第百二十話 カスミとエイス
カスミは走っていた。
常駐しているクランハウスから、町の墓所を訪れていた。
リルの挨拶を受けてから、カスミは自分のできる限りの仕事を引き受けた。裏方仕事を滞りなく行うことが後方に下がった自分が唯一リルを助けられることだと言い聞かせて、慣れない仕事だなんて言い訳は捨ててクラン運営に尽力していた。
それこそが、冒険者として前線に向かう立場を捨てた自分に対してのただの言い訳だということに薄々気がついていながらも。
だからなのだろう。挨拶回りを終えたリルがこちらに帰って来てコロ達とも合流するという知らせを受けた、カスミは仕事を全て放り出した。
リルたちの合流場所は、とある慰霊碑の前だった。
そこは、いつかの時に五十階層で散った英霊を祀る墓碑だ。霊園に建てられた慰霊碑には三十人の名前が彫ってある。
リルがいて、ヒィーコがいて、コロがいて、それで助けられなかった命。いいや、違う。その三人が、三十人の命でもって助けられたのだ。
命懸けで自分達を守ってくれた英霊を祀るそこを、リル達は最終決戦前の集合場所とした。
おそらくリルたちが手ずから供えたのだろう。まだ瑞々しい花束が添えてあった。三人揃って、慰霊碑の前で黙とうしている。
「……っ」
カスミは声をかけようとして、下唇をかむ。
自分は、部外者だった。
あの三人の中には入れない。肩を並べることができない。
だって七十七階層にも及ばなかったのだ。冒険者として進んでいく彼女達に対し、カスミはまるで及ばなかったのだ。百層に挑み、世界を超えようとする彼女たちに並び立つ資格なんて、ない。
だからカスミは、リルたちが祈り終えるのをじっと待つしかなかった。
「カスミ」
黙とうを終えたのだろう。カスミの存在にはとっくに気がついていたリルが背中を向けたまま告げる。
「あなたが、次のクランマスターをやりなさい」
聞き方によっては冷たくも感じる、素っ気ない委譲宣言だった。
なにか、言おうと思った。
息を吸って口を開いて、でも、なにも言えなかった。
「クランを設立してたったの一年もたたないうちにいなくなる無責任は詫びますわ。それでもあなたならと、そう思います」
「私は……私は……!」
伝えたいことがあるはずなのに、もどかしいほどに言葉が形にならなかった。
もっともっとリルの役に立ちたかった。もっと対等な立場で語りたかった。助けられた恩を返して、いつかはリルを助けられるような人間になりたかった。
ちゃんと、リルの仲間なんだと誰にはばかることもなく言えるような人間になりたかった。
けれども最後まで、カスミはリルの後塵を拝していただけだった。
「……ごめんなさい」
「あなたが謝罪するようなことなど、一つもありませんわ。これからも『無限の灯』の理念をたがえぬようにしなさい」
「……はいっ」
これが、最後の別れになるのかもしれない。いいや。リルはこれが最後だと思って言葉をかけている。それが無性に悔しかった。
「あなたは次のクランマスターだということは、関係者各位には周知してあります。心して職責を全うなさい」
「決して、リルさんに恥じないクランにします」
「……感謝しますわ、カスミ」
百層に向かうのだろう。リルたちが歩きはじめる。
彼女が勝つに決まっていることを、カスミは少しも疑っていない。相手がどんな強かろうが、リルは化け猫を倒し、世界を救う。だからリルは、この世界を超える。勝って、世界を超えて、そうしてこの世界からいなくなってしまう。
不意に、言葉に出来ないほどの思いが堰を切って流れ出した。
遠ざかっていく背中に、耐え切れなくなったカスミは声を張り上げる。
「絶対にっ」
世界を救って超えていってしまうだろうその人の背中に、カスミは声を振り絞って想いを届ける。
「私は絶対に、いつかリルさんに会いにいきますからッ!!」
足を止めたリルが、微笑んだ気配が伝わった。
「……ええ。待ってますわ」
カスミもリルも、さよならは言わなかった。
だって、リルは嘘は言わない。待ってるというのなら、彼女は待っていてくれる。幾千万年も永遠でも待ち続けてくれるのだ。
