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早咲きの

作者: 切斉

今年は異常気象がかなりひどく、例年ではあり得ないほど色々自然現象が狂っていた。

次の春もそれに漏れず、桜の開花が異様に早くなる見込みだそうだ。朝のニュースで何度聞いたかわからないし、2月の中頃の今にもう桜の開花予報なんてものがやっている。入学シーズンには散ってしまっている可能性もなくはないらしい。しかし、私には入学式シーズンは関係ない。自分も含めて身内に、今年新しく入学する人はいない。

私に関係があるのはむしろそれより前、卒業式だった。

三月、私のたった一人の先輩が卒業するのだ。



四月、新入生として高校へ入学した私は、部活動を決めかねて見学してまわっていると、ある活動に興味を惹かれた。それが、「ヤモリ愛好会」だった。

まだ正式に「部」とは名乗れないらしいが、その珍しい活動団体に、私はヤモリの好き嫌いではなく単純に好奇心で即入部を決めてしまった。

入ってみて分かったことは、活動人数が私を除けばたった一人であり、特別な事情で活動している部ということだった。そのたった一人が、小宮山さゆな先輩だった。

先輩は一年の頃から「ヤモリ愛好会」に所属していたが、三年に上がった途端、引退・卒業と退部ラッシュで突然一人になってしまったそうだ。先輩は、二年続けてきた部を最後までやりきりたいと顧問の先生達に頼み込んで、特別に先輩の卒業まで活動を許してもらったらしい。

私が一人入ったところで事情に何も変化はなく、先輩の卒業あるいは引退とともに、「ヤモリ愛好会」は廃部となる予定だ。

先輩は私の入部を歓迎してくれ、互いに名前で呼びあえる仲になり、月木金の週三で、二人だけの活動をしてきたのだった。



先輩は受験中も、ヤモリの様子を見るために活動日には欠かさず部室へ来ていた。もちろん私も、先輩が行っているのに行かないわけはなかった。

いよいよ卒業式が近づいてきた二月の終わりの木曜日。いつものように放課後に私が部室へ行くと、先輩が当然のように来ていて、椅子に座っていた。

「やっ」

すっかり慣れた、先輩のいつもの軽く手をあげる挨拶があと何回見られるのだろうと、会釈を返しながらぼんやり考えた。先輩は、いつもはすぐにケースから解き放つヤモリを、今日はケースのまま抱えていた。心なし表情が固く、沈んでいるように見えた。

「先輩?今日は出さないんですか? 」

近づきながら尋ねると、先輩はすぐに顔を上げてにっこり笑った。

「出すよ。……実はね、今週いっぱいで最後なの」

「最後? 」

ためらいがちに言った先輩に聞き返すと、先輩はゆっくりうなずいた。

「私が活動を許されてるのは、来週の月曜日までなの」

「え」

すごく唐突だった。今週いっぱい。それはつまり、明日で最後ということで。

「言うの遅くなっちゃってごめんね。タイミング見つかんなくって」

先輩は柔らかい笑顔のままだ。対する私は多分、半笑いのまま表情を崩せない。まるで全然たいしたことではないように告げ、謝った先輩に、どんな反応を返せばいいのかわからなかった。

「月曜日のこの時間に外出許可取ってあるから、この子たちを逃がしに行こう」

もう完全に、先輩の中では決定事項であり、覚悟できていることのようだった。なら、私が取る態度は決まっている。

「わかりました。もう、そんな時期なんですね……」

声が震えなかった自信はないけれど、精一杯の笑顔で応えたつもりだ。先輩はちょっと意外そうな顔をしてから、表情を戻して手元へ視線を向けた。その姿がとても寂しそうに見えて、私は瞬間的に思いついたことをそのまま口に出してしまった。

「じゃあ、掃除しましょう! 」

「え、掃除? 」

「はい!明日、ヤモリをケースに戻してから、この部屋をきれいに掃除して、ヤモリを気持ちよく逃がしましょうよ! 」



意外にも、口から飛び出ただけの私の掃除案に先輩は同意し、むしろ先輩の方が大乗り気で段取りを話し出して、その日の活動は結局その話で終わった。

その次の日、金曜日、掃除の日。先輩は卒業式についての話と、補習があるとかで遅れるらしい。だから、放課後部室に行っても、いつもの先輩の姿は見えなかった。

部室を見回すと、私の入部時、初めてここを訪れた時から何も変わっていないように思えた。そしてあの頃からいつでも、欠かさずこの部屋にいた先輩の姿はもはやこの風景の一部であるような気さえして、今見ている、先輩のいないこの部室はいつもの部室ではないと感じた。

「よし」

鞄を置いて、私は気合いを入れ直す。先輩が遅れるという連絡を受けてからずっと決めていた。先輩が来るまでに一人で出来るところまで終わらせてしまおうと。先輩ならきっと、「私が行くまでゆっくりしてていい」とか言うのだろうけれど、残された時間で私が先輩に出来る恩返しは少ない。一つの機会だって無駄には出来ないのだ。

持参した雑巾を濡らしてきて、どこから取りかかろうかと考えながら、そういえばヤモリの様子は、とケースに目を向けて、私の思考は完全に一時停止した。

「なっ……な……」

言葉も出ない。

ケースの中にいるはずのヤモリの姿が一匹も見えないのだ。よく見れば、ふたが少しだけ開いている。

「嘘でしょ……」

昨日ヤモリをケースに戻したのは私だ。つまり、記憶はないけれどきちんとふたを閉められていなかったのだろう。何かの弾みで開いて、そのまま帰ってしまったのだ。おそらくヤモリはそのまま……。

