第十一話
迷宮の探索は順調だった。
迷宮は二十層までは人にとって既知の部分が多い。下に降りるだけなら先人が歩いた道筋を降りればいい。ほぼ決まったそのルートは人もよく通るため、魔物との遭遇率も低い。
だから五層を超えて六層まで、苦労らしい苦労もなくコロとリルは降りることができた。より正確にいうならば、ここまで大して苦労もなく降りることができてしまった。
「楽勝でしたね」
「そうですわね」
コロの楽観的な言葉にリルも同意する。
ここに来るまでにコロはまたレベルを一つ上げていたが、レベルと実力はどうあれ、周りの状況を考慮できない二人はまぎれもなく初心者だった。
「にしても、あなた昨日といい、今日といい、どうしてわたくしの頭を抱き枕代わりにしますの」
「あ、あはは」
じとりとした視線に、コロはあいまいに笑ってごまかす。
「な、何ででしょう……」
「なんでもなにも、あなたがやっていることでしょうに」
「あ! きっとあれですっ。リルドール様の頭がすっごく抱えやすい形なんだとおもうんです!」
「そんな戯言でごまかされると思ったら大間違いですわよ」
そんなことを言いつつ、ちょっと機嫌がよくなっているあたり、根っこから単純である。追及するのもやめて、前に進む。
「そういえば、コロはどうして冒険者になろうと思ったんですの」
「はい?」
リルの問いに、コロはきょとんと目を瞬かせる。
「『はい?』ではありませんわ。冒険者になった理由です。なにかあるでしょう?」
「はあ。理由、ですか」
再度問われても、まだコロは得心がいかない様子だ。
ううん、と首をひねっていたが、それでもぽつりぽつりと語り出す。
「理由っていうほどのものじゃないですけど、ええっと……わたしって、戦うことしかできないので」
「戦うことしか、できない?」
「はい。わたしって学がないので読み書きもできませんし、世の中の難しい仕組みこととかさっぱりで、身寄りもないし、住めるような家もなくて……あはは。なんにも、ないんです」
自らを卑下したコロは、何かをごまかすように笑う。
「そんなわたしだから、山を下りた先にあった村でも居場所がなくって馴染めなくて、もちろん都会に来たからって仕事にありつけるわけもなくって……でも私、戦うことだけは得意で、だから冒険者になろうかなって。戦うだけなら怖くないですし、わたしでもできるので、生きるためにはこれしかなかったんです」
闘うだけは怖くない。生きるためにはこれしかない。そう言うコロの気持ちは、リルにはまるで理解できなかった。
リルは戦うのは怖かったし、別に生きる糧を得るために冒険者になったのではなかった。
一つの言葉も理解できないでいるリルに、コロはとびきりの笑顔を向ける。
「それでも冒険者ギルドに入るのはちょっと怖かったんですけど、そこでリルドール様が背中を押してくれたんです」
どこまで素直にあふれ出る憧憬を一心に向けてくる、きらきらと輝やかんばかりの笑み。
その笑顔を直視できず、リルはそっと視線を落とした。
「そう、でしたの」
「はい!」
やはり、聞いても理解はできなかった。
けれどもまた、じわりと何か黒い染みのような感情が広がる。
コロの話を聞いて、コロの迷宮での活躍をみて思うのだ。
冒険者として、コロの方がずっとずっとふさわしいのではないのだろうか。その才能も心構えも何もかも、自分とは比べ物にならないくらい優れているのではないだろうか。
きっと真実であるそれはリルも無自覚ながらも認めていて、けれども認めたら現状の自分の有様を認めなければいけないから、心がその認識を拒否させる。絶対に気が付くなと防波堤を築いて叫んでいる。
そうして現実を直視しないようにしている逃避は、じわりじわりと染み出す黒い感情と共に逃げ場がなくなり、己をごまかすのも限界が近づいていた。
「さて、それでは魔物狩りといきますわね。レベルの上がりたては経験値もありませんから、ケガはしないように気を付けるんですわよ」
「あ、そっか。経験値がないと、迷宮の中でもケガとか直せませんもんね」
「そういうことですわ」
六層からは、ゴブリンのような人型の魔物も出現する。動物的なだけの魔物から、悪知恵が回り群れを成すような魔物も増えてくるのだ。
コロのレベルは、ようやく七になったばかりだ。
階層の階数とレベルの適正値はほぼ同一である。六層はリルの適正範囲からは程遠いが、総合的な能力では皮肉にもぴったりだった。
そんな自覚もないリルはまずはここでコロを鍛え上げてやろうと何様のことを考え、人気の少ない脇道に入っていった。
そうしてしばらく歩き、小さな広間のようになっているところに出る。
「あ、行き止まりです。なんか部屋みたいですね、ここ」
「セーフティー・スポットですわね。こういう小部屋のようになっているところは魔物が出ないようになっていますのよ」
「へー。じゃあ、ここって魔物がいないですか?」
「あくまで壁や床から魔物が湧かないだけで、普通に入ってきますわよ? でも、出入り口を気にすればいいだけですから、通路よりはましですわ」
そんなことを話しているうちに、リルたちに続くようにして人が入ってきた。
