考えることなど知りませんわ」
都内を円周して走る電車の中、冷房によって頭が冷却されたらしい玲子は正気を取り戻していた。
「いやさ、暑さで頭やられればリルも思い出すかなーってちょっと思ってたから呼び寄せたんだけど、それでもあれはなかったわ。私の頭がパーになるところだった。危ない危ない」
「なにを言ってますの、あなたは」
「べっつにー。本命は水族館ですしー」
とりとめのない雑談をしながら目的の駅に到着。
お目当ての場所は都心にある複合施設にある水族館で、時々特設コーナーではキャッチーな生物の入れて客を引き込んでいる。また何やら珍妙な生物たちを仕入れたという話らしく、それを見に行こうということになっていた。
ふとある広告にリルは足を止めた。
何本もある駅構内の柱に張り出されているのは、ポップな色調で書かれた背景とキャラクターが描かれたゲームの広告のようだ。近年の流行りではなく、据え置き機のソフトで近日発売されるゲームらしいが、サブカルに疎いリルの知識の範疇ではなかった。
『セフィロトの迷宮』
微妙にセンスを感じないタイトルはともかく、広告の中心に描かれた女の子に、リルはなぜか目を奪われた。燃えるような赤い髪を頭頂でひとつくくった少女だ。
「……リル。その子に興味あるの?」
「玲子は知っていますの?」
「うん」
どうやら覚えがあるらしく、サブカル全般を好んでいる玲子はあっさりと頷いた。
「シリーズ四作目くらいだったかな。世界樹っていうおっきな樹の中にある迷宮を探索するRPGだよ。このシリーズ、毎回微妙に世界観が違うんだけど、大体は百層構造の迷宮の底まで行って世界を救うってあらすじ」
「ふぅん?」
ゲームをしないリルには、簡単な説明では想像ができなかった。
「この絵の子は、どういう子ですの?」
「いや、発売前のゲーム内容の具体的な解説ねだられても知らんがな。主人公じゃないかな、たぶん。そんな雰囲気だし」
それもそうか、と肩をすくめる。
「でもなにか……元気そうな子ですわね。それでいてちょっとお馬鹿そうな、守ってあげなきゃいけないような気がする子ですわ」
「そうかな? どっちかっていうとしっかり者な感じがするけど……あ。端っこのこの子、リルに似てる」
「金髪碧眼だったらなんでもわたくしと一緒だと思わないでくださいませんこと?」
「いやいや、ちょろっと出てる吹き出しの口調とかさ。リルも髪巻いてみたらそっくりになるんじゃない?」
駅から十分ほど歩けばたどり着いた。
受付でチケットを買って中を回る。女二人で何が悲しくて、と思っていたものの、気心の知れた友人と水族館を回るのは普通に楽しくてちょっと悔しかった。
「次、広告のエリアだね。なんだっけ。世にも奇妙な生物展だか何だか。カニとかエビとかいるらしいけど」
「それ、割と普通じゃありませんの?」
「いやぁ、結構大変だったよ、あれをこっちに引っ張り込んでくるの」
「なんであなたが仕入れ担当みたいなこといいますのよ」
呆れながら、水槽に入った生物を見て回る。聞いたことすらない生物がほとんどで、解説に感心しながら観察する。
がん、と音がした。
青いハサミを持っているカニが、アクリル板を叩いていた。
なんだこれ、と物珍しく思って近づく。
一匹のカニが、ひたすらに水槽を叩いていたのだ。知見のないリルには赤いカニというだけで大体のカニは沢蟹に見えるが、ハサミが青い。どういう種類のカニなんだろうと思うが、なぜかここには解説用のプレートがなかった。
「わー。なにこのロブスター、うっざ。……ていうか、あんたもいたのか。久しぶり」
玲子は玲子で、別の水槽で体を持ち上げて威嚇しているロブスターらしき生物に対してなぜか楽しそうに玲子はつぶやいている。
カニはやたらめったらガンガンとアクリル板を叩いていた。水槽越しに、リルはそのカニをしげしげと眺める。
「随分と気性の激しい生き物ですのね」
「カニだしね」
「カニって気性が荒いんですの?」
「さあ、どうだろ?」
玲子は自分で言っておきながら無責任に肩をすくめた。
「わたしは、リルと違って、こいつのことはよく知らないしね」
「……玲子?」
「ちょっとぶらぶらしてくる。わたし、カニの知り合いはいないしさ」
不審な言動を聞きとがめるリルには構わずに、玲子はくるりと踵を返す。
なにが言いたかったのだろう、と戸惑っていると、またカニが水槽を叩いた。
リルは髪を肩甲骨のあたりまで伸ばしている。これ以上長くすると、手入れの手間暇が爆発的に増加するため、その長さでとどめているのだ。それでも長くしている方だし、手入れも欠かしていない。少しウェーブがかかっているが、それは元からのくせっけだ。玲子のようにまっすぐなストレートの髪には、実を言うと少し憧れている。
水槽を叩く手を止めたカニが、不服そうにつぶやく。
「どうしたのだ、そのざまは。果敢にも俺に挑んで打ち破った貴様が安寧に沈むような無様をさらしているなど嘆かわしい。なによりその髪が、どうしたというのだ。縦ロールを生やさないのか?」
