第十二話 火
剣と槍の一撃がぶつかり合う。
両者の力強さを表すような甲高い音。その余韻が消える間もない一瞬のつばぜり合いの結果、槍が剣を弾き相手を貫こうと迫る。
だが、その刺突は赤い残像をとらえるだけにとどまった。
「っ」
からぶった手ごたえ。相手の予想外の素早さに、ヒィーコは舌打ちを抑える。
弾かれた瞬間の飛びずさり。相手はそのたった一歩でヒィーコの槍の間合いから脱出した。
「ちっ」
何度目かわからない攻撃の空振りに、ヒィーコは思わず舌打ち。
槍と剣。倍近いレベル差。それがあるというのに、ヒィーコは攻めあぐねていた。
いまヒィーコが請け負っている依頼は、簡単なもののはずだった。
レベルがちょっと高いだけのお嬢様と、それにひっかけられた初心者。二人を分断して、お嬢様の方を痛めつける。それで小金がもらえるのだから、ギガンが持ってきた依頼に是非はなかった。
だが、目の前の相手はそんな甘い相手ではなさそうだった。
まっすぐに穂先をコロに合わせたヒィーコは、ぺろりと唇をなめて湿らせる。
レベル差は、時に覆されることがある。
迷宮の中で人は進化する。一レベルでの進化は劇的というほどでなくても、確かにできるその差は無視できない。それが積み重なればなおさら。五つ十と離れれば能力の差は歴然としたものになる。
だが、絶対ではない。
互いの相性もある。あるいは純粋な技量で。あるいは想いで。凡人にはない何かをもってレベル差を叩き伏せ、格上相手に勝利をつかむ人間は存在する。
それを知っているヒィーコは、相手が格下であると認識していても決して油断をしていなかった。
だがそれではまだ甘かった。油断していない、から警戒すべき相手という認識に引き上げる。
「……名前、なんて言うっすか?」
「コロネルです」
短く名乗りを上げると同時に、剣を構えたコロは猛獣のように飛びかかっていく。
踏み込みに勢いがある。飛び込みの伸びが予想以上で対処しづらい。身体能力が異様なのではなく、体の使い方が異常に上手い。全身をバネのようにして使う動きは直線的なようで、その実トリッキーな挙動だ。
しかも、間合いの取り方が異様に鋭かった。
ヒィーコの槍の間合いに入る直前。ぴくりと反応しかけたヒィーコの虚を突いて、コロは床から跳ねて、壁を駆け上がる。
「はぁっ!?」
どうやったらこんな挙動をしようと思えるのか。
だがトリッキーなだけの動きに見えて、実のところ長物である槍相手には有効だった。なにせ通路の端にある壁を使って迫られると、長物である槍は壁と天井が邪魔で非常に振るいにくい。必然、突きが主体となるのだが、それも決定打にならない。
本能的にヒィーコの呼吸を読み、突きを放つタイミングに合わせコロは壁を蹴って地面に勢いよく着地。上下移動で突きを躱して間合いに踏み入り、止まることなくそこから跳ねあがる。
「やァッ!」
「ぐっ」
どこかかわいらしくすらある気合の掛け声とは裏腹に、その一閃は凶悪だった。
下から上への掬い上げるような一撃。何とか身を反らして躱すも、それしかできなかった。
コロはまったく深追いせずに、一歩飛び跳ねてヒィーコの間合いから逃げ出す。
そうして、また仕切り直しだ。
「ふぅー」
少なくない動揺を抑えるため、ヒィーコは長めに息を吐いて呼吸を整える。
壁際の立ち位置から移動できればいいのだが、ヒィーコの役目はコロの足止めだ。あまり相手から離れすぎるのもよくない。こちらから仕掛けようとすれば、その踏み込みに合わせてコロは一気に間合いをつぶしてくる。
本来ならばさっさと連れを倒して終わらせる予定だったが、まさかの強敵だ。
通路の壁と天井まで使って蹴り上げて、三次元をフルに使って攻めてくる猛攻。縦横無尽なそれに、ヒィーコは守勢に回らざるを得なかった。
「……そうっすね。やっぱり、なめてたんすかね」
一撃、受ける手がしびれる。時に、肝を冷やされるような一撃が放たれる。互角とは言っても、レベルが下の相手にこうも翻弄されているのはあまりに情けない。
なるほど、認めよう。
相手は、天才だ。
この戦闘センス。五体をフルに使った野生そのものの獰猛な戦い方を技と呼べるまでに昇華している。おそらくは我流だというのに、その動きを他人に見せつけ圧倒する技に至るとは空恐ろしい才能だ。
でも、だからなんだ。
