第 19 話。闇の帝国誕生か。
一方で、源三郎は松川に入るものんびりとして要る。
「源三郎様は、何時、野洲に戻られる予定なのでしょうか。」
「雪乃殿、まぁ~、何も急ぐ事も有りませんのでね。」
「何故で御座いますか、私は。」
「そうですねぇ~、今日か、いや、明日の昼過ぎか、夕刻には、山賀の若様が着かれると思います
のでねぇ~。」
「松之介が松川に、でも、一体、何用で御座いますか、何か不満でも有るのでしょうか。」
雪乃は、源三郎から松之介が山賀に到着後直ぐ活動を開始したと聞いたのだが、松川での松之介
の様子を考えると、幾ら、源三郎が真実を話しても信じる事が出来ないので有る。
「源三郎様からはお聞き致しておりますが、松川での松之介の様子を考えますと、其れが、突然に
変わるとは到底思えないので御座いますが。」
「私は以前の松之介様を存じませぬが、其れは、もう精力的な動きですよ。」
「ですが、何故、松之介が松川に来ると思われるのですか。」
今は雪乃に説明しても分からないだろう。
源三郎が野洲に帰ると言うのは今までに無い重要な役目が控えているので有る。
其れは、源三郎が松川に到着したその日に、上田と菊池の藩主に五日後に連合国の締結の承認の署名式
を野洲で行ないたいとの書面を送って要る。
松之介も源三郎から直接聞いており、松之介としては松川藩の父に報告し、其れから、野洲に向
かうだろうと源三郎は考えたので有る。
「雪乃殿、私は此処に到着後、上田と菊池の藩主殿に対し五日後、我々連合国の承認と署名式を野
洲で行ないたいと書面を送っております。」
「では、松之介もその署名式に出席を。」
「はい、勿論ですよ、若様は山賀の立派なご当主ですから。」
「源三郎様、松之介は山賀の殿様なのでしょうか。」
「えっ、何故、その様な事を聴かれるのですか。」
「今、若様と申されましたので、若しや、今も山賀では以前の様に殿様が君臨されて要るのではと
思いましたので。」
「あ~、その若様の意味では有りませんよ。」
「でも、若様は殿様では御座いませぬが。」
源三郎は、何故、松之介が若様と呼ばれているのかを説明しなければ、雪乃は納得しないだろう
と思った。
「実はねぇ~、山賀に到着したのが、丁度、お昼頃でしたので城下の一善飯屋に入りましてね。」
「一善飯屋と申しますと。」
雪乃は松川藩のお姫様、当然の事ながら城下の一善飯屋などは知らない。
「雪乃殿、松川藩の城下でも一善飯屋は有るのですよ、まぁ~、一善飯屋と言うのはねお昼の食事
を提供するのでね、まぁ~、庶民の賄い処と思って下さい。」
「庶民の賄い処ですか。」
雪乃には簡単に理解出来ないだろう。
「ええ、その賄い処の飯屋で食事中の話しでね、城下の職人らしき男達の会話の内容が山賀の鬼退
治で職人達は大喜びしておりましたので、私がその職人達の昼食代も支払ったのです。」
「まぁ~、其れは源三郎様らしいですねぇ~。」
雪乃は源三郎の行為が嬉しかったのか笑顔になった。
「其れでね、私達が店を出、城に向かう時、その中の一人が声を掛けて来ましてね、若様が名乗ら
れたのですがその男は若い侍だから若様って呼ばせて下さいとなったのです。」
「まぁ~、若い侍ですか。」
「その職人の名前が正太って言うのですが、飯屋でお昼の食事と夜の食事、其れに、お酒もその一
善飯屋に要ると言う話で、若様が夕刻その店に行かれ、其れからは山賀の家臣達も若様と呼ぶ様に
なったと言う訳ですよ。」
「では、今の呼び名も若様なのでしょうか。」
「そうですよ、今では、城内の全員が若様と親しみを持って呼ばれておりますよ。」
「まぁ~、何と素晴らしいお話しでしょう、でも、言葉使いは。」
「勿論、殿様言葉では無く何時もの松之介様の言葉使いですよ。」
「でも、山賀の家臣達は驚いたでしょうねぇ~。」
「多分だと思いますよ、松川藩の若君では何も知らないし出来ないだろうと、まぁ~、誰もが思っ
ていたでしょうから、到着して直ぐ行動に移されるとは、正直、私も思いませんでしたよ。」
「では、城中のお役目は。」
「其れは、勿論、筆頭家老となられた、吉永様のお役目でしてね、若様は殆どお部屋にはおられず
に城外に出られておられますよ。」
「えっ、城外と申されますと城下に行くのですか。」
雪乃は松之介の行動力を知りたくて仕方が無いのだろうか。
「その日の内にね、五人の家臣と共に飯屋に行かれましてね。」
「ですが、松之介は松川を出る時に一文も。」
「私の。」
「では、源三郎様も行かれたのですか。」
「いいえ、私はねぇ~、若様の行動力に口を挟む必要も有りませんのでね参りませんよ。」
「では、松之介だけがで御座いますか。」
「はい、正太から、夕刻にはその飯屋でお酒と食事を取ると聞いておりましたので。」
「松之介がお酒をですか。」
雪乃は松之介がお酒を飲むとは知らなかったのか。
「その店で、正太さん達の話の中で山賀の城の裏側に大きな洞窟が有ると聴かされたのです。」
「山賀の裏側に大きな洞窟って、若しや、山賀から松川まで続く山の。」
「はい、その山には大きな洞窟が有ると聞き、早速、行く事になったのですよ。」
「源三郎様、其れが、松之介を動かせたのですね。」
「はい、その通りでしてね、正太の案内で最初に入ったのが若様だと。」
「松之介にその様な度胸が有るとは、私も知りませんでした。」
「多分、松川では竹之進様が行動派ですので、若様は抑えられたのだと思いますよ。」
「では、その正太さんと言われる職人さん達と意気投合したのですね。」
「はい、私も明くる日に会いましたがね、正太さん達は、若様、若様って、其れは、もう大変だっ
たのですからねぇ~。」
「では、一緒に参られたご家中の方々もですか。」
「そうですよ、誰も、殿とは呼べず、つい、若様って。」
「じゃ~、松之介は山賀に行って良かったのでしょうか。」
「私はその様に思いましたねぇ~、松之介様と言う人物は大したお方ですよ、私も正かと思った程
ですから。」
「源三郎様、本当に有難う御座います。
松之介が立派に山賀の為にお役目を果たしてくれるのは、私の喜びとなります。」
雪乃の頬を一筋、光るものが流れた。
「源三郎様、お茶を入れて参ります。」
雪乃も、ほっとしたのだろう。
「義兄上、よろしゅう、御座いますか。」
「竹之進様で、どうぞお入り下さい。」
竹之進が入って直ぐ。
「源三郎殿。」
殿様まで来た。
「父上様も竹之進様も、一体、如何なされたのですか。」
「私は、松之介の事がお聞きしたくて参りました。」
「えっ、父上もですか。」
「いゃ~、まぁ~、其れも有るが。」
殿様は別の用件だと、若しや、連合国締結に付いての話しなのか。
「では、私は。」
雪乃は、父上も竹之進も山賀に行った松之介の事が気になるのだろう、其れが、嬉しかったので
有る。
「はい、勿論で御座います、若様は山賀に入られたその日から、其れは、もう、精力的に行動され、
私も安心しております。」
「今、若様と申されたが、山賀では、今も前の藩主が実権を握って要るのか。」
「いいえ、そうでは御座いませぬ。」
源三郎は雪乃に話した内容を殿様と竹之進に話すので有る。
「左様か、余は、また、藩主が実権を取り戻し、松之介は婿養子として甘んじておるのかと思った
のだが其れを聴いて安心したぞ。」
「殿様、先程も申しました様に、今では家中の者全員が殿様とは呼ばず若様と、若様自身も其れは
もう嬉しそうで御座います。」
「源三郎様、斉藤で御座いますが、今、よろしゅう御座いますか。」
何と斉藤まで来、その直後、ご家老様も来られ、源三郎はこれだけの人物が揃った今連合国設立
に向けての話をする絶好の機会だと感じた。
「殿様、若様のお話しは後程にしたいと思うので御座いますが、如何でしょうか。」
「源三郎殿、余も、その方が良いと思う、武田に斉藤も参ったのじゃから。」
「はい、では、私が以前より進めております食料品備蓄に関しまして、上田藩も菊池藩からも同意
を頂いております。」
「では、残るは、山賀だけと申されるのか。」
「はい、ですが、山賀も若様のご努力で間違いは御座いませぬ。」
「源三郎殿、約定書で御座いますか。」
「ご家老様、私は余り難しくは考えてはおりませぬ、大切な文言だけで十分かと考えておるので御
座います。」
「簡単にと申されるのですか。」
「はい、でも、山賀だけは別で御座いますが、其れよりも、山賀には漁村と言うものが御座いませ
ぬ、そうかと申しましても、領民も、やはり、魚は欲しいと思いますので、今、私の一番の悩みと
なっております。」