私は部屋の扉へ視線を向けた。ボロボロの扉はちゃんと閉めても隙間は余裕で存在する。一晩もあればその隙間からのヤモリの脱走は成し遂げられてしまうだろう。

私のせいだ。

どうしよう、やってしまった。その気持ちでいっぱいになって、頭がぐらぐらするような気がした。

昨日の先輩の、少し寂しそうにヤモリを月曜日に逃がしに行くことを話していた姿が思い出された。先輩のヤモリへの愛情は本物だ。だからこそ、なんとしても来週の月曜日までに見つけて、もう一度捕まえて先輩と一緒に逃がしに行きたい。いや、行かなくては。

私は荷物もそのままに部屋を飛び出した。




「ん?みずきじゃない」

あらかた校内を走り回って、やっぱり校外だろうかと思い始めた頃、私は背後から聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

「せ、先輩……」

振り返ると、先輩は微笑して軽く手を挙げ、「やっ」と挨拶した。私も頭を軽く下げる。姿勢を戻しても、顔は上げられなかった。

「なんだ、みずきも用事あったんだね。私は今から部室行くとこだけど……みずきの用はまだかかるの?なんなら一緒に行こうよ」

「あ、あの……えっと……」

「ん。…………どうかしたの? 」

なかなか目を合わせようとしない私の様子を変に思ったのか、先輩の口調が真剣なものになった。ヤモリのことを隠しておくことも、ごまかすことも出来ないな、とさとった私は正直に話す道を選んだ。




先輩は、怒らなかった。一旦部室に戻ってからありのままを話したが、私が謝っても、仕方ないよとしか言わなかった。でも寂しそうだった。

こうなる想像がついていただけに、悔しかった。先輩を悲しませてしまった。私は先輩に恩返しどころか仇返ししてしまったのだ。よりにもよって卒業式を目の前に。

見つけないと。一緒に逃がしに行くんだ。それを、私達「ヤモリ愛好会」の最後の活動にして、先輩に本物の笑顔で卒業してもらうんだ。

心の中でそればかり繰り返しながら、沈んだ部室の掃除は終わった。




次の月曜日は、何も特別なことはなく先輩と話すだけで活動を終え、実にあっけなく「ヤモリ愛好会」は活動終了、無期限休部となった。

もちろんその間も私は暇さえあれば校内も校外も探しに出掛けたが、影すら捕まえることは出来なかった。

先輩は受験生であるし、もともとあまり校内をうろつくタイプではないため、活動最終日から一度も顔を合わせることなく春休みを迎え、そして卒業式の当日が来てしまった。

私も在校生として先輩を送り出すために、出席はしないけれど出待ちはしに行く。

とうとうヤモリは見つからないままこの日になってしまった。春休みに入ってからも毎日学校に来て、校内や付近を捜索したがいつも服を汚すだけにとどまり、最後の方にはもう見つからないのではと半分以上諦めていた。そんな気持ちで探しても見つかるわけはなく。結局私は、代わりになればと少しずつ作り進めていたヤモリの人形を鞄にいれ、学校の方へ向かっていた。

そして、その途中で大きく道を逸れて茂みへ飛び込んだ。




最近は下ばかり向いていて気づかなかったけれど、学校の敷地に植えてある桜の木はすでにかなり開花が進んでいて、満開へのカウントダウンが始まっていた。

三年生、つまり卒業生が次々と出てくる中に、先輩の姿を見つけた。少し目の縁が赤くなっているが、友達と笑い合っていた。

別れを惜しんでいるのだろう先輩に声をかけるのはどうなのかと一瞬迷ったが、やはりためらわず先輩の方へ人をかきわけて近づいた。

「さゆな先輩っ! 」

先輩は私に目を向け、私が抱える見慣れたケースに目を向けた。そして、一瞬目を見張った後顔を綻ばせた。

「や、みずき」

いつもの笑顔で、一年間見慣れた、柔らかい笑顔で、先輩は軽く手を挙げた。声が少し震えている気がした。多分、その後の私の声も、しっかりしているとは言い難かっただろう。

「先輩、逃がしに行きましょう」

卒業式直後であり、先輩もまだ同級生と色々あるので、遠出はせずに学校の裏門を出て少ししたところにある公園へ行った。公園にもたくさんの桜の木が植わっていて、全て開花が始まっていた。

「あーあ、制服そんなに汚して……ずっと探してたの?」

先輩は軽く私の服をはたきながら、呆れたように言った。周りを見ずに全力で這いつくばっていたせいであちこちに泥がつき、かなり汚れてしまっていた。

「何としても、一緒に帰したかったんです。一匹しか見つからなかったけど……」

私は手の中のケースを見る。中には一匹のヤモリ。小さくて捕らえるのに苦労したけれど、見つかってよかった。

先輩は、小さくありがと、と呟いて顔を上げると、私からケースを受け取って愛しそうにヤモリを手に乗せた。

「いい? 」

と、顔を私に向けた。私は笑ってうなずいた。

先輩はそっとヤモリを公園の花壇のそばの地面に下ろし、手を離した。私と先輩に見守られ、見送られながら、一年弱を私達と共に過ごしたヤモリは花壇の中へ入り、雑草の陰に隠れて見えなくなった。

見届けると、先輩が立ち上がりこちらを向いた。

「これで、我々『ヤモリ愛好会』の活動を終わります。ありがとうございました」

大きな澄んだ声が響いた。私も続けてありがとうございました、と叫んで深く頭を下げた。やることをやりきれた感じでいっぱいだった。


先輩は友達に呼ばれているらしく、もう行かないといけない。私は、最後にもう一度しっかり頭を下げた。

「ありがとうございました」

頭を上げると、先輩は笑って手を振り、一度私に向かってお辞儀をしてから、薄ピンクの花びらが舞う道を歩いていった。

四苦八苦して書きました。書いといてなんですが、ファンタジーの方が(読むのも書くのも)好きです。

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