第 12 話。 迫られる、源三郎。
「お頼み申します、私は、野洲藩の生野田源三郎と申します。
ご家老様に、お会いしたく、参上、致しました。」
松川藩、大手門の門番は、大変な驚きで。
「はい、少し、お待ち下さいませ。」
門番の見たものは、大勢の侍達の姿で有る。
「大変だぁ~、ご家老様に伝えて下さい。
野洲藩の生野田源三郎と申されます、お侍様が、ご家老様にお会いしたいと、大勢のお侍様方と
一緒に大手門に来られております。」
源三郎と大勢の侍が来たと言う話は、すぐ、城中に伝わり、松川藩の家臣達が、次々と大手門に
集まり出した。
「生野田様と、申されましたが、一体、ご家老に何用で御座いますか。」
「はい、これは、失礼しました。
実は、隣の山賀藩の件で、重大なお話しが御座いますので。」
「重大なお話しとは、如何なお話しで、御座いますか。」
「失礼ですが、ご貴殿は、ご家老様でしょうか。」
「いや、拙者は、ご家老は、今、大事なお話しを、殿と。」
「では、殿様にもお伝え下さいますか、山賀の鬼退治は終わりましたと。」
「あっ、ご家老。」
「生野田殿とは、野洲のご家老様では。」
「はい、私は、一子、源三郎と申します。
只今、ご家中の方にも、申し上げましたが、山賀の鬼は退治致しました。」
「えっ、では、山賀の家老は。」
「はい、最後は、これで。」
源三郎は、家老が切腹したと、腹を切る真似をすると。
「えっ、あの家老が、腹を。」
「はい。」
「源三郎殿、此処では何ですので、お供の皆様方も、ご一緒に、さぁ~、どうぞ。」
松川藩の家臣達は、山賀の家老が切腹したと話し聴いたのだが。
「松川の家臣に告ぐ、今は、何も話すで無い、皆様方をご案内するのだ。」
どうやら、松川のご家老様は、今までの経緯を知って要る様子で、源三郎達を大広間に案内する
と、其処には、松川の殿様が待っていた。
源三郎達全員が座ると。
「殿様、私は、生野田源三郎と申します。
そして、私の、後ろに控えますのが、野洲藩の家臣で、左に控えますは、阿波野様と申されまし
て、隣の上田藩のご家中の皆様方で御座います。」
「そちは、生野田と申されが、若しや、ご家老様の。」
「はい、一子で、源三郎と申します。」
うっ、何故に、松川藩の殿様と、ご家老様が、我が、父上を知って要る。
あの時、松川藩に向かうと決まった時でも、何も申されなかったが、父上を知って要ると言う事
は、当然、殿様も、ご存知だと、だが、その様な事は、今は、どうでも良い。
「殿、先程、源三郎殿が、山賀の鬼を退治退されたと申されました。」
「えっ、其れは、誠なのか。」
松川の殿様は、驚きを通り越して、安堵したと言うよりも、気が抜けた様子で。
「源三郎殿、何故じゃ、何故、あの家老が死ぬ様な事になったのじゃ。」
「はい。」
源三郎は、山賀の家老達の悪事を暴露した様子を詳しく話すので有る。
「だが、よくも、あの家老が認めたものじゃ。」
「殿様、私の後ろに控えし者達は、全員が、手練れの者達で、全員が、家老と重役達を抑え、ご家
中の者達には、何も出来ぬ様に致しましたので、実に簡単に終わりました。」
「家老達は不正蓄財をして要ると聞いたが。」
「はい、家老と重役方の寝所の床下に隠して有り、今頃は、私の配下の指示の下、山賀の城に運び
込んで要ると思います。」
何と言う事だ、あれ程にも権勢を誇った家老が簡単に切腹するとは考えられないと、殿様も、ご
家老様も思って要る。
「源三郎殿、あの家老が、切腹するとは、考えられないのですが。」
「ご家老様、実は、私の大失敗で、家老を切腹させてしまったので御座います。」
「何を、失敗されたのですか。」
「はい、私は、家老には、切腹も、打ち首も認めておりません。」
「何じゃと、切腹は認めないと申すのか。」
「はい、私は、一国を預かる、筆頭家老が、城下の問屋と組、悪事を働き、数万両もの蓄財をした
と、其れは、簡単に、許す事が出来ないので、御座います。
彼らの為に、どれ程、多くの農民や、漁民達が苦しめられたかと事を考えますと、簡単に切腹し、
さぁ~、これで、終わりましたとは、どうしても許せなかったのです。」
「では、何故に、家老は切腹したのじゃ。」
「私は、家老を山に連れて行き、山中にて、足を切り落とせば、後始末は、狼や、烏が片付けると
伝え、森に向かう途中、家老が、遺書を残したいと申しますので、家老宅に入れ、遺書を書かせた
のですが、我々が、少し目を離した隙に、腹を召された言うのが事実なので御座います。」
「えっ、森の狼の餌食にか、源三郎殿は、何と、恐ろしい事を考えるのじゃ。」
「私は、別に、恐ろしいとは思いません。
殿様で有れば、切腹させて終わりでしょうが、私は、農民や、漁民の苦しみを知っております。
侍だから、切腹が許されるのでしょうか、これが、農民や、漁民達ならば、簡単に張り付けにさ
れるでしょう、其れよりも、殿様は、この松川の漁民や、農民がどれ程、苦しい生活をされて要る
のか、ご存知なのでしょうか。」
「何じゃと、余が、何も知らぬと申すのか。」
「では、お聞きしますが、城下の米問屋が、幕府の密偵だと言う事はご存知でしょうか。」
「何じゃと、米問屋が、幕府の密偵じゃと。」
「ご家老様も、皆様方も、ご存知なのですか。」
松川の大広間は、蜂の巣を突いた様な大騒ぎになった。
城下の米問屋が、幕府の密偵だとは初めて聴く話しなのだ。
「如何ですか。」
誰からも返答が無い。
「私は、全てを知っておりますよ、全てをお話し致しましょうか。」
「う~ん。」
殿様も、ご家老様も、絶句し、源三郎の言う全てとは、一体、何処までの事を知って要るのだ。
殿様も、ご家老様も、源三郎が、次に何を言い出すのか、分からず、聴く事も出来ない。
「まぁ~、其れよりも、昨日、三百俵ものお米を、農村と漁村の人達に配ったのをご存知でしょう
かねぇ~。」
「何じゃと、三百俵ものお米を、農村と、漁村に、一体、何故じゃ、何故に、農村と、漁村だけな
のじゃ。」
「何も、ご存知無いとは、では、ご家老様は、皆様は、如何で御座いますか。」
松川の家中の者は、三百俵ものお米を、農村と、漁村に配って要る話は、誰も知らない。
「殿様、では、私が説明致します。」
源三郎は、何故、農村と、漁村だけに、お米を配る事になったのかを詳しく話し始めたが、全て
を話すのに、一時以上も掛かり、そして、最後には、源三郎は、恐ろしい話しをした。
「殿様、ご家老様、其れよりも松川藩の姫君様は、今、いずこにおられましょうや。」
「えっ。」
何と、源三郎は、松川藩の姫君様を呼べとでも言うのか、勿論、このお城に姫君様はいない。
「何故、その様な事を。」
ご家老様は、困惑した表情で。
「このお城から、姫君様が、失踪した事も知っておりますので。」
「源三郎殿、我が藩の、一体、何処までを知っておられるのですか。」
ご家老様は、急に、低姿勢になった。
「私は、全てを知っておりますと、先程も、申し上げと思うので御座いますが。」
殿様は、雪乃が送って来た書状の中身を思い出していた。
「源三郎様と言うお方は、実は、本当に、お優しいお方で、一番大事にされておられるのが、農民
さんと、漁民さん達で、その訳と申しますのが。」
この後も、詳しく書いて有り、だが、殿様は、雪乃が、野洲のお城に腰元として隠れて要るとは、
口が裂けても言えない。
其れにしても、何と言う傲慢な物言いと態度だ、他国の殿様や、ご家老様達は何とも思わないの
だろうか、だが、其れよりも、源三郎が配ったと言う、三百俵ものお米を、それ程までにも、農村
と、漁村は困って要るのか。
「ですが、先程、申されました、三百俵のお米ですが、ご城下の者達は、米屋で買い求めて要ると
思いますが。」
「ご家老様、ご城下の米問屋は、松川藩が不作だと知っております。
ご家老様達は、松川藩のご城下で売られて要るお米の殆どが、山賀で作られたお米だとはご存知
無かったのでしょうか。」
「え~。」
ご家老様は、松川の農村では、大豊作とまでは行かずとも、ご城下で売られて要るお米は、松川
の農民が作ったと思って要る。
「このお城の賄い処にでも聞いて頂ければ分かると思いますが、高いお値段で買われていると思い
ますよ。」
松川藩では、陶器物の製造販売で、城下の者達は、高い税金をお城に収め、賄い処では、米問屋
の提示する価格で購入して要る。
「私は、お殿様とのお話しが終われば、ご城下の米問屋に向かい、米問屋の出方に寄っては制裁を
加えなければならないと思っておりまして、ご家老様の許可を得なければならないのですが如何で
御座いますか。」
「源三郎殿は、米問屋の出方によっては、制裁を加えると申されましたが、他国の源三郎殿に、何
の権利が有ってされるのでしょうか。」
「確かに、ご家老様の申される通りで御座いますが、其れよりも隣の上田藩は大変な被害を被って
おられ、其れが、我が野洲にまで及んで要るのです。」
「何と、隣の上田藩のみならず野洲藩までもが、被害を被って要ると申されましたが、一体、どの
様な被害なのでしょうか。」
「では、私では無く、上田藩の、阿波野様から説明して頂きますので。」
源三郎が、阿波野を連れて来た訳がこの様な時に役立つとは。
「只今、源三郎様より、ご紹介を賜りました、私は、上田藩の阿波野伸太郎と申します。
以後、宜しく、お願い申し上げます。」
阿波野は、殿様と、ご家老様に対して、丁寧に挨拶をし。