山賀にも海は有る、だが、山賀の領地に有る海岸は、全てが断崖絶壁で、とても、漁村が有る様
な所で無い。
其れでは、今まではどの様にして海の幸を手に入れていたのだろうか。
「う~ん、其れは大変ですが、仮にですが、松川や上田で獲れた魚を干物にでもしたのでは無いで
しょうか。」
「はい、私も、今はその方法だけだと思っております。
山賀は、毎年、豊作なので収穫されたお米などは、山賀の洞窟に入れ保管する方法が良いと思っ
ております。
山賀から松川まで続く洞窟の完成を待たずに運び入れたいと考えて要るのですが、洞窟の掘削に
は相当な期間を要すると考えねばなりませぬ。」
「義兄上、松川の峠でも掘削工事を開始致しております。」
「はい、其れは、大変、有り難い話で、この両方からの掘削工事には大勢の人達が必要となります
ので。」
「義兄上が山賀に向かわれました後、直ぐ、城下にお触れを出しました所、今、1千人以上が毎日、工事
に入っており、付近一帯は義兄上の申されたした飯場となり、城下の中でも、今、一番活気に
溢れた所となっております。」
「竹田、余は、今まで考えておったのじゃが。」
「殿、何を御考えに。」
「実はのぉ~、松川の跡目の事じゃ。」
「はい、で、殿のお考えは。」
「うん、山賀では松之介が中心となって要る、其れでじゃ、余も隠居して、竹之進に譲っても良い
と考えておるのじゃ。」
「父上、父上が、隠居されると申されるのですか。」
「そうなのじゃ、山賀に松之介が参ると決まった時から考えておったのじゃ、山賀の松之介と松川
の竹之進、この二人が力を合わせてじゃ、源三郎殿が申される連合国を強大な国家に持って行って
欲しいのじゃ。」
「父上、ですが、私は、まだ、何も学んではおりませんので。」
「竹之進、よ~く、聴くのじゃぞ、松之介は知らぬ土地に参り、山賀と言う藩を立て直し領民を救
う為の奮闘しておるのじゃぞ、だが、お前には斉藤がおるでは無いのか、源三郎殿が連合国を設立
される時には、竹之進は余の名代では無く、松川の藩主として参るのじゃ、武田、斉藤、余は、決
めたぞ。」
「殿。」
「竹田、斉藤、お主達は何としても源三郎殿の申される連合国設立に向け、竹之進を盛り立てて欲
しいのじゃ、分かったな。」
松川の藩主が突然の引退を決意し、長男の竹之進に跡目と継がすと決め、筆頭家老の竹田も竹之
進の教育係りでも有る、斉藤は驚きの表情で何も言えずにいる。
だが、其れは、源三郎も予想はしており、竹之進の弟、松之介が山賀の藩主となれば二人の父親
でも有る今の藩主は長男の竹之進に跡目を継がすだろうと、ただ、時期だけは、連合国の設立後に
なるだろうと考えていた。
「殿様、大変、重大な決断をされましたが、私は大賛成で御座います。
今後は松川の竹之進様と山賀の松之介様が中心となり、この両藩を連合国の中心的な存在持って
行かれます様に期待しております。
「雪乃殿もどうぞお入り下さい。」
源三郎は先程から廊下に座り、話しを聞きうれし涙を流している雪乃を呼んだ。
「はい。」
何時もの雪乃では無い、雪乃自身は源三郎に嫁ぎ、二人の弟は共に松川と山賀の藩主となり、雪
乃は、今、どの様に表現して良いのか全く分からない。
「私は皆様方に何とお礼を申してよいのか分かりません。
竹之進、父上のご決断は私も聴いておりました。
竹之進、これからはどの様な事でもご家老様と斉藤様に相談し、源三郎様の申されておられます
全ては領民の為、そうです、領民の為に命を捧げるつもりでお願いしますよ。」
「姉上、私は、今、突然、父上から申し付けられましたが、どの様な事態になろうとも全てを領民
の為に捧げる事を皆様の前でお誓いを申し上げます。
義兄上様、ご家老様、斉藤様、何卒宜しくお願い申し上げます。」
「よくぞ申した、其れでこそ我が松川家の長男じゃ、竹田も斉藤もこれから先、竹之進がどの様な
事を相談するやも知れぬが全ては領民の為じゃ、宜しく頼むぞ。」
「殿、私も及ばずながら、私の命と引き換えにしましても、必ずや、成し遂げらる様に影となりお
助け致します。」
斉藤は突然の重責に戸惑いを見せながらも、内心は穏やかで、今まで教えて来た事がこれから先、
どれだけ発揮出来るのか、其れは、二人の若殿次第だと感じて要る。
「余、いいや、わしは、もう、殿では無いぞ。」
「ですが、突然申されましても、私は困るので御座いますが。」
「まぁ~、良いわ、で、何じゃ。」
「はい、私は、今、大変な重圧を感じております。」
「斉藤、余り、深刻に考えるで無いぞ、お主が、まぁ~、竹之進と松之介の教育係りじゃったので
仕方は無いが今まで通りで良いのじゃ。」
斉藤は今まで通りで良いと言われ、内心ほっとした。
「私も今まで以上に責任を持ってお使え致します。」
「うん、よし、頼むぞ、其れでじゃ、雪乃、わしからの頼みが有るのじゃよ~。」
「父上、一体、何用で御座いますか。」
「のぉ~、早く、一刻も早くにじゃ、わしは孫の顔が見たいのじゃ、何とかならぬか。」
雪乃は一瞬にして赤くなった。
「父上、其れだけは。」
「わしは、今日から隠居の身なのじゃ、後の楽しみは、孫の顔を一刻も早く見たいのじゃ、のぉ~、
源三郎殿。」
「はぁ~、其れは何ともしがたいですが。」
何時もの歯切れの良い源三郎では無い。
「何じゃと、その様な事を申さずにじゃ、わしの楽しみを早くなっ。」
「はぁ~。」
「あっ、そうか、源三郎殿は余りにも忙しい過ぎ、雪乃と過ごす時が無いのか、う~ん、これは、
困った、う~ん、実に困ったのぉ~。」
殿様はニヤニヤとしながらも腕組みをしている。
「父上、余り、義兄上と姉上を困らせますと、後々、恐ろしゅう御座いませぬか。」
「お~、そうで有った、二人共、許せよ、まぁ~、其れにしても、わしは、この世で一番の幸せ者
じゃ、三人が、皆、落ち着き、これからはのんびりと出来るでなぁ~。」
「殿様、まだまだ、のんびりとは出来ませぬ。」
「源三郎殿、何故じゃ、何故、のんびりとは出来ぬのじゃ、わしの楽しみは。」
「はい、勿論承知致しておりますが、五か国の連合が成立致しましても、其れは表向きでして、こ
れから細部に渡り協議しなければなりませぬ、幾ら、竹之進様に跡目を継がれましても、殿様には
大切なお役目が御座います。」
「源三郎殿、何故じゃ、何故、まだ、余に、大切なお役目が有ると申されるのか。」
「はい、左様で御座います。
色々な問題が起きた時には、やはり、其処は経験が物を言いますので、助言と申します大切なお
役目御座います。」
「だが、その為に、竹田も斉藤もおるでは無いのか。」
「殿、其れは、其れ、これは、これで御座います。
私は何もご家老様や斉藤様がどうのと申し上げて要るのでは御座いませぬ。
私の申し上げて要るのは、親子の絆は大きいと申し上げて要るのです。」
「う~ん、そうか、だがのぉ~。」
「殿様、親子の関係は、例え、殿様には失礼ながら亡くなられたとしましても、親子だと私は思っ
て要るので御座います。
親と子供の絆は切っても切れないと、其れは、竹之進様や松之介様が藩主になられてましても、
父親にしか出来ない相談が有る様に思うのですが、如何で御座いましょうか。」
「親子の絆か、う~ん、確かにその通りじゃ、よし、これからは、だがのぉ~、余り、出しゃばる
事だけは控えるとしようか。」
「殿様、誠に良いご決断だと感服致しました。」
「源三郎殿、其れで、先程、申された連合国の話しじゃが、いかように考えておられるのじゃ。」
「はい、実は配下の者に都周辺の様子を探らせております。」
「何ですと、都の情勢を探られてと申されるのか、では、都で何か不審な事件でも起きて要ると申
されるのか。」
山賀から菊池に至るまでは高い山に囲まれ、向こう側の情報は殆ど言っても良い程入って来ない。
其れが、今まで、大きな戦に巻き込まれる事も無かったのだが、今の幕府が崩壊後、果たして、
今まで通りの様に穏やかな生活を営む事が出来るのか、其れも、今は何も分からない、源三郎は、
何としても現状の把握と今後の行方を知りたいので有る。
「不審なものと申しますより、これは、私が感じて要るだけなのかも知れませぬので、改めて確認
の意味も御座いましたので、調べる様にと。」
源三郎が、何時、何処で、その様な事を感じたのか、其れは、源三郎自身だけが分かるので有り、
他の者は何も変化が無いと感じて要る。
「源三郎殿、どの様な事態になって要るのかお聞きしたいのですが。」
「う~ん、これは、説明してもご理解されないと思いますが。」
「ですが、お話しだけでも。」
