違和感を持つのは、君のほう。
「近づいてきたのは、君のほう。―過保護すぎる幼馴染は溺愛中―」シリーズ第48弾です。(短編シリーズ)
王都防衛騎士団所属のノインと、村娘オルガ。
二人の人生に寄り添う形で進んでいく恋の物語を描いています。
※本編の時間軸は「危険なのはいつも、君のほう。」の後の話です。
それは、何度も家を訪ねてきた奇妙な男が現れるよりも前のこと。
ノインだけが「二人目」と認識した男と、市場で遭遇した時の話だ。
「これなんてどうです?」
勧められて、迷っていた視線が相手に向いた。
「うーん」
どうせまた、彼女は値段で渋り始める。
市場での荷物持ちをするノインは、基本的にオルガのすぐ傍で大人しくしている。
軽い調子で声をかけてきた店員は愛嬌を振り撒いているが、オルガ本人にはまったく効果がないことを理解していないのは、ノインからすれば明らかだった。
いつもの布屋でしか買わないのだから無視すればいいのにと思うが、ノインは口出ししない。
本人がしたいようにさせたいので、置物のようにしているほうがいいと判断して黙っているのだ。
露店商に近いが、若い男は「押せばいける」と踏んでいるのかしつこい。
途中から彼女は本気で困り始める。
「今はいいです。ごめんなさい」
そして、本気で謝る。
害が一切見えないうえ、本気で落ち込むまでがセットになる。
「あぁ、こっちこそすみません」
なぜか嬉しそうにへらへら笑っている男の態度に、調子に乗っているなと静かに判断した。
「そんなに落ち込まなくても」
距離が近い。
指先が触れそうになった瞬間、ノインがその手を払い関節を捻った。手首の骨が簡単にズレてしまう。――脱臼だ。
「触らないでください」
オルガに聞こえないように最小限の声で告げると、男が固まった。
目を見て。
「次は、折ります」
警告に男が浅く、頷く。
離した拍子に、俯いていたオルガがパッと顔を上げる。
「すみません! 今は間に合ってるので!」
逃げるようにその場を離れようとして、彼女はノインの手を掴んだ。
「行こう、ノイン。
すみません」
軽く頭まで下げている。
男が反応しないことを疑問にも思わずにそそくさと離れたのを見て、ノインは話しかけた。
「買えばいいのに」
「ええっ!? あんな派手なの着ないでしょ!?」
「……そうでしたか」
「見てなかったの!?
すごいな……。ああいう布で服とか作るのはちょっと無理だよ……」
都会ってすごい、と変な落ち込み方をしている。
素早くノインは視線を動かし、口を開いた。
「卵が安売りしてます」
「えっ」
「あっちです」
「あ、ホントだ!」
すぐさま安売りしている卵に意識が向いたようで、オルガはそちらに吸い寄せられるように歩き始めた。
この後に、勘違いをした布屋の男。
そして……道を尋ねてきた男が現れるのだが、ノインはすべて対処してみせたのである。
*****
隣の家のお呼ばれは、二回目。
前回はノインが朝から用意してくれたパンを抱えて、この家を訪ねた。
今も緊張はするけど、呼ばれるたびにパンをノインに作ってもらうわけにもいかない。
だから今日は、手ぶら。
(ノインもそれでいい、って言ってくれたし)
夫も忙しくてとか、そう言えばきっと、なんとかなる!
前と同じように裏口へと向かうと、運送屋の奥さんであるリナさんが微笑んだ。
「いらっしゃい、オルガ。ちょうどお茶を淹れたところよ」
そこには、靴修理屋の奥さんであるエマさんと、洗濯屋をしているサラさんもいた。
前と違うのは……あの市場で会った奥さんがいないことだけ。
(あの人、いないんだ……)
でも、そのほうがちょっとありがたい。
以前と同じ位置に腰掛け、湯気の立つお茶を受け取る。
(あっつぅ!)
冷めるまで待つしかない。
しばらくは天気のこと、仕入れのこと、子どものことなどの話で彼女たちが盛り上がる。
「うちの子、馬が好きだからあなたのところの馬が見たい見たいって言っててね」
「そうなんですね。夫に聞いておきます」
なにせ彼が仕事で使用しているので、普段は家にいない。
「そういえば」
と、おっとりした表情のままでサラさんがこちらをうかがってきた。
「市場で会ったんですって?」
? だれと??
