第 11 話。 源三郎、最大の危機。
源三郎が、戻って来たのは、夜の四つ半頃で、勿論、城下は静まり返って要る。
裏門から入り、自室に入ると。
「源三郎、戻ったのですか。」
母上の声だ。
「はい、夜遅くに申し訳、御座いませぬ。」
「何も、食べていないのでは。」
「いいえ、途中で食べておりますので、母上も、お休み下さいませ。」
「そうですか、では。」
母上は、何時もながら、源三郎の身を案じて要る。
「う~ん、一体、何から調べれば良いのだ、今度だけは、今までの様には行かぬ、だからと、言っ
て、松川藩の問題は他人事では無い。
上田の城下で見た、不審な人物、この人物が、一体、何者なのだ、う~ん、分からない。」
源三郎は、明け方まで考え込んでいたが、今回だけは、何も浮かんで来ない。
源三郎が、うとうとしていると。
「源三郎、起きて要るのですか。」
「はい、起きております。」
母上の声だ。
「もう、明けの六つ半ですよ、朝餉の用意は終えていますからね。」
「はい、直ぐに。」
源三郎は、大急ぎで着替え、部屋に入ると。
「源三郎、一体、何が有ったのですか、あの様な刻限に戻って来るとは。」
「母上、実は、私も、どの様にお話しをすれば良いのか分からないのです。」
「そうですか、源三郎が、分からない程、大きな問題なのですね。」
「はい、私も、その様に思い、大急ぎで戻り、何か、他の方法でも無いか、考えて要るのですが、
其れが、全く、考えが浮かんで来ないので、私自身が困って要るので、御座います。」
「父上は、登城されましたので、源三郎も登城し、父上に相談されては如何ですか。」
「はい、母上、承知、致しました。」
源三郎は、朝餉も終わり、自宅を出た。
その頃、お城では、殿様と、ご家老様が話しの最中で。
「のぉ~、権三、源三郎は、上田で、どの様な話を進めておると思う。」
「殿、実は、昨夜、遅く、源三郎が、戻って参りまして。」
「何じゃと、源三郎が、戻っておると、一体、上田で、何が起きたのじゃ。」
「私も、まだ、何も聴いておりませぬので、ですが、登城し、殿に、お目通りし、報告致すと思い
ますので。」
「そうじゃのぉ~、よ~し、分かったぞ、余も、一体、何が有ったのか知りたいものじゃ。」
その後、暫くして。
「殿、源三郎で御座います。」
「源三郎か、入れ。」
「はい、殿、ご家老様、源三郎、訳有って昨夜遅く、戻って参りました。」
「訳、有ってと申したが、一体、何が、有ったのじゃ。」
「殿、上へ。」
「よし、参ろう。」
殿様と、ご家老様、其れと、源三郎の三名は、天守へと上がって行く。
天守は、秘密の会話が出来る場所なのだ。
「さぁ~、源三郎、申せ、一体、何が有ったと申すのじゃ。」
「はい、ですが、上田藩の事では御座いませぬ。」
「何じゃと、上田藩の事では無いと申すのか。」
「はい、上田藩の隣の松川藩の事で御座います。」
「松川藩の事じゃと、一体、その松川藩で、何が有ったと申すのじゃ。」
殿様は、内心驚いた、松川藩とは、雪乃の父上が収めて要る小国で、雪乃は、源三郎が、他国に
向かった時、父に書状を送り、若しや、その雪乃の父上の事なのか。
「はい、実は、私が、上田藩の旅籠に入り、番頭から聴いたので御座います。」
源三郎は、上田藩が大変な賑わいで有る事を聴かされた。
「何じゃと、上田藩が、大賑わいを致しておるとな。」
「はい、左様で、御座います、私の、泊まりました旅籠でも、連日、満員近くで、私が、参りまし
た時ですが、たまたま、部屋が空いていたので、御座います。」
「だが、一体、何故じゃ、我が藩と同じ様に行っている上田藩だけが、大賑わい致しておると言う
のじゃ。」
「はい、其れで、上田藩の阿波野様に聴いたのですが、連日、余りにも大勢が来る為に、密偵など
の調べも殆どが出来ないと、申しておられました。」
「う~ん、確かに、その通りじゃ、余り大勢が来ると、一体、どの人物が密偵なのかも調べる事な
どは出来るとは思えぬのぉ~、源三郎、余は、思うのじゃが、その松川藩と、上田藩の関係とはど
の様なのじゃ。」
殿様は、源三郎が、松川藩の事をどれだけ知って要るのか探りを入れた。
「殿、私は、何故に、松川藩の事を知りたいかと申しますと、私が、上田の旅籠で見掛けました不
審な者で御座いますが、あの人物は、上田で宿を取る事も無く、隣の松川藩へと向かいました。
私が、上田に着いたのが夕刻なので、普通の者ならば、その日は、上田の城下で泊まり、翌朝に
出立するのですが、あの速足で行きますと、夜遅く、松川に着くでしょう、ですが、何故、其れま
でにして急ぐ必要が有るのでしょうか。」
「う~ん、確かに、源三郎の申す通りじゃ、だが、ただ、上田を通り過ぎただけでは無いのか。」
「殿は、上田を通り過ぎただけだと申されましたが、上田の隣は、我が藩で御座います。
そして、我が藩の隣が、菊池藩で御座います。
上田を通り過ぎたと言う事は、若しや、我が藩か、其れとも、菊池で、何かを探り当てたとも考
えられます。」
「何じゃと、我が藩か、若しくは、菊池藩で、何かを探り当てたとでも、申すのか。」
殿様は、松川藩に入った不審者が、若しかして、我が藩か、菊池藩で、何かを調べていたと考え
た、だが、其れにしても、何故、松川藩に入って行く必要が有るのだと。
「私も、確信が無いのですが、その様に思えるので御座います。」
「のぉ~、権三、お主ならば、どの様に思う。」
「はい、私も、その不審者が、松川藩に向かったので有れば、何れにしても、上田より、我が藩か、
若しくは、菊池藩で、何かを探り当てたのではないかと、考えまするが、源三郎、その者は、確か
に、松川藩に入ったのか。」
「父上、私も、一体、何処まで行くのか、調べればよかったのですが、宿に荷物を取りに戻る事も
考えましたが、その者の歩く速さはでは、私が、戻ったのでは見失うと思い、上田の城下外れで止
めたのです。」
「殿、その者は、余程、手慣れた者だと言う事になりますなぁ~、その様な者を付けると、必ずや、
知られ、直ぐ見逃す事になり、其れが、かえって、相手の思う壺にはまる可能性も御座います。」
「では、其れ以上の追跡は無用じゃと申すのか。」
「殿、私は、その者が、一体、何者なのかも、其れも、分からぬ状態で深入りする事は、危険だと
考えます。」
「う~ん、じゃが、源三郎が、申した様にじゃ、松川の内部に密偵がおるやも知れぬぞ、源三郎は、
その辺りを調べると申すのか。」
「殿、私は、其れを、調べに戻ったので御座います。」
「何じゃと、我が藩で、一体、何を調べるのじゃ。」
殿様は、まだ、気付いていない、上田藩の事も、菊池藩の事も、全て調べる事が出来たのは、中
川屋と、伊勢屋からの情報なのだ、源三郎は、今回、果たして、中川屋と、伊勢屋が何処まで知っ
て要るのか、若しも、知って要るので有れば、全てを聞き出す必要が有ると考えたので有る。
「殿、上田藩と、菊池藩の情報は、全て、中川屋と、伊勢屋からで、御座います。
私は、其れならば、今回も、中川屋と、伊勢屋が、何かしらの情報を持って要ると考えたので、
御座います。」
「そうか、あの中川屋と、伊勢屋がのぉ~、では、源三郎は、中川屋と、伊勢屋に確認を取ると申
すのか。」
「はい、其れで、彼らのから情報が聞き出せるので有れば、全てを聴き、更に知り得たならば、そ
の後の策も考え付くと。」
「よ~し、分かった、で、明日にでも参るのか。」
「はい、早く知り得れば、早く考え、早く行動を起こす事が出来ますので。」
源三郎に、確信など無かった、だが、今の状況下では、中川屋と、伊勢屋からの情報が全てで、
果たして、この危機を乗り越える事が出来るのだろうかと、源三郎は、一抹の不安を抱いて要る。
そして、明くる日の朝早く、源三郎は、中川屋に入った。
「ご免。」
「源三郎様、如何なされたので御座いますか、この様に朝早くから。」
番頭は、驚いた、源三郎が、早朝、店を訪れると言う事は、余程、大事な用事が有ると。
「番頭さん、お久し振りですねぇ~、で、店主殿は。」
「はい、直ぐ、呼びますので、奥へ。」
「はい、では、失礼します。」
番頭は、丁稚に、店主を呼ぶ様に言うと。
「さぁ~、どうぞ。」
「有難う、御座います、番頭さんも宜しければ。」
「はい、勿論で御座います。」
「番頭さん、お茶を持って参りました。」
「有難う。」
若い女中が、源三郎の前にお茶を置き、部屋を出た。
「源三郎様。」
「店主殿、大変、お忙しいところ、誠に、申し訳、御座いませぬ。」
「いいえ、私は、何時でも、お待ち申し上げておりますので、其れで、今日は、何用で、御座いま
しょうか。」
「はい、実はですねぇ~、店主殿は知っておられるとは分かりませぬので、お聞きしたいのですが、
松川藩をご存知でしょうか。」
「はい、勿論、知っておりますが。」
この頃になると、中川屋の店主も番頭も、源三郎に対しては、何も隠す事無く全てを話すのだ。
其れは、源三郎が、知って要る内容を確認するだけだと、百も承知だからで。
「では、松川藩の事に付いて知りたいのですか。」
「はい、では、松川藩の事に関しましては、源三郎様も、ご存知の様に、松川藩には、私の義弟が
米問屋を営んでおりまして、その義弟も密偵で、御座います。」
「やはり、そうでしたか、其れで。」
「はい、ですが、松川藩の中には、密偵はおられませんので、義弟が、全ての情報を集め幕府に報
告すると言うのが表向きなので御座いまして、義弟の報告も、私達と同様で、実のところ、密偵の
お役目としては、何も出来てはおりませんのです。」
若しや、其れは、中川屋からの指示なのか、其れとも、情報集めなどは行わず、ただ、簡単に報
告だけで済ませて要るのか。
「其れは、店主殿が指示されているのですか。」
「いいえ、私は、何も申しておりません。
実は、義弟は、この店におりまして、私の、末の妹と所帯を持って、松川藩で店を開いたので、
御座います。」
「では、義弟殿も、この店におられる時からなのですか。」
「はい、ですが、妹は何も知りませんので。」
「勿論、承知しておりますのでね、何も心配される事は有りませんよ。」
「はい、有難う、御座います。
其れで、先日も文が届き、松川藩の隣の上田藩では、穀物類も、他の海産物も、薬種も安価で売