ご家老様もだが、殿様も聞きたいのだろう。
「源三郎殿、話してはくれぬか。」
「はい、では、殿様、松川の海岸へ向かわれた事は御座いますでしょうか。」
「源三郎殿、海岸と申されますと、わしは、行った記憶は無いが、その海岸が何か。」
「左様で、では、ご家老様は。」
「はい、私も行った記憶はござらぬが。」
「皆様、あの海の沖を何が通過しているのかご存知でしょうか。」
「通過とは、大きな船の事でしょうか。」
「竹之進様は沖を進む大きな船をご覧になった事は御座いますでしょうか。」
「はい、私が見たのは、荷物などを積む船だと思うので御座いますが。」
やはりだ、松川の殿様やご家老様は勿論、若い竹之進でさえも見た事が無いので有る。
「源三郎殿、一体、どの様な船なのでしょうか、拙者は意味が分からないので御座います。」
「はい、では、お話しを致しますが、竹之進様の見られたのは大きな廻船問屋が使っております船
で、主に各地から仕入れた物や他の問屋が仕入れた物と、後は、人様を乗せ目的地まで行く専門の
船で、その様な船は誰が見ても分かりますが、私が見た船と言うのは明らかに特別に造られた船で、
民間人と申しましょうか、一般の人達や問屋が仕入れた物を積んではいないと思われます。」
「義兄上、その特別な造りと申される船と言うのは、一体、何に使うのでしょうか。」
「残念ながら、今度ばかりは、私も分からないのですが、若しも、若しもですよ、幕府か新しい組
織の軍艦とは考えたくは無いのですが、可能性が否定出来ないのです。」
「えっ、幕府か新しい組織の軍艦ですと、では、今の幕府と新しい組織が戦争をですか。」
ご家老は、正か、戦争に突入して要るとは知らず、だが、全面戦争では無く、まだ、局地的な戦
と言うべきなのかも知れない。
山賀から菊池までの五か国は、高い山の向こう側の各地で今や全面戦争に突入するやも知れない
状態なのだ、だが、この五か国は幸いにも高い山のお陰なのか、現在の状況が全くと言っても良い
程伝わって来ないので有る。
「源三郎殿、今、申されて要るのは私も分かりますが、松川の領民は殿様やご家中の皆様に対する
不満が無いと申せば嘘になります。
外の世界、私は高い山の向こう側を外の世界だと考えておりますが、その外の世界では幕府の重
税に領民もですが各藩の藩主や家臣達の不満が大きいのだと考えたので御座います。」
「義兄上、では、義兄上の申されます外の世界に住む領民もですが、各藩の藩主も家臣達の不満が
爆発したのでしょうか。」
「竹之進様は松川の全てをご存知でしょうか、例え、無理でも知ろうとなさっておられるのと、知
ろうと言う気持ちも無く、ただ、我が身だけの事を考える藩主ならば、既に、領民は大爆発を起こ
しておりますよ。」
源三郎の発言は、何時もながら大胆不敵と言うか、上田や菊池でも平気で藩の政道を批判する、
だが、上田も菊池も源三郎の批判を甘んじて受けて来た。
其れと言うのも、源三郎の大胆不敵な言動と行動に寄って、両藩も更に山賀も救われたので有る。
「私はこれから先、城下の領民を出来る限り知りたいと考えております。」
「竹之進様、全ては無理としても、領民にすれば、殿様は我々領民の見方なのだ、私はそれが大切
では無いかと思うのです。
私の言動と行動に対し多くの批判が有るのも知っております、ですが、批判を恐れては前に進む
事は出来ませぬ、批判、其れは、領民の為に必要だと私は確信しております。」
何と言う源三郎の自信を持った発言なのだろうか、確かに、今までは、批判を恐れる余り大胆な改革が
出来なかったのも間違いは無い。
今、山賀では源三郎の取った言動と行動に対して多くの批判が松之介や吉永に集中して要るのは
間違いは無い。
だが、批判する者達は鬼家老から受けた個人的な利害を考えて批判をして要るので有る。
だが、何の利害も無い家臣達にとっては批判するよりも大喜びをして要るで有る。
山賀の家臣達の批判は長くは続かないと、源三郎は考えて要る。
「殿様、ご家老様、今、申されました幕府と新組織が戦争に突入するだろうと私は考えております
が、松川のご家中でも、源三郎の考え方は間違って要ると批判されるお方も当然有るのも承知致し
ておりますが、現に私は今まで見た事の無い軍艦が沖を行くのを見ており、願わくば、私も戦争に
は突入して欲しくは無いのです。」
「う~ん、源三郎殿の申される事が本当なのかも知れぬぞ、現実は、我々の中では誰、一人として
その軍艦らしき新しい船を見た事も無いのだ、まぁ~、悪く言えば我々自身が現状に甘んじていた
のかも知れぬのぉ~。」
松川の殿様は新しい情報を知りたいのだろ、いや、知らなければならないのだ、今、外の世界で、
一体、何が起きて要るのかを。
「だが、源三郎殿、我々には外の世界を知るすべがないのじゃ。」
源三郎はニヤリとした。
「殿様、私も別に手を拱いていたのでは御座いませぬ、私の配下を都に行かせ、現在の状況を調べ
る様にと申し付けておりますので。」
「何じゃと、では、今、その者達は、何処に居るのじゃ。」
「殿、私の配下は闇の者ですから、私も、今、闇の者が何処に要るのかも知りませぬ。」
「源三郎殿、闇の者と申されますと山賀の時の。」
「はい、その通りで、その者と農民さん一人が一緒に旅を続けております。」
「何故、農民さんが必要なのですか、私ならば闇の者一人の方が楽だと思うのですが。」
「はい、其れは、普通の考え方でしてね、ですが、斉藤様は失礼ですが農業と言うものをご存知で御座い
ましょうか。」
「いや、私は、全く農業と言うものを知りませんので、えっ、あっ。」
「はい、気付いて頂けましたか。」
「はい、闇の者が源三郎様の配下と言うので有れば、野洲のご家中で御座いますね。」
「はい、その通りで、私が、何故、農民さんを一人付けたかと申しますと、農民さんならば、その
土地で作られている作物の出来具合も分かるのです。
幾ら、闇の者でも農業に関しては全く知りません。
私は都近くの農作物の出来具合と農民さん達の生活がどの様になって要るのか、それらを知るに
は農業の専門家に、其れが、農民さんなのです。」
「源三郎殿の申される事は余も理解へ出来る、じゃが、侍と農民が一緒に旅をすると言うのは、誰
が見ても不自然では無いのか。」
「殿様の申される通りですが、闇の者は数か月も前から髭も落とさず髷も結わず、何処から見ても
野洲の家中だとは思えない程に変わっております。」
「では、侍と言うよりも浪人と申すのか。」
「はい、家中の者でさえ直ぐには分からなかったと申しておりました。
着物は、継ぎ接ぎだらけで数十日間も洗わずにいたそうです。」
「何じゃと、其れは、源三郎殿の命令なのか。」
「いいえ、私は何も指示は出してはおりませんが、闇の者の判断で、何れ、命が下ると考えていた
そうで、同行する農民さんも、其れは、もう大変な驚きでしたから。」
「では、闇の者と農民が高い山を越え都へと向かい、新しいと申すか現状を調べに参ったのか、で、
その者達からの報告は有るのか。」
「いいえ、全く、御座いませぬ。」
「何じゃと、報告が全く無いと申すのか、何故なのじゃ、何処かで文を出す事も出来たで有ろう
に。」
「殿様、ボロボロの着物を着た浪人者が、一体、何処に文を出すので御座いますか、浪人となった
と言う事は、藩は幕府によって取り壊されたので御座いますよ、取り壊された藩の、一体、誰に文
を出すのでしょうか、若しも、その様な文を出し幕府の密偵に知れますれば受け取る相手も知られ
るので御座いますよ。」
「では、闇の者が、一体、何処で何を調べて要るのかも分からないと申すのじゃな。」
「はい、闇の者には道中で起きた事、知り得た情報は、一切、書き物として残さぬ様に申し付けて
おりますので。」
闇の者とは、源三郎の配下で田中直二郎と言う下級武士だが、源三郎に見出され、今は闇の者と
して都へと向かって要る。
「源三郎殿、では、闇の者は、何時頃、野洲に戻る予定なのですか。」
「さぁ~、私はさっぱりわかりませぬが、闇の者がどれ程の情報を得て戻るのかは闇の者が判断致
しますので。」
「では、戻られるまでは何も分からないと申されるのですか。」
「はい、ですが、私は何も心配はしておりませぬので。」
「源三郎殿、その農民ですが、ご家族は。」
「勿論、おられますよ、子供さんもね。」
「では、ご主人がいなければ、農作業は、一体、誰が。」
「村人ですよ、村人も、十分、納得されておられますので。」
「ですが収入は。」
「我が藩では農民さんも漁民さんも収入は御座いませぬ、ですが、米問屋と海産物問屋が各農村、
