彼女の本
女のベッドに寝転がって、枕もとの小さな本棚を見ると、男の目を引いた。
男は腹ばいになりその本に手を伸ばした。古い紙の匂いが鼻をさす。
『不自由な心』そう書かれた本を開きながら男はキッチンに立つ女の後姿にやわらかな視線を投げかけ、すぐに本へ目を移した。
男はずいぶん前に買い求め読んだ記憶があった。背表紙が目を引いたのはそのせいだろう。
たしか五つの短編が収録されており、どれも一人よがりな男の視点でつづられてひどく退屈だった覚えがある。
「これ、読んだの?」
声をかけるが女は相変わらず流しに向かっている。
「なあ、この本読んだの」
少し大きな声を出した。すると女は洗い物を止め振り向いた。
「ああ、『不自由な心』? 読んだけどそれがどうかしたの」
男にはその言葉が信じられない。本棚に並んでいる他の本の種類からしても異質すぎる。
「おもしろかった?」
「別に・・・ 忘れちゃった」
女は気のない返事をした。
男は女の嘘を感じた。やっぱり読んでいないのだ。
「つまらなかったろう、俺も昔読んだんだ、これ」
女はもう返事をしなかった。男もそれを何も思わず本をめくりだす。
野島・坂本・大木・三枝・江川、五つの小説の主人公たちの名が次々目に飛び込んでくる。
どれも中年のサラリーマンで、不倫や愛人との関係を軸に、生きる意味を考え込む内容だった。その主人公たちは常に厭世的で人生を悲観して沢山の女を一度に愛した。
二十四年間の人生でただ一人この女しか愛したことの無い男には到底おもしろく読めるものではなかった。読み終わったとはすぐに友人にあげてしまった。
男は当時こんな小説でも共感するやつも居るんだろう、だとすればその男もこの小説のように簡単に女を捨て、それで尚孤独を癒すため女を求めるのか、そう考えた。
そんなことを思い巡らせながら男は最後のページをめくった。
あとがきの後の見開きに細かい文字で書き込みがしてある。男は少しドキリとしたが目を凝らして消えかけた書き込みを見た。
《2001.1.13 読了》
そう書かれた文字は、黒の万年筆で書かれた角のある男文字だった。日付は女と付き合う三ヶ月ほど前だ。
「ねえ、寝ちゃったの?」
台所から女が声をかけてくる。
「ん・・・ 起きてるよ」
男はそういいながらベッドに腰を下ろした女の冷えた手を握った。
ありがとうございます。
文に出てくる本は実際の本です、作者は白石一文という人ですので好きな方や興味持ってくれた方がいたら嬉しいです。
あと、話の意味が分かりにくかったら教えて下さい。
読んでくださって本当にありがとう御座いました。