「今、源三郎様が、申し上げられました様に、我が上田藩でも、大変な被害を受けて要るので御座
います。」
「阿波野殿と申されましたが、我が、松川藩の者達が、上田藩まで行き、お米を買い入れて要るの
でしょうか。」
「はい、上田藩でも、幕府の密偵がおりましたが、殿様、ご家老様、そして、松川藩の皆様方、今、
皆様方の前に髷の無い、上田藩の藩士がおりますが、彼らは、先先代から続く、幕府の密偵で御座いまし
た。」
「えっ。」
殿様も、ご家老様も、松川藩の家臣達全員が大きな衝撃を受けたので有る。
大広間では、大変な騒ぎとなって要るが、上田の加納と井出の二人は笑みさえも浮かべて要る。
「阿波野殿、何故、その者達の髷が無いのですか、私で、有れば、打ち首の処罰を与えますが。」
「はい、其れは、源三郎様のお考えなのです。」
阿波野は、源三郎が、何故、その様な処罰で終わらせたのかを説明すると。
「阿波野殿、その様な処罰を、殿様も、ご家老様も承諾されたのが理解出来ないのですが。」
「ご家老様、私は、源三郎様のお話しを、我が殿や、家老に致しましたが、今、ご家老様が、申さ
れました以上に、理解して頂くのが困難を極め、どの様に説明して良いのか分からず、ただ、源三
郎様の考え方を、今、一度、考え直し、其れを、何度も、何度も、繰り返しお話しする事で要約理
解して頂きました。」
「阿波野殿、其れで、殿様や、ご家老様は、納得されたのですか。」
「その様には思っておりませんでしたが、当日、源三郎様から、直接、話しを聴かれ、全てを理解
されたと思いますが。」
「失礼な事をお聞きしますが、そちらのお二人のお顔を拝見しておりますと髷を落とされて良かっ
た思われているのですか。」
「はい、私は、あの時、打ち首も覚悟致しておりました。
ですが、私と、隣の井出殿の二人の髷が落とされ、我が殿より、これで、処罰は終わったと申さ
れました時、今まで、どれ程、苦しかった事か、其れが、急に無くなったので御座います。
ですが、私達、二人の髷を落とす事には条件が有りました。
その一つが、表向きは、今でも幕府の密偵と言う事になっております。」
「では、今でも、密偵の仕事はされて要るのですか。」
「飛んでも、御座いませぬ、その様な事は、二度と致しませぬ。」
加納と井出の二人は、両手を大きく振り否定した。
「ですが、先程も、密偵だと。」
「はい、其れには、訳が有るのです。」
「訳とは、一体、どの様な。」
「はい、仮に、我々、二人が、打ち首なったとすれば、幕府は、今度は、発見されないようにと、
綿密な計画を練り上げ、ですがその者達からの報告には、常に疑いを持ってくると、更に、今の、
我が上田藩の内部情報の全てが、幕府の手の中に入ります。
ですが、我々、二人が生きて要るならば、今までと同様の報告をしたところで、直ぐには気付か
ないと、源三郎様が考えられてのです。
まぁ~、其れでも、時々ですが、少しだけ、例えば、今年は、昨年より少しですが、お米の収穫
も有りましたと書けば、宜しいかと思っております。」
「う~ん、ですが、其れは、全て、源三郎殿のお考えなのですか。」
「ご家老様、確かに、最初は源三郎様のお話しを聴けば、何と大胆なと思われるでしょう。
ですが、其れが、結果的には、我が藩主も含め、家臣の全員が、納得して要るのです。
そして、源三郎様のお陰で、我が藩はもとより、私の命も、今、此処に有るのです。
私も、井出殿も、今後は、領民の為に全力を注ぎ、其れで、命が尽きるとも後悔する事は無いと、
今は確信しております。」
「殿、源三郎殿が、我が藩を救ったと言う事も事実だと、私は、思うので御座います。
山賀の鬼も退治されたとか、今、此処に居られます、両藩の皆様方のお顔を拝見しておりますが、
どのお方も、源三郎殿を信頼されて要ると私も思います。
如何でしょうか、我が藩も、源三郎殿が、進めて行かれる改革に参加させて頂き、我が藩の領民
の為にと思うのですが。」
源三郎は、静かに聴いている。
「殿様、ご家老様、私の、計画は、今、お話しは出来ませぬが、山賀は、別と致しましても、松川、
上田、菊池、そして、我が野洲は小国なのです。
小国が、大国に勝つ事は簡単では、御座いません。
私の考え方は、農民さんや、漁民さん達が、少しでも生活が楽になれば、必ずや、他の領民にも、
そして、藩も豊かになると、私は、確信しております。
私は、今から、ご城下の米問屋に向かいますが、どなた様か、ご一緒に行かれませぬか。」
「あの~。」
彼は、松川藩の下級武士だが、頭も良く、何よりも、源三郎の言った、領民の為と、其れが、こ
の下級武士の気持ちを動かした。
「私は、是非とも、源三郎様に、教えをと考えておりますが、ご同行させて頂きたいと思うので御
座いますが。」
「分かりました、で、他には、御座いませぬか。」
「拙者も、参加させて頂く事は出来ませぬか。」
「はい、宜しいですよ。」
彼は、中堅の武士で、殿様からの信頼も厚い。
「では、吉永様、阿波野様も、ご一緒に、殿様、ご家老様、他の人達は、此処に残りますので、ど
の様な事でもお聞き下さい。
但し、皆様、我が藩が行なっております事に関しては、聴かれない様にして下さいね、では、参
りましょうか。」
源三郎は、吉永、阿波野と、松川藩の家臣、二名と、城下に有る米問屋に向かうので有る。
一方、米問屋には、中川屋の番頭が必死で説得に当たって要る。
「旦那様、何とか、私の話を聴き入れて頂けませんでしょうか。」
「ねぇ~、番頭さん、私は、今まで、必死で働き、この財を築き上げたんですよ、其れを、何故、
他人の為に、全て、差し出すのですか。」
「旦那様、源三郎様に対して、何を言われても通用しないんです。
其れよりも、家族の為、お店の為にも、源三郎様の申し入れを聴かれる方が、私は、大事ではな
いかと思います。
今、お城には、源三郎様が選ばれました、凄腕の人達が居られ、その中の数人を連れて来られる
と思います。」
「何故、一人で来られないのですか、此処にも凄腕の、ご浪人様が居られますので、私はねぇ~、
何も、恐ろしくは有りませんよ。」
何と、この米問屋は、源三郎を返り討ちにするとでも言うのか。
「旦那様、私は、もう何も申しませんので、どの様な結果になったとしても知りませんよ。」
中川屋の番頭は、この店主に、今は、何を言っても無駄だと、果たして、どの様な事に。
「ご免。」
源三郎の声だ。
「源三郎様が、来られましたよ。」
「はい、はい、分かりましたよ。」
「ご免、店主殿は、居られますか。」
「失礼で御座いますが。」
「私は、源三郎と、申します。」
源三郎の左右には、吉永と、阿波野が、後ろには、松川藩の二人が。
「はい、私が、店主ですが、其れで何用で御座いますか。」
その時、十数人の浪人が、店に現れ、吉永と、阿波野が、静かに構えた。
「店主殿と、番頭さんの事なので、店先ではお話しは少し。」
「お侍様、私は、何も、悪い事はしておりませんので、此処で、お話しを伺っても宜しいで御座い
ますが。」
店の奥からは、中川屋の番頭が話を聴いて要る。
「店主、本当に、宜しいのですか、店主が幕府の。」
「お侍様、奥へ。」
「そうですか。」
源三郎が、草履を脱ぎ、上がろうとした時、数人の浪人が、刀を抜いた、その瞬間、吉永と、阿
波野が、浪人の腕を切り落とした。
他の浪人達は、何時、切られたのかも分からずにおり、だが、数人の浪人は呻き声を上げ。
「店主、私を、殺そうと企んでられましたね、覚悟は出来て要ると事で話しをする必要も有りませ
んねぇ~、番頭さん、店主の家族を呼びなさい、直ぐに。」
源三郎は店先に座り。
「その二人を後ろ手に縛って下さい。」
「はい。」
松川藩の二人が、店主と、番頭の二人を後ろ手に縛り、土間に座らせた。
「はい、私は、えっ、一体、何事で御座いますか。」
「店主のご家族ですか。」
「はい、後ろの二人は、娘達ですが、お侍様、一体、何が有ったので御座いますか。」
「では、簡単に申し上げますが。」
「お侍様、お願いで御座います。」
「店主、何が、お願いだ、今、私を、殺そうとしたでは無いか。」
「申し訳御座いません、私は、数日前に、ご城下で脅されたましたので、又、そのお侍様だと思い
ましたもので。」
「店主、その様な嘘話が、私に通用するとでも思って要るのか。」
「源三郎様。」
「番頭さん。」
「今の話は、本当で御座います。」
「番頭、私を、騙すつもりなのか。」
源三郎が、怒った、中川屋の番頭も、身体は震え顔面は蒼白になった。
「その方も直れ。」
「お内儀も、娘さんも、店主と番頭が、どの様な人物か知っておられるのか。」
「いいえ、私も、娘達も何も知りませんが。」
店の、土間には、数人の浪人が腕を切り落とされ、その姿を見た娘達も、顔面蒼白で震えて要る。
吉永も、源三郎が、この場で、家族に密偵だと言うのか、其れとも、いや、源三郎の事だ、他の
理由を付けるのか、其れすら分からず、吉永も、初めてで有る。
「浪人達に、申し上げる、貴殿達の命は助ける仲間を連れて早く店を出よ。」
浪人達は、腕を切り落とされた仲間を連れ店を出た。
「奥方に聴くが、我々が、その脅かしを掛けた者達に見えますか。」
吉永と、阿波野は、源三郎が言った言葉で安堵の表情で有る。
其れでも、店主と番頭の震えは止まらない。
「飛んでも御座いません、私は、お侍様がその様な言い掛かりをされる様な、お人とは間違っても