各漁村に対し定期的に物資を届けておりますので、更に、城下では代価を払う必要は御座いませぬ
ので。」
野洲では、特に、農村と漁村に対しては大量にと言っても過言では無い程、お米を初めとする、
日常生活に必要な物を無償で届けて要る。
「では、ご家族も他の農民達も、今は何の不自由も無く日常生活を送られて要るのですか。」
「斉藤様、我が藩は、農作物は特別な扱いと致しておりますので。」
「えっ、其れは、どの様な扱いなのでしょうか。」
「私の配下が各農村に出向き、この農村ではどの様な作物が良く収穫されて要るのか、其れはもう
詳しく調べ、其れで、一番収穫出来る作物を大量に育てて要るのです。」
「其れでは、他の作物は。」
「其れも、十分に調べた上で各農村は独自に育てて要る作物も有りますので心配はしてはおりませ
んので。」
「では、大量に収穫された作物は。」
「はい、全て、均等に配分しております。」
「其れは、農村、漁村、関係は無いのですか。」
「はい、ですが、仕事の収入の少ない城下の人達には全て無償ですが、今はその人達にも仕事が有
りますので好きな物を買う事が出来るのですよ。」
「う~ん、源三郎殿は、その様な問題を全て解決されたのですか。」
「いいえ、飛んでも御座いませぬ、正か、私、一人で出来る様なお役目では御座いませぬ。」
だが、最初の頃は、殆ど、源三郎、一人で行なったと言っても過言では無い。
その裏には、野洲の殿様が一番の理解者となったのは言うまでも無い。
「源三郎様。」
「えっ、雪乃殿、如何なされましたか。」
「はい、今、夕餉の用意が整いましたと。」
「えっ、もう、その様な刻限でしたか。」
「雪乃、何故、申さなかったのじゃ。」
「父上、私も皆様のお話しを夢中になり伺っておりましたので、気が付きませんでした。」
「そうだったのか知らぬ事とは申せ許してくれ、で、今、何時なのじゃ。」
「先程、暮れ六つの鐘が鳴り。」
「えっ、暮れ六つじゃと、だが、大事な話しじゃ、食を致しながらでも話しを続けたいと思うのだ
が、源三郎殿は如何じゃ。」
「はい、私も宜しいかと存じます。」
「雪乃、此処へ。」
雪乃も何か久し振りに部屋を出た様な、だが、源三郎は何時もとは何かが違うと感じていた。
暫くすると、腰元が夕餉を運んで来た。
「何、わしの夕餉は、皆と違うぞ、一体、何事が起きたのじゃ。」
「はい、この夕餉は殿様ので御座います。」
腰元は何時もの様に殿様だけは別の食事を運んで来た。
「わしは、もう、殿様では無い、この夕餉は竹之進が食せ、わしは竹之進の夕餉を頂く。」
「えっ。」
腰元が驚くのも無理は無い、殿様が勝手に決めたのだ、其れにもまして、その話はこの部屋に要
る者だけが知り他の家臣は全く知らない。
「殿、今日の所は何時もの夕餉をお食べ下さい。」
「う~ん、だがのぉ~、わしは隠居したのだぞ。」
「殿、其れは、此処だけの話で他の者は誰も知りませぬので。」
「そうか、分かった、今日のところは辛抱するが、明日からは。」
「殿、その前に皆に知らせ無ければなりませぬので、暫く、お待ちの程を。」
「よし、わかったぞ。」
其処には雪乃の夕餉も運ばれ食事中も話は続き。
「源三郎殿、連合国の設立ですが、源三郎殿のお話しの中で幕府か新組織の軍艦だとすれば、何れ、
遅かれ、早かれ、戦争に突入するのでは有りませぬか。」
「はい、其れは、私も危惧しております。
其れで、私は以前より考えておりました事が御座いまして、連合国でも軍隊なるものを組織して
は如何と思いました。」
「連合国の軍隊ですか。」
「ですが、私の考えでは、今までの様な武士と武士の戦では無く、組織立てた戦になるのでは無い
かと思っておりますが、領民も訓練次第で立派な兵士となります。
その訓練ですが、我々の様な武士は抜刀隊、領民は、槍隊、弓隊と分ける事が出来るのでは無い
かと考えたので御座います。」
「ですが、果たして、漁民に槍は使えるのでしょうか。」
「其れは、可能だと思いますよ、槍で突く事は出来ますし、弓も使い方を教えれば、可能だと私は
思っておりますので。」
「う~ん、じゃがのぉ~、源三郎殿は簡単に申すが。」
「まぁ~、其れが、出来なければ殺されるのだと納得させなければなりませぬ、但し、相手は領民
ですから最初から出来るはずは御座いませぬので、教える方が辛抱強く無ければなりませぬ。」
「ですが、本当に戦争に突入するのでしょうか。」
「私は戦争は起きると思いますよ、闇の者がどの様な情報をを持ち帰るかにより変わるとは思うで
御座いますが、今は戦争が起きたして、我が連合国が生き残れるか其れだけなのです。」
源三郎が見たと言うのは間違い無く軍艦なのか、その軍艦が幕府なのか新組織なのか、新組織な
らば、一体、どの様な組織なのか、何も分からない状態で戦争に突入すると言う前提で考え領民に
軍事訓練を行うと言うので有る。
だが、果たして、領民が納得して軍事訓練を行なうのが正しいのか、其れよりも、源三郎は、ま
だ、確信は無かった。
「源三郎殿、では、連合国締結の条文に軍隊の設立も必要だと明記されるのですか。」
「私も、まだ、確信は御座いませぬが、明記する、しないは、当日、協議されては如何と思うので
御座います。」
「う~ん、軍隊の設立か、竹之進、わしは、正か、世の中が源三郎殿の申される様にだ大きな変動
が起きて要るとは考えもしなかったのだ、わしも、多分じゃが、源三郎殿の申される話が正しいと
思う、其れでだ、これから先は、源三郎殿の申される話をよ~く考え、若しも、理解出来ないので
有れば他の者を介せず竹之進自身が源三郎殿にお会いし、納得出来るまで話を聴く事が必要だと思
うが、如何じゃ。」
「父上、私も、先程から義兄上のお話しを伺っておりまして、大変な事態になったと考えます。
私は、これから先、松川がどうのと言う様な時代では無くなるのでは無いかと考えたのです。
私は、義兄上が申されておられます戦争になれば、この松川を含む連合国も巻き込まれる可能性
が無いとは言い切れないので御座います。
若しも、その様な事態にでもなれば、松川の家臣達の中からも多くの犠牲者が出ないとは限らな
いと思うので御座います。
其れは、お役目上仕方が御座いませぬが、私は義兄上の申されておられます、全ては領民の為に、
少なくとも、漁師や農民からの犠牲者だけは出したくは御座いませぬ。」
「うん、良くぞ申したぞ、其れでこそ、松川の殿様としての心構えじゃ、のぉ~、源三郎殿。」
「はい、私もその様に存じます、先程のお話しですが、私も闇の者が戻り次第皆様方にもお知らせ
出来ると存じておりますが、今は、余り、深刻になられぬ様にお願い致します。」
「でも、その様に申されましても、今、お聞きしましたので、我々としましても早急に対策を考え
ねばならぬと思うので御座います。」
「ご家老様、其れよりも、今は峠の工事を先行させて頂く方が大切だと思いますので。」
「分かりました、では、殿、斉藤殿を中心としては如何でしょうか。」
「うん、わしも、その様に思うが、今のわしは、隠居すると決めたのじゃ、竹之進と相談して決め
てはくれぬか。」
「はい、承知致しました、其れで、源三郎様は、何時、野洲に戻られるのでしょうか。」
「私は、明日にでもと考えておりますが。」
「源三郎様、私もご一緒に帰らせて頂きたいのですが。」
「雪乃殿、別に急がずとも宜しいですよ。」
「いいえ、私は是非ともご一緒に。」
「そうですか、其れと、あの方々は如何されましたか。」
源三郎が言うのは、雪乃の腰元、加世とすずでこの二人には、松川に残るもよし、野洲へ戻るも
よしと二人の判断に任せて有る。
「はい、私は二人の判断に任せておりますので。」
「そうでしたか、では、雪乃殿、申し訳有りませんが、加世殿とすず殿にお聞き下さい。
明日、出立しますが如何されますかと。」
「はい、では、私が今から、そうでした、確か、昨日まで実家で過ごし、今日、城に戻って来ると
聴いておりますので。」
「では、宜しくお願いしますね、私は少し考える事が有りますので。」
「源三郎殿、では、我々は。」
殿様とご家老様が部屋を出た、源三郎は、一体、何を考えると言うのだろか、やはり、源三郎の
考える様に幕府と新しい組織の戦争は起きるのか、源三郎自身が直接、戦争を見たのではない。
山賀でも、上田や菊池でも、源三郎は木こりや猟師の話を聴く事にして要る。
彼らは、高い山の向こう側で戦が起きて要ると感じて要る。
源三郎は早く野洲の戻りたいと、其れは、もう直ぐ、彼らが野洲に戻って来るだろうと思った。