不思議そうにしているオルガに気づき、エマさんが苦笑した。
「前にここに来てたでしょ? 今日はいないけど。
あそこの夫婦、ちょっと変なの」
変!?
ぎょっとオルガは驚いたけど、すぐに納得してしまう。
(ちょっと変……たしかに)
特に旦那さんは、そう思った。
独特の話し方と、やたらと視線を向けてくることに苦手意識を完全に持っている。
だけど、近所付き合いをするのなら我慢するべきで……。
「大丈夫だった?」
優しくそう問われて、小首を傾げる。
「え? え、はい。夫が、間に入ってくれたので」
旦那さんの視線を遮るように位置を変えていた、ノイン。
はーっと大きくこの家の奥さんであるリナさんが大きく息を吐いた。
「やっぱりね。
あそこの旦那、距離が近いのよ。悪い人じゃないって言う人もいるけど」
「悪くなくてもあれはねえ」
うんうんと、互いに頷いている三人に、オルガは戸惑うしかない。
なに? いったい、なにが……。
「この前なんて、『手伝いますよ』って言って、そのまま家に上がり込んだって聞いたわ」
その言葉に思わず、「え」と声が出てしまう。
目の前の三人は気づかずに話を続けた。
「上がり込まれたとこって、あの押しの弱い奥さんのところでしょ? 断れなかったんでしょうね」
「親切のつもり、なんでしょうけど」
話す相手を、オルガは視線で追う。
「家に入るなんて、普通じゃないわ」
ふつうじゃない。
その言葉に、大きく目を見開く。
都会ではあれがふつうかも、なんて思ったりしたのに。
(違ったんだ……)
目の前の三人が、否定しているということは……あの旦那さんがしたことは。
(普通じゃない)
近くに住んでいて、道ですれ違えば挨拶をすることになるかも。
あれが都会でふつうなら、我慢するのは当然なんだって思ってたけど。
(……違うんだ)
…………そっか。
「それにしても、あなたの旦那さん、すごいわね」
え?
いきなり話の矛先が向いて、オルガは手元のお茶に落としていた視線を慌てて上げた。
「聞いたわよ。あの旦那さん、青ざめてたって」
「完全に固まってたらしいじゃない」
楽しそうに言われて、オルガはおどおどと、身をすくませる。
青ざめてた? 固まってた??
「どうせ無害そうだと思って無視して、あなたのほうに話しかけたのね」
「あそこの奥さんのところの旦那さんも、強く言えないタイプよね。しかも旦那の留守を狙ってやってきたらしいわ」
「やることがセコイのよ」
目の前の会話にうまくついていけない。
「ところで、あなたの夫ってそんなに強いの?」
リナさんだけは知らなかったらしくて、興味深そうにこっちを見てきた。
「つ、強い? ノインがですか?」
あ。
慌てて言い直す。
「夫のことですか?」
「ええ」
(……つ、つよい、かぁ。ノインは一度もそんなこと言ったことないけど)
もじもじしながら、オルガは頷く。少しだけ、頬が赤くなった。
「とっても強いと、私は思います」
私は、そう思ってるけど……でも本人はそんなこと思ってないみたいなんだよね。
「そんな風に見えないのにね、へえ!」
それはまったく同意見だ。
もしもこの人たちがノインの戦うところを見たら、どういう反応をするだろうか。
(私みたいに、速すぎて見えないって驚くかなぁ)
「来月には親善試合があるけど、出るのかしら?」
「でもまだ若いから出ないかもね」
親善試合……。
(そういえば、負ける予定って言ってたような……)
オルガは少ししてから、小さく言う。
「た、たぶん出ます」
「そうなの!?」
「ちゃんと聞いたわけじゃないですけど、出るのが決まってるみたいな言い方してたので」
あらっ、と三人が顔を見合わせた。
「それじゃ、あなたの旦那さんを応援しないと!」
「そうね」
「仕事が入らなければね」
「それは言わないでよ」
明るく笑う人たちの笑顔に、つられるようにオルガも微笑んだ。
(負けないでって、ノインに言っておこう)
それまでに、作りかけの自分の服を仕上げないと。
あれを着て、ノインにもらったショールを纏って行きたい。びっくりするかな。
(ま、まぁ、本当にノインが出ればの話だけど)