ヒィーコはコロの才能を認めて、それでも自分が負ける気は欠片もしていなかった。
相手が天才だろうと、それは自分が負ける理由にはなりはしない。ヒィーコとて、冒険者。欲しいものがあるからこそ彼女は迷宮に挑んだ。
そして彼女が欲したものは、そのまま己を守り敵を貫く強さであり、彼女は彼女自身の冒険でそれを得た。
「――変・身」
自分が得た魔法を発動させるためのキーワードを発して猛ると同時に、ヒィーコが光に包まれた。
「っ!」
ヒィーコの発した閃光に、コロは一気に飛びずさる。
コロにとっては未知の発光現象。その光が収まると、そこにいるヒィーコの装いが一変していた。
「その姿は……!」
コロに驚愕に、ヒィーコは付き合わない。
騎士のような、それでいて騎士では決してありえないような鎧。体の要所要所だけにまとった黒を基調とした装甲。体だけではなく、その装甲は槍にもまとわりついて強化させる。
想いが魔法を作る。レベルではない。人の想いこそが、魔法を発現させて鍛え上げるのならば。
自分の魔法が負ける道理などありはしない。
「本気、出させてもらうっすよ」
ヒィーコは強化された槍を、一振り。
それは、風を切ってうならせた。
見ればわかるその威力に、コロは目を鋭くする。
「……魔法」
「そうっすよ。この身にまとう魔力装甲があたしの魔法っす」
魔力装甲。身にまとうものを大幅に強化するヒィーコの魔法だ。ヒィーコの魔法は、変身願望を起因としている。弱い自分から強い自分に変わるための魔法。憧れを打ちこわし、己の身で強くなりたいと願った思いが反映された魔法の効果は、今から発揮される。
一歩、間合いをつぶすように前に出る。
踏み込むその挙動から、先ほどまでの動きとは歴然とした差がある。
「ぐっ!?」
先ほどまでより圧倒的に早い踏み込み。その勢いを一点に集中させた突きを放つ。
だがコロは、それにすら反応し対処する。
それだけにとどまらず、半身で交わした体をくるりと回して槍の間合いから深く踏み込む。
「このっ――」
「……本当に」
自分の強化した一撃をいなし、あまつさえ反撃すらしてきたコロを見て、ヒィーコの胸には羨望すら湧いた。
自分だって、才能がある部類だと思っていた。思い上がりではなく、同世代同時期の冒険者で、ヒィーコより明確に優っている相手はいなかった。
だが、この少女はどうだ。
闘志、センス、勇気。そのすべての底が見えない。戦いの場である迷宮でどれだけの高みに登れるのか、まるで測れない。まぎれもなく英雄の器である。
もしかしたら、いつかは抜かれるのかもしれない。
だからこそ、いま負けるわけにはいかなかった。
「天才っすね」
「ごぁっ」
剣戟を小手の装甲で受け止め、膝を相手の腹に叩きこむ。
確かに相手は天才だ。とんでもない相手に能書きを垂れてしまったと後悔する。
でも、まだまだ自分のほうが強い。
膝をつくコロを、ヒィーコは深追いしない。代わりに言葉を投げかける。
「なんで、あんなお貴族様についてるっすか? あんたなら、ソロでもすぐに頭角を現したはずっす」
「リルドール様を、馬鹿にしないでください……!」
普通の初心者なら胃の中をひっくり返してのたうち回っているはずの一撃を受けて、なおも気丈ににらみつけてくる。下手に手を出せば、噛みつかれて痛手を負ってしまいそうだ。
意思が固い。まるで折れる様子がない。何が彼女をそこまで突き動かすのか。その想いが痛みすら凌駕して、瞳に燃え盛る炎を声にして叫ぶ。
「あの人は、リルドール様は立派な人です!」
「バカにするっすよ。あれは、バカにされるだけの人間っす」
ヒィーコには、本気で彼女の吠え声が理解できなかった。
ヒィーコから見たリルは、ただの見栄っ張りでバカなお嬢様だ。覚悟もなく迷宮に足を踏み入れる恥知らずだ。冒険者のあり方を、貴族の道楽で汚す半端ものだ。
「本当に、なんであんたがアレに憧れてるのか、意味が分からないっす。アヒルを親と思い込んでる白鳥の子供でも見てる気分っすよ。なんかの刷り込みでもあったんすか?」
「違います。他の人にはわからなくとも、あるんです……!」
「くっだらないっすね。あのお貴族様の中身は空っぽっすよ」
コロの言葉を受け取って、ヒィーコは吐き捨てる。