その後、暫くして、雪乃が戻って来た。
「源三郎様。」
「如何でしたか。」
「はい、加世もすずも実家で野洲での生活を話され、実家のご両親も、何故か、野洲の方が良いの
ではないかと申されたそうです。」
「へ~、野洲の生活をですか。」
「はい、実は、私も野洲での生活が何故か分からないのですが楽しくと申しましょうか、ゆっくり
と出来るので御座います。」
「う~ん、其れは、私は分かりませんが、では、加世殿とすず殿もなのですか。」
「はい、あの二人は特にと申しましょうか、先程も、何時、野洲に戻るのですかと、先に聴かれま
したので。」
「そうでしたか、では、明日、出立出来るのですね。」
「はい、私も早く野洲に帰りとう御座います。」
「では、加世殿とすず殿に、明日の朝出立しますとお伝え下さい。」
雪乃も、明日、出立すると聴いて笑顔になった。
そして、明くる日の早朝。
「源三郎殿、野洲に帰られますれば、栄三郎殿に宜しくと伝えて下され。」
「殿様もお元気で、竹之進様、これからが大変ですが全ては領民の為で御座います。
何卒宜しくお願い申し上げます。」
「義兄上も、余り、無理をなさらぬ様に願います。
姉上、義兄上様の事を宜しくお願い申し上げます。」
「竹之進、源三郎様の事は、私が居りますのでね、何も心配されぬ様に。」
「雪乃、早く、吉報を聴かせてくれよ。」
雪乃は嬉しかった、今の幸せがこれからも長く続く様にと心の中で言った。
「斉藤様、峠の工事が終われば、次は大変ですが。」
「はい、源三郎様、我ら一致団結し、必ずや隧道を完成して見せます。」
「ご家老様、今後とも、藩の為、領民の為に宜しくお願い申し上げます。」
「源三郎殿、我にお任せ下さい。」
そして、源三郎、雪乃、そして、加世、すずは野洲へ向けて松川を後にした。
源三郎達は急ぐでも無しのんびりと街道を行く、その日の夕刻には上田に入り、明くる日の早朝、
上田を出、昼過ぎ暫く振りに野洲の城下近くの茶店に入った。
「雪乃殿、疲れてはおりませぬか。」
「はい、私は大丈夫で御座います。」
「そうですか。加世殿、すず殿も如何ですか。」
「はい、私達も大丈夫で御座います。」
加世は、何故か故郷に戻って来た様な気分がした様子で。
「私は野洲の入りますと、何故か分かりませぬが、我が家に戻って来た様な気持ちなので。」
「源三郎様、私もで御座います。」
「そうですか、其れは、良かったですねぇ~、お二人がその様に思われ野洲の領地も喜んでいると
思いますよ。」
「源三郎様、野洲での私達二人は今まで通りのお役目と申しましょうか、どの様にさせて頂ければ
宜しいでしょうか。」
「う~ん、そうですねぇ~、今までならば、雪乃殿のお世話がお役目だったのですが。」
源三郎は加世とすずの役目を考えるが、其れも、野洲に帰ってからの事になりそうだと。
「まぁ~、今は、何もはっきりと申し上げる事は出来ませぬが、野洲に帰ってから考える事にしま
しょうかねぇ~。」
源三郎の心の中には雪乃を手伝える腰元が必要になるだろうと、其れは、余りにも、源三郎の仕
事が多忙な為に今の雪乃だけでは、源三郎を初めとする数人の配下の者達のも気配りが必要だと、
暫くして。
「さぁ~、参りましょうか、私も久し振りなので、帰ればのんびりとしたいですからねぇ~。」
だが、現実は源三郎が思う程甘くは無く源三郎の命を受けた、田中と農夫の二人も野洲に戻るべ
く高い山を登って要る。
「直さん、後、少しで野洲ですねぇ~。」
「そうですよ、三太さんも、よ~く、辛抱してくれましたねぇ~。」
「いいえ、オラは何にも、ですが、直さん、この国は、一体、どうなるんですかねぇ~。」
「其れは、分かりませんが、今の幕府が崩壊する事だけは間違いは無いですねぇ~。」
「其れよりも、オラが見たところではあの兵隊はお侍様じゃ~無いですよねぇ~。」
「やはり、三太さんも分かるのですか。」
「はい、オラ達の様な農民じゃないかと思ったんです、農民は田や畑の仕事が有りますんで。」
「私も同じですよ、多分、あの人達は領民だと、其れに、一部は浪人も入って要ると思います。
其れよりも、あの組織力には、私は驚かされましたよ、我々、侍と言うのはあの様に統率された
動きは有りませんからねぇ~。」
田中と三太が見たものとは統率され組織化された軍隊で有る。
「三太さんは農地や農民さん達の生活を報告して下さい。」
「えっ、オラがですか。」
「はい、そうですよ、其れに私は農業の事は三太さんが見られ感じた事を話して頂ければ良いと思
いますので。」
「はい、でも、オラは。」
「三太さん、源三郎様は、私よりも三太さんの話を聴きたいのです。
私は、別の報告をしますのでねお願いしますよ。」
田中と三太は話を続けながらも山を登って行く、そして、暫くして。
「直さん、やっと、頂上ですよ、あれは、うん、あの人達は猟師ですから大丈夫ですよ。」
「お~い、猟師さ~ん。」
数人の漁師は二人の姿を見て大変な驚き様で。
「なぁ~、あんた達は、一体、何処に行くんだね。」
「私達ですか、今から野洲に帰るのですが。」
「えっ、野洲に帰るって、いゃ~、其れにしても驚いた、この山を越えて来るなんて、う~ん、其
れにしても、まぁ~。」
猟師は二人の姿を見て驚いて要る、田中も三太も着物はボロボロで、頭は、まぁ~、何と表現し
て良いのかも分からない程で。
「猟師さん驚かないで下さいよ、実は、私達は。」
田中が猟師に説明すると。
「えっ、じゃ~、お侍様で、これは大変だ。」
「何が大変なのですか。」、
「だって、お二人の姿を見たら城下の人達は。」
「だから、いいのですよ、野洲の人達でも分からないとは、うん、これ程嬉しい事は有りませんよ、
ねぇ~、そうでしょう三太さん。」
「本当ですねぇ~、誰が見ても直さんの姿は野洲のお侍には見えないですよ、其れに、オラも村に
帰っても分からないと、だけど、直さん本当にこの着物でお城に入るんですか。」
「三太さん、まぁ~、其れよりも、私はねぇ~みんなの驚く顔が見たいのですよ、其れが、今一番
の楽しみですのでねぇ~。」
田中はニンマリとした。
「オラも、母ちゃんの驚く顔が見たいですねぇ~。」
「三太さん、でも、奥さんに言われますよ、あんた、一体、何処の誰なのって、ねぇ~。」
田中も三太も大笑いするが、猟師達は意味が分からずに首を捻って要る。
「其れで、お侍様、此処から城下に抜ける道は知ってるんですか。」
「いゃ~、其れが全く分かりませんのでねぇ~、出来れば道案内を。」
「じゃ~、オレ達がご城下まで案内しますので足元には気を付けて下さいね。」
猟師達は田中と三太を野洲の城下近くまで案内し、城下近くのなると、やはり、久し振りの野洲
に田中も三太も嬉しそうな顔をしたが、しかし、城下に入ると道行く人達の視線は二人を、だが、
領民達は誰が見てもみすぼらしい姿に驚いて要る。
それ程までに、田中と三太の姿はみすぼらしいので有る。
「さぁ~、三太さん、お城へ参りましょうかねぇ~、城中のみんながどんな顔をするのか、其れが、
今は、一番の楽しみでしてねぇ~。」
「オラもですよ、ですが、直さん、オラ達の姿って、そんなに酷いんですかねぇ~。」
田中も三太もお互いの姿を見慣れてしまったのか、首を捻っている。
「いゃ~、我々は、これが普通だと思いますがねぇ~。」
何処が普通だ頭の髪は伸び放題で髭も同じなのに、その姿が二人には普通だと、だが、そのボロ
ボロのお陰で二人が無事野洲に戻って来たのは間違いは無い。
やがて、二人は野洲の大手門近くまで来ると。
「えっ、あの二人は、一体、誰だ、誰かお侍様に伝えてくれ、大手門に向かって、怪しい二人が
来ると。」
別の門番は城中へ飛んで行き、城中で話しを聞いた数十人の家臣が大急ぎで大手門に駆け付けた。
「源三郎様は居られますか。」
「貴方方は、一体、何処のお方ですか。」
数人の家臣と田中がやり取りをしている。
「お主は、一体、何処から来られたのですか。」
「三太さん、ほらね、私が言った通りでしょう、分からない様で、嬉しいですねぇ~本当に。」
「直さん、大成功ですねぇ~、オラも嬉しいですよ。」
田中と三太は嬉しそうな顔をしている。
「三太さん、ほれ、見事に。」
「直さん、オラ達を何処かの怪しい奴らだと思ってますよ。」
「私ですよ、田中直二郎ですよ、源三郎様の。」
「えっ、正か。」
「その正かですよ、そんなに、私達が分かりませんかねぇ~。」
「だけど、えっ、本当に。」
其れでも、家臣達は疑って要る、其処へご家老様が来た。
