第百八話
何も知らない人から見れば羨望の対象でしかないクラン『無限の灯』だが、その内情は決して優れているわけではない。
なんと言っても新興クラン。組織が確立されているとは言いがたい状態であり、特に事務関係は日々てんやわんやとしている。メンバーだって全員が志を同じくしている一枚岩、というわけでもないのだ。
特に反目や衝突をしているわけではないが、メンバーの種類がおおまかに三つに分かれているのだ。
一つは、リルとコロとヒィーコの三人。
クランの内部メンバーはもとより、世界の誰しもが認めるトップメンバーだ。特別な人達であるという認識に揺るぎはなく、畏敬されている。
もう一つが、創設の初期メンバーだ。カスミを筆頭にした五人。パーティーこそばらけているが、特にエイスやウテナなどが特出している。リーダーだったカスミは後方に下がったが、彼女にしたって上級上位の一歩手前。『栄光の道』でいえば、マスターを勤めているフクランに匹敵する実力者だ。テグレとチッカの二人も若いながらも堅実な実力者として認められている。
そして最後が『栄光の道』から編入してきたメンバーだ。
彼らは実力は申し分なく、人格も優れた者ばかりだ。だがもとが他のクランだったという面もあり、本人たちも完全に馴染んだとは言えない雰囲気があった。事務方ならば一日の長があるため己の有用性を確信できるのだが、冒険者として出向のような形で編入した彼らは自分たちがクランの足を引っ張っているのではないか、あるいは自分たちがこのクランにどんな貢献ができるのかと懊悩していた。
そしてそこに分類されている一人の少女、ニナファンもまた、その例に漏れなかった。
***
「私って、存在感が薄いのかな」
七十五階層の攻略に挑んだ帰り。ギルドのフリースペースでウテナとエイスを交えて軽い反省会をしている最中に、ニナファンの口からぽつりと、しかし切実なつぶやきが漏れた。
「なにをいってるのかな、ニナファン」
「存在感が薄いって……パーティー的には、ニナファンは超重要だけど……?」
ニナファンのつぶやきに答えたウテナとエイスの言葉は慰めでもなんでもない。ニナファンは魔法の効果によって、スティレットの突きを増大できる。レベル七十を越えてなお攻撃力皆無のエイスと、攪乱は得意なものの重量のある攻撃手段を持たないウテナ。その二人とパーティーを組んでいる大型の魔物すら貫ける攻撃力を持つニナファンは、この三人の中で唯一決定打を持つアタッカーとして欠かせない。
だがニナファンの表情は晴れない。
「ううん、そういうことじゃなくて……なんというか、普段の私って存在感が薄くないかなーって」
「別にそんなことないよ? ね、ウテナ」
「うん……存在感ないと思ったことはない……」
やはり得心がいかないようで、エイスもウテナもニナファンの言いたいことを掴みかねている。
「ニナファンってコミュニケーションとるの積極的だし、訓練とか探索とかにも前向きで、みんなに好かれてるよ?」
「うん……どのメンバーにも分け隔てなく交流があって、リルドールさんとかコロネルにも普通に信頼されてる……」
「それっ。それなの!」
バンッと机を叩いて立ち上がったニナファンに、二人はびくりと肩を震わせる。
「そ、それって?」
「その普通っていうのが嫌なの!」
普通。
それがニナファンは嫌なのだ。
「えっと……」
「どういうことか、よくわかんないんだけど……?」
「だって普通って普通でしかないじゃない。つまりは平均、よくて中の上。私はいつか、リルドールさんとかコロネルちゃん達とも肩を並べて戦えるようになりたいのに……」
激しかった語調が徐々にトーンダウンしていく。
「今のままじゃ、普通って言われるようじゃ、あの人たちに追いつけっこないじゃん……」
ニナファンは自分の実力に自負がある。同じパーティーを組んでいるエイスやウテナに決して劣っているわけではない。
なのにここ一番で活躍するのは、やはりエイスやウテナなのだ。
自分には何かが足りない。それは、いわゆる自分らしさや個性といった部分ではないのだろうか。それが迷宮探索にも影響しているのではないだろうかとニナファンは悩んでいるのだ。
「わたしも、エイスやウテナみたいな個性が欲しいなぁ」
「え? わたし普通だよ?」
「エイスの寝言はともかくとして、私は普通だから……」
こうも億面もなく自分が普通だと言い切れるようなナチュラルに尖った個性が足りないのではないかと、ニナファンは思い悩んでいた。
***
「個性ねぇ」
思い悩む少女ニナファンは、古巣のクランのマスターに就任したフクランにも相談をしていた。
相談を受けたフクランはしげしげとニナファンを見る。
「ま、お前もそういう年頃だよな」
「なんですか、それ」
感慨深げなフクランの助言とも言えない感想に、ニナファンはぷっくりと頬を膨らます。
「いや、そういうことに悩むあたりそういう年頃だとしかいようがないよ。でもちゃんと周囲に相談できるのは偉いな、うん」
あ、これはあれだ、とニナファンはジト目になる。
少年少女の悩みをすべて「思春期だから」と言って真剣に聞かず「若いっていいねえ」とニヤニヤ笑ってその癖なんの実りもないことばっかり口だししてくるダメな大人だ。
「いままで順調だったニナファンも思春期かぁ。若いっていいねえ。いいかぁ、ニナファン。自分らしさってのはな、わざわざ探すようなものじゃ――」