思いません。」
二人の娘達も頷いて要る。
「二人の縄を解いて下さい。」
「はい。」
松川藩の二人は、一体、何が起きたのかも分からず、源三郎の指示に返事するだけで有る。
「さぁ~、店主、参りましょうか。」
「はい。」
「番頭さんも、一緒ですよ、お内儀、私は、今から、店主殿と、大事な話が有りますので。」
「はい、お武家様、どうぞ、私が、案内させて頂きますので。」
「そうですか。」
源三郎達は、店の奥へ、店の手代や、丁稚達は店内の掃除を始めた。
「お武家様、こちらで御座います、直ぐにお茶を。」
「いいえ、宜しいですから、この部屋には近付かない様に。」
「はい、承知致しました。」
三人は、部屋を出た。
「さぁ~、店主、お話しをしましょうか、何故、我々を殺そうとしたのですか。」
「はい、大番頭さんから財産を差し出せと言われましたので。」
「店主、私は、全てを知っておりますからね、今、店主と番頭を殺す事は致しませんがね、まぁ~、
お二人共、今から山に行きましょうか。」
店主も、番頭も身体は震えが止まらない。
「先程の浪人達と同じ様に腕か、足を切り落とせば、後は、森の主の狼や、烏が片づけをしてくれ
ますからね、但し、直ぐには死ぬ事は有りませんからねぇ~、長く苦しんで下さいね。」
「お侍様、私が、悪う御座いました、どの様な事でも致しますので、娘達だけはお助け下さいませ、
お願いします。」
「店主、私が、その様な泣き言を聴く様な甘い男だと思って要るのか。」
店主の身体は、ガタガタと震えて要る。
「いいえ、其れは、でも。」
「でも、何だ、店主は、番頭さんの話しを真剣に聞いていなかったと言う事だ、お内儀と娘達には、
何も持たせず、この家から、即刻、退去させる、店の丁稚達は此処での仕事が有るので残せ、番頭
さん、直ぐ、中川屋さんに文を出し、この店を任せる事の出来る人物を送り込む様に。」
「源三郎様、私からも、お願い申し上げます、何とか。」
「ねぇ~、番頭さん、私を、見縊った様ですねぇ~、今回だけは許す事は出来ぬ。」
店主は、何も言えずに要る、だが、吉永は、安心している、本当に処罰するので有れば、内儀も、
娘達も、あの時、追い出されているはずだと、だが、中川屋の番頭も、源三郎が、本気だと思って、
何も言えないので有る。
「廊下で、立ち聞きしている者達、中に入れ。」
内儀や、娘達も、其れに、店の者達が入って来た。
「お内儀、私は、先程、申したはずだ、其れなのに、何故、立ち聞きを、其れに、店の者達までも、
何故だ。」
「お武家様、誠に、申し訳御座いません。
主人が、一体、何をしたのか、私は、分かりませんが、私や、娘達、其れに、店の者達には、優
しい主人なんです、どうかお命だけはお許し下さいませ。」
内儀と、娘達は、必死だ、必死になり、店主の命乞いをしている。
「お内儀、店主は、雇った浪人達に、私を殺させ様としたのですよ、これが、許せるとでも思いま
すか。」
「お父様、何故なの、お武家様が怒られるのも当然よ、私は。」
と、言って、娘は泣き出し。
「旦那様は、私達、店で働く者には、何時も、優しくされておられます。
その旦那様が、お武家様を殺すなんて、私は、信じる事が出来ないので御座います。」
「貴方は。」
「はい、このお店の小番頭で御座います。」
「小番頭さん、では、聴きますが、先程、店主が申した、この城下で脅かしを受けたと言うのは誠
なのか。」
「はい、本当で御座います。
その時は、私も、一緒で、丁稚もおりましたので、はい、間違いは御座いません。」
源三郎が、丁稚を見ると、数人が頷いた。
「お武家様、何卒、旦那様と、大番頭さんの命だけはお助け下さいませ。」
「お武家様、私達からもお願いします。」
店で、働く女中達だ。
「よ~し、分かった、だが、簡単に、はい、許しますよとは言えぬ、今から、店主と、番頭だけに、
話しをするが、今度、立ち聞きをすれば、その者達、全員の首は飛ぶ覚悟致せ、分かったのならば、
早く出なさい。」
思わぬ展開となったが、源三郎は、これで、話しは簡単に出来ると考え、全員が出ると。
「なぁ~、店主、今まで、どれ程、稼いだ。」
「私は、詳しくは分からないので御座います。」
「では、寝所の下の隠し金蔵には、一万か、其れとも、二万か、いや、三万両は。」
「えっ。」
店主は、正か、寝所の床下に作った金蔵は、誰にも知られていないはずだと、其れが、何故、知
られているのだと、驚きの表情で有る。
「店主、私は、全てを知って要ると、先程も言いましたし、中川屋の番頭も、その様に伝えて要る
はずですがねぇ~。」
「旦那様、私は、何も、申してはおりませんよ、ですが、私が、言った様に、源三郎様は、全てを、
知っておられますので。」
「さぁ~、店主、これからが、本当の話になるが、この話しは、拒否は出来ないので、覚悟する事
ですよ。」
「はい、どの様なお話しでも、お伺い致しますので。」
店主は、もう、すっかり諦めた様子で、傍の、吉永と、中川屋の番頭は話しの内容は分かって要
るが、松川藩の二人は、一体、どの様な話が飛び出すのか、真剣な眼差しで有る。
「店主、これから、山賀の農村から買い入れる穀物類の全てを、今までの、倍、いいや、三倍で買
い入れる事。」
「其れでは、私の店が。」
「何、店がだと、私は、お願いしているのでは無い、全て、命令だ、分かって要るのか、店主。」
「はい、申し訳、御座いません。」
「全ての、穀物類を買い上げ、山賀の農村と、漁村には、定期的に穀物類を届け、全てを無償とす
るのだ。」
「はい。」
「其れと、松川、上田、野洲、菊池の農村と、漁村にも同じ様に届け、全ての城下では、貧しい人
達には、同じく無償で配り、ですが、穀物類は不足するので、番頭は、出来る限り遠くの国に向か
い大量に穀物類を買い入れよ。」
「はい。」
「買い入れ時には、大金を持参するので、山賀と、松川の藩士を護衛に就けるが、藩士達の旅費は、
全て店主が出費する。
店主が隠した大金ならば、数十年は大丈夫だと思いますからね。」
源三郎の話を聴いている、松川藩の二人は、驚きを通り越し唖然としている。
「あの~、源三郎様、其れでは私と、米問屋の儲けは。」
「この店には、これから先、一文足りとも、儲けは有りませんよ、其れに、その様な必要も有りま
せんのでねぇ~。」
「源三郎様、何故ですか。」
「何故だか、まだ、分かりませんか、この二人は、幕府の密偵なんですよ、普通ならば、直ぐ、打
ち首で、更に、財産は没収ですよ、でもねぇ~、店の者達も、お内儀も、娘達も、知らないのです。
私はねぇ~、命を助けて欲しいので有れば、領民の為に、今まで儲けた財産の全てを使って頂き
ますよ、数万両を取り上げるよりも、商いで、領民を助ける事が出来るのですから、こんなにも、
素晴らしい話は無いと思うのですがねぇ~。」
「では、源三郎様は、この二人の命は助けられるのですか。」
「はい、勿論ですよ、商いは米問屋に任せ、仕入れた穀物類を領民に、特に、農民さんと、漁民さ
ん達、其れに、城下の人達に無償で配る、其れが、この店主と、番頭の仕事になりますから。」
「あの~、お武家様、この店での商いは。」
「続けて頂いても、宜しいですよ、店の人達も全員でね。」
店主は、少し安心した様子だ。
「其れと、今まで通り、幕府の密偵として、仕事も続けて下さいね。」
「えっ、源三郎様、其れは不味いのでは有りほませんか、今まで通りだと言えば、我が藩の出来事
が、全て、幕府に知られるのでは。」
「其れで、宜しいのですよ、但し、穀物類の大量買い付けは極秘ですから分かりましたね。」
「はい、承知、致しました。」
「何故なのか、私は、理解出来ないのですが。」
「其れはね、今まで、幕府に報告されていた内容が急に変化したり、来なくなれば、幕府は、密偵
が発見され、始末されたと考え、新たに送られて来た密偵は、この藩で、一体、何が有ったのかを、
そうですねぇ~、徹底的に調べ、まぁ~、有る事、無い事も全て、誇大報告されれば、其れが、一
体、どの様な事になるか分かりますか。」
「其れは、お家の取り潰しと言う事になるのですか。」
「その通りですよ、理由はどの様にでも付ける事は出来ますからねぇ~。」
「ですが、今まで、その様な、幕府からの通達も無かったと思うのですが。」
「店主、幕府に、どの様な報告をしたのです。」
「はい、私は、今まで、一度も、調べた事は御座いませんので、最初の報告から、殆ど変わらずで
お米の収穫は、思った以上に少なく、漁村も大漁と言う言葉は使えない程少なく、農民も、漁民も、
生活は苦しく、ご城下でも多くの人達は貧困に近いと。」
「その様な報告で幕府は騙せるのか。」
「はい、お武家様も、ご存知だと思いますが、数年前に巡検氏様が来られた時も不作と不漁で御座
いましたので、其れで、私の、報告に間違いは無いと言う事になりました。」
「う~ん、確かに、あの時は、だが、巡検氏が再び訪れると言う事は無いのか。」
「はい、巡検氏は、数人の方々で、全国を回られますので、こちらの方に来られるのは、早くても、
十年後かと、其れも、報告の内容次第だとお聞き致しておりますので。」
店主は、安心したのか、全てを話し始めた。
「源三郎様、先程、申されましたが、穀物類の買い付けで御座いますが。」
「店主、買い付けの予定は直ぐ決める事は出来るのか。」