「お~、田中か、まぁ~、其れにしても見事に惨めな姿だなぁ~。」
「ご家老様、田中と三太さんは、只今、戻りました。」
「良くぞ無事で戻って来たなぁ~、さぁ~、そうだ、その前に二人には湯殿に行ってさっぱりとし
てくれ。」
「はい、では。」
「ご家老、あの二人は。」
「お前達は知らなかったが、源三郎が田中と農民と二人で都へ向かわせたのだ。」
「其れで、長い間、田中殿のお姿が見えなかったのですか。」
「その通りだ、誰か、賄い処に行って、二人の食事を、お~、そうだ、あの農民には新しい作業着
が必要だ、其れと、まぁ~良いか。」
「はい、直ぐに。」
数人の家臣が走って行く。
「そうだ、田中にも新しい作業着を。」
城内では二人が無事に戻って来たと、もう、大騒ぎをしている。
「直さん、オラは。」
「何を言ってるんですか、今の姿で家に帰った途端に言われますよ、あんた、一体、誰なのよ~っ
てね。」
田中は大笑いし、三太も大笑いして二人は殿様専用の湯殿に行き、旅の、いや、密偵としての任
務を無事終え、其れこそ、湯で上がるのではないかと思える程の長い風呂を終え。
「田中、殿が、ゆるりとせよと申され、食事とお酒も。」
「えっ、ですが、私は報告しなければなりませんので。」
「田中、わしも同じ気持ちだ、報告は何も今で無くても良い、今日のところは酒でも飲んでのんび
りとするんだ、これは、殿からの命令だぞ。」
その時、数人の腰元が二人の食事とお酒を運び。
「田中様、私達は殿様のご命令で参りましたので、ごゆるりとお過ごし下さませ。」
「直さん、オラ。」
「まぁ~、三太さん、殿の命令では逆らう事も出来ませんよ、まぁ~、諦めてね、一緒にお酒でも
飲みましょうか。」
田中は三太を気遣って要るし、三太はお城で、しかも、美しい腰元が前に座りお酒の尺をしてく
れるとは、其れはもう、夢の世界で手が震えて要る。
「三太様と申されるのですね、余り、震えますとお酒が零れますよ。」
「はっ、はい。」
其れから二人は食べて飲んで夕刻頃になると、田中も三太も、今までの疲れが一度の出たのだろ
う、その場で眠ってしまった。
腰元達は二人を起こさず布団を掛け静かに部屋を出た。
その少し前。
「殿、源三郎が戻って参ります。」
「何じゃと、源三郎が戻って参るとな、で、何時じゃ。」
「はい、文に寄りますと今日の夕刻までには。」
「よし、権三、誰か、誰か居らぬのか。」
「はい。」
家臣も何時もの殿様の声と違うと、これは、若しや。
「湯殿の用意じゃ。」
「はい。」
「源三郎が、ほ~、で、雪乃は。」
「はい、雪乃も含め、全員が戻って参ります。」
家臣の顔が喜びの顔に変わった。
「これは、忙しくなるぞ、賄い処に申し伝えよ、源三郎達が戻って来る夕餉の準備じゃ。」
若い家臣は家臣達の詰所に飛んで行った。
「お~い、源三郎様が戻って来られるぞ~。」
「其れは、誠か。」
「はい、今、殿の御命令で湯殿と賄い処にも。」
「そうだ、我々で湯殿を。」
「おい、待てよ、奥方様は。」
「全員が戻って来られるそうです。」
「ですが、女性用ですので、我々が行くのは。」
「よ~し、拙者がお願いに行くよ。」
「では、拙者は賄い処に。」
野洲の城中は、もう、大騒ぎになって要る、先程は田中と農夫の三太が無事に戻り、今度は源三
郎達が戻って来るのだと家臣達は城内を走り回って要る、一体、何が忙しいのだろうか。
「おい、田中様が眠られて要る、少し静かになっ。」
田中と三太が眠って要る部屋までは聞こえる事は無い。
だが、其れだけ、源三郎の帰国を待ち侘びていた野洲の家臣達で有る。
田中と三太はぐっすりと寝込んでいる。
夕刻近く、大手門には多くの家臣が源三郎達の姿が見えるのを、今や、遅しと待っている。
「あっ、源三郎様だ、殿とご家老様に伝えてくれ。」
「では、拙者が参ります。」
若い家臣が飛んで行った。
「皆様、何か起きたのですか。」
源三郎は、正か、大勢の出迎えを受けるとは思いもしなかった。
「源三郎様のお迎えにですよ。」
「えっ、私達の為にですか。」
「はい、其れと、今日のお昼頃、田中様と三太さんのお二人も無事に戻って来られました。」
「そうですか、田中様も無事で、其れは何よりでしたねぇ~。」
「源三郎様、其れよりも、皆様、先に湯殿へ。」
「ですが、殿に報告を。」
家臣は舌をペロッと出し。
「殿が申されました、源三郎の事だ報告が先だと、実は田中様も同じ様に申されましたが、殿は、
報告は良い、先に湯殿へ連れて行けと申され、奥方様もで御座います。」
「えっ、ですが。」
「源三郎様、田中様も三太さんも、其れは長いお湯でしたよ、源三郎様、さぁ~、早く。」
「雪乃殿、殿の御命令とあらば仕方が御座いませぬので。」
「はい、承知致しました。」
源三郎達は大手門から直接湯殿へと向かった。
「のぉ~、権三、源三郎達の報告は明日でも良い、今宵はゆるりとさせるのじゃぞ。」
「はい、殿、有り難きお言葉で、源三郎には私から申し伝えて置きます。」
源三郎達が湯殿から上がると、田中と三太の眠って要る部屋から少し離れた部屋と入り此処でも、
腰元達が夕餉を運んで来た。
「源三郎様、殿様の御命令で。」
加世とすずは戸惑って要る、本来ならば二人の役目なのだと。
「加世様、すず様、今宵だけは何時ものお役目を忘れて下さいませ。」
「はい、ですが。」
「加世殿、すず殿、今宵はのんびりとして下さいね、でも。」
源三郎は其れ以上言わず久し振りに杯を口に運んだ。
「さぁ~、鈴木様も上田様も大変ご苦労様でした、明日、殿に報告しますので、お二人も同席をお
願いします。
まぁ~、其れよりも、今宵はゆるりとさぁ~飲んで下さいね。」
「はい、承知しました。」
源三郎もだが、鈴木も上田も久し振りに戻った野洲での夕餉は、美味しく感じ、彼らも疲れなの
か少しのお酒で酔いが回り、二人共、その場に眠ってしまった。
「鈴木様。」
加世が声を掛けたが。
「加世殿、宜しいですよ、雪乃殿も疲れた事でしょう、早く眠られては如何でしょうか。」
「私は大丈夫で御座いますので、源三郎様の方こそ、多忙な毎日でお疲れでは、加世、すず、鈴木
様と上田様の掛け布団をお願いしますね、その後はお部屋に戻って頂いても宜しいですので。」
「はい、では、その様にさせて頂きます。」
加世とすずは二人に布団を掛けると。
「では、私達はこれで失礼させて頂きます。」
「お二人共、明日は何も考えず、急ぎ起きる必要も有りませんからね。」
加世とすずが部屋を出た。
「源三郎様、これから先、一体、どの様になるのでしょうか。」
雪乃はやっと掴んだ幸せを戦争で壊されれるのではないかと心配になって要る。
「雪乃殿、明日、田中様の話を聴くまでは、私も判断が出来ないのです。」
雪乃も源三郎の話は理解出来る、だが、雪乃は源三郎から安心する様にと言う言葉を少し期待し
たので有る。
「雪乃殿のお気持ちは私も承知致しております。
ですが、幸いな事に田中様が無事に戻られて来たのですから、田中様と三太さんが集められた情
報を聴く事が今一番大事なのです。
申し訳有りませぬが、明日は雪乃殿も同席して下さい。」
「私がですか、でも、何故、私が。」
雪乃は内心嬉しかった、直接、田中の話が聴ける、その後、源三郎がどの様に判断するのか全て
は明日の報告待ちで有る。
その後、源三郎達も久し振りに野洲の夜を過ごし、静かに夜が明け、今日は田中の報告を聴く為
なのか、源三郎は早く目が覚め、田中も三太も早くから起きて要る。
「殿。」
「お~、源三郎、久し振りじゃ、其れで、松川は如何で有った。」
「はい、私も松川と山賀の国は大丈夫だと。」
「うん、そうか、余も、今日は早く目が覚めたのじゃ、源三郎が戻る少し前に田中も戻って来たの
じゃ。」
「はい、私は田中様が大変だったと思いまして、其れよりも、何よりもご無事で戻られましたので、
私は嬉しく思っております。」
「其れよりも、雪乃は。」
「はい、間も無く、上がって来るかと。」
その時、ご家老様と田中、三太が来た。
「お~、田中、良くぞ、無事で、その方が田中と共にし調べに参った者か良くぞ無事で戻って来た、
大儀で有ったぞ。」
殿様は三太に頭を下げると。
「はっ、はい、オラ、オラは、直さん、済みません、田中様の。」
「三太とやら何も気を使わずとも良い、直さんで良いぞ、田中もその方が良いと思うが。」
殿様はニコニコとしている。
「はい、私も三太さん、特に三太さんは各地の農村では、其れは、もう、大活躍で。」
「うん、うん、そうか、そうか、三太、二人の報告が終わるまで辛抱してくれよ、済まぬ。」