られて要ると。」
上田藩の米問屋、海産物問屋、其れに、薬種問屋は、源三郎の命令通り、安価で売り出している。
だが、其れだけの事で、連日、あれだけ大勢の商人や、旅人が、上田藩を訪れるだろうか。
「店主殿、ですが、其れだけの理由で、あれだけ大勢の商人や、旅人が訪れるでしょうか。」
「はい、源三郎様の申される通りで、私も、伊勢屋さんも、有れ以来、源三郎様の申し付け通り、
安価で売らせて頂いておりますが、普段より、少し多い程度で、商人も、以前の人達だけで御座い
ます。」
源三郎も、城下に訪れる旅人も、商人の数も、あの日の以前と殆ど変わらないと知って要る。
義弟の文には、どうやら、上田藩の米問屋は、山賀藩から、大量にお米を買い付けて要ると。
「店主殿、その山賀藩とは、どの様な国なのですか。」
「はい、ですが、私も、余り、詳しく知らないのですが、山賀では毎年の様に大豊作で、御領内では、問
屋から、安く買い叩かれていると。」
「では、上田の米問屋は、高値で買い付けて要るのでしょうねぇ~。」
「はい、私も、その様に思いますが、義弟の文ですが、特に、松川藩からの商人だけでなく、領民
までもが、上田を訪れ買って行くと。」
「えっ、その様な事が行なわれているのですか。」
「でも、私も、義弟の文だけですので、確信が有る訳も御座いませんので。」
上田の役人も、松川の役人も見逃して要るのだろうか、上田は、ともかく、松川でも不作なのか、
其れにしても、松川藩の動きが分からない、領民が他国で米や、他の物を買い、自国に入る時には、
関所で発見されるはずだ、だが、関所は、何も咎めずに見逃して要るとは、これは、上田藩以上に
松川藩は深刻なのかも知れない。
「店主殿、では、義弟殿には、他に何か指示を伝えられたのですか。」
「はい、義弟には、領民には安価で売りなさいと返書したのですが、その後は、何の返書も有りま
せんので。」
「店主殿、義弟殿には、他に何か伝えられたのですか。」
「はい、あの日から、数日後、文を書きまして、私達の事は全て発覚したと、全てを。」
やはり、そうなのか、中川屋は、何れ、義弟の事も知れるだろう、源三郎と言う人物は、其れは、
恐ろしい、お方だと。
「そうでしたか、其れで、義弟殿は、何と、返事されたのですか。」
「何も、書いておりませんが、多分、今頃は、何時、源三郎様が、来られるのだろうかと、其れは
もう、毎日がひやひやものでは無いでしょうか。」
「では、相当、大儲けされたのですね。」
「はい、数年前、此処に来た時に話をしておりましたが、数万は稼いだと、その大金は、寝所の地
下に隠して有るとか。」
「そうですか、まぁ~、其れは、何れの時に、其れで、先程の松川藩の事ですが、領民が上田藩ま
で行き、買い物をするとは只事では無いですよ。」
「はい、勿論、源三郎様の申される通りですが、義弟も松川藩では、特に、この数年は不作が続い
ていると。」
「では、農民さん達は、相当、苦しいと言う事ですねぇ~。」
「はい、私も、その様に思いますが。」
「中川屋さん、松川藩の義弟さんのところに。」
「源三郎様、有難う、御座います。
実は、私も、案じておりましたので、ご相談に上がろうかと思っておりましたところで、早速、
手配を致します。」
中川屋は、源三郎が、何を言いたいのか、直ぐ理解した。
「中川屋さん、申し訳有りませんねぇ~、其れで、松川藩には、他に何か有るのでしょうか。」
「はい、松川藩は、陶器物の生産で生きて要ると、義弟の話しですが、でも、領民の全てが陶器物
を作って要るとは思えませんので、特に、漁民と、農民の暮らしは、大変、苦しいと思います。」
「陶器物ですか、其れで、他には。」
「源三郎様、実は、大きな声では、申し上げる事が出来ないのですが。」
「えっ、何か、秘密でも有るのですか。」
松川藩の秘密とは、一体、どの様な事なのか、正か、松川藩でも、海岸で洞窟を掘削工事に入っ
て要るのでは無いのか。
「源三郎様、松川藩のお姫様が、お城から消えた噂が有るので御座います。」
「えっ、松川藩の姫君が消えた、其れは、一体、どの様な話しなのですか。」
源三郎には、今までにない衝撃的な話で有る。
一国のお姫様が城から消えた、だが、何故、お姫様が消えたのだ、其れに、消えたと言うのは、
松川藩に、何か、重大な訳が有り、その問題から逃げたとでも言うのだろうか。
其れとも、何者かによって、連れ去られたたのだろうか。
「源三郎様、お姫様が、お城から消えて、まだ、日数も浅く、松川藩のお侍様が、お姫様の行方を
探しておられると、其れにですよ、隣の山賀藩からも探索に加わったとか。」
「えっ、店主殿、松川藩の探索は、私も、分かりますが、何故、山賀藩が探索に加わるのでしょう
かねぇ~、私は、全く、理解に苦しみますよ。」
源三郎は、山賀藩の行動が、全く、理解出来ないと。
「源三郎様、私も、其れ以上の事は、詳しくは知りませんので、でも、義弟なら、その辺りの事も
知って要ると思うのですが。」
では、上田の城下で見掛けたのは、松川藩の家臣では無いのか、一国のお姫様が消えたとなれば、
一大事で、家臣達が、お姫様を探し、少しの手がかりが有れば、大急ぎで戻るのが普通で、だが、
あの者は、お姫様の探索に向かった家臣なのか、其れにしても、全く余計な話しだ、だが、この
間々にして置くと、何れ、早いか、遅いかは別として、幕府に知れ、近隣諸国を探す事にでもなれ
ば、幕府の事だ、甘い言葉で、巧みに誘い、家臣の中には、その言葉を信じ、其れが、元で、全て
露見する事にもなりかねない、だが、この問題をどの様な方法を用いれば解決出来ると言うのだ。
「店主殿、先程の件ですが、何時頃、出立の予定なのですか。」
「えっ、正か、源三郎様が。」
「はい、私も、同行致しますので、其れと、私の配下、三名も。」
「はい、承知致しました、番頭さん、何時頃になりますか。」
番頭も、全く、予想外の話で、考えていなかったのか。
「えっ、はい、今から、準備に入りましても、明日の、いいえ、明後日では、如何でしょうか。」
「はい、分かりました、勿論、番頭さんも参って頂けるのでしょうか。」
「はい、私が参りまして、説明致しますので。」
「はい、では、明後日の朝で、宜しいでしょうか。」
「其れで、何俵くらいの予定でしょうか、其れに寄れば、私も、人数の手配をしますので。」
「はい、一応、百俵ではと考えておりますが。」
「う~ん、百俵ともなれば、四人では、心もとないですねぇ~。」
「源三郎様、松川藩までは直ぐですので。」
「いや、その様な事では無いのです、其れだけ、大量の米俵を運ぶとなれば、上田の城下を過ぎた
時に問題が発生する事も考えなければなりませんのでねぇ~。」
やはり、源三郎は、警戒を厳重にする必要が有ると思って要る。
今は、其れだけ、危険だと言う事なのかも知れない。
「はい、分かりました。」
「番頭さん、松川のご城下に入れば、直ぐ、義弟殿の米問屋に入りますので。」
「はい、承知、致しました。」
「では、店主殿、番頭さん、明後日の朝、参りますので。」
源三郎は、中川屋を出ると、直ぐ城へと向かった。
「う~ん、これは、本当に困った、何故だ、何故、姫君がお城から逃げ出したのだ、姫君の余計な
行動が、我が藩の運命を危うくして要るのだ、一体、どんな顔をしているのだろうか、一度、見て
見たいよ、本当に、馬鹿姫が。」
源三郎は、松川藩の姫君に腹を立てて要る。
「父上、父上。」
「先程、殿様のところに向かわれました。」
「有難う。」
源三郎は、大急ぎで、殿様の部屋に向かった。
「殿。」
「源三郎か、一体、どうしたと申すのじゃ、その様な恐ろしい顔で。」
「申し訳、御座いませぬ、殿、上田の件、要約にして分かりました。」
「一体、何が、有ったと申すのじゃ。」
「はい、実は。」
源三郎は、中川屋から聴いた話をすると。
「では、上田が、安価で売って要る、其れを、松川の領民が買い求めて要るとな。」
「はい、松川藩は、この数年、不作が続いて要ると、其れで、一番苦しい思いをして要るのが農民
と、漁民だと言う事なのです。」
「源三郎の事じゃ、何か、方策でも考えておるのじゃろ。」
「はい、中川屋に、米百俵を届けてくれと。」
「やはり、さすが、源三郎じゃ、で、中川屋も快く引き受けたで有ろうなっ。」
「はい、其れは、中川屋も考えていたと。」
「うん、そうか。」
「殿、其れとですが、中川屋の義弟が、松川藩で、米問屋を営んでおりまして。」
「何じゃと、中川屋の義弟が、松川藩で、其れで、如何致したのじゃ。」
「はい、この義弟と言うのが、中川屋におりました時、中川屋の妹と。」
「では、その義弟も密偵なのか。」
近頃の殿様は、読みが早い、源三郎が、全てを話す前に理解をするので有る。
「はい、正に、殿の申される通りで御座います。
其れで、中川屋の番頭も一緒に参る事になりました。」
「では、番頭が、その義弟に話を致すと申すのか。」
「左様で、御座います。
其れと、私と、私の配下の田中達、三名が同行したいのですが。」
「源三郎が、参るのか。」
「はい、ですが、米百俵ともなれば、上田を過ぎ、松川に入ったところが、一番、危険では無いか
と思います。」
「源三郎は、四名では少ないと申すのじゃな。」
「はい、今回は、表向きは松川の問題ですが、実のところ、我が藩が、一番、危険なのです。」
「何じゃと、我が藩が、最も危険だと申すのか、何故じゃ、何故、我が藩が危険なのじゃ、米百俵
の、一体、何処が、危険だと申すのじゃ。」
「殿、よ~く、考えて頂きたいので御座います。
我が藩は、今年も大豊作とは報告されておりませぬ、其れが、米百俵をも松川に届けるとなれば、
直ぐ、噂になります。
更に、米百俵の荷車は、早く進めませぬ、旅人が歩く半分程で進むので御座います。
我が藩の城下を出た時から旅人が一緒で、その旅人が、上田の城下で話すと、その日の内に松川
の城下で、話しが出て来ると、私は、思っております。」
「う~ん、源三郎の申す通りじゃが、其れで。」
「はい、上田の城下を離れた時が、一番、危険だと、松川で噂を聞いた浪人者達が襲って来るやも
知れぬと思うので御座いますが。」
「そうか、悔い潰れ浪人か、よ~し、分かった、手練れを手配するのじゃ。」
