1.帝国の勃興
嘗て神面都市の北西には、世の果てから未だ神面都市とは呼称されてなかった神面都市に至るまで、即ち世界の三分の二を版図に持つ大国があった。
だが、その帝国は畏れ多くも神々に刃向かい天を穿ち、神に代わって天上天下全てを見下ろす為の塔を世界の中心に建立せんとし神の怒りを買った。
この時代、単なる都市国家だった神面都市は神から天啓を受けた男が治めていた。神に選ばれし男は民を戦乱で苦しめることは心が痛むし、兵を挙げ争い傷つけあうことは神の教えに反することなので帝国に朝貢することを選んだ。
欲に駆られ無駄に争い尊い生命を失うことよりも、財貨に魂を囚われず平和を尊ぶことにより拙き命を護り、神面都市の住民と祖を同じにする西からやってきた盲目な者達を教化することが正しい選択に思えたからだ。
この時点では神も男の行為を祝福し大いに赦し給うた。だが、この行動は帝国の支配者、独裁元老院長に誤った判断を齎す結果となった。
即ち悪魔に唆されて数多の犠牲者を出す戦乱を起こして強大な領地を得た帝国の支配者は、神に選ばれし男を降したことにより、己を神と等しき存在と盲信することになったのである。これは巨象が己の肉体を蠍に刺されても何も感じないし、例え刺されたことがわかったとしても刺された箇所を見つけ治療することが叶わないことと同じである。
物見の塔を築く計画を知った男は、直ちに叛旗を翻し世界で只一つ神面都市だけが正しき道程への道標を掲げ、神への信仰心を取り戻すことを世界中の人々に促した。
だが人々は恐怖による自己の保身と財貨に魂を囚われていたので悪魔の勝利を信じて疑わず。神面都市という存在が、忽ちの内に地図上から消え失せてしまうだろうと思った。
帝国の支配者である独裁元老院長も己の勝利を信じて疑わなかったが、敵を見くびるような真似をしなかった。まだ城壁の築かれてなかった北東の山間部から、獰猛な騎馬民族の一団を自ら率いて一気に神面都市を攻め滅ぼすことにしたのだ。
だが、何時もは山から降ろす様に吹きつける風が、俄かに浜から山へと吹きつける逆風となると、騎馬軍団は突撃する勢いが殺がれ、やがて山々から火の手が上がり、七日ほど山全体が燃え盛るほどの大火事となった。
それは、まさに地獄の業火も画やという光景で、人々は悪魔に魅入られた帝国の支配者を神が直接地獄へ送るように罰したのだと噂しあった。事実、北東部の山は全て焼け落ち、そこに居た者達、即ち帝国の邪悪な意思の伝達者であった騎馬民族達と帝国の支配者は遺体が見つかることはなかった。地獄の底に肉体を持ち去られたからである。
斯うして神罰により首魁を失った帝国は毒が体中に回った巨象が力尽きるが如く、時の流れと共に滅び去った。
而して、虐げられてきた者達の怨嗟は歓喜と化し、大国に隷属を余儀なくされていた者達が解放された。その姿は、まるで檻に閉じ込められていた飢えた野獣が食肉で満たされた部屋に解き放たれかのごときで各地で戦乱と勃興が巻き起こり世界は殺戮と苦痛に満ちたが、神に選ばれし男が治める神面都市の地だけは欲にとらわれることなく慎み深く過ごし、已む無く自らの手で破壊した神から頂いた美しい自然の山々を、元の緑豊かな地へと戻すことに専心したので、世界で唯一平和な場所であった。これは神の教えを守ったのだから当然といえば当然の結果といえよう。神は何時も修身を重ねるものを救い給うのが常であるのだから。
戦乱の時代も時を経るに連れ治まってゆき、やがて神面都市周辺に幾つかの国家を形成することになった。
だが、嘗ての主達がそれらを再び併呑せんものと海を渡り、再び西の果てに訪れてきた。彼らは聖白銀鎖解放軍という騎士団を組織し激しく攻め立てた。
多くの争いが起こる中、西の果ての海岸線を中心とし、そこから八つほどの集団ができ、その中で、もっと勢力のあるノルラン公国を治めるヘルガ・オルガ・ルザーヌが夫を少数蛮族のニルジュク族よって暗殺されたことが一つの転機となった。
彼女は気丈にも国家を纏め、大いに治めたが、その心は嘆き悲しみ、夫の無念を晴らしたい思いで張り裂けんばかりであった。やがて彼女は復讐を果たさんと兵士を集めようとした。
周辺を敵に囲まれた公国が一度戦を起こせば複数の国家と戦火を交えることは確実であった。民はなす術なく恐れ戦き、頭を垂れ、ただ救いを待つばかりであった。
だが主は無辜の民を見捨てることはしなかった。ヘルガに一人の御使いを送った。かの有名な聖トンバである。
彼は夫の死によって嘆き悲しみ、その聡明さを曇らせた彼女を苦しみから救うために、彼女が選んだ誤った行動を正し、多くの民の不安を取り除く為に主が遣わしたのだ。
聡明なヘルガは己の非を理解すると、司祭である彼に素直に罪の告白をした。
やがて自然の流れで彼女が正しき教えに帰り、神の元に馳せ参じると、どうであろう他の国々も鉾を収め、彼女と共に正しき道を歩むことを望み始めたではないか。少なくとも当初はそうみえた。
だが永遠の命を持つというイクリアム・テヒュー・アリン・アラールが治める太陽神を奉じるフレニア=アクロメス、クラケイル王国などを属領とするナルソホス帝国などは本心からでた言葉ではなかった。
その証拠に彼らは表向きは聡明なヘルガに忠誠を誓っていたが、決して主の名前を口にしなかった。また、主の教えに従うこともなかったし、主の代わりに民に慈悲を齎すこともしなかった。彼らの全ての行いは己の欲を満たす為にあった。彼らは主に対して裏切りを働くように産まれついていたので、自分達が、どれほど罪深い生き物なのかということを理解できなかった。哀れなことである。
だからこそ、現在、主に対して裏切りを働いた者達の国々は存在しない。その咎によって全て、例外なく滅びたのである。
しかし、それらは大いなる災いの流れで起こったことの一つに過ぎない。
大いなる災いは、ヘルガが主の下に遣わされてから、暫くして起こった。
東からイ・チン・ウルスグルス帝国が侵攻してくると、異教徒の裏切り者達は直ちに本性を顕し、丁度、イ・チン・ウルスグルス帝国と挟みこむような形でヘルガの背後を衝き襲いかかった。
ナルソホス帝国を国境まで追い返す奮戦空しくも、ヘルガの一族は太陽神を奉じる一部族の裏切りにより滅ぼされ、ここに帝室の血は途絶えた。
敬虔なるヘルガの血を引く一族が根絶やしにされたことを天の神々が悲しみ地上を見放したのか?それとも地の底の魔神どもが喜びの余り地上へ己が眷属を遣わせたのか?
真の大いなる災いが歴史に名を現した。黒い巨躯に紅き死の戦斧を揮う魔王、その名をガロン・ゲルマニウスという。