三太は、正か、殿様が頭を下げるとは考えもしなかったので、緊張で冷や汗をかいて要る。
「源三郎、三太も早く家族の元に帰りたいと思うが。
「はい、私は田中様と三太さんのお話しを聞きたいのです。」
「権三も其れで良いか。」
「はい、私も其れで宜しいかと。」
「では、田中、話しを聴かせてくれぬか。」
「はい、私と三太さんは都へと向かいましたが。」
その後、田中は、時々、思い出しながら、都までと、都周辺で見聞きした事を話し、三太も田中
が途中で農村に付いて知り得た情報を話した。
三太は途中で何度も首を傾げ、思い出そうと必死で、殿様もご家老様も源三郎も何も言わずに、
三太が思い出すまで静かに待った。
田中と三太の話は一時以上も続くが、田中も三太も必死だ、其れ以上に、源三郎は田中と三太の
話を書き留めて要る。
勿論、鈴木も上田も必死で書き留め、殿様は時には驚きの表情を見せて要る。
「殿、今の話しで殆どですが、私も全てをお話し出来たとは思っておりませぬ。」
「田中、良いのじゃ、三太も無理に思い出す事は無いぞ、のぉ~、そうで有ろう、源三郎。」
「はい、私は田中様には途中で何が起きるか分かりませんので、一切、書き留めるなと申しました
ので、今、思えば大変なお役目をお願いしたと、今は、お二人が無事に戻られた事に安堵を致して
おります。
「源三郎様、私よりも、三太さんは大変辛かったと思います。
旅よりも、あれだけの日数を掛け、色々な人達から話しを聴かれたのですから。」
「三太さん、本当に無理を言いました、この通りですお許し下さい。」
源三郎は改めて三太に頭を下げた。
「源三郎様、オラは何もしてないんですよ、全部、直さんのお陰で。」
「殿、三太さんを帰されては。」
「うん、其れが良い、誰か、三太を村まで送ってくれぬか、そうじゃ、三太、子供は。」
「はい、二人ですが。」
「権三。」
「殿、全て、揃えておりますので。」
「うん、さすがじゃ、三太少し荷物になるが、持って帰ってくれぬか、子供と内儀にじゃ。」
「えっ、そんなぁ~、オラは。」
「三太さんいいじゃないですか、殿が持って帰れと申されておられるのですからね。」
「はい、ありがとうございます、では頂きます。」
「では、三太、又、何か思い出した時には、余を訪ねてくれ、これからは、三太は直接城に来て良
いぞ。」
「はっ、はい。」
三太は殿様にお礼を言って家族の元へと帰って行く。
「源三郎、田中の報告の分析よりもじゃ、松川と山賀の話を聴かせてくれ。」
其の時。
「殿様。」
雪乃は、加世、すずを伴いお茶を運んで来た。
「お~、雪乃、暫く振りじゃのぉ~。」
「はい、有難う御座いました。」
「その方達も野洲に戻って来たのか。」
「はい、私達は野洲が大好きなので御座います。」
「何と、野洲が大好きじゃと、これは、誠、嬉しい話しじゃ、して、雪乃、如何で有った。」
殿様は加世とすずは野洲が大好きだと、其れが、嬉しく何よりもの土産だと。
「はい、私も久し振りに父と色々と話す事が出来ました。」
「そうか、そうか、で、竹之進と松之介は。」
「はい、源三郎様のお陰を持ちまして、今では私が危惧しておりましたよりも、驚くばかりの成長
に、私が圧倒されております。」
「そうか、雪乃も、これで、一安心じゃのぉ~、して、源三郎は如何で有った。」
「はい、私は、今回、少し非情だと思われる方々もおられると思いますが、山賀の鬼退治を終える
事が出来ました。」
「なに、鬼退治じゃと。」
「はい、山賀には赤鬼と青鬼が有りまして、二人の鬼は既にこの世にはおりませぬ。」
「何じゃと、二人を切腹させたのか。」
「まぁ~、一人は切腹で、一人は海の藻屑に。」
殿様は、正か、源三郎が下したとは考えなかった。
「では、藩主は。」
「はい、隠居して頂き松之介様を婿養子として迎い入れ、松之介様は到着されたその日から先頭に
立たれまして、早くもご城下の者達からは若様と呼ばれ洞窟の掘削工事に入られました。」
「何じゃと、到着したその日から動き出したのか。」
「はい、私は松之介様があれ程にも積極的な行動に入られるとは全く予想しておりませんでしたの
で、まぁ~、少し驚いております。」
殿様は幼い頃の竹之進と松之介を知って要る。
正か、松之介が先頭になり、早くも動き出すとは考えもしなかった。
「じゃがのぉ~、洞窟の掘削と申しても。」
「殿、其れが、城下の者達の案内で巨大な洞窟を発見したのです。」
「巨大な洞窟じゃと。」
「はい、其れが、城下の者達の間ではお蛇様が要るとかで。」
「何じゃと、お蛇様じゃとな。」
「はい、大昔から洞窟の中には大蛇が要ると伝説が有りまして、今まで数百年間、誰も入った事が
無いと言われておりました。」
「だが、入って見ると、何も無かったと申すのか。」
「いいえ、其れが、何か所も隠し部屋が有り、その中に大量の武器が残っておりました。」
「では、その洞窟は武器庫だと申すのか。」
傍で話しを聞いて要るご家老様も雪乃達も驚きの連続で夢中になって聞いて要る。
「はい、ですが、私が驚いたのは、その洞窟に入る入り口ですが、どうやら、空掘りからお城に入
れると様になって要ると思って要るのです。」
源三郎は、この時、まだ、城の中に有る隠し部屋が見つかり空掘りを抜け洞窟まで通じて要る事
を知らなかった。
「では、大昔の城藩主が後々の為に城の中にでは無く、空掘りを抜ける巨大な洞窟を掘ったと申す
のか。」
「はい、私はその様に考えております。
私が山賀を去った後、若様が調査されて要ると考えておりますが。」
「では、山賀の洞窟は掘削は可能なのか。」
「其れは、可能ですが、山賀から松川の峠までは十里も有り、其れは、容易に出来るものでは御座
いませぬ。」
「じゃが、何としても完成して貰わなけては困るのじゃ、野洲の海岸では、後、少しだと聞いてお
るぞ、そうだなぁ~、権三。」
「はい、私も元太から直接聞いております。」
「父上、其処まで進んで要るのですか。」
「うん、元太と英二、其れに、銀次が先頭になり、特に、銀次は男達の中心人物だが、男気と言う
のか、あの者達は源三郎の為にだと申しておるぞ。」
銀次は、源三郎が命の恩人の様に考えて要る。
城下では仕事も少なく、その日の食べる事さえも困難だった男達が洞窟の掘削と言う仕事に有り
着き、毎日の食事も漁師の奥さん達が作り、其れだけでも嬉しいと思うのに、源三郎は銀次達を大
切な仲間だと言って大切に扱ってくれる、その事が銀次達の心を動かしたので有る。
「ですが、事故だけには、十分。」
「其れも、元太が一番危惧して要る、だが、元太と英二が漁師と農民の数人づつで交代しながら警
戒し、少しでも危険だと分かれば工事は中止する様になって要るのだ。」
「では、今、直接、工事に就いているのは。」
「銀次達が中心なのだ、漁師は魚を農民は畑で取れた野菜を運び、漁村の奥さん方が料理し、今は、
全て彼らのやり方に任せて要るのだ。」
其れは、銀次達の考えで、漁師の元太、農夫の英二が協力すると言う方法になり、今では、この
三者が一体となり工事の進み方が早くなった。
「源三郎の知らぬ間に彼らが決めた、余は何も言う事は無いのじゃ、源三郎の気持ちはのぉ~、誰
もが知っておるのじゃぞ。」
「では、ご家中の皆様方は。」
「其れがのぉ~、大木の切り出しや加工された材料運びなど、家中の者達も勝ってに決め、現場の
仕事が滞らぬ様にと、更にじゃ、山に行き洞窟内で使う薪木集めにも行っておるのじゃ。」
「では、どなた様が先頭になられて。」
「いや、別に誰と言うのではない、誰が決めたのでもないのじゃ、そのお陰でじゃ、余と、権三に
は仕事が無くてのぉ~、余は寂しいのじゃ、源三郎何とかならぬか。」
殿様は嬉しさ半分、寂しさ半分なのか苦笑いをしている。
「殿のお役目は皆が元気で楽しく、お役目を果たし事故の無い様に願って頂く、これが、何よりも
大切なお役目かと存じておるので御座いますが。」
「う~ん。」 殿様は半ば諦めて要るが、表情は嬉しさで大満足だと。
「殿、田中様が集められました情報からなのですが、我々には直ぐに危害が及ぶ事は無いと思いま
すが、田中様の考えで宜しいので率直な意見を出して頂き、我らも、其れで、軍備を早める必要が
有ると思われるでしょうか。」
「源三郎様、我が野洲を含め、五か国の前には高い山が連なり、この山は簡単に越える事は無理だ
とは思います。
ですが、少数ならば越境する可能性は否定出来ないので御座います。」
「私も高い山が越境する者達を拒んでいるのは承知しております。