「はい、有難う、御座います。
私は、明後日の朝、中川屋に行き、それから、上田に向かいます。」
源三郎は、上田に泊まるのか、其れとも。
「源三郎、百俵じゃ、上田藩に泊まるのか。」
「荷車は、上田の城内に、我々は、旅籠にと考えております。」
上田藩は、源三郎が、松川藩に米百俵を届けると聞けば、上田藩からも、同じ百俵か、其れ以上
を出すだろうと考えて要る。
「源三郎、お主は本当に、悪い奴よのぉ~。」
「えっ、私は、何も申してはおりませぬが。」
「何を、申しておるのじゃ、米百俵を積んだ荷車を、上田の城内に入れるだと、泡良ければ、上田
も、百俵、いや、其れ以上出すだろうと考えて要るのじゃろ、え~、如何じゃ、源三郎。
何と言う悪知恵を働かせるのじゃ、のぉ~、権三。」
傍では、父で有る、ご家老様が笑って要る。
源三郎も、苦笑いをしているが、本当の問題は、其れでは無かった。
「殿、其れよりも、大事な、お話しが御座います。」
「何じゃ、その大事な話しとは。」
「はい、実は、松川藩の姫君様の行方が分からないと、聴きましたのですが。」
殿様は、一瞬、血の気が引いた。
松川藩の姫君とは、雪乃の事で、実は、殿様の奥方は、松川藩藩主の妹で、殿様は、叔父上に当
たるので有る。
だが、殿様は、雪乃の事は、一切、誰にも明かさず、腰元として、城内に住まわせている。
正か、この様な事態になるとは考えもしなかった、殿様で有る。
「何じゃと、姫君が、松川藩を飛び出したと申すのか。」
「はい、左様で御座います、ですが、私は、どの様な経緯で、姫君様が、松川藩を離れられたかは
知りませぬが、探索の手が、松川だけならば、問題は、御座いませぬが、何故か、隣の山賀藩まで
もが介入して要ると。」
「何じゃと、山賀藩までもが、介入し出したと申すのか。」
殿様も、実は、その姫君が雪乃だと切り出したいのだが。
「はい、私が、上田の城下で見た者は松川か、其れとも、山鹿の者だとは思うのです。
ですが、事態が長引けば、幕府にも知られ、その為と申しては何ですが、山鹿の者達が菊池か、
我が藩の隅々まで探すやも知れませぬ。」
「う~ん。」
「私は、米百俵を届け、その辺りの真相を知りたいのです。」
「そうか、其れで、仮に、姫が見付かったとすればじゃ、源三郎は、どの様に致すのじゃ。」
「殿、私も、まだ、其処までは考えてはおりませぬので。」
「そうか、分かった、其れでじゃ、先程申した、中川屋の義弟の事じゃが、其れは、どの様に致す
のじゃ。」
「はい、番頭が、義弟に話をしますので、その返事次第だと考えておりますが。」
殿様は、雪乃の話題から変えたが、源三郎は、何かを感じたのかも知れない。
「殿、姫君様の事で、私も、暫く考えたく存じますので。」
「そうか、では、頼むぞ。」
殿様の様子が、何時もとは違う、何故か、姫君の話をすると多くは語らない、一体、何故だと、
源三郎は、考えるが、今の、源三郎に知る良しもない。
「では、私は。」
「うん、頼むぞ。」
「権三、余も、考え事が有るので。」
「はい、では、私も。」
殿様は、奥方様の部屋に入り。
「のぉ~、奥、大変な事になったのじゃ。」
「殿様、如何なされましたので御座いますか、何時もの殿様では、御座いませぬが。」
「うん、其れなのじゃが、雪乃の事なのじゃ。」
「雪乃が、どうかしたのですか。」
「うん、雪乃の事が、源三郎に知れるやも。」
「えっ、正か、でも、雪乃は、今も、普通の腰元として、城内におりまするが。」
奥方様も、源三郎が、どの様な人物か知って要る。
その源三郎が、雪乃が、松川藩の姫君様だと気付くのも遅くは無い。
だが、一体、どうすれば良いのだ。
「誰か、居るか。」
「はい。」
「直ぐ、雪乃を此処へ。」
「はい、かしこまりました。」
この腰元は、雪乃が、松川藩の姫君様だと知って要る、暫くして。
「雪乃で御座います、お呼びでしょうか。」
「うん、入れ、他の者は下がって良い。」
「雪乃、もう少し前へ、余も、大きな声では言えぬのじゃ。」
「はい。」
「雪乃、源三郎を知っておるな。」
「はい。」
「その源三郎がじゃ、雪乃が、城を抜け出した事を知ったのじゃ。」
「ですが、今の私は、腰元の雪乃で、松川とは、どなたも、ご存知有りませぬが。」
「うん、其れは、家中の者達では誰も知らぬ、だが、源三郎は違うのじゃぞ、源三郎は、雪乃を
知っておるのか。」
「はい、先日、漁師さんや、農民さんと大宴会をされました時、私は、初めてお会いした様に思う
のですが。」
だが、雪乃は、其れまでも、何度となく、源三郎の姿を追っている、其れは、殿様も知って要る。
「其れは、誠なのか。」
雪乃は、心臓が止まりそうになった。
「何故で、御座いますか。」
「いや、何でも無い、其れよりもじゃ、源三郎が、米百俵を松川に届けるのじゃ。」
「えっ、其れは、何故で御座いますか。」
「其れが、源三郎のやり方なのじゃ、松川の農民と、漁民が苦しいと知り、米を届けるのじゃ、だ
がのぉ~、雪乃、源三郎の真の目的は、別に有るのじゃ。」
「お米を届けるのが目的では無いと。」
「そうなのじゃ、今までもが、そうなのじゃ、米百俵を松川に届ける、其れからが、本当の源三郎
の役目なのじゃ、源三郎が、どの様な方法で調べるのか、其れは、余も知らぬが、源三郎の集めた
情報は誰もが驚く情報なのじゃ。」
「では、私の事は、数日以内に、源三郎様に知られるのでしょうか。」
雪乃は、何故か、顔が赤くなるのを感じた
「雪乃、源三郎に知られては困る事でも有るのか。」
「いいえ、正か、私は、源三郎様に知られては困る事などは、御座いませぬが、源三郎様が、私の
事をお知りになると言う事は、あっ。」
雪乃は赤くなり、下を向いた。
「そうか、やはりのぉ~。」
「殿様、やはりとは、どの様な事なのですか、私は、分かりませぬが。」
「奥、雪乃を見て分からぬか。」
奥方様は、雪乃を見て要るが、雪乃は下を向いたままで。
「雪乃はのぉ~、源三郎を好いておるのじゃ、と言うよりもじゃ、一目惚れと言う事じゃ、のぉ~、
雪乃、そうで有ろう。」
「私は、何も知りませぬ。」
雪乃は、心臓が止まりそうだ。
「だが、雪乃、源三郎がじゃ、雪乃が、松川の姫君だと知れば。」
雪乃の目から涙が零れ、源三郎は、雪乃が松川藩の姫君だと知れば、雪乃の傍から離れる事は間
違いは無いと、殿様は、一体、どの様にすれば良いのか考えるのだが。
「雪乃、源三郎の事をどの様に思っておるのじゃ、正直に申してくれ。」
雪乃は、涙が止まらず、何も言えない。
「雪乃は、源三郎を好いておるのか。」
雪乃は頷き。
「はい、私は、源三郎様を、お慕い、申し上げております。」
「雪乃、じゃが、源三郎は、家老の息子じゃ、何れは、この藩の家老になる、だが、藩主には成れ
ぬのじゃぞ。」
雪乃は、何れ、源三郎が知る事になり、その時になれば、源三郎が離れる、其れは仕方が無い。
だが、其れまでの間だけでも、源三郎の傍に居たいのだ。
「何か、良い策は無いものか、奥も考えて欲しいのじゃ。」
殿様は、何とか出来ないか考えるが、今の状態を打開出来る様な策は浮かんでは来ない。
「叔父上様、伯母上様、私は、数日でも、数時でも宜しいので御座います。
源三郎様のお傍に置いて頂ければ、其れで、私は、源三郎様を。」
「雪乃、源三郎を諦めると申すのか。」
またも、雪乃は、大粒の涙を零すので有る。
「雪乃、まだ、時は有る、雪乃は、源三郎が、知るまでの間だけでも、傍に居りたいと申すならば、
余は、何も申さぬ、だが、明後日には、松川向けて出立するぞ、そしてじゃ、源三郎が、戻った時
には覚悟を決めるのじゃ、分かったな。」
「はい。」
傍の奥方様も涙が止まらない。
「殿様、何とかなりませぬか。」
「余も、分かっておる、これがじゃ、雪乃が、腰元ならば、他の考えも浮かぶが、う~ん。」
これが、世の中なのだ、家柄が、どうの、格式が、どうの、財産が有るとか、無いとか、余の中
には、男と女の仲を引き裂く理由など、何処にでも有ると言う事なのだ。
雪乃は、松川藩の姫君様、源三郎は、野洲藩、家老の息子、雪乃が、どの様に騒いだとしても結
ばれるはずも無い。
更に、源三郎は、雪乃が慕っている事など、全く、知らないので有る。
「う~ん、これは、大問題だ、一体、どの様な策を講じれば良いのだ。」
源三郎は、自室で自問自答している。
「源三郎様、宜しいでしょうか。」
「はい、どうぞ。」
雪乃で有る。
「源三郎様、お茶を持って参りました。」
「雪乃殿、如何なされました、目が赤こう御座いますが。」
「先程、目にほこりが入りまして。」
「大丈夫ですか。」
「はい、今は、何とも、御座いませぬ。」
「左様ですか、其れは、よう御座いました。
雪乃殿、宜しければ、少し、お話し出来るでしょうか。」
「はい。」
雪乃は、嬉しくて、嬉しくて、もう、心臓は踊って要る。
「実は、私は、雪乃殿に聴いて頂きたい事が有りまして。」
「はい、どの様な事で御座いましょうか。」
雪乃が、正かと思う様な話しになるのだ。
「雪乃殿は、我が藩の状態を、ご存知でしょうか。」
「はい、先日来、何度も、お聞き致しております。」
「では、私の、役目もご存知でしょうか。」
「はい、皆様からも、お聞きしておりますので。」
「実は、今、我が藩の運命を左右する出来事が有るのですが。」
「源三郎様、その様な大事なお話しをされても宜しいのでしょうか。」
「別に、宜しいですよ、何れ、知れる事になりますので。」
「はい。」
「実はですねぇ~、我が藩の隣に、上田と言う国が有るのですが、問題と言うのは、上田藩では無
く、上田藩の隣に有る、松川藩と言う国の事なのですが。」
「はい。」
雪乃は、返事だけで、何も言える状況では無い。
「その松川藩と言う国では、この数年来、不作と、不漁が続き、領民、特に、漁民と農民は苦しい
生活を余儀無くされておりまして、明後日の朝、私と一緒に、米百俵を松川に届けるのです。」
源三郎は、今まで、腰元に、お役目の話をした事が無い、だが、何故だか分からないが、雪乃だ
けには、聴いて欲しかったので有る。
源三郎も、実は、雪乃に好意を寄せてはいるが、源三郎は、お役目の内容を話す事で、少しでも、
雪乃が理解してくれるだろうと考えたので有る。