「信頼すべき相手をきちんと見極めなきゃ、後悔するっす。まずは強くならないと、自分を守る鎧も敵を倒す槍も、自分の手で持って振るわないといけないっすよ。そうして力を得て初めて、誰かに認められることができるっす」
強い言葉が語られる。おそらくはヒィーコ自身の何かしらの経験談。そこから得た教訓が、実感のこもった口調で告げられる。
「自分の心を預けるのに、自分の背中を預けるのにふさわしいパートナーを、あんたは改めて探すべきっす。あのお貴族様に、あんたの強さはあんまりにももったいないっすよ。……決定的にだまされる前に、あんたはあのお貴族様とは決別するべきっす。あのお貴族様はクソ弱いっすけど……だからこそ、厄介っす」
「……別に、わたしはリルドール様の強さに憧れたわけじゃありません」
「なら――え?」
ぽつりと返された言葉。それを聞きとがめようとしたヒィーコだったが、ありえないはずの現象を見に目を奪われた。
火。
煌煌と燃え上がる炎。
ぎこちく編まれたコロの縦ロールの中で、輝きが生まれていた。
まさかの光景に、ヒィーコは戦闘中だというのに忘我してしまった。
「戦うことしかできない強さが、なんだっていうんですか。強くなったって、得られるものなんてなんにもなかったんです……」
「炎……縦ロールの中に?」
「でも、それでも、だからこそ負けません。絶対に、負けられません……っ」
想いが魔法を発現させるというのならば、それはコロの中にもあったのだ。
リルと出会ったとき、その種火はできていた。
小さな種火だったそれが、縦ロールの中で大きく燃え上がる。
「だって、負けたらなにも残りません。戦うことしかできない私が、負けるわけにはいかないんです!」
それは、意志あるものが紡ぎだした魔法だった。
炎を背負った彼女の瞳は強い。それに射抜かれたヒィーコは、表情を険しくさせる。
絶対的優位はもうない。自分は負けてもおかしくない。縦ロールに炎を宿したコロを見て、ヒィーコはそう判断する。
「魔法を、この土壇場で発現させるっすか」
「負けれません……勝つんです、わたしは! わたしは、負けないためにっ。わたしは、戦うことしかできないわたしはっ!」
言葉では語れないほどの想いが点火し、爆発した。
「それ以外に、証明できる自分がいないから!」
ごうっ、と炎が燃え上がる。くるりとまいたロールの毛先から、炎を吹き出す。噴き出す力を推進力に変える。踏み出す力と噴き出す力、二つを一つに合わせて束ねて直進する。
ただ、まっすぐに。
炎を攻撃手段とせず、己の動きを増幅させる推進力とする。
真っ赤な炎を噴き出し、一直線に向かってくるコロにヒィーコは獰猛に笑う。
「あんたは、本当に面白いっすね!」
ヒィーコとて、戦うことに命を懸けた戦士だ。すべてをかけて迷宮に挑む冒険者だ。強くなるためだけに、己が身を危険にさらすことを決めた豪傑だ。強敵の出現に、怯えるよりもまず心を躍らせる。
弱い者いじめより、よっぽど楽しい依頼になったではないか。
テンションをはねあがげたヒィーコは、昂った心のままコロの突進を槍で迎撃する。コロの動きは、先ほどよりもさらに二段階三段階は一足飛びに早くなり、力強さも跳ね上がっている。それを受け、いなし、反撃しながらヒィーコは好戦的に笑う。
動きそのものは、もはや完全に互角。だが二人にはまだ埋まらない差があった。
ヒィーコは全身に魔力装甲を纏い、武器も魔法で強化されている。それに比べてコロは生身に近い装備で、武器も粗悪品だ。
互いに打ち合えばまず先に壊れるのは、コロの武器である。
それを悟りつつも、コロも受けざるを得ない。ヒィーコの苛烈な連撃は、すべてかわせるほどやさしくはない。ヒィーコはコロを打ち倒すよりもまずは武器を叩き折るほうに戦術をシフトさせる。
「あんたの才能は認めるっす。でもっ」
何度目のぶつかり合いにだったか。使い古した安物の剣は、とうとう音を立てて半ばから折れた。
「それでも超えられない壁があるっすよ!」
武器を失ったコロは、大きく飛びずさる。
間合いを切ったコロは、ヒィーコを睨み付けながらも肩で息をしていた。
コロの動きは、明らかにレベルの分を超えている。
いくらレベルを上がった人間が進化しているとはいえ、限界はある。あんな動きを続ければ、コロの体力がもつわけがない。いつ潰れて倒れてもおかしくないはずだ。
事実、コロはもう疲労困憊の状態だった。