「はい、私も、商売柄調べておりますが、山鹿藩よりも、更に、多く収穫されて要る藩が、御座い
ますので、其れに、その地の米問屋とは、今までに何度も取引を行っておりますので。」
「だが、全てを買い付けはされぬ様に。」
「はい、勿論心得ております、その藩と、周辺の藩でも、大豊作が続いておりますので、高値で申
し込めば良いかと。」
「分かりました、その買い付けの時には、松川藩に申し出て下さいね、藩からは、腕の立つ侍が数十人護
衛に就きますので。」
「はい、承知致しました。」
「店主、この城下には、私の配下が数人、店主と、番頭の動きを絶えず監視し、少しでも犯しな動
きが有れば、その者達が、店主と、番頭の命を取りますのでね。」
「はい、私は、二度と、可笑しな真似は致しません。
全て、お武家様の申されます通りに致しますので。」
源三郎が、本気なのか、脅しなのか、吉永も、阿波野も分からないが、松川藩の二人は本気だと
信じ切って要る。
「店主、今日から、城下の領民には無償で、大きな商いをする問屋などには、無償では無く、納得
出来る売値で分かりましたね。」
「はい、承知致しました。」
「番頭さんは、店の者達、全員に伝えて下さいね。」
「はい、全て、お武家様の申されます通りに致します。」
「後は、中川屋の番頭さんと、よ~く、話し合って進めて下さいね、番頭さん、後の事は、宜しく、
頼みましたよ。」
「はい、源三郎様、本当に有難う御座いました。」
中川屋の番頭も、やっと安心した。
「では、私達は、これで、失礼しますが、店主、私との約束は、必ず、守る事ですよ、其れで、こ
れからは、松川藩の指示通りに動いて下さい。」
「はい、承知致しました、お武家様、私は、今から、心を入れ替え、ご城下の皆様の為に命を捧げ
ます。」
「その言葉に、間違いは有りませんねぇ。」
「はい、勿論で御座います。」
源三郎達は、米問屋を出たが、その後も、中川屋の番頭が、店主と、番頭に詳しく話すので有る。
「源三郎様、先程、米問屋に申されました事ですが、私は、源三郎様が、本気だと、よ~く、分か
りました、ですが、あの米問屋は、これから先、本当に、領民の為に、お米などの買い付けをする
でしょうか。」
「貴殿の名は。」
「はい、私は、有賀と申します。」
「有賀様、その監視を、護衛と言う名目で、松川のご家臣に就いて頂くのです。」
「有賀殿と、申されましたね、源三郎殿は、あの米問屋が、どの様な策を考え付いたとしても、源
三郎殿が、考えられた策に勝つ事は、まず、不可能だと思います。」
吉永は、分かって要る、源三郎は、店主と、番頭には簡単に話すが、源三郎達が、店を出た後、
中川屋の番頭が、詳しく話すと、店主と、番頭は驚くだろうと。
「有賀様、私の、話しは簡単に言っておりますが、其れを、実行するするとなれば、其れは、簡単
では無いと言う事ですよ。」
「ですが、貧しき者には無償だと、申されましたが。」
「有賀様、貧しき者を選別する事は、簡単では有りませんよ、有賀様には、その貧しき人達を調べ
て頂きたいのです。
その人は、仕事は有るが、其れでも貧しいのか、いや、仕事も出来ず、その為に、食べる事が出
来ないのか、まぁ~、大変ですが、其れを名簿にして頂き、米問屋に渡すのです。
まぁ~米問屋も次第に分かってきますのでね。」
「私の、お役目は大事だと。」
「私は、その様に思っておりますよ、でもね。」
源三郎は、何れ、松川藩にも、大仕事に参加させるつもりなのか、今の、松川藩は陶器物の生産
と販売が主力だと分かって要るのだろうか。
「源三郎様は、農民と、漁民は大切な人達だと申されましたが、何故ですか、あの人達も仕事はさ
れて要るのですから、町民と同じだと思いませぬが。」
「有賀様、農民さんは、作物を育てられてはおりますが、売値は知らないのですよ、其れに、あの
仕事は、天候に左右され、大雨でも、少雨でも、作物は育たないので年中苦労されて要るのです。
苦労して育てた作物を、あの米問屋は、農民さんからは安く買い上げ、其れを、高く売る、その
為に、農民さんは食べて行く事が苦しく、多くの農民さんが自殺したり、娘さん達を売る事になる
のです。
私はねぇ~、その様な苦しい生活をされて要る農民さんや、漁民さん達を多く見て来ております
ので、あの人達を助けたいのですよ。」
有賀は、源三郎が、何故、農民や、漁民を大事にしなければならないのか、少し分かって来た様
な気がするのだ。
「失礼ですが、ご貴殿は。」
「私は、斉藤と申します。」
「斉藤様には、今後、何をして頂ければよいのか、お城に戻れば、私の仲間からお聞き下さればと
思っております。」
「はい、承知、致しました。」
「其れで、若い人を、三名程、斉藤様の配下に入って頂き、斉藤様の手足をなって頂ければと思い
ますので。」
「はい、其れで、人選は、私が、行なっても宜しいのでしょうか。」
「はい、其れで、十分ですよ、但し、今後は、今までの様に、侍の口調では、城下の人達は話を聴
いて頂けませんので、大変だと思いますが、全て、命令調では無く、お願いする様に心掛けて下さ
いね。」
「う~ん、これは、本当に、難しいですねぇ~、ですが、私は、先程、米問屋に対して。」
「いゃ~、あれは、普段の口調では有りませんよ、今が、私の普段なのですから。」
斉藤も、有賀も、今までの様な言葉使いでは、城下の者達に対しては通用しないと聴かされ、少
し、自信を無くすのだ。
「ですが、今までの癖が。」
「まぁ~、其れは、仕方有りませんよ、でも、大事なのは、上から見るのでは無く、常に、下から
見る事では無いでしょうか。」
「其れは、常に、農民や、漁民の目線でと言う事なのですね。」
「私は、その様に、何時も、心掛けておりますが。」
話の最中に、城に戻り、源三郎達が、大広間に入ると、其処には、数人づつに分かれ話しを真剣
に聴く松川の家臣達が居た。
「ご家老様、只今、戻りました。」
「源三郎殿、如何でしたか。」
「はい、簡単に終わりましたが、これからは、斉藤様と、有賀様には、大変なお役目だと思います
ので、お二人には、殿様や、ご家老様を初め、皆様方の協力が必要だと思います。」
「分かりました、斉藤、有賀、如何で有った。」
「はい、私は、源三郎様が、恐ろしいお方だと感じました。」
「何と、源三郎殿が、恐ろしいと、一体、どの様な話しなのだ。」
有賀が、源三郎は恐ろしいと、だが、斉藤が説明すると。
「何と、源三郎様が、幕府の密偵を脅迫しただと、その様な話が、幕府に知られたとなれば、一体、
我が藩はどうなるのだ。」
「ご家老、有賀が、申した、源三郎様が恐ろしいと言うのは、源三郎様は、本気で怒られたのが、
店主も分かり、其れが、どれ程、恐ろしかったかと、言う事だと思いますが。」
「だが、相手は、幕府の密偵だ、どの様な方法で幕府に知らせるやも分からないのだぞ。」
傍では、源三郎は、目を瞑り、何かを考えて要る。
「吉永様、明日、早朝に帰藩、致しましょうか。」
「拙者も、其れが、良いかと思います、今からでは遅くなりますので。」
「では、明日の早朝にと言う事で、私は、城下の旅籠に向かいますので。」
「では、拙者も、ご一緒に。」
「吉永様、申し訳、有りませんが、此処に残り、皆様方のお話しを聞いて頂きたいのです。」
源三郎は、一体、何を考えて要るのだ、だが、仲間の者は、源三郎が、城を出る事さえ知らず、
夢中になって話をしている。
源三郎は、城を出ると、知らぬ顔で米問屋の前を通ると、店の前には多くの人達が列を作り並ん
で待ったおり、町民には、全て、無償でお米を配り、傍には、中川屋の番頭が、陣頭指揮を。
店主も、番頭も、店の者達に指示を出し、米蔵からは次々と米俵が運び出され、店先に積み上が
られて行く。
米問屋の三軒先に、旅籠が有り、源三郎は、旅籠に入り、早めの食事を取り、何時もより早く眠
りに入った。
翌朝、源三郎は、夜明け前に旅籠を出ると、速足で野洲へと向かった。
その頃、吉永を初め、上田と野洲の家臣達は、松川の城を出、速足で帰郷するので有る。
話は、少し戻り。
「雪乃を、呼んでくれ。」
殿様が、雪乃を呼んだのは、源三郎が、松川藩に米俵を送り届ける為に城を出た直後で有る。
「雪乃ですが、お呼びでしょうか。」
雪乃が、殿様の部屋に入ると、他の腰元を出し。
「のぉ~、雪乃、源三郎を、どの様に思っておるのじゃ。」
「叔父上様、私は、源三郎様を、お慕い申し上げております。」
雪乃は、はっきりと気持ちを言ったが。
「源三郎は、何と、申しておるのじゃ。」
「源三郎様は、何も申されておりませぬ。」
「はい、ですが、私は、源三郎様を信じております。」
「何を、信じると申すのじゃ、雪乃、城中の腰元の内では、源三郎を、一体、誰が、射止めるかが
話題となっておる事も知っておるのか。」
「はい、私の、耳にも入っております。」
雪乃の表情を見ても、何も、焦って要る様子も無く、自信に満ちて要る様に見える、何故、其処
まで自信に満ちた表情で要る事が出来るのだと、殿様は、不安でならないので有る。
城中の誰もが、雪乃が、松川藩の雪姫だとは知らず、雪乃の態度も、姫様だとは知られる様でも
無く、言葉使いも、お姫様では無く、腰元の言葉使いで有る。
「雪乃、義兄上にも知らせて有るのか。」
「はい、私は、どの様な事が有っても、山賀に嫁ぐ気持ちは御座いません。」
