第九十八話
ニナファンは『栄光の道』の創設期からクランに所属している一族の子供だ。子供の頃から冒険者になることを望まれ、親の背中を見て育ったニナも自ら冒険者になることを選んだ。戦闘面でも英才教育を受けている。今まであまり自覚はなかったが、生まれからして冒険者のスタートを切ることに関しては恵まれた立ち位置にいた。
そんな経歴のニナの見ている前で、リルがレイピアを振るっていた。
迷宮零階、王国の間にある訓練室。クルック・ルーパーという暴威が通り過ぎた後のギルドは混乱のるつぼに陥っていたが、リルはそんなものは関係ないとばかりに訓練室を確保してレイピアを振るっていた。
へたくそなレイピア。それを一心不乱にふるっていた。
「あ、やっぱり強く握り過ぎです」
リルの未熟な一振りに、ニナが指摘を入れる。
ニナは武器としてスティレットを使用している。同系統ということで、リルからレイピアのフォームを見てくれと頼まれたのだ。
「む、こうですの?」
「そうそう。そんな感じです。脱力からの握りが大事なんですよ。あと、腰を横に回すのは違います。突きが主体なんですから、縦に回してください。じゃないと、握ったところから切っ先まで、力が届かなくて逃げちゃいます」
「……縦に? 腰は縦には回りませんわよ?」
「あくまでイメージなんですけど、横に回すと踏み込みの力まで横に逸れるんですよ。震脚……ええっと、踏み込みの力って縦に跳ね返って来るので、それと合わせて力を前に出すために腰も縦に回す感じです。こんな感じ!」
「……わかりましたわ」
ニナが見本にと素振りをしてみれば、わかったようなわからないような、なんとも微妙な顔をされた。実感したとはいいがたい反応ながらも、リルはまた素振りに戻る。
「本当はもっと体を細分化して、その連結がカチリとまっすぐになるようにするか、究極、体の力が水になって、切っ先に雪崩れるようにできればいいんですけど……それは私もまだまだ無理です」
「……難しいのですわね」
「はい。武芸は地道に精進あるのみです」
「そうですわね」
ニナの見ている前でリルが反復練習に戻る。
握りから、一からやり直すように。
リルは愚直に、ひたすらにレイピアを振り続けた。その動作はニナの目にはまだまだぎこちなく、言ってしまえば未熟に見えた。
けれどもリルは、その未熟さを恥じることなく晒して、一歩前へと進む。
この愚直さが、彼女をここまで押し上げたのだろうか。自分が届かぬ高みにいる人の努力を見て、ニナの感情がざわりと波立つ。
「でも、どうしたんですか突然。指南してほしいなんて、光栄ですけど驚きました」
「握りからやり直せと言われたからですわ」
なるほど、意外に素直な人なんだな。クルック・ルーパーとの戦いを映像で見ていたニナは感心する。
素直なのか、それとも負けず嫌いなのか、あるいはその両方か。力が及ばなかった。自分より強い人がいた。それは普通のことだ。多くの人々にとって、自分より優れた人が見上げきれないほどいる。自分より強い人間がいることなんて、ニナにとってはとっくの昔に認めていた事実だ。
リルはそれを認めて、けれども諦めてはいない。
「それに、あなたはコロに選ばれた一人でしょう? 同じクランメンバーになるなら、少し親交を深めてもいいかなと思ったのですわ」
「……なるほど」
リルが、レイピアをもう一振り。その動作は、言葉と一緒にニナの胸に突き刺さった。
思い返してみれば、ニナはいつも当然のように教えを乞う立場にいた。聞けば教えてくれる。いつだって自分の欠点を指摘し、育ててくれる人たちがいる。大クランのメンバーの子供だったニナは、そういう立場にいたのだ。
だが、この人はどうだろうか。
自分でクランを打ち立てて、大クランを打ち破った人。まるで前例のない魔法を見事に使いこなしている人。ニナはリルをそんな人だと思って、ただすごいなと漠然と思っていた。
けれどもリルは、それだけではなかった。
「……」
リルがレイピアを振るう。不器用な動きを見れば、おそらく体を動かすこと自体に向いている人ではないなと察することができる。人によっては、さっさと見切りをつけて捨ててしまうほどに、リルに剣の才能はない。
けれどもリルは、レイピアを振るうのだ。
ニナはぎゅっとスティレットの柄を握る。
ニナは、自分より才能がある人をたくさん見てきた。コロなどはその筆頭だ。そうした人々と自分を比べて、知らず知らずのうちに、自分はまあそれなりだな、そこそこの才能があって、まあまあ使える能力を持っているなと納得し、切って捨てていた。
でも、自分の得意なことだけを、楽しいことだけを磨くのではない人がそこにいる。言われたことをやって、聞いたことだけをこなしているだけではない人が、ニナの前にいる。
自分は、この人の仲間になるんだ。
助けられることを仲間とは言わない。足手まといなどなおさら不要だ。雛鳥のように口を開けてれば餌をもらえる立場に甘んじていては、決して空には飛び立てない。自分も考えて、この人達と並べる次元に行かなければならないのだ。
「リルドールさんは、本当にすごい人です」
少し前までの自分の感想とは違う『すごい』を口にする。
リルはすごい人だ。でも、自分も。そう思えた。
例えばコロの才能は素晴らしい輝きだ。コロナの時も、コロネルの時も、どちらの彼女も戦いの才能という面ではずば抜けて輝いて、見るものを陶酔させるものですらあった。