雪乃も、源三郎の置かれている立場は知って要る、其れにもまして、松川の話を聴かせると言う
事は、雪乃が、何者なのか、既に知られて要るのだと思い、この話の終わりには、源三郎から伝え
られるで有ろうと、覚悟を決めたので有る。
「源三郎様は、大変、お優しいお方だと、皆様が、申されておられます。」
「私が、優しいですと、私は、ただ、農民さんや、漁民さん達が苦しむのが嫌なのですよ。」
源三郎の目は、何か、寂しそうだ。
「ですが、米百俵と言えば、漁師さんも、農民さんも助かるのでは御座いませんでしょうか。」
雪乃も、漁民や、農民が、例え、米百俵と言えども、大助かりだと理解して要る。
源三郎は、松川の姫様の事を、同じ女性の立場で、どの様に思って要るのか聴きたいと思う反面、
下手をすると、雪乃を怒らせ、源三郎が、雪乃に抱いて要る、全てが泡と消え去るのではと考え、
中々、言い出せないので有る。
「源三郎様、如何なされたのでしょうか。」
「いえ、別に。」
雪乃も感じて要る、今、源三郎は、松川の姫様の話をするべきか、其れとも。
「何時もの、源三郎様では無い様に、私は、思うのですが、私で良ければ、お話し頂いても宜しい
のですが。」
雪乃は思い切った。
「ええ、でも、このお話しは、雪乃殿に致せば、雪乃殿は、大変、不愉快な思いをなされると思い
ますので。」
やはり、雪乃が、思った通りだ、源三郎は、松川の姫様の話をしたい、だが、その話をすれば、
同じ女性だと言う事で、雪乃が、不愉快な思いをすると、源三郎は、雪乃が、不愉快な思いをする
のならば、話す必要も無い。
だが、雪乃は違う、源三郎が、一体、何処まで知って要るのか、そして、松川の姫君に対して、
どの様に思って要るのか、其れを知りたいので有る。
「源三郎様が、どの様お話しをされるのか、私は、分かりませぬが、私が、不愉快に思うのか、思
わないのか、其れは、お話しをお聞きしなければ、何とも、申し上げる事が、出来ないので御座い
ませんでしょうか。」
確かに、雪乃の言う通りかも知れない。
源三郎自身、話しをするのは簡単なのだ、だが、其れは、他の腰元ならば、話しは別で。
「う~ん。」
「源三郎様、無理にとは申しませぬが、私が、悪う御座いました。」
「いや、雪乃殿に、何の悪い事が有りましょうや、全て、私が、悪いので御座います。
余計な事を申し、雪乃殿に、不快な思いをさせました、どうか、お許し願います。」
やはり、源三郎は、言い出せ無かったのか、だが、話しを聴けなかった、雪乃が、余計な詮索を
する事になるだろう、其れでは、後で、余計な言い訳をしなければならないと。
「雪乃殿、やはり、聴いて頂きたいのです。
実は、私は、今、どの様に考えても、良い策が浮かばないので御座います。」
「はい。」
雪乃の表情が変わった、其れは、雪乃自身が覚悟を決めたので有る。
「雪乃殿、先程も申しましたが、明後日、我が藩から、米百俵を松川藩にお届けする、其れは、何
も、問題は無いのです。
ですが、私に入った情報では、松川の姫君様が消えたと申してよいのか、其れとも、不審者より
連れ出されたのか、其れが、分からないのです。
ですが、お城から、姫君様が消えたと言うのは事実の様で、私としましては、今の、松川藩を何
としても救いたいと、これは、私の気持ちなので御座います。」
「はい。」
雪乃は、源三郎が、言葉を選び話して要る、其れは、源三郎が、雪乃に対して、並々ならぬ神経
を使って要ると感じた。
「雪乃殿、私は、姫君様が、どの様なお気持ちなのか、女性では有りませんので、理解が出来ない
ので御座います。
ですが、仮にですよ、ご自分の意思で、お城を抜け出されたので有れば、同じ人間として、大変
な覚悟をされたと思います。
その事は、私が、お役目に就き、領民の為にと思って要る工事どころの騒ぎでは無いと考えてお
り、下手をすれば、途中で狼や、野犬に襲われ、命を落とす事も、更に、山賊に襲われる事も考え
ねばなりません。」
「はい。」
雪乃は、返事はするが、何も言わずに聴いている。
「雪乃殿、仮にですが、女性と言われるのは、命を懸けてでも、時には、その様な行動に出られる
事も有るのでしょうか。」
「源三郎様、其れは、殿方でも、同じでは、無いでしょうか、今、源三郎様は、お役目に、ご自分
の命を掛けておられると思います。
殿様も、ご家老様も、何時でも、お腹を召されても良いと、皆様が、お命を懸け、このお役目だ
けはと思われているのと、同じ様に、女も、命を懸ける時が有ると思うので御座います。」
何と言う話し方だ、やはり、雪乃は、ただの腰元では無いと、この時、源三郎は思うが、だが、
正か、その様な事は有り得ないだろう、松川の姫様が、腰元の姿で、いや、その様な事は絶対に。
「やはり、雪乃殿に聴いて頂いて良かったです。
ですが、今の話は、あくまでも、私の想像なので、若しも、若しもですよ、何者かに寄って、連
れ出されたとなれば、大変な事になるのです。
その様な事態にでもなれば、松川藩内は大変な騒ぎとなり、何れ、幕府に知れる事になるのです。
私が、先日、上田の城下で見た者は、松川藩の探索者で無いかと、ですが、私が気掛かりなのは
隣国の山賀藩が、姫君様の探索に介入している事なのです。」
「えっ。」
「如何されましたか。」
雪乃は、思わず、声を発した。
松川藩の家臣達が探索している事は知って要る、だが、山賀藩が介入し、家臣達が探索して来る
とは、考えもしなかった。
「いいえ、別に何でも御座いませぬ。」
だが、源三郎は、雪乃の変化を見逃さなかった。
他人事で有れば、あの様な反応は無いと、だが、雪乃と言う腰元は、頭の回転も早く、賢い、雪
乃の様な腰元ならば、今の反応は普通で有ると、雪乃は、その山賀から逃れる為に、城を飛び出し
たので有る。
「雪乃殿、私は、何故、山賀と言う国が、姫君様の探索に介入したのか、今回、姫君様が消えたと
言われる事件は、どうやら、山賀に問題が有ると、考えて要るのです。」
やはり、源三郎も、山賀藩に問題が有ると、其れにしても、何故、隣国の山賀藩が介入しなけれ
ばならないのだ。
松川藩と言う国は、毎年、不作と、不漁だと聴いているが、城下では、陶器作りが盛んで、松川
藩と言う国は、陶器物の売り上げで生き残って要るので有る。
「雪乃殿、私が得た情報では、松川藩は、陶器物の売り上げだけで生き残られております。」
「はい。」
「ご城下の人達は、何らかの形で、陶器作りの仕事をされておりますが、漁師や、農民には、全く、
陶器作りとは無縁の仕事なのです。」
「はい、其れは、私も分かります。」
「ですが、隣の上田藩も同様で、不作、不漁が続いて要るのですが、上田の米問屋が他国から大量
のお米を買い入れ、城下の人達に安価で売り出した、其れまでは、松川藩も、山賀藩から高いお米
を買わされていたのでしょうねぇ~。」
雪乃は、改めて、源三郎の思考能力は並みの侍では無いと分かった。
更に、源三郎の言う、山賀藩から高く売り付けられて要ると言うのも事実なのだ。
「雪乃殿、私はねぇ~、今回、山賀の家臣達が探索に出たと言うのは、山賀から、姫君様が逃れた
いと必死で、お城を出られた、これは、私の推測ですが、山賀から、松川藩の殿様に対して、飛ん
でも無い要求をしたのではないかと、雪乃殿、私は、松川藩と、山賀藩の件が幕府に知られると、
上田、我が藩、其れに、菊池藩にも及び、其れが原因で、この三つの藩は取り壊しに会うのを心配
して要るのです。」
「源三郎様、何故、我が藩にまで及ぶので、御座いますか。」
「其れは、簡単な話ですよ、姫君様がおられないと知った時点で、山賀藩の領内のあらゆるところ
に、姫君様の顔と、まぁ~、発見せし者にはと言う事で、多額の懸賞金を提示して要るので、普通
の人が考えても、山賀の領内入る事は有り得ません。
雪乃殿、私はねぇ~、姫君様を責めるつもりも御座いません。」
「何故で、御座いますか。」
「多分、お殿様の、ご命令だと思いますよ、でなければ、姫君様と、腰元が、お城を抜け出すと言
うのは、とても無理だと思います。」
「はい。」
「私は、其れよりも、何とかせねばならないのは、山賀の国なのです。
これから先の事を考えますと、松川藩よりも、山賀を、あっ、雪乃殿、誠に申し訳御座いませぬ。
私が、話しに夢中になったばかりに、雪乃殿の手を休めさせました、お許しを願います。」
「いいえ、私は別に、其れに、殿様からも、源三郎様のお世話をと、申し受けておりますので。」
源三郎の思った通りで、殿様は、雪乃を、源三郎の世話係にと、其れにしても、殿様は、雪乃の
正体を知って要るのだろか。
「雪乃殿、では、申し訳、有りませんが、お茶を、お願いしたいのですが。」
「はい、かしこまりました、直ぐに。」
雪乃は、源三郎が、何故、急に話しを変えたのか分からず、部屋を出た。
「う~ん、其れにしても、今回は、大問題だ、どの様な策を持ち入れれば良いのか、今も、分から
ぬ、其れに、お姫様は、一体、何処に居るのだ、あの時、上田で見た不審な者は、お姫様の居所を
突き止めたのだろうか。
その後、暫くして、雪乃は、お茶を運んで来たが、何も言わずに部屋を出た。
そして、二日後の朝、源三郎達、三十名近くは大手門を出、中川屋へと向かうので有る。
その源三郎の後ろ姿を見送る、雪乃が居た。
殿様も、雪乃の存在を知って要るが、知らぬ顔で立ち去って行く。
城下の中川屋では、十台以上の荷車に米百俵が積み込まれ、番頭は、源三郎の到着を待って要る。
「大番頭さん、源三郎様が来られました。」
「分かりました、では、皆さん、準備に。」
荷車を引く人達、五十人近くは早くも、荷車の引手と押し手に別れ、何時でも出発出来ると。
「源三郎様。」
「店主殿、誠に、申し訳有りません。」
「源三郎様、決して、その様な事は、御座いませんので、私は、出来る限りの事をさせて頂く所存
で御座いますので。」
中川屋も、今は、密偵では無く、源三郎の配下となり、表情も明るくなっている。
「では、番頭さん、宜しく頼みましたよ。」
「はい、旦那様、では、行って参ります。」
源三郎と、若手の三名が先頭になり、二十五名の侍達が、荷車の前後左右に付き、一路、松川藩
へと向かうので有る。
「番頭さん。」
「はい。」