でも、仮にですよ、猟師の手助けが有るとすれば如何でしょうか。」
「確かに不可能では御座いませぬが、私と三太の二人でも向こう側からどの様にして登ったのかも
分からない程で道と言う物が全く有りませんので無理だと思うのです。」
「田中、道が全く無いと申すのか。」
「はい、下から少し入れば、もう、山の中は熊笹に覆われ、急な登りが続き、私と三太さんの様に、
何も持たなければ、其れでも簡単では御座いませぬ、ですが、軍勢ともなれば大量の武器を持って、
あの急な登りは無理だと、更に、山には狼の大群がおり、熊笹も我らの身の丈よりも高く、狼の恐
怖と戦いながらの連続で、其れは、もう少人数と申しましても簡単では御座いませぬ。」
菊池から山賀に至るまで高い山が今まで外部の人間が入るのを拒んで来た、だが、世の中が風雲
急を告げて要る。
過去には殆ど人の往来は無かった、だが、一部の旅人は山と海の間の僅かな通り道を抜けて訪れ
る事が出来た。
だが、その海岸沿いの道は細く狭い、旅人などの人数ならば何も問題は無いが、その道も満ち潮
と冬場の荒れた時などは通るどころか近寄る事さえも危険なのだ。
「源三郎様、私と三太さんは菊池の海岸を通りましたが、あの道は細く狭い、更に、山が迫ってお
りますので落盤事故でも有れば大量の岩石を取り除かなければならず、並みの人間が果たしてその
様な危険を犯してでも通行するとは、私は到底思えないのです。」
「田中様、その道はそれ程危険なのですか。」
「はい、まず、満ち潮になれば道は海の中に入り、通る事は不可能かと。」
「う~ん、ですが、私は絶対に来ないとは言い切れないのです。
この道を通った旅人の話は密偵の話とは別で、考え方を変えれば、この地に入り込めば他の軍勢
からの攻撃を受ける事は殆ど無いと判断すれば、幕府か新組織の軍勢が押し寄せて来る可能性も考
えなければならないのです。」
源三郎の考え方は、むしろ、田中とは全く違い、外部からの侵入が困難と言う事は一度この地に
入れば防御の方法も簡単だと、其れが、今の五か国が外部の敵からの攻撃も無く、安全な地域で有
る事を物語っている。
「殿、私は田中様の判断に間違いは無いと考えております。
ですが、私は反対の立場から考えますと、我らの地域に侵入すれば、其れだけ、敵からの攻撃に
対し、防御が行ないやすいと考えております。」
「源三郎、防御がやりやすいとは、何故じゃ。」
「はい、この地域はこの数百年間と言うもの外部から軍勢が攻め込んだとは聞いておりません。
田中様の申される通りならば、冬場の荒れた海岸を軍勢が侵入する事は無理としても、私が何度
か見ました軍艦を利用し海上からの侵入が有ると考えねばなりませぬ。」
「だが、冬場の海は荒れるならば、他の所からの侵入は無理では無いか。」
「殿、我が藩の海岸もですが、山賀の国以外は、全て、入江となっておりますので、その入り江か
らの侵入は可能だと考えねばなりませぬ。」
「では、源三郎は入江に侵入させない方法を考え無ければならないと申すのか。」
「はい、私も数日来考えては要るのですが、漁師達の舟は小型、沖を通る船は大型なのです。
幾ら、漁師達の腕が良いと申しましても、大型船の上からでは、其れこそ狙い撃ちされ、船に辿
り着くまでには全滅します。」
だが、今の状態では何の方策も考えられない、源三郎は何れ幕府か新組織の軍勢から攻撃される
で有ろうと考えて要る。
五か国連合が成立したとしても、一体、どの様な方法で防御すれば良いのか、今は誰も考え付か
ないので有る。
「源三郎、入り江の入り口に砲台を設置してはどうじゃ。」
「私も其れは考えました、ですが、砲台が設置されたと知れば、軍艦からの一斉攻撃を受け、若し
も、砲台が全滅すると、軍勢は入り江の奥に有る海岸に向け一斉進軍を許します。
今はこの地に我々が住んでいる事を知って要るのは幕府だけかと考えております。」
「では、どの様な方法が有ると申すのじゃ。」
「殿、残念ながら、今の現状を打開出来る策は考え付かないので御座います。」
「う~ん、これは、困ったのぉ~、権三、一体、どうすれば良いのじゃ。」
殿様も源三郎が考え付かないのでは無理だと分かって要る。
「殿、源三郎が考え付かない策をどうして私が考え付くのでしょうか、だが、源三郎、見張り所だ
けでも設けてはどうだ。」
「はい、私も見張り所は大事だと考えております。
其れで、入江の入り口の両方に沖からは発見されない様な見張り所を設け、海岸に伝えるだけで
も少しは違う様に思えるのですが。」
「だが、伝えて、一体、どうするのじゃ。」
「まぁ~、海岸の漁民だけでも洞窟に避難出来るかと。」
「其れでは、農民はどうなるんだ。」
「父上、農民はお城に逃げ込み、お城から地下道で洞窟に城下の領民も同じ方法を取れば助かると、
我々は敵軍を迎え撃つ、これが、今、考えられる一番の方法です。」
源三郎は、漁民、農民、城下の者達だけでも洞窟へ避難させれば良いと考えた。
「よし、分かったぞ、源三郎、其れとじゃ、城中の腰元や女中達もじゃ、男は全員、戦に向かうが、
婦女子だけでも避難させるのじゃぞ。」
殿様も今の状態で助ける方法として最高の方策だと確信し、其れが、源三郎の言う、全ては領民
の為なのだ、殿様を初め、城の武士全員が例え、討ち死にしても、領民、城内の腰元、女中だけで
も生き残れるので有れば、其れで十分だと考えて要る。
「源三郎、余も、これからは、皆と同じ作業着を着るぞ、その方が動きが良いのじゃ、例え、権三
や源三郎が反対しても、余は決めたのじゃ、文句は聴かぬ。」
今度ばかりは、ご家老様も源三郎も、いや、むしろ、大賛成だ、殿様の覚悟を言葉で伝えるより
も遥かに効果的だと。
「殿、何か楽しそうなお顔ですが。」
「権三、余はやっと皆と同じ作業着が着れるのじゃぞ、其れが、喜ばずにおれるか、権三や源三郎
に余の気持ちが分かるか、うん、どうじゃ。」
殿様は、もう、ニコニコ顔でまるで子供のようだ。
「殿、私もよ~く分かりますぞ、殿もこれで、やっと、仲間になったと思われて要るのでは御座い
ませぬか。」
「うん、うん、そうなのじゃ、今まで、余は、一人、別の世界にいた様な気持ちだったが、これで、
晴れて仲間に入れたのじゃ、源三郎、戦になれば、余が先頭に立つぞ、余はのぉ~何故か知らぬが
嬉しくなってきたぞ。」
殿様は一番に戦死する覚悟だ、殿様は最高指揮官として華々しい戦死を願って要る。
「殿、私は二番手で参りますぞ。」
「権三、お主と一緒ならば、余は何も言う事は無い、二人、喜んで戦死するか。」
「はい、では、あの世でのんびりと致しましょうか。」
殿様とご家老様は大笑いし、二人は早くも戦死しあの世の事までも話し合って要る。
「殿も父上も、少しお待ち下さい。
お二人の話しでは、今日か明日にでも戦争に突入する様で、ですが、まだ、何も確信は無いので
御座いますよ。」
「何を申すか源三郎は、余と権三の楽しみを取ると申すのか。」
「そうでは御座いませぬ、殿は最高指揮官で御座います。
其れが、先頭になり、あたかも、一番に戦死を望まれておられますが、総大将の殿は最後の最後まで生
き、皆が戦死したならば殿が何をされ様と勝ってでは御座いますが、殿が一番に戦死されますと、家臣は
動揺しますので、殿は最後まで死んではなりませぬ。」
源三郎の言う事が正しい、殿様も源三郎に言われると反論も出来ずに要る。
「源三郎、余には最後まで生きよと、だが、一度でも良い、余に好きな様にさせてはくれぬか。」
「殿、駄目なものは、駄目で御座います。」
源三郎がはっきりと言うと。
「権三、どうにもならぬのか。」
「殿、其れが、殿の運命で御座います。」
ご家老様にも反対された殿様は少し落ち込んでおり、その姿を見た、雪乃や田中達はクスクスと
笑って要る。
「何じゃ、その笑い、その方達は良いのぉ~、何時でも、何処にでも参る事が出来るのじゃから、
余は何処にも行けぬのじゃ、お~、何と寂しい運命なのじゃ、余は寂しいのじゃ。」
殿様もお笑いをし。
「のぉ~、源三郎が考えた方法以外に何も策は無いのか、田中は如何じゃ。」
「殿、私には、とてもでは御座いませぬが、源三郎様の様な策は浮かびませぬ。」
源三郎も他の策を考える事になるが、其れよりも、この数日以内に連合国設立の署名式が有る。
今の源三郎は考えが纏まらない、だが、有る人物の登場で事態が急変するとは、この時の源三郎
を初め、殿様もご家老様も思いもせずに、数日後、五か国の藩主とご家老様、更に、中心人物が集
まり、連合国の設立が正式となる時まで予想もしなかったので有る。