第九十九話
ギルドの訓練室には、コロとリルが残された。
リルは静かにコロを見据えた。コロは彼女らしくもなく、うつむいたままだ。自分がどんな状態か自覚しているかどうかすら怪しいほどに自失している。
コロの失調には他のメンバーも気が付いていた。いつも笑顔が絶えないコロが、顔面を漂白されたかのような表情になっていたのだ。ヒィーコやカスミは気を使ってコロとリルが二人きりで話し合う時間を作ったのだ。
リルがワカメになっていた時、コロがそのよすがだった様に、きっとコロの不調はリルが何とかしていくれると二人の絆を信じて、リルのクランマスターとしての業務を肩代わりすることで短いながらも時間を作り出したのだ。
コロは、リルと顔を合わせることもできなかった。
これから闘わなければいけない。あのクルック・ルーパーと、生死をかけて戦わなければいけないことは、コロも理解していた。誰が見ても彼は悪人で、コロとリルの大事な関係者のアリシアをさらっていきさえした。倒す理由はいくらでもあって、躊躇うことなどするべきではない。それほどの相手だ。
でもコロは心の奥底で、いまだに彼と戦いたくはなかった。
コロにとって、彼はまぎれもなく生まれて初めて会話をして交流した人間だった。心を許すことができる人だった。
それが倒さねばならない敵として立ちふさがった今、コロはまるで迷子のようだった。どこに行けばいいのか、何をすればいいのか、目的地も見えていない。
「コロ」
リルが声をかけただけ、コロはびくりと肩を震わせた。
何かに怯えているようだ。その何かを、リルは理解していた。
「あなたは、今回の戦いに参加しなくてもよろしいですわ」
内容だけ見れば冷たく、しかし語調は優しく穏やかなリルの言葉に、コロはばっと顔を上げる。
心のどこかで望んでいた言葉だ。そこには、優しくコロを見守るリルがいた。
「な、なんで……アリシアさんが、さらわれちゃったんですっ。三人揃って来いって、クルクルおじさんは……だから、わ、わたしも……!」
「無理はやめなさい。あの男はたぐいまれな悪党ですけれども、あなたにとってどういう存在かわからないほど、わたくしは愚かではありません」
ほんの少し開いていた距離を詰めて、そっとコロの背中に腕を回す。迷子の子供を出迎えるように、リルはいつくしむようにコロを抱きしめ、ぽんぽんと優しくあやすように背中をなでた。
一瞬硬直したコロは、くしゃりと泣きだしそうな顔になる。張りつめていた感情が、堰を切ってなだれだしそうになる。こぼれかけた涙、漏れそうになった嗚咽を、コロはぐっとこらえる。
クルック・ルーパーが凶行に及び己の名を語ったあの時からコロはずっと傷ついていたのだ。
大切な人が、見知らぬ人を傷つけ殺してしまうような人だと知って、計り知れないほどの痛みを胸に与えられていたのだ。
「あの悪党がなにを言おうとも、アリシアはわたくしが必ず助け出しますわ。だから、あなたが無理をする必要はありません」
コロの心を見通しおもんばかって、つらいのならばすべて自分にまかせて見せろと言い切る。
その言葉は力強い。コロにとって、リルは絶対に嘘なんて言わない人だ。やるといったからには、リルは必ずやり遂げるだろう。
リルに抱き着いたコロが、背中に回した手をぎゅっと握る。
「リル様は……少し前、お父さんと、話したんですよね」
「ええ、そうですわね」
ゆっくりとコロの頭をなでる。その感触に、コロは甘えてしまいそうになる。リルの懐は広く、その背中は大きい。思わずもたれかかってしまいそうだ。大事なことも自分の思考も全部をリルに任せればうまくいくんだと。そう思ってしまうほどに頼りになる感触だった。
リルに抱きかかえられたコロが、ぽつりと問いかける。
「どうでしたか?」
「……見ていたつもりで見ていなかった側面が、知っていたつもりでまるでわかっていなかったことに気が付きました」
離れがたい心地よい感触。コロの知る限り、世界で一番安全な腕の中。
リルに抱きかかえられ守られたコロは、そこから半歩そっと離れ、まっすぐリルと目を合わせる。
「わたしも、クルクルおじさんと会います。会って、話してみます」
一人で立ち上がり、自分の意思で、自分のやるべきことを口にする。
「わたしはあの人のことを、きっと全然知らなかったです。あの人に甘えて、知ろうともしなかったんです」
「詮索には、必ずしも望んだ反応が返ってくるとは限りませんのよ?」
「それでもです」
リルは自分の親と面会しなおして関係をより良い方向へと修正できた。
だがクルック・ルーパーと再び出会ってコロがさらに傷つかない保証などない。あれは、疑いようもなく悪党だ。今回の一連の凶行がコロのためを思ってだとかそういう理由ではないことだけは確かである。
「わたしは、世界に輝くリル様の、妹分なんです。逃げてばかりじゃ、いられません!」
強く強く、コロは笑う。
そうか、とリルは思う。やっぱり、そうなんだなとコロを見て感じる。コロの強さを感じて、思わず微笑む。
だってリルは、知っていた。
コロが折れるわけがないなんて、あの時コロの炎で照らされてからずっと、リルが世界で一番よく知っていたことなのだ。
リルが手を差し出す。コロは迷わずその繊手をとって握りしめる。
「行きますわよ、コロ」
「はい、リル様」
コロとリル。
世界に輝くその二人は、そうして横に並んで困難をも光で照らしだすために歩き出した。