「松川の米問屋にも、私が行く事を知らせて頂いて要るのでしょうか。」
「はい、勿論で御座います、其れと、失礼とは存じますが、源三郎様は、全てをご存知だと言う事
も伝えて有りますので。」
「そうですか、其れは、大変、助かります、有難う、其れと、新しい情報は有りませんか。」
「はい、山賀藩の米問屋ですが、この米問屋が、山賀藩のご家老様に賂を。」
「其れは、裏金ですね。」
「はい、その様に聴いておりまして、其れと、ご家老様は、大変な財力で、山賀のご家中の方々も、
そのお裾分けと申しましょうか。」
「其れは、殆ど全員なのですか。」
「はい、その様に聴いておりまして、実権は、ご家老様が握られ、ご家老様の思いのままだと。」
「う~ん、これは、密偵どころの騒ぎでは有りませんねぇ~、其れで。」
「はい、其れで、ご家老様の狙いは、どうやら、松川藩の陶器作りの利益だと。」
「では、松川藩の姫君様が消えたと言うのは。」
「はい、表向きは、お殿様の側室と言われておりますが、実は、ご家老様が、お姫様の余りにもの
美しさに。」
「これは、大変な事態になりましたねぇ~、お姫様が消えた訳が分かりましたよ。」
「源三郎様は、このご家老様を許されるおつもりなのでしょうか。」
「番頭さん、私は、とてもでは有りませんが、今度ばかりは、許せませんねぇ~、其れで、松川藩
には、姫君だけですか。」
「いいえ、お二人の若君がおられますが、ご長男は、松川藩の跡継ぎだと決まっておりますが、ご
次男はのんびりとされたお方だと聞いております。」
「では、山賀の国は。」
「これが、残念な事に、お姫様、お一人だと。」
「では、跡継ぎは。」
「はい、其れが、大変なお話しで、側室のお一人に若様が出来たのです。」
「いゃ~、正しく、山賀の家老が好き放題出来ると、で、その米問屋は。」
「はい、米問屋は、密偵では有りませんが、山賀の城下では、米問屋の後ろには、ご家老様がおら
れますので、米問屋も、農家からは安く買い入れ、ご城下では高値で売ると、その為にと言っては
何ですが、松川藩以上に苦しめられていると。」
「分かりました、私も、少し考えますので、番頭さん、有難う御座います。
其れで、米百俵は、上田のお城に入れ、我々は、城下の旅籠に泊まり、良く朝、一番には上田を
出立しますので。」
「はい、私も、その様に思いましたので、源三郎様には、失礼かと思いましたが、上田のご城下の
旅籠を手配致しましたので。」
「其れは、誠に、申し訳、有りません。」
「いいえ、私の方こそ、大助かりで御座います。
お城のお侍様が、ご一緒ですので、安心致しております。」
「其れは、私達も、一緒の方が助かりますので。」
「源三郎様、また、何か有りましたら、お呼び下さいませ、私は、荷車を見回りますので。」
「はい、分かりました。」
源三郎は、一人で考えて要る。
最初は、山賀の殿様だと思っていたが、其れは、表向きで、全ての実権は家老が握り、家老は、
山賀藩を思い通りにして要るのだと分かり、先の上田や、菊池藩の時の様な優しい事では済まない
だろうと、だが、現実は、他国の問題なのだ、他国の者が口出す様な問題では無い。
だが、一体、どの様な策が有ると言う、源三郎は、一人考え込んでいる。
その姿を見た三名の若者も、源三郎が、今、何を考え、何を起こすのだろうかと考えては要るが、
彼らに、源三郎が、一体、何を考えて要るのか、其れさえも分からず、昼近くになり。
「源三郎様、昼近くで御座います。」
「えっ、もう、その様な、はい、分かりました、では、皆さん、お昼の休みに入って下さい。
番頭さん、荷車を引かれておられる人達は、大丈夫でしょうか。」
「はい、彼らは、全員、中川屋の者で、私が、直接、選びました者達ですので、何も、ご心配には
及びません。」
「そうですか、皆さん、大変だと思いますが、何卒、宜しく、お願いします。」
源三郎は、何時もの様に、人足達に頭を下げると、人足達も慌てて頭を下げた。
彼らも、番頭から話は聞いていたが、正か、本当に、頭を下げるとは思わず、彼らも驚いて要る。
源三郎は、食事中だと言うのに、何かを考えて要る、その昼休みも直ぐ終わり。
「では、皆様、参りましょうか。」
番頭が、出立を告げるまで、源三郎は、気付かず。
「源三郎様、出立の時で御座います。」
「はっ、はい。」
又も、考え始めたが、暫くして。
「田中様達の中で、身の軽いお人はおられますか。」
「えっ、身の軽いと申しますと。」
「う~ん、私も、大きな声では申せませぬが。」
源三郎は、三名の間に入り、小さな声で話すと。
「えっ、正か、その様な。」
「鈴木様、声が。」
「はっ、はい、申し訳御座いませぬ。」
「源三郎様、私は。」
田中は、源三郎の耳元で何かを囁いた。
「では。」
源三郎は、田中に、小さな声で何かを話している。
「はっ、はい、えっ。」
「声が、大きいですよ。」
「はい。」
源三郎が、話し終えると。
「はい、承知、致しました。」
鈴木と、上田は、何も聴かなかったと言う顔で、源三郎は、一体、何を、田中に言ったのか、
其れは、誰にも分からないが、源三郎が何を考え、田中に指示を出し、そして、数時が経ち、太陽
が西の空に沈む少し前、上田の城下に入り、一行は、その足で、上田藩の大手門の前で止まり。
「私は、源三郎と申します、阿波野様にお取次ぎ願いたく、参上致しました。」
驚いたのは門番で、三十名近くの侍と、十数台の荷車には米俵が大量に載せられている。
「少し、お待ち下さいませ。」
別の門番が大急ぎで、阿波野を呼びに行き、暫くすると、阿波野が飛んで来た。
「源三郎様、一体、如何なされましたので御座いますか。」
「入らせて頂きます。」
大手門が開くと、荷車は、人足の手で中へと運ばれて行く。
「阿波野様、実はですねぇ~。」
源三郎が話すと。
「えっ、其れで、源三郎様が、わざわざ、来られたのですか。」
「はい、其れよりも、今夜、この米百俵を預かって頂きたいのです。
我々は、城下の旅籠に泊まりますので。」
「えっ、ですが、間も無く、家老も参りますので。」
「分かりました、ですが、人足さん達も大変、疲れておりますので、番頭さん、皆さんをお宿に、
お願いします。」
「はい、源三郎様、では、私達は、お先に。」
番頭は、人足達を、城下の旅籠へと向かった。
「源三郎様、皆様もどうぞ。」
「ですが、突然なので。」
「いいえ、源三郎様を、このまま、お返し致しますと、私は、ご家老より、殿から、大変なお叱り
を受けますので。」
「では、少しの間、皆様は、如何なされますか。」
「源三郎様、私は、用事が御座いますので、申し訳御座いませぬが。」
田中は、宿に入り、食事を済ませ、源三郎から受けた指示の行動に入らなければならない。
「そうでしたねぇ~、では、先に行って下さい。」
「源三郎様、我々も、申し訳御座いませぬが。」
他の者達も、お城よりも、早く旅籠に入り、風呂に入りたいので有る。
「阿波野様、その様な訳で、私だけが残りますので、お許し願いたいのです。」
「左様で、御座いますか、皆様も、ごゆるりとして下さい。」
源三郎、一人が残り、他の者達は、城下の旅籠に向かった。
「さぁ~、どうぞ。」
「はい。」
「殿、源三郎様で御座います。」
「源三郎殿、お久し振りで御座いますなぁ~。」
「はい、殿様には。」
「源三郎殿、その様な挨拶は必要で御座らぬ、で、今日は、一体、何用で。」
「はい、実はで御座いますが。」
源三郎は、上田藩に来た時の事から、今日までの、一連の話をした。
「阿波野、今から直ぐ、城下の米問屋に行き。」
「殿、お任せ下さいませ、店主には、源三郎様が、お着きになられたと申しますので。」
阿波野は、大急ぎで城下の米問屋へと向かった。
「源三郎殿、余も、山賀の事は少しですが、聴いておりましたが、正か、其処までとは思ってもお
りませんでした。
源三郎殿、松川と、山賀の件を片付けねば、我々の事が幕府に露見するやも知れませぬぞ。」
「はい、其れで、誠に、申し訳、御座いませぬが、手練れのお方を。」
「源三郎殿、お任せ下され、山賀の悪事が幕府に露見する前にで、で、人数の方は。」
「はい、其れは、お任せ致しますので、私は、明日、松川に入りますが、松川での配りは、番頭さ
ん達に任せ、その足で、山賀に向かいたいと考えております。」
「分かりました、少し、お待ち下さい、誰か、居らぬか。」
「家老を呼べ、直ぐにじゃ。」
「直ぐに、全員、登城じゃ、大至急にだ。」
「はい、では。」
家臣が、部屋を出て、直ぐ、大太鼓が鳴り響いた。
この頃、家に戻った、家臣達は、丁度、夕餉の頃だったが、一体、何が、起きたのだと思うが、
其れでも、城中で、大変な事が起きたと、今まで、夕刻に、一斉登城などは無かった。
家臣達は、思い思いに考えながらも、城へと大急ぎで行く。
城内に残っていた家臣は、一体、何が、起きたのかも分からないが、大広間には、続々と集まり、
最後の一人が座ったところで、ご家老と、源三郎、そして、殿様が、現れると、大広間は、水を
打った様に静まり。
「皆の者、大儀じゃ、明日の早朝、我々は、隣国の松川藩に、米百俵、いや、二百俵を運ぶ、皆の
者は、その米の護衛を兼ね、その足で、山賀に向かう、今は、詳しく話しをする事は出来ぬが、先
程、源三郎殿が、米百俵と、ご家臣、三十名近くを連れ、米俵は、城中に有る、余も、今、初めて
聴いたが、これは、我々の領民の為なのじゃ。
明日の早朝には出立する故、皆も、心して掛かるのじゃ。
余からは以上じゃ、源三郎殿、後は良しなに。」
「はい、皆様は、今頃、夕餉の時とは存じましたが、我々、三十名だけではと思い、殿様に、ご無
理をお願い致しました。
今、私の配下の者は、既に、山賀に向かっており、その者には、詳しく説明しておりますが、果
たして、山賀が、どの様な返事をするのか、私も、分からないのです。
私は、皆様を含め、どなた様のお命を守りたいと存じますが、只今、お殿様も、申されましたが、
全ては、領民の為で、御座います。
私の配下全員が手練れの者達ですので、よもやは無いと考えております。
皆様、どうか、上田の為、松川の為に、お力をお貸し願いたいと、この通りで御座います。」
源三郎は、家臣達に深々と頭を下げた、すると、上田の家臣達も、大慌てで、全員が深々と頭を
