第百十九話 ウテナとニナファン
リルたちが百層から帰ってきて一か月以上が経過した頃、リルたちの所属するクラン『無限の灯』では、暇を持て余し気味の二人がいた。
「リルドールさんたち、あんまりこっちに顔出してくれないね」
「んー……? そだねー……」
ウテナとニナファンである。
他のメンバーが迷宮の探索に励むなり事務職やクランの組織運営に精力的に行動しているなか、この二人に限っては暇人だった。
「まー、あの三人は忙しいからしかたないよ……」
「そりゃわかるけど」
ニナファンの何気ない問いかけに、めんどくさがりなウテナは適当に答えた。クランの訓練室の端っこにハンモックを張ってダラダラとしている。
そんなウテナをニナファンはちょっと恨みがましく見つめる。あまり努力をしている様子はないのに自分と同等以上の実力を持っているのだからずるいと思ってしまう。
リルはいない。コロとヒィーコも迷宮に潜りっぱなし。ここ最近、クラン『無限の灯』の経営陣頭に立っているのはもっぱらカスミだ。
リル達がいないとなると、初期の中核メンバーで最も組織運営に向いているカスミが必然的に前に出てくることになる。『無限の灯』は若い組織だ。設立して一年足らず。内部のメンバーも、ほぼ二十歳以下の若者で構成されている。
そして『雷討』と『無限の灯』、そして『栄光の道』の関係は協調路線を貫いている。規模と実績トップスリーのクランが協調しているということもあって、冒険者業界は安定している。
「それよりエイスはどうしたの……? あの鳥類は……? 今日もバックレてるの……?」
「全然捕まらないよ。探そうとしてないときは見かけるんだけど、探そうとするとびっくりするくらい見当たらなくなる。どういう原理なの、あれ?」
「エイスの原理としか言いようがないかな……」
「そっか。原理ならもう仕方ないね」
二人の間で、エイスがこの世の何らかの法則ということで合意した。
ここ最近のエイスは普段は普通の生活をしているのだが、いざ迷宮に行こうとなると捕まらないのだ。ひたすらに逃げまどっている。とりあえず迷宮には入りたくないと、その一点張りだ。
現在ウテナ達の到達最高階層は七十六階層。クラン内ではリルたちについでの達成進度で、あとほんのちょっとで世界でも一握りの上級上位の冒険者になれるという段階である。
「全然迷宮に行けないおかげで、カスミちゃんから事務仕事ちょくちょく振られるようになってるよ。ウテナちゃんも手伝ってくれない?」
「えー……やだー……」
ニナファンの話に、ウテナはごろりと寝返りを打って拒否。別に仕事をしなくてもいいのならばしないし、しなくていい理由があればなおさらしないのがウテナである。
だがそれはそれとして、エイスが逃げの一手だというのは腹が立つのだ。
「エイスはあれだよね……なんか、百層にすごいのがいるらしいから、そのせいだとは思うんだけど……」
リルいわく、百層に強大な敵が居座るようになったのだという。エイスが怯えきって迷宮に潜らないのはそれが原因なのだろうとあたりをつけていた。
「エイスちゃんは良くも悪くもぶれないよね」
「ほんとに……やっぱフォーメーションPがいいと思う……」
「あはは。それもいいかも」
フォーメーションぴーちゃん。エイスが聞いたらまた一週間は顔を出さなくなるような提案に、ニナファンは苦笑で肯定する。もっとも、エイスが逃げ回っているからこそニナファンも迷宮に潜らずに他の仕事を割り振られているのだ。
「リルドールさんが百層のやつを倒してくれれば、あの鳥類も迷宮に潜るとは思うけど……」
「……倒してくれれば、か」
ニナファンがふっと表情に影を落とす。
リルの場合、勝っても負けても、この世界に戻ってくることはない。それを事前に聞かされていたからだ。
「今度の相手って、本当にやばいんだよね。詳しくは聞いてないけど、あのライラ・トーハでも勝てなかったっていう魔物が相手なんだよね」
「みたいだね……世界存亡の規模らしいよ……」
「その……リルドールさんがいろんなところに挨拶をしてるのって、負けちゃうのを覚悟しているとか、かな」
「それはないよ」
おそるおそる尋ねてきた問いに、はっきりとした答えが返った。
「リルドールさんは負けないよ」
「じゃあ、なんでリルドールさんは別れの挨拶みたいなことをしてるのよ!?」
とっさに声を荒げてしまったのは、ニナファンも不吉な予感を抱えていたからだろう。
素っ気なくウテナは事実を告げる。
「どっちにしたって、帰ってこなくなるからでしょ……」
世界を救うために、リルは別れを告げているのだ。
百層を超えるということは、そういうことなのだ。この世界を超えて、いなくなる。それが迷宮の果てなのだ。
「……ごめん、ウテナちゃん」
「ううん……」
勝っても負けてもリルが戻ってくることはない。それはリルから直接伝えられていたことだ。それを改めてウテナの口から言わせてしまったことを謝罪する。
「リルドールさんが帰ってこないって聞いたからかな。カスミちゃんも、最近なんかすごいよね」
「うん……鬼のように仕事をして、寝食削って研究してる」
「カスミちゃん、根を詰めすぎてる気がする。そのうち倒れちゃうよ?」
「給料も全部研究費につぎ込んでるしね……」
「え、そこまでしてるの? まさかとは思うけど……使い込みとかしてないよね?」
「してない……と思う」
プールしていた資金が空っぽでしたとなれば洒落にならない。会計監査を外部にお願いしようかとメンバーの一員として考えておく。
「でも、給料全部つぎ込んで普段の生活はどうしてるの?」
「わたしの給料……」
「へー」
そういえばカスミはウテナの監視という名目で同居生活をしていたのだ。
ここ最近、エイス不在のせいで迷宮探索に行けない自堕落な生活をしていようが、ウテナも上級冒険者だ。同居人を養える稼ぎも蓄えも十分にある。
「だからカスミ、わたしがいないとダメな感じ……ふふっ……」
「……へ、へー」
触れてはいけない案件だった。
ウテナの笑みに闇を感じ、この話題には深く触れまいと目を逸らしたニナファンは話題を軌道修正する。
「リルドールさんたちのいなくなっちゃう後なんて想像もできないけど、ウテナちゃんはあんまりいつもと変わらないよね」
「私は……カスミとかセレナさんほどリルドールさんたちに思い入れがあるわけじゃないから……ニナファンも、そうでしょ……?」
「う。そうだけどさ」
別れは誰に対してだってあるものだ。
ニナファンもウテナも、泣いてリルたちを見送るようなことはないだろう。リル達は特別な人間だったが、だからこそ、少し遠い人だった。
「でも、リルドールさんたちがいなくなったら……普通に寂しい、かな……」
「うん。そうだね」
知り合いとして、友人として、尊敬する相手がさらに遠くに行ってしまうことは。
「普通に寂しいよね」
それがリルとの別れに対しての二人の、偽らざる本音だった。