ほらきた。
ニヤニヤ笑いまで予想通りの反応に、ニナファンはぼそりと一突き。
「……フクランさん、おっさんくさい」
「――!? なっ、ちょ、お、おっさんって……いやそうかもしれないけど……!」
魔法で増幅するまでもなく、ニナファンの言葉は二十代後半にさしかかるという微妙なお年頃のフクランの胸をえぐり取る致命傷だった。
***
身近な人に悩みを相談してみたが、解決のメドすら立たない。特に大人連中はダメで、どいつもこいつも面白がるような顔をしたあとに、したり顔で説教じみた言葉をかけてくる。
こうなればと、ニナファンは自分が知るもっとの個性的な二人へと相談を持ちかけた。
「えーっと……」
「個性、ですの?」
「そうです、リルドールさん、コロネルちゃん」
わずかに困惑した様子のリルとコロに、ニナファンは力強く頷いた。
リルといえば五本の縦ロール。コロといえばポニーテールにくくった縦ロール。もう迷宮の九十九階層に到達しているという彼女達の武器が縦ロールなのだ。
これは縦ロールにこそなにかあるとニナファンは目を付けた。その何かがわかれば、自らも縦ロールにすることすら辞さない覚悟だ。
「わたし、二人みたいに強くなりたいんですっ。見た感じ、個性が強烈な人ほど魔法が強いんです。リルドールさんは、いつ縦ロールを習得したんですか!?」
「いつと言われても……そうですわね」
勢いづいたニナファンにやや気圧されつつ、リルは記憶を探るように宙に視線をやる。
「初めては……十歳くらいの時だったような気がしますわね。これといった理由もありませんでしたわ。何かのパーティーで着飾って、せっかくだからと髪を巻いて、お父様からも珍しくお褒めの言葉をいただいたんでしたわ。……ああ、そうでしたわね。それが嬉しくて、それから縦ロールにするようになりましたわね」
「なるほど……」
語りながら思い出すこともあったらしくリルは懐かしそうに目を細めている。
聞いていて微笑ましい思い出ではあるが縦ロールをし始めた契機が特別だというわけではないらしい。親に誉められたらことを継続するという子供心だ。
ならばとニナファンはコロへと視線を移した。
「コロネルちゃんは?」
「わたしの初めてはリル様でした!」
「いま思い返すと、それも懐かしいですわ」
「あ、やっぱりそうなんですね。どんな感じだったか、聞いてもいいですか?」
「それは構いませんけども、ニナファン」
「はい?」
二人の思い出話を聞きたいとせがむニナファンに、リルは忠告する。
「わたくしやコロは、別に髪型を縦ロールにしたから強くなったわけじゃありませんわ」
真剣なリルの言葉にニナファンは息を飲む。
「そうですね。わたしだったら、リル様に憧れて魔法を発現しました。そのきっかけが縦ロールだっただけです」
「そういうことですわ。わたくし達にとって、縦ロールは象徴的で自分の思いと切っても切り離せないものですけど、あなたは違いますでしょう? あなたの想いは、なんですの?」
言葉に詰まるニナファンへ、リルとコロの二人ともが、ー驚くくらいに真摯に大人びた助言をする。
「ニナさん。一番大事なことが、一番力になりますよ」
「よく考えなさい。あなたにも、あなたの魔法があるのですわ」
***
色々と思い悩み相談してみたものの、これといった解決策には至らなかった。
「はあ」
一突きで魔物を塵に変えたニナファンは、憂鬱に息を吐いた。
自分の魔法か、とニナファンは自問する。
魔法を得た想いの切欠は今も忘れていない。四十歳を超えたニナファンの両親が冒険者を引退したことを契機に、ならば自分も前に突き進みたい、親の最終到達点階層を超えたいと強く想ったからこそ、ニナファンの魔法は自分の突きを増大する魔法として目覚めた。
いまも忘れていない想いで得た魔法で巨大な魔物を仕留めたニナファンは、じんめりと一言。
「我ながら普通すぎる……」
「まだ悩んでるの?」
「うん。やっぱりね」
七十五階層を超えたことで、ニナファンのかつての思いは叶えている。しかしニナファンはまるで満足していなかった。
冒険者としては両親の功績を超えたいま、リルとコロという新たな目標を見つけたのだ。そこまで突き進んで行けるような強さが欲しい。
「もっともっと強くなりたいんだ、わたしは」
「ていうか、ニナファンは悩む必要ないくらい普通に強いし意欲的で貪欲だし、なにが不満なのか……?」
「二人は悩む必要がないくらい個性があるからそんなこと言えるんだよ」
「だからわたしは普通だって。人をペットにしたがるようなウテナと違って!」
「ピーちゃんちょっと黙ろうか……」
「その呼び名はやめてよ! トラウマなんだよ!?」
自分でほじくりかえしておきながら涙目になるエイスには苦笑いだ。
「あーあ、やっぱりうらやましい」
ウテナとエイスの個性の押し付けあいに肩をすくめながらも羨望する。
そんな風に、まるで普通の日常かのような雰囲気が漂うその場所は、迷宮の七十六階層の佳境。普通では到底辿り着けないと言われている下層域。
そこで己の武器たるスティレットを握りしめて一言。
「なんで私、こんなに普通なのかなぁ」
己が普通だという普通の悩みに悩まされる普通の少女ニナファンは、普通のままで常人不踏の階層を踏破し、やがては深層域まで突き進もうとする、ちょっと普通にはほど遠いのに普通な少女だった。