下げた。
何故、他国の者が、我が、上田藩の為に、頭を下げる必要が有るのだと、上田の家臣達は、全く、
理由が分からないので有る。
「皆の者、源三郎殿のお頼みじゃ、我こそはと思う者は、手を挙げくれ、頼む。」
殿様までもが頭を下げた。
「殿、拙者が参ります。」
「殿、私も、参ります。」
「うん、拙者も参ります。」
次々と名乗り上げ、全員が松川へと向かうと言うので有る。
「皆様、誠に、有り難き、幸せで御座います。」
その時、阿波野が、息を切らせて飛び込んできた。
「殿、源三郎様。」
「阿波野、如何で有った。」
「はい、二百俵送りますと。」
「えっ、阿波野様、誠で御座いますか。」
「はい、米問屋に、源三郎様が、お困りだと申しますと、店主が、数日の間に、数百俵が入ってき
ますので、大丈夫だと。」
「では、皆様には、二百俵の護衛と言う事で。」
「はい、私も、勿論、ご同行させて頂きますので。」
「私も、阿波野様に、ご参加頂ければ、其れはもう、大助かりで、御座います。」
「源三郎殿、出立は。」
「はい、明け六つの予定で御座います。」
「皆の者、朝餉と、昼餉は賄い処で準備をさせる、皆の、お内儀にはその様に伝えるのじゃ。」
「では、殿様、私は。」
「何、此処に泊まるのではないのか。」
「いいえ、其れが、まだ、用事が御座いますので、申し訳御座いませぬが。」
「分かりました、後は、余が、指示を致しますので、明日の六つに。」
「はい、では、皆様、宜しくお願い申し上げます。」
源三郎は、その後、旅籠に向かった。
その頃、田中は、夕食を終えると、部屋に戻り、着替えを終え暗闇の中へと消えた。
果たして、田中は、一体、何処に向かったのだ。
「源三郎様。」
中川屋の番頭が、待っていた。
「番頭さん、如何されたのですか。」
「はい、明日の出立なので御座いますが。」
「そうでした、申し訳有りませんが、明け六つとしたいのです。
其れと、上田藩から、二百俵が出されると聴きました。」
「えっ、二百俵もですか。」
「はい、其れで、出立を早めたのです。」
「分かりました、では、明け六つに。」
「お願いします。
鈴木様、上田様、皆様にお伝え下さい、明日、明け六つには、お城を出立しますと。」
「はい、承知致しました。」
鈴木も、上田も余計な事は聴かず、家臣達の部屋に向かい、源三郎は、部屋に入ると、またも、
考え込んでいる。
「明日、松川に米を届け、その足で、山賀に向かうか、其れとも、いや、やはり、番頭に配布の全
てを任せて。」
その頃、表街道を外れ、山の中を走る、黒い影が、松川の城下に向かっている。
その影は、一体、何処に向かっている、だが、黒い影は城下に入らず。
「えっ、正か。」
松川の城下を抜け、山賀に入り、若しや、山賀のお城に向かうので無いか、黒い影は、忍びの者
なのか、山賀の空掘りに入ると、城壁を登り始めた。
山賀のお城は、表の警戒はされて要るが、鬼門と呼ばれている、空掘りの有る裏門の警戒は手薄
なのか、黒い影は難なく城中へと消えた。
黒い影は、一体、何処に行くのか、城中に有る部屋を探している。
やがて、目指す部屋は探し当てたのだろうか、黒い影の動きは止まり、時を経つのを待っている。
突然、黒い影は、部屋の中に飛び降り、衝立の後ろに身を隠し、息を潜めた。
果たして、誰の部屋なのか、暫くすると、四~五人の足音がし、部屋に入って来た。
「殿様、今宵は。」
「余は、疲れた、皆の者、下がって良い。」
「はい、では。」
腰元達が、部屋を出、殿様が一人になった。
「あ~、一体、どの様にすれば良いのじゃ、余が、一人では、どの様にもならぬわ。」
その時、黒い影が、殿様の背後から。
「殿様。」
「うっ、何者じゃ。」
「私は、殿様を、お助けに参りました。」
「何じゃと。」
「殿様、声が高い。」
黒い影は、殿様の傍に行き。
「殿様、私は、有るお方の命を受け、殿様を、お助け致したく、お持ち申し上げておりました。」
「その方は、一体、何者じゃ、何故、余を助けると申すのじゃ。」
「はい。」
黒い影は、殿様に全てを話すと。
「今、何を申した、その源三郎なる者が、余を助けると申すのか。」
「はい、左様で、御座います、其れで。」
黒い影は、明日には着けるで有ろう、源三郎達には何も聴かずに、城中に入れて欲しいと。
「殿様、源三郎様は、山賀の鬼退治に来られ、殿様の協力が有れば、全て、解決致します。」
「う~ん、じゃが、その源三郎とは、一体、何者なのじゃ、幕府の巡検氏なのか。」
「いいえ、幕府とは、一切関係、御座いませぬ。
源三郎様に、全てをお任せ下されば、山賀藩は安泰となりましょう。」
殿様は、暫く考え。
「その方は、一人なのか。」
「いいえ、我ら、十数名が、既に、城中に入っておりまするが、全て、源三郎様の命で、お殿様を
お助け致す所存で御座います。」
何と、十数名が、城中に居るのだと、よくもまぁ~、そんな大嘘を。
「殿様が、源三郎様を信じるか、信じられないか、其れは、別にしても、源三郎様の一行は、山賀
の城に入られます。
後は、殿様の、ご決断が有るのみで御座います。」
「源三郎と申す者は、必ず、鬼退治をしてくれると申すのか。」
「はい、間違いは、御座いませぬ。
源三郎様を怒らせると、其れは、もう恐ろしいですが、殿様の、見方になれば、これ程、頼もし
いお方は、おられませぬ。」
「う~ん。」
又も、殿様は考えて要るが、確かに、殿様は、今、直ぐ決断をと迫られて要る。
幕府の者でもない、他国の者が、一体、何の為に、山賀の城内に居る鬼を退治すると言うのだ。
暫く考えていた殿様は。
「分かりました、貴殿の申される、源三郎とやらに、鬼退治を頼む。」
「殿様、有り難き、幸せに存じます、其れで。」
黒い影は、色々と話し。
「よし、分かった、全て任せる、では、源三郎が来れば、大太鼓を鳴らせば良いのじゃな。」
「はい、後は、全て、源三郎様にお任せ下されば、私は、殿様の、直ぐ近くにおりますので、ご安
心下さりませ。」
黒い影は、其れだけを言うと、消えた。
「う~ん、だが、源三郎とは、一体、何者なのだ、今の話を聴くと、山賀の全てを知っておる。
じゃが、明日になれば、全てが分かるのだと、今の者は申したが、う~ん。」
殿様は、中々眠れず、やがて、明け六つの鐘が鳴った。
「皆様、宜しいでしょうか。」
「お~。」
「有難う、御座います、では、出立します。」
源三郎が手配した、米百俵と、上田藩からは、米二百俵、三十台以上の荷車と、百人以上の護衛
の侍が、一斉に上田の城を出た。
上田の城から、松川の城下までは、十里程で有り、二百人以上の人足が代わる代わる、荷車を引
き、一行は、昼前を予定に松川へと向かった。
「阿波野様、番頭さん、お話しが有りますので。」
番頭は、分かっていた、源三郎は、別の場所に向かうと。
「源三郎様、どの様なお話しで御座いますか。」
「はい、では、番頭さんは、松川に入れば、米三百俵を持って、全ての農村と、漁村に。」
「はい、承知、致しました、で、源三郎様、どれくらいを。」
「まぁ~、其処は、適当に、全て、番頭さんにお任せしますので。」
「はい。」
番頭の思った通りだ、この様な時の源三郎は、細かな指示はせず、全てが適当で有る。
「阿波野様には、ご家中の半数の方々は、お米の護衛に、残りの半数は、私と、ご同行願いたいの
で、ご家中の方々に伝えて頂きたいのです。」
「はい、承知、致しました、出来るだけ、手練れの者達を選びますので。」
阿波野も、源三郎が山賀に乗り込むものと思って要る。
「阿波野様、今日は、少し荒っぽくなると、思いますので。」
源三郎が、荒っぽくなるとは、やはり、城内で、血を見る事になるのか、源三郎の傍には、絶え
ず、鈴木と、上田がおり、その後ろには、野洲藩一の達人、吉永が控えて要る。
だが、その中には、田中の姿は無く、一体、何処に居るのだ。
上田から、松川までは、比較的、上り下りの少ない平坦な街道なので、三十台近い荷車の進みも
早く、昼前の四つ半には、松川の城下へと入り、半数は、漁村へ、半数は農村へと向かい、上田の
家臣達の半数は、二手に分かれ、源三郎達は、速足で山賀へと向かった。
「う~ん、一体、何時頃来るのじゃな。」
待つ身は遅く感じるが、其れは、突然の事で。
「私は、源三郎と申します。」
「えっ、源三郎様、では、殿様が申されておられたお方だ、大太鼓を鳴らせ。」
暫くして。
「ド~ン、ド~ン、ド~ン。」
と、大太鼓が鳴り響く。
「えっ、一体、何事だ。」
山賀の家老は、何が起きたのか分からない、其れ以上に家臣達は、大急ぎで大広間に向かった。
「何が、有ったんだ。」
「いや、拙者も分からぬ。」
源三郎は、素足になり、城中に入っても、腰も物は、二本とも差したままで、大広間へと向かい、
大広間には、殆どが集まって要る。
源三郎は、何も言わず、殿様の、近くまで行くと。
「お前達は、一体、何者だ。」
家臣が言った時には、五十名以上が大広間の中に入り、構えて要る。
「皆の者、静まれ、静まるのじゃ。」
殿様が、大声を出したが、大広間の家臣達の騒ぎは収まらず。
「皆様、お静かにして下さい。
私は、山賀の鬼退治に参りました、桃太郎、いや、源三郎と申します。」
「何、鬼退治だと。」
この時、家老の後ろには、吉永が立ち、源三郎の合図を待っている。
他の重役方の後ろにも数人が構えて要る。
「皆の者、静まれ、昨夜、余の枕元に、黒い影が来て、明日、源三郎と申す者が、山賀の鬼退治に
来るとな。」
「殿、その鬼とは、一体、何者なのですか。」
「今、お話しをされた赤鬼はそちらに、其れに、こちらは、青鬼がおります。」
源三郎の合図で、吉永達の動きは、早く、家老も重役方の全員が、有無言う事も出来ない速さで、
両手は、後ろ手にされ、括られ、口には猿轡がされ、彼らは、舌と咬む事も出来ない。
大広間は大騒ぎで、数人が立ち上がり、刀に手を掛けると、源三郎の合図を待たず、その者達の
喉元には刃が、家臣達は、何も出来ずに座った。
「皆様方も、少しは関わっておられますが、私が受けた報告では、家老は、ご城下の米問屋からは、
数万、其れに、他の問屋からも大金の賂と受けており、そちらの重役方も同じですが、重役方は、