だが、それでも瞳に宿る戦意だけは衰えない。
「壁ですかっ。そんなもの、ぶち抜いて見せます!」
ヒィーコの挑発を弾き飛ばすような勢いで声を張る。
それに応えてやろうと笑って槍を構えるヒィーコだったが、ぎろり、とにらみつける瞳、ぎくりと身をすくめる。いまヒィーコをにらみつけたのは、コロではない。
コロの、巻かれたポニーテール。いままで、その中で炎が燃えていた。その縦ロールの中で燃えていたのがコロの魔法だった。
だが、いまは、髪自体が炎と化す。
炎が、とぐろを巻いた。それが一個の生命体であるかのように、ずるりと動きヒィーコに敵意を向ける。魔法によって燃え盛る灼髪と化した炎が、ヒィーコをにらみつけて牙をむく。コロの敵意に、本能に応えるように、いや。本能そのものが具現化したような強烈なプレッシャーをもって動き出す。
龍。
宝玉のような瞳を煌々と光らせる、伝説上の存在。
「限界なんてものは知りませんっ! いらないんです! わたしは絶対に、勝ちます!」
ヒィーコをにらみつけた龍が蠢いたのは、一瞬だった。コロの肩口から前に出た後に、元の縦ロールに戻る。コロ本人すら気がついていないような短い現出だった。
そうして、今までになくコロの髪が輝きを放つ。
「……はっ! こっちも出し惜しみはなしで行くっすよぉ!」
ヒィーコがひるんだのも一瞬だけ。すぐに持ち直し、戦意を奮い立たせる。
まだ終わらない。武器をなくしてなお手が尽きないコロに、ヒィーコも奥の手を放つ決意を固めた。
「変形・撃槍」
唸ると同時に、ヒィーコの体を覆っていた装甲がパージし手に持つ槍へと集中する。そうして人の身の丈に迫るほどの巨大な槍が出来上がる。
防御を捨て、魔力装甲のすべてを攻撃力に傾ける。その身を捨てて得る、最大瞬間火力。まさにヒィーコの全力全開。正真正銘、出し惜しみのない一撃だ。
ヒィーコの魔法を槍にすべて注いだその威容。あふれる出力は離れたコロにも伝わってきた。
コロは、それでもなお恐れない。
目の前の試練を、障害を乗り越えるために、その縦ロールに火を宿す。
「あなたが壁というのなら――」
恐れずに前だけを見つめるコロの、溜めに溜めた炎が爆発する。
「燃え尽きろぉおおおおおおおおおうぁああああああああああああああああ!」
閃光が、はじけた。
コロの肩口から前に垂れた縦ロール。その先を噴出口にして、圧縮された炎が白熱した一陣の光と化してほとばしる。
発射の反動に耐え切れず、コロの体が後ろに吹っ飛ぶ。
具現化させた龍を圧縮した炎は、その身を圧倒的な熱に変え爆発的な威力でヒィーコのもとに殺到する。その熱量をまともに受けたら、ヒィーコとてひとたまりもなかっただろう。まさしく一撃必殺。手に持った槍でも、相殺できたかどうか。コロのレベルではありえないほどの強力な攻撃だった。
その、どこまでまっすぐに熱く燃える一撃は
「……いつから」
巨大な手にさえぎられた。
「え」
巨大な右手に、コロの想いは握りつぶされた。
ヒィーコの目には、圧倒的な信頼が宿っていた。その右手が絶対に自分を守ってくれるものだと信じて疑っていなかったのだ。
だからこそ防御を捨て、攻撃にすべてを注いだ。コロが攻撃して無防備になるその瞬間を狙っていたのだ。
最初から、この戦いは二対二だったのだから。
「いつから、一対一だと勘違いしてたんすか?」
ヒィーコの言葉すら素通りして、コロの視線が逸れる。
コロの一撃を防いだ、巨大な右手を動かしている人物。リルと戦っているはずの男。
おそらく、その男の魔法によるものだろう。傷だらけの右手を物理的に大きくして、彼はヒィーコを守っていた。
「悪いな。守るためのこの手が、そう簡単に燃え尽きちまったら困るんだよ」
そうつぶやく彼の足元には、リルが力なく転がっていた。
「少しだけ、見守っていたい気もしたんだがな」
「リルドール、様……」
それは、決定的な隙だった。
いままで戦って、格上のヒィーコに一度たりともさらさなかった隙が、見逃されるはずもない。
それがどんな攻撃であっても、ギガンが防いでくれる。最初から相方に絶対的な信頼を寄せていたヒィーコは、最大までに強化し攻撃のみに力を注いだ槍を振り上げる。
「これで終わりっすよぉおおおおおおおお!」
遠方から投擲された槍が、余波をもろともに巻こんで、コロの体を打ち据えた。