人の気配を感じたリルがそちらを向き、顔をしかめた。
現れた男女のペアの少女の方を、リルは忘れていなかった。人を小ばかにしたような態度をとる、褐色銀髪の少女。その翠の瞳を見たリルは、不愉快な偶然にここから立ち去りたくなった。
「……別の場所に移動しましょうか」
「はい。それがいいと思います」
リルの下した判断は気分を根拠にした感情的なものだった。
だが、ぴりっとした口調で賛同したコロは、男たちを見た瞬間に直感的に判断した。
逃げよう、と。
あれは危険だと明確な危機意識をもったのはコロの才覚ゆえだ。天性による危機察知能力が、二人の敵意を敏感に感じ取っていた。そして同時に、相手との力量差も。
根拠は違えどかみ合った言葉。だが、緊張感が違った。
コロは相手が襲い掛かってくるのを半ば予期して最大限警戒していたが、リルはそうではない。基本的にお嬢様育ちのリルは、初対面の人間から敵意を持たれるという発想自体がない。
だから次の瞬間。リルは何が起こったのか理解できなかった。
「まあ、恨むなよ」
髪を短く刈り上げた男がそうつぶやいた瞬間だった。
訳も分からず、リルは何かに全身を叩きつけられ吹き飛ばされた。
大きな壁のようなものが、横殴りにリルにぶつかり弾き飛ばしたのだ。警戒していたコロですらも、一連の現象をとらえきれなかった。
「リルドール様!? ……っ!」
「あんたの相手は、こっちっすよ!」
すぐさま弾き飛ばされたリルに近づこうとしたコロに、褐色の少女が立ちふさがる。
ヒィーコだ。槍を肩に担いだ少女は、銀髪を揺らし緑色の瞳で面白いものでも見るかのように同世代の冒険者に忠告する。
「あのお貴族様を見捨てて逃げるならいいっすよ。あんたは依頼の対象じゃないっすから、見逃してあげるっす」
「……どいてください」
戯言は一顧だにせず、コロは猛獣さながらの目で凶暴に相手をにらみつける。
「ん? 逃げないっすか。聞いてたっすけど、あんた、昨日の時点でまだレベル六だったんすよね。あたしは、レベル十二っすよ?」
「どいてください、といいました」
レベルを出して実力差を暗に知らせるヒィーコの問いに、コロは低く唸るようにして答える。
手負いの猛獣が放っているかのような、むき出しの敵意。それを受けたヒィーコもまた、歯をむいて笑う。
「はんっ。肝は据わってるっすね」
「どかないなら――」
「しかも好戦的。そういうの、嫌いじゃないっすよ!」
「――どいてもらいます!」
飛びかかるコロを、ヒィーコは笑って迎え撃った。
コロとヒィーコが闘いを始めた場所から少し離れたところで、リルはむくり、と立ち上がった。
何かに弾き飛ばされたものの、動きに支障が出るようなことはなかった。衝撃の瞬間こそ痛かったが、そこまで重大なダメージは負っていない。
「……何者ですの」
「誰でもいいだろ? 通りがかりのごろつきだよ。それ以上でもそれ以下でもねえさ」
「ふんっ。名前も名乗れぬ下賤ですのね」
「そうだな」
リルの無自覚な挑発に、男は特に何も感じた様子はない。
髪を短く刈り上げた屈強な男だ。鍛え上げた隆々たる体をさらしているが、ただの素手で迷宮に挑んでいるとでもいうのだろうか。武器を携帯している様子はない。
ある意味では冒険者らしい男の風体は、リルからすればまさしくごろつき以外の何物でもなかった。
「……わたくしを、王国貴族の一員と知っての狼藉ですの?」
「知ってるよ。だからこそ、あんたの冒険はここで終わらせてもらうぜ。はしゃぎすぎだ。心配されてるんだよ」
「誰かの差し金、ということですのね。依頼者は誰ですの?」
「どこの誰かは俺も知らねえよ。こういう依頼は仲介が入ってることも多いしな」
リルの問いに、今度はごまかさなかった男はあっさり答えを返す。
迷宮探索は命の危険が付きまとう。上流階級の人間が迷宮探索に手を出そうとするとき、その親族は決して良くは思わない。冒険者家業に深くのめりこまないよう、冒険に夢見る心を折るために他の冒険者を使って邪魔をすることはよくあることだ。
そのぐらいの噂は聞き及んでいたリルは、顔をしかめる。さしずめ、最有力者は父親か。どこまでも邪魔をしてくる最も身近な親族に、リルは顔をゆがめる。
「まあいいですわ。あなた達を打ち倒せば、それでいいことですもの」
「本気で言ってるなら大したもんだな」
無自覚で相手を見下し高慢な態度を崩さないリルに対し、男は冒険者らしからぬほど理性的だった。
とはいえ、しょせんはこんな階層にいるような冒険者。たかが知れているだろうとリルは考えていた。
「ああ、そうだ。始める前にいいこと教えてやるよ。嬢ちゃん、あんたのレベルは十五らしいな」
レイピアを抜いて構えたリルに名乗らなかった――正確には、リル相手では名乗る必要も感じなかった男は淡々と事実を告げる。
「俺のレベルは、二十五だ」
そのレベルは、中級中位に至ったものの適正値。
二十階層の艱難を制した、こんな低層にいるはずがない冒険者。表情を驚愕に染めるリルの前に立ちふさがったギガンは傷だらけの拳を握る。
「さあ、行くぜ。あんたのお遊び、終わらせてやるよ」
リルとコロ。
冒険者になった二人に立ちふさがる、最初の試練が始まった。