数千両と少ないですが、其れでも賂は受け取り、更に、皆様方は、少なくても数十両、多い人では
数百両と受け取り、お城の出入りから、商いまでの全てを見逃しておられますねぇ~。」
山賀の家臣達は、何も反論出来ないので有る。
「更に、表向きは、殿様が、命じられたと思われる事も、全て家老が行ない、山賀の実権は家老が
握っており、何事に置いても、家老の懐に賂がどれだけ入るかで、全てが決まり、山賀では家老に
逆らう者などは一人もいないと言う事です。」
「源三郎殿、家老は、即刻打ち首に。」
「殿様、私は、打ち首や、切腹などは致しませぬ。」
「なっ、何と申された、切腹も、打ち首もせぬと。」
「はい、私は、その様に簡単に死ねる処罰は致しませぬ。」
「何じゃと、簡単には死ねぬと申されるのか。」
「はい、私は、家老を山に連れて行き、足の一本も切り落とせば、後の始末は、森におります主の、
狼がしますので、其れは、大変な苦しみを味わう事になるでしょうからねぇ~。」
源三郎は、ニヤリとした、今回だけは、山で足を切り落とすのか。
「何と、申された、狼の餌食にと申すのか。」
「はい、まぁ~、最後は、烏が片付けてくれますので、数日の内には、骨だけが残るでしょうが、
其れが、一番ではないでしょうか。」
何と、恐ろしい処刑だ、山賀の家臣達の表情はこわばり、家老も、重役方も、覚悟を決めて要る
のだろう、其れにしても、何と言う残酷な処刑なのだ。
「では、家老を連れ出して、山に連れて行き、片足を切り落として下さい。」
「源三郎様、少しお待ち下さいませ。」
「貴殿は。」
「はい、私は、家老の息子で、御座います。
今、申されました、多額の賂は事実なのでしょうか、私は、父が、その様な事をするとは、とて
も、思えないのですが。」
「分かりました、では、闇の者は出て、説明して下さい。」
「あっ、お主は。」
「はい、闇の者で、御座います。」
「何時から、其処に居ったのじゃ。」
「はい、大太鼓の合図と同時に、屏風の裏側に控えておりました。」
「闇の者、家老宅は調べたのですか。」
「はい、家老宅の寝所の床下には、大きな金蔵が作られ、少なくとも、二万両は有るかと、重役方
も同様ですが、二千から、三千両と言ったところで御座います。」
「今、聴いての通りで、家老も、重役方も認められては如何ですか。」
家老も重役方も頷き。
「如何ですか、貴殿は、全く、ご存知無かったと申されるのですか。」
「はい、今、お話しを伺うまでは、全く、知りませんでした。
父上、何故、その様な事をされたのですか。」
だが、家老は、口を塞がれ、何も言う事が出来ない。
「宜しいですか、では、お願いします。」
「ご家老、立ちませい、覚悟する事です。」
吉永は、本当に、山に連れて行き、足だけを切り落とすのか、家老はうなだれ、家老の息子は、
其れ以上何も言えず、ただ、父親が連れ出されて行くのを見守るだけで有る。
「さぁ~、重役方は、如何致しましょうか、私は、切腹は認めませんよ、覚悟される事ですねぇ~、
如何ですか、え~、返答は、山にでも参りますか、返答は出来ぬのか。」
正か、今度こそ、この場で打ち首にするのだろうか。
「阿波野様、落として下さい。」
「はい、承知、致しました。」
「えっ、正か、この様な処で。」
「そうですよ、では。」
「はい、御重役方、お覚悟は宜しいですか。」
重役達は、うなだれた、その一瞬の内に、阿波野は、重役達の髷を切り落とした。
余りにも早業の為に、重役達よりも、家臣達は、一体、何が起きたのか理解が出来ない。
「殿様、これで、処刑は終わりました。」
「源三郎殿、何故、重役達の髷を切り落としたのじゃ。」
「簡単ですよ、髷が結えるまでは、この姿を誰もが見ます。
本人にすれば、腹を切る方が、楽ですがね、これから先、領民の為に、お役目を全うされるので
ば、これにて、終わりに致しましょうか、如何ですかな。」
重役達の猿轡は外されている。
「殿、拙者は、この先、死ぬまで、全てを領民の為に命を捧げます。」
「間違いは、御座いませぬな。」
「はい、間違いは、御座いませぬ。」
「殿、拙者もで御座います、天地神明に誓います。」
「私もで、御座います。」
その時、吉永が戻って来た。
「源三郎様、申し訳御座いませぬ。」
「如何されましたか。」
「はい、家老が、書を残したいと申されましたので、私は、家老を部屋に入れ、ほんの少し、目を
離した隙に、家老が腹を。」
「そうですか、家老が、腹を、吉永様、仕方が有りません。
皆様、今、お聞きの通り、鬼家老は、残念ながら腹を召されました。」
だが、源三郎は、吉永が、家老を武士として、最後のけじめを付けさせたのだと、源三郎は、内
心、ほっとしている。
だが、殿様も、重役達も、家臣の全員が、源三郎の指示だと思って要る。
「源三郎様、誠に有り難きお裁きで、我が山賀藩も、これで、本当に、助かりました。」
源三郎は、何も言わずに要る。
「あのぉ~、源三郎様、私は、井川と申しますが、私は、漁民と、農民の為には、どの様なお役目
に就かせて頂ければ宜しいでしょうか。」
「そうですねぇ~、今からでも遅くは有りませんので、漁師さんや、農民さん達と話をする事です
かねぇ~。」
「でも、一体、何を聴けば宜しいでしょうか。」
「余り、難しく考えない事ですよ、例えばですが、漁師さんに、今日は、何と言う魚を獲れたんで
しょうかと、其れに、魚の名前を教えて頂きたいと、お願いするのですよ。」
「では、侍言葉は、勿論、駄目でしょうか。」
「はい、勿論ですよ、私は、何も知りませんので、色々な事を教えて下さいと、お願いするのです
からねぇ~、上からの目線では無く、下からの目線で、其れと、漁村や、農村に行く時には、腰の
物は必要が有りませんので。」
「えっ、ですが。」
「漁師さんや、農民さん達に教えて頂くのですよ、何故、腰の物が必要になるのですか、其れに、
私は、必ず、着物も換えて参りますよ。」
「では、農民さんの着物で。」
「まぁ~、其れまでしても、最初から教えては頂けないのですよ、最初は、漁民さんや、農民さん
と、信頼関係を作らねばなりません。
まぁ~、ですが、一度、信頼されますと、色々な事を教えて頂けますので、其れよりも、今は、
鬼家老宅と、重役方の家に有ります、大金をお城に運んで下さいね。」
この後、源三郎は、これからなすべき事を話し。
「殿様、皆様、私が、申しますれば、城中は、何事も無かった様になり、やがて、皆様の考え方も
変わりますので、その頃になりますと、皆様が話し合いをされ、役割分担を決めて下さい。
皆様、お分かり頂けましたでしょうか。」
「源三郎殿、有難う御座る、これからは、余が、先頭になり、物事を進めて行くので。」
「殿様、この先は、若い下級武士を多く登用して頂ければ、良いかと存じますが。」
「何、若い下級武士を多く登用せよと申されるのか。」
「はい、殿様には、まだ、やるべきお役目が、御座いますが、先程も申しました事が、全て出来る
まで、まぁ~、数十日は掛かりますので。」
「何じゃと、数十日も掛かると申すのか、其れに、余の役目とは、一体、何を。」
源三郎は、其れだけの日数を掛けたとしても、山賀の体質では無理だと思って要る。
では、一体、どの様な方策が有ると言うのだ。
「殿様には、お姫様が、お一人おられると。」
「うん、だが、其れが、一体、どうしたと申すのじゃ。」
「では、はっきりと申し上げますが、山賀の体質では、半年掛かりましょうとも、実現は無理だと
言う事なのです。
長年、染みついた悪い習慣は、簡単には取り払う事は出来ませぬので、私は、大改革を断行致し
ます。」
「一体、何じゃ、その大改革と申すのは。」
「はい、我が藩より、数名を入れ、その者達が先頭になり、進めて参りますので。」
「何じゃと、我が藩の政道に他の国の者を入れよと。」
「殿様、山賀が、この様になったのは、この数年では御座いませぬ、五年、いや、二十年も以上前
からだと、私は、考えておりますが、如何でしょうか。」
「う~ん。」
山賀の家老は、三十数年間も君臨していた。
それ程、長期間に渡れば、半年掛かったとしても無理だと言うので有る。
「まぁ~、はっきりと申し上げてまして、私は、別に、山賀藩が、幕府により取り壊されようとも、
我々には、全く、関係が無いのです。
ですが、その中で、一番、苦労されるのが、領民で、中でも、特に、漁師と、農民なのです。
其れを、殿様も、皆様方も、本当に、理解をされておられますか。」
「余は、分かっておるぞ。」
「では、お聞きしますが、米、一俵を問屋は今まで、幾らで買い付けていたと思われますか。」
「米、一俵の値段か、う~ん。」
「皆様は、ご存知でしょうか。」
源三郎は、暫く待つが、誰も答えられない。
「分からないでしょう、其れが、現実なのです。
米一俵が、上田の半分以下、いや、其れよりも低いと思いますよ、我が藩の優秀な者達を受け入
れ、早く、昔の山賀にすれば、幕府に知られず、ご家中の方々も、領民も安心して生きて行けるの
ですが、如何なされますか、私は、どちらでも宜しいのですがねぇ~。」
源三郎の脅かしなのか、其れとも、本心なのか、だが、源三郎にも、これが、最善だと言う策は
無く、暫く考えていたが。
「源三郎殿、分かった、余は、源三郎殿に全てをお任せ致す。」
さぁ~、次は、一体、何を持ち出すのだ。
「では、申し上げます、姫君様には、婿養子を取って頂きます。」
「何じゃと、其れは、余りにも、御無体な話しでは無いのか、だが、その養子とは、一体、何処の
誰なのじゃ。」
「はい、隣の松川藩の若君で御座います。」
何と、源三郎は、山賀の姫様に婿養子を、其れも、松川藩の若君だと、今回の源三郎は、飛んで
も無い事を考えた。
「其れで、殿様には、ご隠居に。」
「何と、申すのか、余が、隠居だと馬鹿を申すで無い、何故、松川の若君を婿養子に入れ、余が、
隠居せねばならぬのじゃ。」
「では、お聞きしますが、殿様が、三十年近く、家老を放置された、その家老は、松川の姫君様を
側室に、其れも、表向きは、殿様にですが、実際は、家老自身の側室と、其れになるまで放置され
た、殿様の責任は、一体、如何なされますか。」
源三郎は、脅かしでは無い、今度ばかりは本気だと、吉永は思い。
阿波野は、源三郎の恐ろしさを改めて知った。
