第十話
「はい。確認いたしました。本日は一万ユグになります」
「やった!」
返却された冒険者カードを受け取ったコロが、嬉しそうに飛び跳ねる。
「リルドール様! すごいです! 桁が変わりました!」
「え、ええ、そうですね」
金額の桁が変わったのは不思議なことではない。なにせコロがすさまじい勢いで魔物を狩っていったのだ。出会い頭に魔物を逃さず切り捨てていく。その戦いに無駄はなく、ほぼ一太刀で勝負を決めていた。
今回の魔物の討伐数の比率は、七体三どころか九対一にまでなっている。もちろん、コロが九割だ。五層まで下りた結果対処のしづらい魔物が増え、リルの討伐数はむしろ下がっている。
「一万もあれば、なんでも買えますね……!」
「何にも買えませんわよ、一万ユグ程度では」
そんな金銭感覚の違いによる食い違いを話題にしつつも、リルはコロの闘いを思い出す。
レベルに見合わず異様に高い身体能力。それを十全に生かす戦闘センス。好戦的な魔物を恐れない勇気。コロはリルから見ても冒険者としての才能のすべてを持ち合わせていた。
まだ自分のほうがレベルは高い。
リルは自分にそう言い聞かす。迷宮の知識だって自分のほうが豊富だ。だから、自分が一緒にいる意味はある。そう理由をつけて自分を納得させる。
「とりあえず、次からは五層より下も探索することにしますわね」
この二日でリルとコロが探索した階層は初心者が多い。あるいは、冒険者でもない人間が身体能力を上げる為だけに最低限のレベル上げをするための階層だ。
死亡の危険が限りなく低く、ある意味迷宮の前段階でもある。
そこを超えて次の段階に進もうというリルの提案に答えたのは、コロの声ではなかった。
「やめておいたほうがいいんじゃないすかぁ。五層より下は、お貴族様の遊び場じゃないんすよ?」
ぼそっとつぶやくような野次。聞き流せばいいものを、リルは過敏に反応した。
「そこのあなた、何か言いまして?」
「いやー、なんでもないっすよ?」
ぎろりとにらみつけるリルに、野次を飛ばした人物は悪びれもなく肩をすくめた。
見ず知らずの冒険者。褐色の肌をした銀髪の少女だ。コロと同い年ぐらいだろうか。まだ少女というべき年齢だというのに、肉感的な体つきからは不思議と色気を漂わせている。
使い込んだ槍を手にもった彼女は、翠色の瞳をリルに向け相手を小馬鹿にする笑みを口元に浮かべていた。
「あたしみたいな木っ端冒険者が、お貴族様を野次るわけないっすよ。独り言っす」
「……ふんっ」
完全に舐め切られているが、リルは相手をする必要はないだろうと視線を切る。
冒険者など、そもそもごろつきのような類が多い。コロのような裏表のない素直な人間は少数派だ。
「ま、いいですわ。コロネルも、次の予定はそれで構いませんわね」
「はいっ。私もレベルまで上がりましたし! きっとだいじょうぶです」
「そうですの。いま、どのくらいまで上がりましたの?」
「レベル六です!」
「レベル六、ですの」
元気に返答したコロの数字をリルは口の中で転がす。
まだ差はある。十近いレベル差は一日二日で詰まるものではない。レベルは上がるにつれて伸びにくくなるから、ここからは急速な伸びをみせることはないはずだ。
だが、もし追いつかれたらどうするのか。追い抜かされたら、自分はどうしてしまうのか。
その先のことにそっと目を逸らしたのは、リルの悪癖だ。
「まあ迷宮二日目にしては、なかなかですわね」
「そうですか! あ、でも、まだ魔法は覚えられていなくて……」
黒く暗い感情にとらわれかけているリルを知ってか知らずか、コロがしょぼんと肩を落とす。
「憧れるんですけどね、魔法って。冒険者になったら覚えられるものだって思ってたんですけど、そういえばどうやって身に付けられるんですか?」
「魔法は、早くても十レベルを超えてからですわ。まだ、あなたが気にする段階ではありせんのよ」
「そうなんですね……そういえば、リルドール様って魔法は使えるんですか?」
「え?」
言われて、リルは慌てる。
魔法は一人につき一つ、固有の能力として発現することがあるものだ。
レベルが高ければ発現するというわけではなく、本人の資質や思いが大きく関係しているといわれる。それでもレベルを上げることによって魔法を発現しやすくなるのは純然たる事実で、大体はレベル十を超えたあたりから身に着ける冒険者が多い。