だが、源三郎の事だ、全てが、無事に終わって要るで有ろうと、殿様も、雪乃も考えて要る。
「源三郎は、雪乃が、松川の。」
「いいえ、源三郎様は、ご存知無いと、私は、思っております。」
「だがのぉ~、源三郎は、並みの男では無いぞ、今までもだが、奴の感は鋭いのじゃ、雪乃、じゃ
が、山賀の事じゃ、どの様な難題を言って来るかもわからないのじゃ、だがのぉ~、今の状態なら
ば、如何に、源三郎とて、何も出来ないぞ、その様な時には、一体、どうするのじゃ。」
「叔父上様、私は、自害致す覚悟は出来ております。」
「何じゃと、自害すると、では、源三郎の事は。」
「はい、その前に、私は、源三郎様に、全てをお話し致します。」
「う~ん、何とかならぬのか、余から、源三郎に、事の真相を話しても良いが。」
「叔父上様、その様なお話しをされ、源三郎様のお役目に支障が出る様な事になれば、私は、叔父
上様を、お恨み申し上げます。
ですが、源三郎様は、きっと、分かって頂けると信じております。」
その頃、源三郎は、何と言う早さなのか、何故に急ぐ必要が有るのだと思う程に、野洲を目指し、
同じ頃、吉永達も、野洲に戻って行くのだが。
「吉永様、今日は、我が藩にお泊り頂きたいのですが、如何でしょうか。」
「私が、決める訳にも行きませぬが。」
「皆様も、さぞ、お疲れでは有りませんか、其れに、皆様が、お泊りされなければ、我が殿に、私
は、打ち首にされるやも。」
阿波野は、冗談ともとれる言い方だが。
「ですが、源三郎殿がおられませんと。」
「私が、お話しを致しますので、どうか、お願いします。」
「う~ん。」
吉永は、迷っている、源三郎は、大急ぎで、野洲に戻って行った。
其れは、殿様に報告する為で、だが、吉永達は、別に、急いで野洲に戻る必要は無い。
「分かりました、では、お世話になります。」
「吉永様、有難う御座います、吉永様、ところで、話しは変わりますが、源三郎様は、山賀の鬼は
退治したと申されましたが、残った者達は、どの様になされるのでしょうか。」
「阿波野殿、源三郎殿が、山賀の鬼退治をされたと言うのは、別の意味で、我が藩もですが、上田、
菊池の両藩に対しも穀物類の供給が楽になったと思わなければならないと思うのです。
今までは、山賀の鬼が、至福の為に行なっていましたが、その鬼が退治されましたので問題は、
これからだと、私は思うのです。」
やはり、吉永も考えて要る、山賀の鬼を退治しただけでは問題の解決にはならない。
源三郎が、早々に帰藩するのは、山賀もだが、他の藩に、本当は、何を目的とするのか、其れを
考える為なのだろう。
一方、源三郎は、夜遅く、自宅に戻って来た。
「母上、只今、戻りました。」
「源三郎、一体、どうされたのですか、この様な刻限に。」
「はい、山賀の鬼退治も終わり、一応の目途も付きましたので。」
「源三郎、鬼退治とは、一体、どの様な事なのですか。」
「母上、明日にでも、お話しを致しますので。」
源三郎は、早く眠りに入りたかった。
「分かりました、明日は、登城されるのですか。」
「はい、明日、登城し、殿に報告せねばなりませんので。」
「分かりました、では。」
「母上、申し訳、御座いませぬ。」
母上は、本当に、優しい、軽い食事をと、源三郎の為に雑炊を作ってくれた、源三郎は、やはり、
母の作った雑炊は美味しいと思った。
明くる朝も、お腹の負担を考えたのだろう、昨夜とは、少し違う雑炊を食べ。
「母上、行って参ります。」
「お役目、ご苦労様です。」
源三郎は、すっきりとした顔で、登城するので有る。
源三郎は、何時もで有れば、作業着姿に着替えるのだが、今朝は違い、殿様の部屋へと向かった。
「のぉ~、権三、源三郎は、何か、申しておったのか。」
「いいえ、昨夜、遅く戻り、直ぐ眠ったと聞きましたので、多分、今頃、登城し、こちらに向かっ
ていると思いますが。」
「殿。」
「お~、源三郎、元気で戻ったのか。」
「はい、昨夜、遅く戻って参りました。」
「そうか、そうか、其れは、何よりじゃ、して、山賀と、松川は、如何致したのじゃ。」
「はい、山賀の鬼は退治致しました。」
「何じゃと、山賀の鬼を退治したとな、一体、何事なのじゃ、詳しく話してくれぬか。」
「はい、実は、山賀の鬼とは。」
源三郎は、山賀の鬼退治を詳しく話すと。
「何じゃと、山賀の家老が、鬼じゃと、じゃが、問題は、其れで終わりでは有るまい。」
「はい、私は、山賀の藩主に、全てのお役目から引き下がり、隠居を申し入れました。」
「何じゃと、山賀の藩主に隠居せよと申したのか、じゃが、山賀の跡継ぎは、一体、どの様に考え
ておるのじゃ。」
「はい、私は、独断で、松川の、ご次男様を、山賀の姫君の婿養子にと申し上げました。」
「何じゃと。」
殿様が驚くのも無理は無い、一体、誰の許しを得て、松川の次男を、山賀の姫様の婿養子にさせ
ると言うので有る。
「じゃが、松川の藩主は知っておるのか。」
「いいえ、其れを、今から考えるので御座います。」
「殿、松川様が、突然に。」
「何じゃと、松川の、早く、お通し申し上げるのじゃ。」
「はい、其れと、誰か、雪乃を呼んで参れ。」
源三郎は、何故、殿様が雪乃を呼ぶのか、全く、意味が分からなった。
「其れとじゃ、奥も呼ぶのじゃ。」
「殿、如何なされました。」
「源三郎、何を申しておるのじゃ。」
「殿様。」
「お~、雪乃か。」
「はい、至急に殿がと。」
「うん、今、松川の。」
「えっ。」
雪乃も、大変な驚きで、正か、聞き違いでは無いのだろうか。
「殿、松川様で、御座います。」
「お~、そうか。」
何故、松川の藩主が、我が藩に来るのだ。
「栄三郎殿。」
「これは、義兄上様、一体、如何なされましたのですか。」
「えっ、義兄上様。」
源三郎が、一番、驚いた、殿様には、兄上様はいないはずだ、其れなのに、一体。
「お~、雪乃、元気で有ったか。」
「はい、父上様。」
「えっ、父上様って、正か。」
「義兄上様、如何されたのですか。」
「栄三郎殿、お~、居たぞ、源三郎殿。」
「はっ、はい。」
源三郎は、返事に困った、一体、どうなって要るのだ、殿様は、義兄上様と呼び、雪乃は、父上
と呼ぶ、もう、何が、なんだか分からなくなってきた。
「のぉ~、栄三郎殿、お主に相談が有って、余は、馬を飛ばして来たのじゃ。」
「義兄上様、私に相談とは。」
「兄上様。」
「お~、イネか、元気で何よりじゃ。」
源三郎の頭は混乱している。
「実はのぉ~、源三郎と言う、若武者が、山賀の鬼を退治してくれたのじゃ。」
「義兄上様、先程、源三郎からも聞きましたが、鬼退治と、義兄上様の相談と、一体、何の関係が
有るので御座いますか。」
「うん、栄三郎殿、実はのぉ~、山賀の藩主が隠居する事になったのじゃ、其れと、藩主の息子と
言うよりも、鬼の息子も隠居する事が決まったのじゃ。」
「はい、その話も、源三郎から聴きましたが。」
殿様も、少し混乱している。
「イネも、よ~く、聴いて欲しいのじゃ、先日、雪乃から、文が有ったのじゃ、其れには、雪乃は、
源三郎殿を、お慕い申し上げておりますと、私は、源三郎様に嫁ぐ事が出来ないので有れば、私は、
自害すると。」
「えっ。」
源三郎は、余りにも衝撃的な話で驚きは隠せないので有る。
「のぉ~、源三郎殿、雪乃を貰っては貰えぬか。」
「はっ、私は、一体、どの様にお答えして良いのか、分からぬので御座います。」
「源三郎、雪乃は、松川様の姫君じゃ、お主の事だ、其れくらいの事は、薄々、気付いておったで
有ろう、うん、どうじゃ。」
「はい、其れは、以前から、普通のお方では無いとは分かっておりましたが、其れが、正か、松川
様の姫君様とは。」
「源三郎、雪乃は、余の、大事な姪子なのじゃ、お主も、雪乃を好いておると申したぞ。」
「殿、ですが、私は。」
「私は、何じゃ、野洲藩の侍で、姫君とは、身分が違うとでも、申すのか。」
「はい、その通りで、御座います、姫君様を、まして、私の様な、一回の侍が頂くなどとは、滅相
も御座いませぬ。」
雪乃は、何も言わず、ただ、静かに聴いている。
だが、早くも、雪乃が、普通の腰元では無く、松川藩のお姫様だと言う事が、城中に知れ渡り、
城中では大騒ぎになり始めた。
其れにもまして、松川藩の殿様が、雪乃を源三郎の嫁にして欲しいと頼みに来たと言う話しまで
が、城中で囁かれ、城中の者達全員が、どの様になるのか、事の成行きを見て要るので有る。
「源三郎殿が、我が藩を助けて頂いた事には、余も、大変、感謝致しておる、だがのぉ~、雪乃が、
源三郎殿に嫁ぐ事は、誰も反対するどころか、皆が、大喜びをしておるのじゃ、のぉ~、源三郎殿、
雪乃を貰って頂けぬか。」
源三郎が、迎える人生最大の難題で有る。
源三郎も、本心は、雪乃が普通の腰元ならば、何の問題も無かった、だが、雪乃は、一国の姫君
なのだ、幾ら、家老の息子だからと言っても、一回の侍なのだ、その侍が、姫君様を嫁に貰うなど
とは、今まで、聞いた事が無い。
さぁ~、大変だ、源三郎は、一体、どうするのだ。
「殿。」
「お~、権三か、大変な事になったのじゃ。」
「正か、源三郎が、大失態でも。」
「うん、そうなのじゃ、源三郎が、はっきりとせぬのじゃ。」
「源三郎、一体、何をしでかしたのだ、正か、殿に、お役目を辞退するとでも、申したのか。」
ご家老様が、間違うのも無理は無い、正か。
