第一話
「わたくしを、誰と心得ていますの!」
よくある晴れた空の下で、威勢のいい掛け声が響いた。
「わたくしは、この王国を支える支柱の一家、アーカイブ家の息女っ。リルドール・アーカイブですわ!」
胸に手を当て勇ましく言い放ったのは非常に目立つ特徴がある少女だった。
十代後半ぐらいの年齢だろうか。きらびやかすら感じられるほど艶のある金髪に、強気につり上がった切れ長の青い瞳。顔立ちに気品と華があり、育ちがいいと一目でわかる少女だ。スタイルもよく、立っているだけで人目をひくような生来の華やかさを持っている。
けれども彼女の最も目立つ特徴は派手に整った顔立ちでもなく、淑女の理想を体現したかのような均整なプロモーションでもなく、その髪型だった。
縦ロールである。
彼女の金髪は、ボリュームがある縦ロールに巻かれていた。しかも一本や二本ではない。五本の縦ロールだ。肩口から垂らした縦ロールが二本、背中に流しているのが三本。合計五本のボリュームたっぷりの縦ロールを揺らし、リルドール・アーカイブと名乗った少女は言い放つ。
「さあ、尋常に立ち合いなさい、ライラ・トーハ男爵!」
縦ロールの少女、リルが立っている場は決闘の舞台だった。
勇ましく叫ぶ言葉は己を鼓舞するためでもあった。まだ鞘に納められているレイピアを握るリルの手はわずかに震えている。それでも周りに観客がいる現状、臆した気配など見せるわけにもいかなかった。
しかもこのこの場はリル自身が仕掛けた決闘だ。貴族としての誇りをかけ正面にいる相手に真剣勝負に挑んでいた。
そんなリルの無謀な強がりに付き合うのは、同年代の黒髪黒目の少女だった。
「あなたの名乗りなんてどうでもいいわよ、そんなの……」
ため息交じりでつぶやいたのは、ライラ・トーハという名前の少女である。
特級冒険者という肩書をひっさげて貴族の地位を得てこの学園に入り込んだ女。迷宮攻略の功績者として一代限りとはいえ、女だてらに男爵位を国王から授与された。貴族としての歴史と品格を重視するリルからしてみれば、気に入らない要素の塊みたいな相手である。
だが、それだけならばまだよかった。気に入らない相手であってもリルとて多少の嫌がらせ程度でとどめておいただろう。間違っても命を懸けた決闘などは仕掛けになかったはずだ。
だがライラは何をどうしたのか、王子にまで取り入った。
国の頂点たる王族に下賤出身の女が近づくなど、自分の婚約者に成り上がりの女が近づくなどリルのプライドが許せなかった。だから学園から排除しようと試みた。それはリルにとって当然のことだ。
だというのにこの女は反抗してきた。陰口には面罵し、嫌がらせははね退け、権力は暴力でおしのける。そうして二人の争いが徐々にエスカレートしていくうちに、リルはライラに白手袋を叩きつけて決闘を申し込んでいた。
半分は勢いだ。もう半分は周囲の取り巻きに煽られての見栄を張った結果だ。
しかしリルは引き下がるつもりはなかった。
「バカみたいだから、今からでもやめない? 真剣勝負の決闘とか今時の貴族でもほとんどやってないでしょ。しかも代理人も立てないとかさ……」
「お黙りなさい! 貴族の誇りを、神聖な決闘をなんだと思っていますの!?」
「……あっそ。ならもういいわよ」
心底うっとうしそうに答えたライラは、短く切った黒髪をかき上げる。
冒険者として闘争に生きてきたライラと違って、リルは貴族のお嬢様だ。多少手習いで護身術まがいの剣術を仕込まれていようがそれだけ。命のやり取りなど本来ならできるはずもない。ライラにとってみれば負けるはずもない勝負で茶番以外のなにものでもない。
それでもせっかくの機会だからと、ライラはひとつの要求だけは申し立てる。
「私が勝ったら、あなたとあなたの取り巻きが私への嫌がらせをやめること。私の要求はそれだけ。おっけー?」
「ふんっ。まるでもう勝ちが決まってるかのような言いぐさですわね!」
リルは鼻息荒く言い放つ。
ライラがどれほどのものか知らないが、リルだって戦えないわけではない。少なくともリル自身はそう思っている。そう思い込もうと必死になっている。
本心は、怖いのだ。
決闘を仕掛けたのは自分。立会人もいる。リルとライラの周りには観客じみた関係者まで囲んでいた。引くに引けない状況で、逃げ出すのなんてもっての他だ。
ただの勢いでここまできたリルは、真剣勝負なんてことをすること自体が怖くてしかたなかった。死ぬかもしれないという事実が怖くて、そこから必死に目をそらしていた。いまさら引けないこの状況でそれを認めるわけにはいかないリルは、強がり見栄を張って吠えるしかなった。
「取り巻きに何を煽られたか知らないけど、命のかけ方もわかってない人がなんでこんなことするんだか。イジメ、カッコ悪い。それだけのことをどうしてここまで大事にできるんだか……ああ、そうだ」
頭痛を堪えるかのように眉間にシワを寄せていたライラが、ふと付け加える。
「神聖で厳粛な決闘とやらの前に一つだけ言っておきたいことがあったんだ。アーカイブさん。あなた、私の髪型をよくバカにしてくれてたわよね」
「……それが、なんですの?」
強気に目を吊り上げて相手をにらみ付ける。決闘に内心では怯えていながらも、リルは取り繕った表情は崩さなかった。貴族であり、淑女であること。それは上位者である貴族として生まれた彼女の誇りであり、最後の強がりだ。
