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第九十三話 慟哭


 自分の二本足で立ち上がったリルは、ライラを睨み付けていた。

 短く切りそろえた機能的な黒髪に、それと同色の瞳。その体躯は女性にしたって小柄だ。見ただけでは、それが大陸最強とまで呼ばれる冒険者とも思えない。

 その彼女は言った。

 いじめ、かっこ悪い。

 ライラはそう言った。

 いじめ。

 強いものが一方的に弱者を虐げる行為。弱い者は抵抗もできない理不尽。リルがいまさっきまで受けていた仕打ちはいじめ、だと。

 まるで魂が吸い取られていくような一言だった。

 クルック・ルーパーへの敵愾心も、ここの惨状に対する衝撃も根こそぎえぐり取っていかれるような気分だった。

 魔法とは、その人の芯だ。

 目指すと決めた憧れだ。変えると決めた己自身だ。叶えると叫んだ渇望だ。絶対に譲らないと吠えた心だ。歴戦の冒険者ならば誰もが知っている。魔法とは、どんなにバカらしく見えてもその人最も大切にしたもののあらわれなんだと、重々承知している。

 リルも、コロも、ヒィーコも、それを振るって戦っていたのだ。

 なのにライラは言うのだ。

 いじめ、と。

 さっきまで行われていたのは戦闘ではなく、圧倒的強者による弱者への暴虐でしかないと。リルたちの想いを振り絞った抵抗なんて全くなんの意味も持たなくて、相手の圧倒的な暴虐になにもできずにうずくまって拳に怯えるだけの人物だと。そんな弱っちいやつに暴力を向けるのはかわいそうだからやめなよ、とライラはそう言ったのだ。

 いっそのこと消えてなくなりたくなるほど心を屠る一言だ。人を傷つける意図すらない言葉の威力たるや、おおよそリルが体験したことがないほどに心を蹂躙して砕いていった。

 通りすがりにアリでも踏み潰したかのように意識すらされないで心を踏みにじられて、それでもふざけるなよと怒りが湧く気概は残っていた。ライラの言葉は、絶対に是正させねばと立ち上がれた。


「なに?」


 呼び止めたリルに振り向いたライラの顔は、迷惑そうだった。煩わしそうな色を隠すことなく浮かべている。

 そのライラに、リルは言葉を叩きつける。


「わたくしにッ。……わたくしに、何か言うことがありませんの?」

「は? えっと、ごめんね。いま暇じゃないの。ええっと……」


 一言撤回してもらえれば良かった。さっきのは言葉の綾だと言ってくれれば矛を収めることができた。誰にだって失言はある。勢いの考えなしでこぼしてしまった言葉だというのならば、煮え立った心が噴火させるのを抑える自制心がリルにもあった。

 立ち上がったリルを見たライラが、何かを思い出すために視線をさまよわせ、そして思い出したのだろう。ああ、そうだ、と小さくつぶやき


「また後にして、アーカイブさん( 、、、、、、、)


 ぶん殴ってやる。

 怒りが暴発した。一人が一人に向けて抱く、おおよそ最大限の怒りがリルの体をいっぱいにした。

 さっきライラは、この場のやり取りを聞いていたと言った。そう言ったくせに、嘘だろうと怒鳴りつけたかった。嘘だよと言って欲しかった。でも目の前のライラ・トーハは虚像でもなんでもなく、まぎれもない彼女本人で、彼女は本心を隠す必要も感じずに言葉にしていた。

 逆鱗をひっぺはがされた竜とてここまで怒り狂うものか。ライラは、リルの言葉なんて一言も聞いていないのだ。さっき聞いたと言っていたのは、全部クルック・ルーパーの言葉だけなのだ。リルの言葉なんて、最初から考慮に入っていなかったのだ。リルが自分の力でつかんだ家名なんて、覚える気すらなかったのだ。

 お前が、あんな偉そうなことを言ったくせに。

 身を焼く怒りというものを精神が発生させることだと初めて知った。胸の内を怒りが焼けば言葉も出ないんだと知りえた。自分が、どれだけ。積み重ねてきた自負心が、一瞬で激怒に転嫁する。自分がどれだけのものを重ねて、ここにいると思っているのだ。その誇りがあるからこそ体を支配した怒りのまま、衝動に任せて身につけていた手袋を引き抜く。