相手は、山賀の殿様なのだ、大国の殿様に対し、大喧嘩を売って要る、果たして、どの様になる
ので有ろうか。
「殿様、皆様、私は、本気ですよ、この藩にも、幕府の密偵がおりますよ、その者に、今の話をす
れば、十日以内に幕府から、お目付が来られ、全てが露見し、この山賀は取り壊され、ご家中の
方々は、全員、浪人となりますよ、殿様は、勿論、切腹なされますよねぇ~。」
何と、今までの様な優しい源三郎では無い。
正か、この様な展開になるとは、一体、誰が予想しただろうか。
「私は、松川の姫君様は知りません。
ですが、今の話が有った為に、姫君様は、お城から逃げられたのです。
私は、一刻も早く、お城に戻って頂きたいと、思っております。
さすれば、松川藩は、何も無かったかの様になるのです。
その松川藩も、三十年間もの長きに渡り、家老に苦しめられた、だが、藩主は、家老のする事に
対し、何も出来なかった、その全ての責任は、殿様に有るのですよ、私は、両藩を昔の姿に戻した
い、ですが、殿様は、この三十年間、何も出来なかった、今、殿様に求めて要るのは、直ぐ隠居さ
れ、新しい殿様が、新しい山賀を作って行く、その為の大英断なのです。」
「う~ん。」
殿様は反論も出来ないまでに、源三郎は、次々と話をするので有る。
「私は、何も、殿様に責任を取って、腹をと申して要るのでは御座いませぬ。
殿様には、隠居して頂き、ご家中の皆様も、今まで通り、山賀の藩士として、御領内をお守りし
て頂くので御座います。
私は、城下の旅籠に泊まり、明日の早朝、松川に向かいます。
今の、お話しは、別に急ぐ事も御座いませぬが、鬼退治も終わりましたので、後は、皆様方で、
話し合いをされる事です。
其れと、殿様、私の、影が、当分の間おりますので、結論が出ますれば、闇の者に、お伝え下さ
いませ、其れと、闇の者達は、この城中に十数名が、おりますので。」
源三郎も、影が、一人だとは言わない。
「では、殿様、皆様方、我々は、これにて、失礼します。」
源三郎は、何と言う大胆な事を言うのだ、其れに、松川の若君を知って要るのか。
松川藩では、番頭が、漁村と、農村を回り、お米を配って要るはずだ。
「源三郎様、先程、申されました、松川藩の若君を婿養子にされると。」
「あの話しですか、私の、思い付きなんですよ、今の山賀では、十年経っても無理なのですよ。」
「私は、山賀藩が、どの様な状態なのかは知りませんが、上田では、源三郎様のお陰だと、殿も、
ご家老も申されております。
今は、誰もが必死で、再建するんだと、其れは、以前では考えられない程です。」
「阿波野様、上田の件と、山賀の件は、全く、違いますよ、上田も、菊池も、幕府の密偵となった
人達がおられました。
でも、山賀は、内部の者達が腐敗に慣れて要る為に、何が、腐敗なのかも気付いておりません。
多分、殿様自身も理解されてはおられないと思うのですが。」。」
「ですが、殿様は、鬼を退治出来たと思われて要るのでは。」
「其れはね、鬼退治と言う名を借りた、権力が戻って来ただけで、あの殿様は、数十年間の長い間、
名目上の殿様で、何の権限も無く過ごして来ましたが、多少なりとも、恩恵は受けられたと思いま
すよ、ですので、直ぐには、元の姿には戻りませんよ。」
「私達、上田の方が、簡単だと申されるのでしょうか。」
「阿波野様、其れは、考え方次第で、どちらが簡単だとは申せません。」
「其れで、先程の話しなのですが、若君の婿養子は、松川藩の殿様は、承諾されるでしょうか。」
「其れは、私も、何とも申されません。
ですが、松川のご次男にすれば、大変、有り難い話しですよ、山賀の財力と、権力の両方が手に
入れる事が出来るのですから。」
「ですが、その若君が、改革を進める事は出来るでしょうか。」
「阿波野様、若君が改革をするのでは有りませんよ、我々が、主導で推し進めるのです。」
「源三郎様は、我々がと申されましたが、今の上田に、参加出来る様な体制にはなってはおりませ
ぬが。」
「だから、良いのですよ、私の藩と、上田、菊池から数名づつ参加し、各藩が分担し、山賀の家臣
達に伝えて行くのです。」
「我々も助かるのですね。」
「はい、私は、その様に思いますよ、其れに、山賀では、我々の収穫する三倍以上の穀物類が収穫
されておりますので。」
源三郎は、山賀で、収穫される穀物類を他の国に配る事で、他の三カ国も助かるのではないかと、
考えて要る。
「源三郎様のお考えでは、山賀を他の三カ国に対し、穀物類の供給源にされるのですか。」
「まぁ~、其れは、何れ分かりますので。」
「はい、では、私も、帰国次第、殿や、ご家老に報告致します。」
「阿波野様、今回は、人選も大変だと思いますが、上田藩からは主力になる人達を選んで頂きたい
のですが。」
「分かりました、私が、入ると言うのは。」
「其れは、お辞め下さい。
阿波野様は、上田藩に残って頂きたいのです。」
「はい、では、その様に致します。」
「鈴木様、上田様。」
「はい。」
「貴方方は、私の、やり方を一番、良く見られておりますので。」
「ですが、私は、自信が無いのです。」
「上田様、私もねぇ~、何も自信は有りませんでしたよ、でも、現場に行けば、不思議と出来るも
のなのですよ。」
「はい、承知、致しました。」
「其れで、今から、宿で、今後の進め方を申し上げますのでね。」
「はい、承知、致しました。」
「源三郎様、我々も、参加させて頂きたいのですが、宜しいでしょうか。」
阿波野は、既に、人選を終わったのだろうか。
「はい、宜しいですよ、阿波野様を中心とした人選ですので、私は、大助かりです。」
「源三郎様、松川藩は、我が藩の隣の国ですので、松川での方策も考えなければと思うのです。」
「そうでしたねぇ~、松川もでしたねぇ~。」
源三郎は、松川藩も大きな問題を抱えて要ると分かって要る。
其れは、姫君様の存在で、その姫君様は、一体、何処に居るのだ、幕府にはまだ、姫君様が失踪
したと言う情報は入っていない。
だが、姫君様の問題を、どの様な策を持って解決すれば良いのだ、下手をすれば、我が藩にも介
入して来るだろう。
「源三郎様、私は、松川藩の姫君様の事が心配で、一刻も早く、松川藩に戻って頂けなければ、
我々の藩にも、幕府が介入して来る様な気がしてならないのです。」
阿波野も、同じ様に考え、心配して要る。
「阿波野様、一番の問題が姫君様なのです。
姫君様は、山賀の家老からの無体な要求に対し、殿様が逃がしたと、私は、解釈して要るのです。
ですが、その姫君様に連絡をする方法が、今は、有りませんので、苦しいのです。」
「源三郎様の申される通りだと思います。
我々は、家老が死んだと知って要るのですが、正か、立て札を出す事も出来ませんので。」
「源三郎様、お待ちしておりました。」
番頭が、旅籠の前で待っていた。
「番頭さん、全部、配られたのですか。」
「はい、其れで、ご相談したい事が有るのですが。」
「分かりました、では、部屋で、お聞きしますので。」
源三郎の部屋に番頭が入り。
「まぁ~、お座り下さい。」
「はい。」
番頭は、何を相談したいのだろうか。
「其れで、お話しと申されるのは。」
「はい、こちらにお持ちしました、米三百俵なんですが、私は、殆ど、全部配ったんですが。」
源三郎は、米三百俵も有れば、漁村、農村に配っても、五十俵以上は残るだろう考えていたが。
「番頭さん、殆どと申されますと。」
「はい、残りが、十俵になりましたので、こちらの米問屋に行き、店主に話をしたのですが、受け
入れる事は出来ないと言われまして。」
「番頭さん、その店主とは、中川屋さんの義弟では無かったのですか。」
「はい、私が、全てを話したのですが、どうやら信用しておりません様で。」
「そうですか、義弟さんも密偵だと聞いておりましたが。」
「はい、私が、中川屋の番頭だと言う事も知っております。」
「そうですか、其れは、困りましたねぇ~、私は、明日の早朝、松川藩のお城に参りますので、そ
ちらが終われば、参りましょうか、番頭さんは、今、一度、話しをお願いします。」
「はい、承知、致しました。」
「番頭さん、店主に伝えて置いて下さい。
明日は本気で行きますよ、今までは、脅かしも有りましたが、私は、山賀の家老も、今頃は、狼
の餌食になって要ると思いますが、店主と、番頭さんも、明日、狼の餌食になって頂きますので、
明日は、覚悟して置いて下さいと、其れは、伝えて置いて下さい。」
番頭の顔色が変わった、確かに、今までは、本気だと取れる、脅かしだったが、源三郎は、今度
は、脅かしでは無いと。
「其れと、店の前に荷車を並べて置いて下さい。」
「はい、其れは、何時でも用意は出来ますので。」
「松川のお城で保管出来ますのでね。」
源三郎が、実力行使に出ると、その様な事になれば、店主の義弟と、番頭は、本当に殺される。
米問屋の金蔵に有る、大金も全て、松川藩の金蔵に入れられ、家族も、店で働く者、全てが路頭
に迷う事になるのだと、番頭は、考え、明日、源三郎が、来るまでには、何としても、義弟を納得
させなければならないのだ、これは、大変な事になったと、番頭は、心臓が止まりそうになった。
「では、全てを取り上げると言われるのでしょうか。」
「はい、今回は、そのつもりで行きますのでね、其れと、家族には、店主は、幕府の密偵で、山賀
の家老と結託し、金蔵には隠し金が有り、その全てを取り上げ、家族は、直ぐ家から出て頂きます
ので、手荷物だけを持ち出す事は出来ますが、店に有る、金子も全て取り上げ、一文無しになりま
すが、まぁ~、其れも、仕方が有りませんがねぇ~。」
何と、家族にも、店主が幕府の密偵だと話すと言う、義弟の家族の全員を、一文無しで放り出す
と言うが、源三郎の表情に何の変化も無い。
「番頭さん、店主の考え方次第だとね、私は、今から、明日の準備が有りますのでね。」
「はい、承知、致しました、では、私も。」
「宜しく、お願いしますね。」
番頭は、源三郎の部屋を出ると、大急ぎで、義弟の米問屋に向かった。
何としても、義弟を納得させなければ、さっき見た源三郎の目は恐ろしかった。
果たして、義弟と番頭の命は、二人で築き上げた莫大な財産は、一体、どうなるのだ。