ならば後は、自分が応えれば真実になるのだ。世界を超えて彼女に会いに行くのだ。
カスミは涙をぬぐう。
強くなりたかった。助けてもらったあの時に憧れた輝きに追いつきたかった。けれども追いつけなくて、自分は途上でくじけてしまって、そんな間にも憧れの人は前に進み続けた。
みじめだ。
至れなかった。彼女の横を、歩くことができなかった。彼女たちが切り開いて照らしていった道のりをなぞって歩くことすらできなかった。仲間だと言われて仲間だと思っていたのに、自分は彼女達の戦いに立ち会うことすらできないのだ。
遠く及ばない無力さが、あまりにも情けない。
それでも。いいや、だからこそ絶対に、カスミはこの世界を超えようと決意した。
「カスミぃ……」
物陰からひょこんと顔を出しのは、ここのところ逃げ隠れしまくっていたエイスだ。迷宮に関する物事から全力で逃げていた彼女の顔をカスミが見るのは、けっこう久しぶりだった。
「……なにやってんの、あんた」
「こ、怖くて……迷宮が、怖すぎて、リルさんたちに顔も合わせられなくって……ここまでは来たんだけど、それでも怖くって……!」
どうやらリル達に残った敵の残滓が怖くて近づけなかったらしい。
なにもしていないのにすでに泣き顔のエイスは、えぐえぐと嗚咽を漏らす。
「……はい。手紙、預かってるわよ」
よくやく顔を出した小心者のお馬鹿に、カスミはリル達から預かっていた手紙を渡す。どうやらリル達でもエイスに会えなかったらしく、言伝を預かっていたのだ。
それを受け取ったエイスは、さらに涙腺を緩ませてぼたぼたと涙をこぼした。
「なんで、なんでわたし、こうなんだろう……いつも流されて……肝心な時は逃げ出して……いますっごく、自分が嫌だよぉ……!」
「知らないわよ。さすがにフォローできないわ。ていうか、リルさんたちの手紙が濡れたら困るから泣くのやめなさいよ」
エイスの泣き言を、カスミはばっさりと切り捨てる。
親しい人との別れを怖いからという理由で逃げ出してしまったのだ。自己嫌悪はひとしおだろうが、それこそ自己責任だ。そもそもカスミ自身が自己嫌悪に襲われている最中なのである。他人を慰められる余裕なんてない。
あるいはカスミは、リル達の敵の強大さをはかることのできる、エイスの冒険者としての才能が羨ましかったのかもしれない。
自分がエイスのような才能を持っていたら――もしかしたら、あの三人に混ざれたのかもしれないと、そう思ってしまうのだ。
「エイス。私、絶対に諦めないわ」
ただ、そんな仮定にはなんの意味もない。
リルたちの背中が見えなくなるくらいに遠くに消えて、残されたカスミはつぶやく。
今日の天気も変えられず、明日の天気の予報もできない自分だけど、だからなんだよと奮起する。
確かに自分は迷宮に挑む過程で諦めてしまった。冒険者としての自分の限界を知ってしまった。冒険者として進めば絶対に死ぬだろうと道を閉ざした。
でも、この三次元の世界で道は一本ではない。愚直に前を進み限界を貫いたリルの道行とはまた違う方法があるはずだ。
「リルドールさんが、待っててくれているんだもの」
だからカスミは、涙をこぼさないように上を向いて決意する。限界を知って、諦観を挟んで、それでも諦めない。
「私は私なりの方法で、いつか絶対にもう一度、会いに行くわ!」
限りなく輝き伸びることこそが引き継いで受け継いでいく自分たちの理念なのだから、どんなに時間がかかっても必ずリルたちのいるところまでたどり着くのだ。
「わたしも……」
カスミの宣言を聞いたエイスも鼻をすすって、決意を表明する。
「次は、絶対に、逃げない。リルさん達の力になる……!」
「遅いわよ、バーカ」
「うぅ……だってぇ……」
「はいはい。わかってるわよ」
やっとやる気を出した臆病者の少女の決意に、カスミは思わず苦笑した。
なんだかんだ才能があると思って自分が故郷からひっぱり出してきたエイスが、ようやくやる気を出してくれたのだ。
「ほんと、いまさらだけど、頑張りなさいよ」
「うん……頑張る」
悔いの残った別れを解消するために。
遠くに行ってしまった友人のもとを訪ねるために、二人の少女はそれぞれの方法で歩むことを決意した。