 リルの白手袋が、ライラにたたきつけられた。


「決闘を、申し込みますわ」

「は?」


 突然の決闘の申し込みに、ライラがきょとん目をぱちくりさせる。この緊急事態に何を言っているんだこいつはと呆れている。リルの申し出の真意が欠片もわからないと、激情に至ったリルの感情の推移がまるで理解できないと純粋な疑念を浮かべるその瞳がなおさら腹立たしかった。

 リルだってわかっている。いまはそんな事態ではない。クルック・ルーパーを映し出す映像は移動している。どこか目的があって移動しているのだろう。その先でどんな凶行が行われるか。あの極悪人をすぐに追うべきだ。こんなところで無関係な話をするべきではない。

 だが、それでもだ。

 それでも、言わなければならない。


「いまここで戦えとは言いませんわ。あの悪党を捕らえた後に、日を改めて場を整えて、わたくしと正々堂々勝負をしなさいっ」


 リルは思い知った。

 手加減すら思い浮かばないほどの無関心というものが、どれだけ人の心に瑕疵を刻み付けるのか。無視すらされないという行為が、ここまで心を逆なでにするものだとは思わなかった。リルは勘違いしていた。ライラは昔のリルが愚か者だったからこそ、一顧だにしなかったんだと思っていた。

 違った。

 ライラは、少なくともリルが出会ったその時には、彼女が求める何か以外に一片の興味も示していない。

 事実、ライラはこの場のほとんどに目を止めることがなかった。倒れたリルにも、傷ついたヒィーコにも、そしてクルック・ルーパーに斬り殺された死屍累々を確認しても、眉一つだって動かさなかった。そんななのに、クルック・ルーパーが語った何かのみに強烈な関心を示した。

 この場の惨状に何も感じなかったくせに、ライラはあいつの提示した何かには食いついた

 信じられなかった。どうすればそこまで他の命に興味が失せるのか、わかりたくもなかった。冷静な状況把握? 冷徹な判断? あるいは、この程度の惨劇は見慣れているからこそ? 違う。どれも違うとリルは直感で察していた。

 ライラは、全てに興味がなかったのだ。

 クルック・ルーパーは邪悪だった。まき散らした悪意の被害は甚大だった。共感できない動機に許してなるものかと義憤を抱かずにはいられなかった。

 ライラ・トーハの無関心は、それを上回ってリルの心を引き裂いた。


「わたくし、リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウからの決闘の申し出ですわッ」

「……あのさ」


 投げつけられた手袋を拾い上げたライラは、リルの名乗りを聞き流し、わずかに困惑をしながら首をかしげる。


「また?」


 また、な訳があるか。

 いつかのように周りに煽られたわけではない。冒険を重ねたいまでは命の使い方だって知っている。数多の苦難を重ね、いくつもの試練を突破した。

 それでも、なのだ。

 だというのに、なんだその目は。

 お前の底なんてお見通しだというその黒い瞳は。お前の程度なんてとっくの昔に知り尽くしているんだと語らずとも伝えるその黒い目は。お前の運命なんて知っているから、お前ごとき相手にもしたくないというその黒い眼球に、いったい何を見ているんだ。

 ライラがリルの何を知っているというのか。

 その見透かしたつもりになっているその目が人を歪める。大上段から見下ろすその視線が人の心を圧死させる。ライラが英雄だというのなら、なるほど、英雄とは人間ではないに違いない。人の命なんて数値でしかなく、他人の価値観なんて考慮に及ばず、叫ばれる想いすらも聞き流す程度のものなのだ。