リルがライラの髪形を嘲笑していたのは事実だ。ライラは貴族にあるまじきことに、いや女性としてあるまじきことに、短髪を好んでいた。聞いた話だが、ライラが髪を短くするのは機能的だからという理由らしい。
リルの常識からすれば、髪を短くするなど髪を売って小銭を得ることしかできない貧民のやることだ。十分侮蔑に値するものだった。リルにとってはあざ笑って当然のものだった。女性として生まれて、身だしなみを整え見栄えをよくしようとしない人間など、信じられなかった。
「髪は、女の命ですわ。それを無用に切り落とし、手入れを怠るあなたを、愚かと言わずなんといいますのっ?」
「……バカみたい」
短髪で、ロクな手入れもされていなさそうな髪型。そんな貴人に相応しくない女がいま、リルを見下ろして鼻で笑う。
「……なんですって?」
「バカみたいっていったのよ。あなたの考え方と、ついでにあなたの髪形に対してね」
面と向かっての悪口に、リルは顔を紅潮させる。己を肯定する取り巻きの言葉に慣れているリルにとって、この程度の面罵でも耐えがたいのだ。
だがライラは、自分の言葉を撤回することなく続ける。
「あなたの縦ロール、バカみたいよ。言っておくけど、貴族でもそんなくるくる巻いた棒を何本をひっさげた髪型してるの、あんただけだから。ていうか、頭重くて首が痛くなったりしないの、それ?」
声にもならなかった。
あまりの侮辱に絶句するリルを、興味もなさそうにライラは見下した。
その態度に、カッと衝動的な怒りに襲われたリルはとうとう腰からレイピアを引き抜く。
「許しませんわ! このわたくしを敵に回したことを後悔なさいっ。あなたにはこのわたくしが誰なのかを、思い知らせてくれますわ!」
「……それは無理ね」
ライラはリルの罵声に堪えた様子はない。向けられるレイピアの切先に何も感じた様子もなく、聞き苦しいだけのリルの言葉には凛と顔を上げて見返す。
「あなたは知らないんでしょうね。進化っていうのは、苦痛の連続よ。試練こそが人を鍛え上げる。苦難こそが人を成長させる。立ち止らずに折れて砕けなかった人間だけが、高みにあることを許される。あなたが私の敵になる? 到底、無理な話よ」
その言葉の重みは、まだ十七歳だというのに冒険者の頂点と言われるほどの力を持つにいたったものにふさわしい重みがある。
最強、最大、最速の名声をほしいままにしている、特級冒険者。個人で最強を誇り、冒険者ギルドでも最大のクランのマスターであり、人類史上最速で迷宮の底まで至った女傑。
ライラは自分の力を示して国に召し上げられた、まぎれもない英雄だった。
「アーカイブさん。あなた、自分で気が付いている?」
強く生きる者が弱く吠える者に、分際をわきまえろと圧をかける。
栄光を積み上げた彼女の黒い瞳には、ばちりと弾けてしびれそうなほど鮮烈な想いがほとばしっていた。
「あなたはね。自分で名乗るとき、自分を誇らず家名を誇ってるのよ?」
「そ、れの、何が悪いんですの……?」
「別に悪くないわ。好きに家名の威を振りかざしてればいいんじゃないの?」
ライラの視線に気圧されるも、リルにだって意地はある。後ずさるのだけはこらえて反抗を口にした。
それをあっさり受け入れ、しかしライラは言葉を重ねる。
「自分でつかみ取った家名でもないのに、それしか誇れない。そんなあなたの名前に覚えるだけの価値を私が見出せないってだけの話だもの」
敵になるならない以前の問題。家名のないお前に覚えるほどの価値もないという最大級の侮蔑をぶつけられる。
リルはそれに対して憤慨すればよかった。顔を真っ赤にして、何か言い返せればまだ救いはあった。それができれば、情けなくとも自尊心の欠片ぐらいは守れたはずだ。
だがリルは、とっさに何も言えなかった。
無意識に自分の胸を探って、そこに何もない自分の空虚さに立ちすくんでしまった。リルの言葉がその通りであると、知らずに認めてしまったのだ。
「高みに生まれて、試練を課されたことなくぬるく生きていただけのあなたには、堕ちるしか道がないのよ」
「……お黙りなさいっ」
ライラの正論はリルにとっては耳障りな戯言でしかなった。
怒りで怯えを覆い隠し、ぶるぶると肩を震わせたリルは抜き放ったレイピアで破れかぶれの突きを放つ。互いの力量差もわからないリルは、まるきり道化のようにレイピアを振り上げて突き進む。
「受けてみなさい、わたくしの渾身の一突きを!」
「……はあ」
抜き身の白刃を前に、ライラは退屈そうにため息を一つ。
「必殺、エストック・ぶれひびぃ!?」
紫電が、はじけた。
相対するリルどころか、周囲にいた第三者ですらそうとしか捉えられないほどのスピード。周りの時間を置き去りしたライラは、拳すら作らず手のひらで押し出すようにしてリルを弾き飛ばす。
ライラの温情と手加減と侮蔑と無関心でできた一撃。
それだけでリルにとっては神聖で誇りある決闘は、ライラにとっては時間の無駄でしかない茶番は、あっさりと終わった。
はじめはダメダメの主人公が、人との出会いで爆発的に成長する。
きっかけさえあれば欠点も美点に代わるんだと、一章はそんな話にしようと思います。