けれども、コロへの憧れは、同時に凡人の及ばぬものだと諦め押しつぶされてしまうほど圧倒的なものである。
リルはそんなコロを横に置いて、なおも泥臭く前を向いている。その姿は、見ている人を奮起させて自分もと思わせてくれる何かがあった。
「心から、尊敬します」
ニナの言葉に、リルはなぜか驚愕して動きを止めていた。
「あ、あれ? どうしたんですか? わたし、なんか変なこといいました!?」
「……いえ、大したことじゃありませんのよ」
慌てるニナの問いに微笑んだリルは「ただ」と接続詞で言葉をつなぐ。
「身近でそばにいてくれた仲間以外にもそう言ってくれる人がいると、実感と一緒に気がつかされたんですの。わたくしも、うぬぼれではなくてそれほどになったんだなと思えたのですわ」
「リルドールさんは、すごい人ですよ。もうたくさんの人の憧れです。私も……いまから、頑張ります」
決意とともに改めて尊敬の念を伝えようと言い募った時、訓練室の扉が外から開けられた。
「リルドールさんっ、緊急報告があります!」
「緊急? またあの男が何かをしでかしましたの!?」
ノックもなしに入室してきたのはカスミ達だ。カスミとウテナ、ヒィーコ、コロ、そしてエイスがいる。エイスの危機察知からクルック・ルーパーの動向をわずかながら探ったカスミ達は、リルの自宅で呆然と立ち尽くすコロを発見したのだ。
そうして事情を聞いた全員の表情が緊迫したものだ。特にコロはいつも元気な彼女らしくもなく、その顔面は蒼白にしている。
そのコロが、幽鬼のような青い表情のままふらりと前に出る。
「アリシアさんが……さらわれました」
「……あの下郎ッ」
コロの報告を聞いてリルの顔に出たのは、痛恨の失態に対する後悔。次いで、表情を怒りの一色に染める。
「三日以内に七十七階層に来なきゃ、アリシアさんの無事は保証しないって……」
「なるほど、どこまでもわたくしの癇に障ることをしてくれますわね……!」
毒づいてリルだが、感情に流されてばかりではない。手早く指示を出していく。
「ニナファン。フクランに連絡をお願いしますわ。早急に七十七階層に向かいますけど、七十七階層まで行くのに『栄光の道』の力も借りますわ」
「わ、わかりました!」
「ヒィーコ。準備を整えなさい。カスミ。あなたたちのパーティーも当然、ついて来てもらいますわよ」
「了解っす」
「もちろんです。もうテグレとチッカに準備を進めさせてます」
七十七階層行きが早急に決定され、クルック・ルーパーへの戦いの準備が開始される。そうして緊迫しつつあるこの場で、悲痛な悲鳴が上がった。
「リルドールさん、助けてください!」
「……」
救難信号を発したのは、エイスだ。
エイスのことを見て見ぬふりをしていたリルとニナは、改めてエイスを見やる。やはり見間違いでもなんでもなく、手錠をはめられ首輪をつけられ、そこから伸びる鎖をウテナに握られている。
リルもニナも、あからさまにおかしいエイスの状態は見ていたが、他の三人があまりにも自然に鎖に繋がれているエイスをそういうものだとして扱っていたので、口を挟むに挟めなかった。
「えっと、ですわね……」
エイスの現状を見て、リルはそっと目を逸らし、わずかに頬を赤らめる。
「……その、ウテナ、エイス。そういうのが趣味だったら人目のつかないところでおやりなさい」
「違いますよ!?」
「いくらなんでも心外……」
趣味呼ばわりに、エイスが必死に否定しウテナも仏頂面になる。エイスは自分のことを被害者だと思っているし、ウテナは必要なことだからやっているのに奇異な視線を向けられておかしな勘違いをされるなんて自分こそが被害者だと思っているのだ。
「いまのエイスの事情には深いわけがあるんです、リルドールさん」
カスミがあくまでもウテナの名誉ためにフォローにはいった。
「リルドールさんは坑道のカナリアって知ってますか?」
「一応知ってますけど……」
ぴーちくぱーちく鳴き声がうるさいカナリアを、空気の状態が不安定で危険な坑道に持ち込み、カナリアが死んで静かになったらそこは危険だと判断する方策である。
「いまのエイスはそれです。坑道のカナリア、迷宮の不死鳥。そういうことです」
「どういうこと!?」
新たな格言の誕生とともにエイスの名誉と人権がないものとされているが、カスミの説明があんまり間違ってないあたりが悲しい。
「まあ、あなたたちのパーティーなのですから口出しはしませんわ。準備をしてらっしゃい」
「了解です。ウテナ、ペッ……エイス。テグレとチッカと合流して最終確認するわよ」
「おっけー……」
「いまペットって言いかけたぁ! パーティーメンバーのことをペットってリーダーが言ったぁ!」
「リル姉。あたしも準備に行くっす。『栄光の道』との打ち合わせも、あたしがやっておくっす。リル姉はここで待っていてくださいっす」
「わかりましたわ。……ヒィーコ。感謝しますわ」
「いえいえ、これでも副マスターっすからね。ニナファンも、行くっすよ」
「あ、う、うん」
ぴーちくぱーちくさえずるエイスが首輪につながった鎖でズルズル引きずられていったのに続き、ヒィーコに急かされるようにニナもギルドの訓練場を後にする。フクランに連絡して、七十七階層に向かうための人員を選抜してと迅速にやらなければいけないことは山ほどあるのだ。
訓練室を出る寸前、ちらりと後ろを振り返る。
そこには残されたリルとコロが、二人きりで向かい合っていた。