 あの怪人ですら、リル達と戦う時は真っ正面から向かってきたというのに、なぜこの英雄はここまでリルを意識すらしないのだ。

 これ以上は、見るも聞くも知るも堪えがたかった。今度こそ無視できないようにしてやると縦ロールをざわめかせ


「やめてくださいっす、リル姉!」


 傷だらけのヒィーコが、後ろからリルを羽交い絞めにする。


「気持ちは分かるっす。でも、やめてくださいッ。あたしたちは、助けられたんすよ!」


 怒りに任せた短慮を、ヒィーコは必死に抑制しようとする。

 リルは助けられた。力が及ばなかったところを、命からがら助けられたのだ。はた目から見れば、それは誤解のしようもない事実だ。その恩人に噛みつこうなど、気狂い所業だと非難されてしかるべきだろう。

 だから何だ。

 リルたちは、まだ戦えたのだ。劣勢だった。危機的状況だった。それでもまだまだリル達は立ち向かえたのだ。それをライラはなんと言った。あろうことか、いじめだと、そうほざいたのだ。

 目もくらむような怒りに支配されたリルはいま、あのクグツ・ホーネットの感情を正しく理解していた。

 推察ではない。共感ではない。そんな生半可なものではなく、道を踏み外してゆがんだクグツとまったく同じ気持ちを抱いていた。ああ、確かに彼は耐えがたかったのだ。彼は、あまりに仕方なく道を外れてしまったのだ。

 だって、こんなことをされて。あるいはこんなことすらされなくて。それが許せるわけがないじゃないか。

 なぜここまでの仕打ちを受けなければいけない。どうして少し前の自分は、こんなやつと友好を結ぼうだなんて考えていたのだろう。ここまでみじめな扱いをされて、耐えて見逃すような自尊心ではない。絶対に絶対、その黒瞳に自分を映し出させてやらねば気がすまない。


「わたくしをっ、わたくしを誰と心得ていますのッ!? 応えなさい、ライラ・トーハ!」

「……はぁ。バカみたい」


 ため息をついたライラの意識から、リルが消え去った。会話をする必要もないと視線を外すと同時に、その表情からリルへの認識が抜け落ちていく。

 そうして、最後の一言。


「傷、浅くないんだから、仲間と一緒に看てもらいなよ」


 なんで気遣う。

 それがリルには耐えられない。形だけの親切がさらにリルの心を傷つける。心にもない忠告は罵声よりも残酷にリルの自尊心をえぐりとる。

 違うだろう。そんな善人みたいな面をして、そんな無関心な偽善を投げつけるなんて、それは違うだろう。どうでもいいなら、何でそんなに半端に相手をする。煩わしいならば、いっそ敵対してくれればいいのに、なんでそんな声をかける。

 味方にしたくないというのならば、どうして敵対もさせてくれないのだ。

 かみしめた唇が裂けて血がにじむ。その痛みすらどうでもよくなって、こらえようもなく震える喉からは怒鳴り声がついて出る。


「なぜっ、なぜあなたはそうなんですの……! どうして……!」


 血を吐くような言葉にも、ライラの足を止める力はない。

 踵を返して見せた背中が、あまりにも遠い。手を伸ばしても届かず、どこまでも伸びるはずの縦ロールですら追いつかない。思いもしなかった。自分とライラとの距離が、こんなにも隔たっているだなんて。そこまで興味を持たれていなかったなんて。ライラが、この世界にただただ無関心だったなんて。今の世の中なんてどうでもいいと思っているだなんて。そう。そうなのだ。

 ライラは、もう、この世界に興味を持っていなかったのだ。

 何を見ているのかは知らない。ただ、少なくともライラは今、目の前で繰り広げられる事象なんて一切合切どうでもいいのだ。

 紫電が、弾けた。

 次の瞬間には、もうライラの姿はこの場にない。クルック・ルーパーを追ったのだろう。彼女の視線は、いまそこにしか向けられていないのだから。最初から最後まで、ライラはリルを相手にもしない。それ以上の言葉を残さず消え去った。

 それでも見失った背中を見ようと、ヒィーコに抑えつけられたリルは、涙がにじんでゆがむ視界の中でもがく。


「こちらを向きなさいぃッ、ライラ・トーハぁあああ!」


 消えていった大陸最強に、ボロボロと涙をこぼすリルは決して届かぬ想いを絶叫して吠えたてた。

記念すべき百部目は、すごくリルらしい話になったデス。

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