「権三、違うのじゃ、こちらはのぉ~、松川藩の殿様で、雪乃は、松川藩の姫君なのじゃ。」
「えっ、殿、では、雪乃様が、松川藩の。」
「そうなのじゃ、権三、許してくれ、何も話さずに、権三には、申し訳無いと思っておる。」
殿様は、ご家老様に頭を下げた。
「殿、源三郎が、姫様に、対し、えっ、正か、許されぬ事でも申したのでは。」
「いや、申したのでは無い、其れよりも、何も申さぬのじゃ。」
ご家老様も、雪乃が、松川藩の姫様とは知らなかった。
「源三郎、お前は、姫様に、悪態を、もう許せん、源三郎、この場で、直ぐ、腹を切れ、わしも、
直ぐに行く、殿、ご免。」
傍に居た、松川藩の家臣達が、慌てて、ご家老様を止めに入り。
「権三、一体、何を勘違いしておるのじゃ。」
「殿、ですが。」
「まぁ~、話しを聴け、源三郎の嫁取りの話しなのじゃ。」
「えっ、源三郎の嫁取りと申されますと。」
「うん、実はのぉ~、松川藩の殿は、余の、義兄上様なのじゃ、で、雪乃は、義兄上様の娘なのだ、
その雪乃を源三郎の嫁にと、申しておるのじゃ。」
「えっ、松川藩の姫君様を、源三郎の嫁にと、殿、其れは、とても無理と言うもので御座います。
源三郎は、私の息子で御座いますが、私も、源三郎も、野洲藩の家臣で、お仕えする、一回の
家臣で、その家臣が、一国の姫君様をなどと言う話は、余りにも、身分が違いますので。」
「生野田殿、余は、雪乃が不憫なのじゃ、源三郎殿と、添えなければ自害すると、文を寄こしたの
じゃよ。」
まぁ~、何と、恐ろしい話しなのだ、ご家老様は、何と答えてよいのか分からない。
源三郎は、手を握り閉め、下を向いたままだ。
「源三郎殿、私からもお願いします。
雪乃が好きならば、何も、問題は無いと思いますので。」
「イネ、雪乃から話を聴いておるのか。」
「兄上、雪乃は、今、野洲の腰元として、源三郎殿を慕っているのです。
決して、松川の姫では無いと申しております。」
「雪乃、何とか申して見よ。」
「父上、叔父上様、伯母上様、松川の雪乃は、この地に来る前海に身を投げ死にました。
今、此処におります雪乃は、腰元の雪乃で御座います、以前の雪乃は、もう、この世にはおりま
せぬ、どうか、お許し下さいませ。」
「源三郎、腰元の雪乃で有れば、何も問題な無い、如何じゃ。」
其れでも、源三郎は、迷っている、確かに、言葉では、どの様にでも言える、だが、現実、前に
居るのは、松川藩の姫君なのだ。
「あんちゃ~ん、あんちゃ~ん。」
何と、げんたが来た、さぁ~、これは、本当に大変な事になって来たぞ、げんたは、源三郎の一
番の弱点だ。
今では、げんたは、大手門の門番には、何も伝える事無く、お城の中に入って来る。
げんたも、久し振りのお城だ。
「栄三郎殿、今、子供の声がしたが。」
「義兄上様、あれは、げんたと申しまして、町民で御座います。」
「何じゃと、町民が、何故、大手門から入って来るのじゃ。」
「義兄上様、まぁ~、その話は、何れ致しますので。」
殿様は、何かが閃いたのだろうか、ニヤリとした。
「あんちゃ~ん。」
げんたは、何時もの様に、大声で、源三郎を呼びながら探している。
源三郎が、何時も居る部屋にいないので、げんたは大広間に要ると思ったのだろうか、まぁ~、
平気で入って来る。
「なぁ~んだ、あんちゃん、居るんだったら返事くらい、えっ、なぁ~、あんちゃん、何が有った
んだ。」
げんたは、何時もの源三郎とは違うのが分かった。
「おぉ~、げんたか、よ~く、来てくれたのぉ~。」
殿様は、げんたを待っていた様に迎え。
「なぁ~、殿様、一体、どうしたんだ、何時ものあんちゃんと違うんだけど。」
「げんた、実はのぉ~。」
殿様は、源三郎と、雪乃の事を話した。
これは、大変な事になって来たぞ、げんたは普通の子供では無い、感は、人並み以上に鋭い。
「じゃ~、あんちゃんは、ねぇ~ちゃんの事が嫌いなのか。」
「げんた。」
「なぁ~、あんちゃん、オレは知ってるんだぜ。」
「げんた、一体、何を知っておるのじゃ。」
「殿様、オレ達を呼んで、この大広間で。」
「うん、あの大宴会の事か。」
「うん、殿様、あの時、あんちゃんは、ねぇ~ちゃんの膝枕で寝てたんだぜ。」
「何じゃと、源三郎、其れは、誠なのか。」
だが、源三郎は、覚えていない、傍では、雪乃の顔が赤く染まり、恥ずかしさで、下を向いた。
「殿、私は、何も覚えてはおりませぬ。」
源三郎は、大変な時に、げんたがきたものだと思ったが、時は既に遅かった。
「雪乃、今の話しは誠なのか。」
雪乃は、恥ずかしさの余り、頷くだけで有る。
「雪乃、それ程までに、源三郎の事を。」
「なぁ~、あんちゃんは、オレの兄貴なんだろう。」
「げんた、私は、その様に思って要る。」
「じゃ~、ねぇ~ちゃんは、オレの事は知ってるのか。」
「はい、私も、げんたさんの事は、皆様のお話しの中で聴いておりますよ。」
「なぁ~、殿様、なんで、あんちゃんは、うんって言わないんだ。」
「う~ん、げんた、其れがのぉ~、源三郎は、雪乃が、松川藩の姫君と知ったからなのじゃ。」
「なぁ~んだ、そんな事なのか。」
「げんた、簡単に申すで無いぞ、源三郎はのぉ~、何れは、家老にはなるが、この野洲藩の藩主に
はなれぬのじゃ。
雪乃は、松川藩の姫君で、何れは、藩主の妻となる身分なのじゃぞ。」
「じゃ~、殿様も、ねぇ~ちゃんが、何処の馬の骨とも分からない男と、一緒になってもいいと
思ってるんだなぁ~。」
「げんた、そうでは無いのじゃ、今の話は、世間での話しじゃ、余も、何とかして、雪乃を源三郎
と一緒にさせたいのじゃが、源三郎が、うんと申さぬのじゃ、其れで、困っておるのじゃ。」
「なぁ~んだ、其れで、みんなが、あんちゃんを説得してるのか。」
「げんた、源三郎も、雪乃を好いておる。」
「なぁ~、あんちゃん、こんな綺麗な人、オレは見た事が無いんだ、なぁ~、あんちゃん、あん
ちゃんは、オレや、漁師の元太あんちゃんにも言ってたと思うんだ、我々、野洲の家臣は、殿様や、
ご家老の為では無い、全ては領民の為にって、あれは、あんちゃんが、みんなの為にって言ってた
と思うんだ。」
「その通りで、私は、今でも、その気持ちに嘘は無い。」
「だったら、このねぇ~ちゃんと一緒になるべきなんだぜ。」
「えっ、げんた、其れは、一体、どう言う意味なのじゃ。」
「殿様、だってそうでしょう、あんちゃんは、領民の喜ぶ顔が見たいって事なんでしょう。」
「うん、其れは、誠じゃ、其れは、源三郎が、何時も申しておる、全ては領民の為にじゃと。」
「だったら、あんちゃんは、オレ達、領民が一番喜ぶのは、ねぇ~ちゃんと、一緒になる事なんだ、
違うのか、なぁ~、あんちゃん。」
何と、げんたは、源三郎が、常に言っている、全ては領民の為にと言う言葉を逆手に取った。
これには、さすがの、源三郎は、何も言えず、だが、げんたは、まだ爆弾を持って要る。
「げんたの申す通りじゃ、源三郎が、雪乃と、一緒になれば、我が藩の農民や、漁民も、其れに、
城下の者達が大喜びするぞ。」
「はい、其れは。」
「あんちゃんは、オレ達に言ってるじゃないか、我が藩では、農民も、漁民も、関係が無いって、
だから、オレ見たいな子供が、大手門から入っても、門番の人は、何も言わないんだぜ、其れに、
此処のお侍は、何時も、オレ達が、着る様な作業着姿で、城下に来て、みんなと楽しそうに話をす
るんだ、あんちゃんは、オレ達の為にって言ってるんだったら、今日から、ねぇ~ちゃんと、一緒
になればいいんだよ。」
「源三郎殿、雪乃の為だけでは無い、全ては、野洲藩の領民の為にじゃ。」
松川藩の殿様も、げんたの言葉を利用したが、遂に、げんたが、最後の手段を使った。
「なぁ~、あんちゃん、誰も、あんちゃんと、ねぇ~ちゃんの事、反対なんかしてないんだぜ。」
げんたは、源三郎が、苦しんで要ると分かって要る。
「なぁ~、あんちゃん、オレの頼みも聞いてくれないんだったら、オレは、二度と、あんちゃんの
頼みは聴かないよ、其れに、今から、みんな言ってくるよ、あんちゃんは、一人の女を幸せに出来
ない男だって、そんな男が、領民を幸せになんか出来るはずが無いんだ、今まで、あんちゃんが、
オレ達に話をしたけれど、あれは、全部、領民の為と違うんだ、あんちゃんの為に、みんなを騙し
てたんだって。」
源三郎に対し、これだけの事を言えるのは、野洲藩では、げんた、一人だけで有る。
「げんた、よくぞ申した、げんたは、源三郎の弱い所を知っておるのぉ~。」
「殿様、だって、本当なんだぜ、母ちゃんも言ってるよ、源三郎様って、本当に、ご家老様の息子
さんなのかって、今まで、あんな、お侍様は見た事が無いって、オレも、母ちゃんと同じなんだ、
あんちゃんは、相手が、オレ見たいな子供でも、平気で頭を下げるんだぜ、オレは、あんちゃんの
為なら、どんな無理でも聴こうって思ったんだ。
母ちゃんも、源三郎様に、早くお嫁さんが来るといいわねぇ~って、男は、所帯を持つといいん
だって。」
「源三郎、もう、何も、申す事は無いで有ろう、今、この場で、はいと申すのじゃ、全ては領民の
為にじゃ、源三郎が、雪乃を貰えば、全ての領民が大喜びする、うん、げんた、余は、これ程にも
嬉しい事は無いぞ。」
「雪乃殿、私は。」
「何じゃと、源三郎、聞こえぬわ。」
何時もの、源三郎では無い、何故だか、弱気な様に聞こえる
「はい、私は、雪乃殿を、一生掛けて幸せに致す所存で御座います。」