そしてリルは、レベルが十五近くになった今でも魔法を発現していなかった。
とはいえ別に恥じることではなかった。レベル三十を過ぎた中級冒険者でも魔法を習得していないものはいる。確固たる習得手段があるわけではないのだ。
「え、ええ! もちろん使えますわ!」
だがリルは、嘘に嘘を重ねる。
「こ、このわたくしが使えないはずないでしょう?」
先の結果も予測せず、ただ今をしのぐために薄っぺらい嘘を吐く。
「やっぱり! どんな魔法ですか?」
「ふ、ふふん! それはもうすごいものですわ」
必死に必死に、自分の体裁を整えるために言い繕う。それが愚かしくとも、体面を保つためだけにリルは嘘を重ねる。
「えっと……そうですわ! わたくしにふさわしく、流星のようにきらめき、この縦ロールのように美しく、嵐のように激しい流れで相手を打ち砕く、必殺のまほ――」
「ぶふっ」
二度目の笑い声。
それは、さきほどの褐色の肌をした銀髪の少女によるものだった。
「さっきからなんですの、あなたは!」
「い、いや、なんでも……くっ、ふふっ」
気分を害したリルが怒鳴りつけるが、褐色の少女はこらえきれないように笑い声を漏らす。
「す、すいません。失礼したっす……。いや、マジで悪いっすね。これは本気で反省してるっすよ。お邪魔したんで、退散するっす」
肩を震わせたまま背を向ける。
仮にも謝っている相手の肩をつかむわけにもいかず、リルは言いようの苛立ちを抱えたままそれを見送った。
笑ったままリルたちから離れた褐色の少女は、自分の尊敬する相方の元に向かっていた。
「あー、久しぶりに笑わせてもらったっす。見栄っ張りもあそこまでいくと体を張ったギャグっすね」
「いつまで笑ってんだ、ヒィーコ」
肩を震わせギルドの受付に近づいた少女を、いかつい青年が出迎える。鍛えあげた上半身を晒し、髪を短く刈り上げた男だ。
「いや、だって兄貴。あれは笑うっすよ。冗談抜きで大道芸でやってけるレベルの笑いをあたしに提供してくれたっすもん」
「お前の笑いの沸点が低いんだよ」
「いや、だっていまおもいだしても――くくっ」
「いい加減笑い止め。話もできねえだろ」
まだ笑いの波が収まっていない少女に、男は呆れ顔を向ける。
ヒィーコと呼ばれた少女は、再度言われてようやく笑いを呑み込んだ。
「……ふう。うっし。大丈夫っすよ。それよりも報告っす。どうもあのお貴族様、無謀をやるっぽいっすよ」
「やっぱりな。五層より下、か」
呟いた階層は、その男の適正階層から大きく隔たっている。五層なんていう低階層は、男はとっくの昔に置き去りにした階層だ。
リルたちが潜る予定である階層のことだが、あそこまで大きな声でやり取りをしていたのだ。機密も何もあったものではない。
「そうか。様子見はこれまでだな」
「そうっすね。こそこそするのもお終いっす」
「……ギガンさん」
受付でその会話を聞いていたセレナは、会話に割り込むようにして彼の名前を呼ぶ。
「あまり、いい趣味とはいえません」
僅かに咎める口調になったセレナの声は硬い。だがギガンは必要以上の反応を見せず、あっさりと言い返す。
「心外だな。趣味でこんなことしてねえよ」
「そうっすよ。よくある依頼っす」
「……」
二人の言葉にセレナは沈黙する。
ギガンが請け負っている依頼は、確かによくある類のものだった。
それでもギガンが受付にいるセレナに報告したのは筋を通すためでもある。二度リルの冒険の受付をした彼女にわざわざ話を通したのは、彼の義理堅さと用心深さを示すものだった。
「いまから俺たちのやることにギルドは関わらない。そうだろ?」
「限度はあります。それを承知の上でしたら、ギルドは関知いたしません」
「それだけ言ってくれれば十分だ。じゃあ、俺たちも明日は六層に潜るからな。下見は必要だ」
「……かしこまりました」
傷だらけの右手をひらりと振って立ち去ったギガンとそれについて行ったヒィーコを見送って、セレナは息を吐く。
「試練こそが、人を鍛える……」
それは、ある最強の冒険者が掲げた理念だ。
困難を、苦難を己の成長するための糧とする考えだ。人が進化する迷宮の本質を表す言葉でもある。
だが、それでも。
「リルドールさんといまのコロさんでギガンさん達を相手にするのは、試練にもなりませんね」
呟くセレナの声には、諦観が込められていた。




