第百二十一話 セレナとアリシア
「いらっしゃいませ、みなさま」
リルたちが迷宮ギルドに入ると、受付に座るセレナが挨拶をしてきた。
「なにをしていますの、あなたは」
まさかの出迎えに、思わず問いが口をついてでた。
セレナはギルドの職員を辞めて久しい。というか、現在のセレナは『雷討』のクランマスターだ。そんな重要人物が冒険者ギルドの制服を着て受付嬢の席に座って何をやっていると呆れるリルに、セレナは悪びれもせずに答える。
「ギルドに無理を言いました」
どうやら国内最大規模のクランマスターの我がままらしい。
しれっと表情も変えずに自分が受付に座っている事情の舞台裏をさらすセレナには、苦笑しかできなかった。
「ま、いいですわよ。……迷宮に入りますわ。手続きを」
「かしこまりました。ご記帳をお願いします」
「わかりましたわ」
淡々と、しかしかみしめるようにセレナは業務を進めていく。
余計なことをせず、初めて出会った時のように、それでいて両者の内実はまったくことなるやり取りだった。
リルたちが終えた記帳の内容を、セレナはそっと指でなぞって確認する。
「百層の先に無期限、ですね」
「ええ。問題ありませんわね」
「……はい」
仕事を終えたセレナが名残惜しそうにわずかに目を細め、手を差し出す。
「お三方なら、問題などあるはずがありません。ご記帳、ありがとうございます。本日の受付は、セレナが承りました」
差し出された手の意図を間違えずにくみ取って、リルたちは応える。
「いってまいりますわ」
「いってきます」
「いってくるっす」
順番にしっかりと握手をする。最後にヒィーコの手が離れたのを確認して、セレナは深々と頭を下げた。
「どうぞ、いってらっしゃいませ」
セレナの見送りを受けて、リルたちは迷宮の入り口に向かう。
迷宮のテレポートスポット。到達した特定の階層へと一瞬で移動できるゲートの手前に、一人の女性がいた。
その姿を見て、リルは瞠目して足を止めコロが声をあげる。
「アリシアさん?」
「そうですよ、コロネルさん」
迷宮のテレポートスポットの手前に立っていたのは、アリシアだった。
コロの語尾に疑問符が付いたのは、彼女がメイド服を着ていなかったからだ。使用人である彼女はメイド服を着ていない時も、モノトーンの地味な服装でいることを強いられているのだが、いまの彼女は普通の服装をしている。
「どうしましたの、アリシア。私服でいるのは珍しいですわね」
「侍従の仕事なら、ついこの間お暇しましたから」
「は?」
まさかの発言に面食らう。
リルが百層を超えるにあたって、彼女がリルの使用人から外されるのはわかる。だが、てっきり屋敷に戻ることになると思っていたのだが、この元メイドは仕事自体を辞めてきたらしい。
「なんでそんなことをしましたの? あなた、一家揃っての使用人でしょうに」
「あなたがいなくなるのに、私がメイドを続ける必要がありますか?」
メイドを辞めようとあっさりとリルを封殺してのける舌鋒は健在だった。
「それに、アーカイブ家と縁を切ったというわけでもありません。お屋形様からは、ありがたいことにあのアパートの管理を任されました」
「あら。退職金代わりにしても、お父様もずいぶん大盤振る舞いしましたわね」
「はい。今後は私が管理人としてあのアパートを管理します。三階は自由にしてくれていいと言われていますが……少なくとも一年以上はそのままにしておく予定です」
アリシアが、ダンスにでも誘うようにリルに手を差し出す。
「だから、いつでも戻ってきていいんですよ」
メイド服を身に着けておらず、キャップもかぶっていない。いつもとはまったくことなる印象の顔つきで、アリシアはリルに語り掛ける。
「それが世界の存亡であっても、あなたが犠牲になる必要なんて、ありません。少なくとも私はそう思います」
「……残念ですわね」
アリシアの甘い言葉に、リルは頷かなかった。
「気持ちはありがたいですけれども、わたくしは、もう戻りませんわ。わたくし自身が望んで挑むことですし、別に犠牲になるわけでもありませんもの」
「そう、ですか」
たぶんわかっていた答えに、アリシアは肩を落とす。
メイド服を脱いだ自分の私服をつまんで、寂しそうな笑みを浮かべた。
「……もし、もっと早くこうしていたらのならば、何か違っていたのでしょうか」
もっと早く、それこそリルがライラに決闘を挑むより前にアリシアが使用人の立場を捨ててリルの補佐をするようになっていたら、確かに何かが違っていたのかもしれない。アリシアならばリルの暴走をいさめられただろうし、正しく右腕になることができたはずだ。そうすれば、リルは学園を停学させられることもなく、冒険者になることもなかっただろう。
ただその場合は、コロと出会うこともなかったと、それだけのことだ。
「言っても栓のないことですわ」
「そうですね。まったく生産性のない仮定でした」
二人が初めて出会った時、アリシアは賢い子供で、リルは愚かな子供だった。
人の気質は、生まれながらに決まっているとアリシアは考えていた。
この小生意気なお嬢様はきっと自分の自尊心が原因でいつかは落ちこぼれてしまうだろうと考え、そのセーフティーネットになろうとしていた。離れたところで見守って、いざという時の保険になっているつもりだったが――結局、アリシアはリルの強さを引き出すことができなかったのだ。
「でも、少し、後悔しています」
気が付ければよかったな、と思う。
一人きりになんてせず隣に居続ければ、きっとリルはまた違ったはずだから。
「百層に行くと、聞いています」
「その通りですわ。あなたにも、事前に言っておいたはずですわよね」
「伝説のイアソンのように、あるいはトーハのように、もう戻ってこないと、そう聞いてます」
「その二人とは、違いますわ。わたくしはこの世界を支えるために、必要なことをしに世界を出る。それだけのことですわ」
「それでも、戻ってこないのでしょう?」
「ええ、そうですわね」
「なぜ、リルがそんなことをしなくてはならないんですか?」
最後のあがきだと感じさせないほど強い目で問いかける。
アリシアは今この時ですら納得していない。
「あなたではなくてはいけなくとも……それでも、あなたが行く必要なんてないはずです」
世界で一人だけ、彼女だけはリルがいなくなることを承知していない。彼女が強くなったことも、地力で前に進む力を得たことも認めていて、けれどもそれと犠牲になることは無関係だと主張する。
恥ずかしげもなくさらされる親愛に対し、リルは己の愛称を初めて呼んだ、自分の最も古くからの友人に輝かしく微笑む。
「わたくしが、世界に輝くリルドールだからですわ」
自分のすべてを捨てても引き留められない。否定できない事実を示されてそれを悟ったアリシアは、諦観に唇を緩める。
あのクルック・ルーパーとの闘いを見た時に、アリシアも確かにリルが世界に輝くのだと認めたのだ。
「……はい。そうでしたね」
自分の負けだ。
ついには舌戦でも負けてしまったアリシアは、最後くらいは潔くするべく迷宮への道を開け、ドレススカートの裾を摘まんで一礼。
「いってらっしゃいませ、私のお馬鹿なお嬢様」
「ええ」
リルは一歩前に出て、頭を下げて見送るアリシアの横を通り過ぎる。
「行ってきますわ、アリシア」
最後に自分に立ちふさがった、ただの人という関門を抜けて。
リルたちは世界の滅亡を止めるべく、迷宮へと挑んでいった。
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