「やったぁ~、殿様、あんちゃんが、ねぇ~ちゃんと、一緒になるって言ったぜ。」
「良かった、良かったのぉ~、雪乃、これで良いのじゃ、余も、満足じゃ。」
「義兄上、ようございました。」
「父上、叔父上様、有難う御座います。
雪乃は、何と、お礼を申して良いか分かりませぬ。」
松川藩の殿様も、ようやく、安堵の表情で、ご家老様も、ほっとしたのか、気が抜けたかの様な
表情で、其れに、傍の奥方様は嬉し涙を流し、雪乃の顔は赤く染まり、頬には、嬉し涙が伝わる。
そして、この話は、瞬く間に城中に広まり、誰もが喜んで要る。
だが、誰も、雪乃が、松川藩のお姫様とは知らないのだろうか、いや、その様な事は無いはずだ、
城中の腰元達は、源三郎との事を夢見ていたはずが、何故だ、雪乃と結ばれると言うのに、何故だ、
殿様は、誰にも話してはいない、では、一体、誰が、雪乃が、松川藩の姫君だと、雪乃には、松川
から、二人の腰元が一緒に来ている。
「殿、私も、本当に、嬉しく思います。
其れで、殿、儀式の事で御座いますが、源三郎はさておき、雪乃殿は。」
「権三、一体、何を、申しておるのじゃ、今の雪乃は、腰元なのじゃ、松川藩の姫君は死んだと、
先程も申したでは無いか、権三は、余計な心配はするで無い、義兄上、この様な事になりましたの
で、源三郎と、雪乃の儀式は。」
「栄三郎殿、余は、何も申さぬ、のぉ~、雪乃、儀式など必要は無いのぉ~。」
「はい、私は、何も。」
「栄三郎殿、話は決まったぞ。」
この時、既に、げんたの姿は無く、げんたは、大急ぎで城下に向かっていた。
大広間に居たはずの、田中達の姿も消えた、一体、何処に行ったのだ。
「源三郎、これで、全てが纏まったぞ、これで、心置きなく、お主が考えて要る策に取り掛かる事
が出来るのじゃ。」
「はい、私は、これからは、今まで以上に領民の事を考えます。」
「ところでじゃ、栄三郎殿、先程、来た、げんたと言う子供じゃが、何故、城下の者達が、城に、
其れも、堂々と入って来れるのじゃ。」
「義兄上、その話は、簡単に出来るものでは御座いませぬ、一日、いや、二日が掛かったとしても、
義兄上にお話しするのが難しく、私も、今の今まで、雪乃の事が気掛かりで、義兄上に、お話しが
出来なかったので御座います。」
「栄三郎殿、では、その話も含め、色々と聴きたいので、数日間、野洲で過ごすが、良いか。」
「はい、この話は、雪乃にも聴かせなければ、なりませぬので。」
「だが、余と、一緒に来た家臣の者には。」
「義兄上、今は、松川藩の全員が知る必要が御座いますので、源三郎から話しをさせますが、其れ
で、宜しいでしょうか。」
「うん、其れで良い。」
「母ちゃ~ん、大変だ、母ちゃん。」
「何を、大声で、一体、何が、大変なのよ。」
「うん、其れがね、あんちゃんが、大変なんだ。」
「えっ、源三郎様に、何か、有ったの、其れで、身体は大丈夫なのか。」
「母ちゃん、何を慌ててるんだよ。」
「だって、げんたが。」
「母ちゃん、違うんだ、あんちゃんが、お嫁さんを。」
「えっ、源三郎様が、お嫁さんを貰うのかい、まぁ~、其れは、大変だ、げんた、直ぐに、中川屋
さんと、伊勢屋さんと。」
「母ちゃん、分かってる、オレ、みんなに知らせに行ってくるから。」
げんたは、中川屋へと飛んで行く。
「さぁ~、大変だ、私は、え~っと。」
げんたの、母親、おせいは、一体、何を慌てて要る、おせいが、源三郎の妻になるのでは無い。
だが、おせいは、今までで一番嬉しかった、げんたが、兄の様に慕う、源三郎が妻を娶る、だが。
「えっ、でも、一体、誰何だろうかねぇ~、源三郎様のお嫁さんって。」
何ともまぁ~、早合点の母親だ、源三郎の妻となる女性の事も聴かずにいた。
「私って、本当に慌てんぼだよ、でも、嬉しいわよねぇ~、其れに、あのげんたが、一番、喜んで
要るんだから。」
「番頭さ~ん。」
「おや、げんた、そんなに急いで、どうしたんですか。」
「番頭さん、大変なんだ、あんちゃんが、大変なんだ。」
「えっ、大変って、源三郎様に、何か有ったんですか。」
げんたは、中川屋の番頭にも、源三郎が大変だと言ったので、番頭は、正か、源三郎が、妻を娶
るは思って無かった。
「旦那様、大変で御座いますよ、源三郎様が。」
「えっ、源三郎様が、大変ですと、其れで、お身体は、大丈夫なのですか。」
「もう、旦那さんも、番頭さんも、よ~く、聴いてよ。」
「でも、源三郎様が、大変だと。」
「違うんだ、源三郎様が、おねぇ~ちゃんを。」
げんたも慌てて要るので、話しがややこしくなっている。
「えっ、お姉さんって、一体、何の話しですか。」
「旦那さん、あんちゃんがね、おねぇ~ちゃんと、一緒になるんだって。」
「一緒になるって、えっ、源三郎様が、ご結婚されるのですか。」
「うん、そうなんだ。」
「何で、その話しを知って要るのですか、げんた、お城に。」
「うん、オレも、あんちゃんに話が、あっ、忘れてた。」
げんたが、源三郎に会いに行ったのは、別の話をする為だった。
「げんた、お城で、源三郎様のご結婚される話しを聞いたのですか。」
「う~ん、少し違うんだけど、そんな事より、オレ、伊勢屋さんにも行って知らせないと。」
げんたは、また、伊勢屋まで飛んで行き、伊勢屋でも、源三郎が、結婚すると話したので、中川
屋と、伊勢屋、其れに、大川屋までが集まり相談を始めた。
「元太殿は、何処に。」
「お~い、元太、お城のお侍様が。」
「分かったよ。」
元太が、走って来た。
「あっ、鈴木様では、源三郎様に、何か有ったんですか。」
「元太殿、実はねぇ~、源三郎様が、妻を娶られる事になりましたので。」
「えっ、源三郎様が、お嫁さんを、其れは、大変だ、お~い、みんな、集まってくれ、源三郎様が、
大変なんだ。」
「元太、一体、、どうしたんだ、源三郎様が、大変って。」
「うん、実はなぁ~、今、鈴木様が、源三郎様が、お嫁さんを貰うって話されに来られたんだ。」
「えっ、源三郎様が、お嫁さんを貰うって、そりゃ~、大変、おめでたい話だ。」
「うん、其れで、今から、お城に行こうと思うんだけど。」
「なぁ~、元太、源三郎様のおめでたい話しだ、みんなで行こうや。」
「そうだ、洞窟で仕事をしている人達にも知らせてくれよ。」
「よ~し、みんな、舟の準備だ。」
「お~。」
「鈴木様、オラ達が行くまで、待ってて下さいって。」
「元太さん、有難う。」
「そんな事、源三郎様は、何時も、オラ達の事を心配して下さってるんですよ、今度は、オラ達が、
源三郎様の為に行きますので。」
「では、私は、戻りますので。」
「そうだ、鈴木様、丁度、片口鰯が多く獲れましたんで、全部、持って行きますよ、みんなで、源
三郎様の為に、お祝いをしますからね。」
「元太殿、有難う。」
「鈴木様、ところで、源三郎様の奥様って。」
「うん、其れがねぇ~、とても、お美しいお方ですよ。」
「へ~、そんなに綺麗な、其れは、楽しみですねぇ~。」
「では、申し訳有りませんが、私は、次の。」
「鈴木様、分かってますよ、オラ達も、直ぐに行きますので。」
海岸の洞窟内で掘削工事に入って要る男達も、漁師から、源三郎が結婚すると聴き、もう、大変
な騒ぎで、其処には、銀次が居て、みんなを纏めて要る。
「お~い、みんな聞いてくれ、今、漁師さんから聴いた通り、オレ達の、命の恩人の源三郎様が、
奥様を貰われるって、話しなんだ、みんな急いで、舟に乗ってくれ。」
「こりゃ~、大変だ、早く行こうぜ。」
洞窟で掘削工事に就いて要る男達も、漁師が用意した舟に乗り、洞窟を出て行く。
「お~い、さんたさんは、居られますか。」
「は~い、直ぐに行きます。」
農村に向かった上田も、源三郎が妻を娶る話をすると、農民達は手分けし、他の農村へと知らせ
に行く。
一方、お城では、城下や、漁村、農村で、大騒ぎになって要るとも知らずか、城中で簡単に済ま
せ様にと、殿様が手配して行くと。
「殿、源三郎の住まいで御座いますが。」
「雪乃は、権三の家に入るのか。」
「はい、私は、何処にでも参りますので。」
「ですが。」
「ご家老様、今の、私に、何の不満も御座いませぬ。」
「栄三郎殿、嫁入り道具は直ぐには手配出来ぬぞ。」
「殿様、私は、雪乃殿だけで、十分で御座います、父上、其れでよろしゅう御座いますね。」
「源三郎、何の不満が有ろうか、だが、部屋も必要になる、直ぐにとは行かぬぞ。」
「権三、では、源三郎と、雪乃の部屋と、他の者達の部屋が出来るまで、この城で暮らせ。」
「えっ、ですが、その様な。」
「権三が、心配する事では無い、全て、余に、任せるのじゃ。」
「はい、では。」
「源三郎も、其れで良いな。」
「はい。」
殿様は、一体、何を考えて要るのだ。
「雪乃。」
「はい。」
「雪乃と、一緒に、この城に来た腰元の事じゃが。」
「はい、私も、あの二人には感謝せねばなりませぬので、何か、良い策が有ればと。」
「栄三郎殿、あの二人の腰元を、今更、松川に連れ戻す事も出来ぬのじゃ。」
「義兄上、その腰元は、私に任せて頂きたく思うのですが。」
「うん、分かった、栄三郎殿に任せる。」
その後も、今後の事に付いて話を進めて、数時が経った。
「殿、大変で御座います。」
「何事じゃ。」
「はい、今、大手門に、ご城下の者達が、其れは、もう、大勢が参り、源三郎様に、お祝いをと、
申し上げております。」