「せめて伸ばせとおっしゃいなさい」
反射的に言い返してから、あれ、と気が付いた。
カニが喋った。
「え」
そんな馬鹿な、と思った次の瞬間、カニのハサミがアクリル板にヒビを入れた。
ますますありえない。流れ出す水とともに、カニが水槽から飛び出る。
「久しぶりであるな、リルドール。気分はどうだ?」
「……なぜカニがしゃべりますの?」
「ふん、俺は確かにカニである。だがカニだからといって侮るな。人間がそうであるように、カニにだって個性はある。ならばこそ、知性があっても不思議でないだろう」
不思議だ。だが、違和感はない。
なるほどこのカニはしゃべるのか。なぜか自然とそのことに納得がいった。
「俺はカニであるが、貴様はいったい何者であるのか。嘆かわしいぞ、リルドールよ。その髪形はどうした。この俺を倒した勇猛なるお前の髪はどこにいったのだ」
「なぜカニがわたくしの名前を知っていますの」
「貴様が俺に名乗ったからだ。俺の体と魂に、決して忘れられない輝きと共に焼き付けたからだ」
水がどんどん流れ込んでいる。
だが不思議と、足元が濡れることがない。
リルは水槽に穴が開いたのだと思っていた。
違った。世界にヒビが入っていた。
世界のヒビを抜けた、カニがリルの真正面に立つ。いつの間にか、見上げるほど大きくなったカニが、青いハサミを天に掲げる。
「俺の名前だ。名乗ったであろうに、それすらも忘れてしまったのか? いささか薄情ではないか」
そう。リルはこのカニの名前を知っていた。
このカニが世界にヒビをいれると同時に、リルの人生の記憶にも亀裂が入っていた。割られた隙間から、不思議と様々な情景が流れ込んでくる。
「カニエル……」
「その通り。やはり覚えているではないか。それこそが俺の名前である。きっかけがあれば、意外と簡単に思い出せるのではないか?」
なぜ自分はカニの個体名など知っているのか。
それはわからないが、偉そうな蟹に対してなぜか無性に反発心が湧いた。
「水族館に飾られていた分際で、ずいぶんと言ってくれますわね」
「ふむ、その調子だぞリルドール。まあ、意外といいところだったぞ、あそこは。作りものであれ、安穏とした世界を泳ぐのは心地よい。底に沈むというのも、貴様の選択肢の一つではあるのだろう」
そうだ。
どこか、心の奥底で、リル自身が言い訳をする。
ここはいいところではないか。満たされて、安全で、虐げられることがない。そういう世界で、そういう自分であることが許されている。何より傷ついて傷つけて、殺して殺されるようなことが、ない。
そんな、まるで夢みたいな世界だ。
「安寧の夢にこのまま溶けていくのも、よかろう。だがひとつだけ言わせてもらうぞ」
赤いカニは、しゃきんと青いハサミを閉じて言葉を切り、告げる。
「――この世界に、貴様の光はあるまいに」
「……そう。そうですわね」
それは、決定的な一言だった。
リルは自分の髪をかき上げる。重く、誇りを詰めて巻き上げた髪。それを見せびらかすように揺らす。
リルは、五本の縦ロールを取り戻していた。
「あなたの言う通りですわ、カニエル」
「ふむ。やはり生えたではないか」
「伸びたのですわ」
むっとして言い返すと、カニエルは泡を吹きながら笑った。
「それにしても偉そうにしてくれましたわね。どうやってここに来たかはわかりませんし、助言は感謝していますけれども……あなた、わたくしを誰と心得ていますの?」
「知っているとも。貴様が己を思い出したのならば、それでいいのだ。貴様は、世界に輝くリルドールなのだからな!」
カニが呵々大笑してハサミを振り下ろすと同時に、世界が砕け散った。
***
真っ白な空間が広がっていた。
リルを包んでいた夢幻の世界が砕け散った結果だ。空中に砕け散った世界の景色が万華鏡のように散らばっている。
そんな不可思議な空間には、リルのほかに誰もいない、というわけではなかった。
「思い出したんだ」
リルの正面には、玲子がいた。
「どうだった、あのカニとの会話は。ザリエルもあんな感じだったけど……五十階層主の奴らって、みんな微妙に偉そうよね。あの上から目線は年取ってるからかな」
「玲子――……いえ、あなたは、何者ですの」
いまのリルは化け猫の腹に収められたと、はっきりと認識している。ここは化け猫の腹の中の世界だ。なぜカニエルがリルの目の前に現れたかはわからないが、玲子は自分の監視役か何かかと視線を厳しくする。
そんなリルに対し、玲子はしてやったりと挑発的に笑う。
「ふふん、気が付かなかったの? 私はあんたにあった時に、思い出したんだけどね」
紫電が弾ける。
稲光とともに、彼女をかたどる情報が組み変わる。
髪と目の色はそのまま。身長はわずかに縮まり、髪の長さは短くなった。
「まさか」
「そう」
愕然とするリルに対し、彼女はにんまりと意地悪く笑った。
「私だよ、リルドール」
ライラ・トーハがそこにいた。