「何じゃと、城下の者達が、大勢来たとな、源三郎、言って参れ、雪乃もじゃ。」
「はい、直ぐに。」
源三郎と、雪乃は、大急ぎで大手門に向かった。
「義兄上、源三郎と、言う人物を、城下では誰でも知っております。
其れを、今から、見て頂ければ、全て分かりますので、ご一緒に。」
「よし、分かった、その方達も参れ。」
松川の家臣達は、源三郎の人柄を知らないが、町民のげんたが、お城の殿様にも、堂々と話をす
る様子を見て驚いたが、其れよりも、大手門に集まった、城下の者達の数を見て、更に、驚く。
「お~い、源三郎様だぞ~。」
もう、大手門では、余りにも大勢が来て、その為に、押すな、押すなの大騒ぎになって要る。
「皆さん、私は。」
「源三郎様、おめでとうございます。」
一度に、数十、数百、いや、其れ以上の人達が、源三郎に祝福の言葉が飛び、一体、誰が、何を
言っているのか、全く、分からない状態になって要る。
「わぁ~、何て、美しい人なんだろうねぇ~、あれじゃ~、私だって、勝てないわよ。」
「お前、何を言ってるんだよ。」
「あ~ら、あんた居たの、知らなかったわ。」
この様なやり取りが、あちら、こちらで行なわれている。
「源三郎様、何時なんですか。」
「何をですか。」
「何をですかって、奥様を。」
「おい、だれだ、そんなの決まってるんだ、源三郎様は、もう、終わってるんだ。」
「あんた達、一体、何て事を言うのよ、奥様に失礼だよ。」
「源三郎様、奥方様、誠に、おめでとうございます。」
「中川屋さん、有難う、ですが、何故、皆さんが、知っておられるのですか。」
「源三郎様、げんたですよ、げんたが、知らせてくれましたので、ご城下のみんなが、源三郎様に、
お祝いを申し上げ様と、集まったので御座います。」
「えっ、げんたがですか。」
「ねぇちゃん、良かったなぁ~。」
「はい、これからは、宜しくお願いしますね。」
雪乃は、げんたの耳元でで、何かを囁いた。
「お姉ちゃん、まぁ~、心配するなって、オレ様を見損なうなって、えへへ。」
「お~い。」
「あれは、漁師の元太さんでは。」
「源三郎様、おめでとうございます。」
「元太さん、有難う、ですが、何故、元太さんが知っておられるのですか。」
「源三郎様、其れは、秘密で御座いますよ、ねぇ~、へへへ。」
元太は、ニヤリとする。
源三郎は、鈴木と、上田が消えた事を知って要る。
「そうですか、やはり、天の声ですかねぇ~、ふ~ん。」
源三郎も、嬉しかった、だが、雪乃には訳が分からない。
「源三郎様、其れよりも、お~い、持って来てくれよ。」
荷車が、数台、源三郎の前に。
「元太さん、これは、一体。」
「はい、これは。」
元太が、荷車に被せて有る茣蓙を取ると、大量の片口鰯が。
「源三郎様、このお魚は。」
「雪乃殿。」
「へ~、奥方様は、雪乃様って、まぁ~、本当だよ、雪の様な白いお肌で、私は、羨ましいよ、其
れにしても、まぁ~、お美しい奥方様で。」
「なぁ~、母ちゃん、そんな事言ったって、雪乃様は、あっ。」
「げんたさん、駄目ですよ。」
「は~い。」
げんたは、舌をペロッと出し、雪乃は、優しい目で微笑んで要る。
「げんた、何を言いたいのよ~。」
「まぁ~、母ちゃんは、お姉ちゃんには、勝てないよ、絶対にね。」
元太の言葉に、付近に居た者達が、大笑いをした、其処へ。
「あっ、お殿様。」
「本当だ。」
「源三郎、其れは。」
「はい、今、漁師の元太さんが、片口鰯を、こんなに持って来てくれました。」
「何じゃと、片口鰯じゃと、誰か、吉田を呼べ、余は、嬉しいぞ、この片口鰯は、余の為か。」
殿様は、笑いながら言うと。
「お殿様が、片口鰯を食べられるんですか。」
「元太、余はのぉ~、以前、食べた片口鰯が食べたかったのじゃ、だが、誰も、余には、食べさせ
てはくれぬのじゃ。」
「お殿様には、もっといいお魚が。」
「元太、今から、大宴会を致す、その方は、片口鰯を焼いて、余に渡すのじゃ、良いな。」
「はっ、はい。」
「源三郎様、城下より、お祝いのお酒を持って参りました。」
「大川屋さん、有難う。」
「よ~し、決めたぞ、今から、大宴会じゃ、源三郎と、雪乃の為にじゃ。」
「お~。」
傍で、その様子を見て要る、松川藩の殿様も、家臣達も呆れて要る。
その様な光景は、松川藩では、いや、何処の国でも見た事も、聴いた事も無い。
家臣の一人が、嫁を娶ると言うだけで、城下の者達が大勢集まり祝福する事など考えられないと、
だが、野洲藩では、今では、当たり前の様に城下の者達がお城に集まって来る、其れに、お殿様が、
一番楽しんで要る。
「殿、私は、この様な光景を初めて見ました。
其れにしても、野洲藩とは、一体、何時頃からこの様になったので御座いましょうか。」
「う~ん、斉藤、余も、不思議なのじゃ、あの源三郎と言う男は、領民の為にと申しておるが、其
れだけでは有るまい。」
「はい、私も、その様に思います。
ですが、其れにまして、野洲のお殿様は、私達では考えられませぬ、漁師達の中に入り、其れに、
漁師達も、以前から、お殿様を知って要る様な態度で。」
「父上。」
「雪乃。」
「父上、有難う御座いました、雪乃は。」
「雪乃、これで、良かったと申すのか。」
「はい、私は、何も、申し上げる事は御座いませぬ。」
「だがのぉ~、着物も必要で有ろうに。」
「父上、野洲では、源三郎様を初め、ご家中の皆様方は、普段、ご城下の者達と同じ作業用の着物でお役
目に励まれておられます。
其れに、腰の物は、どなたも差されてはおられません。」
「何じゃと、城内では、町民の着物なのか。」
「父上、町民の着物では御座いませぬ、作業用の着物で、源三郎様も、登城されて直ぐ作業用の着
物に着替えられます。」
「其れに、野洲では城内でも、ご城下でも、腰の物は誰も差しては居られぬのか。」
「はい、殿様と、ご家老様以外、皆様で御座います。
私は、源三郎様が、腰の物を着けられておられるのを見た事が御座いませぬ。」
「だが、若しもの時は、一体、どうするのじゃ。」
「野洲のご家中には、手練れの方々が多く居られ、その方々は、別のところに隠していると聴いて
おりますが、私も、今まで、見た事が無いのです。」
「雪乃、城下の者達は、何時も簡単に大手門を通るのか。」
「はい、大手門の門番は、ご城下の者達、全員の顔を知っておりますので、この野洲のお城では、
門番が知らぬと、直ぐ分かるので御座います。」
「では、誰が来たのか、門番が、一番、良く知っておると申すのか。」
「はい、先程のげんたさんもそうですが、ご城下の者達は、源三郎様にお会いする時は、誰でも簡
単に入る事が出来るので御座います。」
「それ程までに、栄三郎殿は、領民を信頼しておるのか。」
「はい、私も、最初は驚きましたが、今では、この光景が自然の様に見えます。
源三郎様は、漁師さんや、農村の人達からは、大変、信頼されておられます。」
「だが、其れだけでは有るまい。」
「源三郎様は、身分の分け隔てなくされて要るとお聞きしますが、其れよりも、皆様が申されます
には、悪人と申しましょうか、その様な人達には、其れは、もう、大変、恐ろしい、お方だと、お
聞きしておりますが、私は、お優しい、源三郎様しか知りませんので。」
雪乃の言葉使いも、大きく変わった、今までの雪乃は、一人の腰元だったが、今は、誰もが認め
る、源三郎の妻だと、其れを、松川藩の殿様は感じたので有る。
「殿、確かに、源三郎殿は恐ろしいお方で、米問屋が申し入れを拒否したのですが、源三郎殿は、
顔色も変えず、言葉使いも、少し変だと思えるのですが、其れが、余計に恐ろしく感じました。」
「其れは、言葉使いは優しいのが、聴いた本人は恐怖を覚えるとでも申すのか。」
「はい、私も、傍で聴いておりましたが、あの言葉使いは、米問屋にとっては、恐怖の以外に無
かったと思うので御座います。」
「じゃが、先程の源三郎を見ておるとじゃ、あのげんたの言う事には、反論もせずにいたが、その
様な恐ろしい、源三郎が、何故、子供の言う事に反論もせずにいたのじゃ。」
「父上、其れが、源三郎様なのです、あのお方は、例え、相手が、子供だとしても、正しく言われ
る事に対しては、一切、反論はされませぬ。」
「では、何か、相手が、子供か、大人は関係は無いと申すのか。」
「はい、私は、その様に思っております。
其れに、源三郎様は、どなたにでも、一生懸命に話されるのです。」
「だが、相手は、城下の町民なのじゃ、其処まで真剣になる必要が何処に有ると言うのじゃ。」
「父上、何れ、源三郎様が、どの様なお方が知られると思いますが、源三郎様は、相手に関係無く
真剣にお話しをされ、其れが、領民にとっては、一番だと思うのです。
此処の、お侍様は、自分達、農民の為にと思い必死なのだと、其れが、源三郎様なのです。
其れで、無ければ、あれだけ大勢の人達が、源三郎様のお祝いに来られると思われるでしょうか、
源三郎様は、領民にとっては、最高の理解者で、今では、野洲の殿様も、源三郎様の最高の理解者
なのです。」
「よ~し、雪乃、余も良く分かった、これからは、雪乃が、源三郎殿に取って、最高の理解者とな
る様に努力致せ、其れが、野洲の為になるのじゃ。」
「はい、父上、有難う御座います。」
その後も、源三郎と、雪乃を祝う人達は、お城の中庭で、何時まで続くのか分からない程の宴会
で、其れを見た、松川藩の殿様も、雪乃の幸せを願うばかりで有る。