*
「ねえねえ」
声をかけると、剣の手入れをしていたノインが「なんでしょう」と応じる。視線はこちらに向けない。
「秋の親善試合、ってノインは出るの?」
「出ると思いますよ」
「そうなの? だって、まだ若いんだよね?」
「若くても、実力があるので無理にでも出されます。
去年は断ったので今年は出ないといけませんしね……。あぁ」
気づいたように、彼はこちらに視線だけ向ける。
「もう結婚したので、気に入らない近衛騎士がいたらボコボコにしますね」
「ぼ、ボコボコって……剣を使う音じゃないんだけど……」
「誰が相手になっても負けないので、安心してください」
にっこり微笑まれたけど……オルガはどうしていいかわからない。
「あ、そうそう、この間市場で会った夫婦の旦那さん、近所の奥さんからはやり過ぎとか、普通じゃないって言われてた」
「でしょうね。明らかに俺を無視して君を見てましたし。…………あの手の、自他の境界が曖昧なヤツは本当に始末に負えない……」
「境界が、曖昧?」
「自分の都合のいいように解釈して、自己を正当化するクソ野郎のことです」
「ク……?」
「すみません。忘れてください」
*****
或日。
昼の食堂は、金属の皿の音と人の声で満ちていた。
煮込みの匂いがこもり、窓の外の光だけがやけに白い。
ノインは長机の端のほうへと移動して腰掛け、持ってきた弁当の蓋を開ける。
周囲のざわめきに、いつも通り加わらない。
そしてなぜか隣にジョスが腰掛け、ジョスの向かい側に自然とマルコが座った。
「おまえの弁当、まだ続いてるのか」
ジョスの言葉を無視して、弁当に入っている二層パンをちぎってノインは口に運ぶ。
「……なんかまた進化してる」
小さな揚げ団子が入っていて、彩りを少しだけ意識したものになっていた。
ノインが無視をするのはいつものことなので、ジョスは溜息をつき、マルコは小さく苦笑する。
「ノイン先輩、いつもお弁当ですね」
「あぁ、おまえは知らないんだな。嫁が来てからほぼ毎日、弁当を持ってきてるんだよ、ノインは」
「いつ結婚したんですか? 手作りなんですか?」
「まだ結婚してない。四ヵ月くらい前に来てるから……早くて秋か。
気が早くて同居はしてるみたいだがな」
隣のやり取りを無視して、ノインはもぐもぐと食べている。
なにか思い出したのか、ジョスが顔をしかめて溜息をつく。
「そういえばおまえ、いま十九だったよな」
ノインはさらに無視した。
マルコはきょとんとする。
「先輩は確かに十九歳だったはずですけど、なにかあったんですか?」
「あー……。ちょっと前にあった例の件の、犯人の処分が出たって聞いてな」
「例の件?」
言い淀むジョスの横で、団子を口に入れるノインがマルコを見た。
「女性が性的暴行を受けて、殺害された件のことです」
「あっ」
一瞬でマルコが青ざめ、「あぁ、あの……」と声を小さくしていく。
思い出したようにジョスがノインを睨んだ。
「おまえが勝手に巡回ルートから抜けた日に起きたのに、なんで知ってるんだよ? あ、まぁ、知らないやつのほうが、珍しいか」
「先輩、そんなことしたんですか!?」
「真似するなよマルコ。
残されたオレは報告書を書かされたんだからな」
「……あの日だったんですね」
ぽつりと、ノインが呟く。
「そうだ! オレ一人で巡回は継続したし、すぐに伝令にも行ってもらったんだぞ!
自宅待機程度で済んだの、正直運がいいだけだからなノイン」
しかしノインは反応せず、弁当を食べるだけ。
煮込みの入った皿の具を匙で掬い、ジョスは深く息を吐く。
「被害に遭った女、若かったんだと。十八か、十九」
咀嚼していたノインがピタッと動きを止めたのは一瞬で、すぐに何事もなかったかのように飲み込む。
「そんな……ノイン先輩とほとんど変わらないじゃないですか。そんなに若い人だったんですか?」
「しかも未婚で、普通の勤め人だったそうだ。特別な身分でもない」
「…………」
「はぁ、しかも犯人はその女が勤めてた店の常連客なんだとさ」
店の中のことまでは騎士団は関与できない。
「難しいよな……。強く出れば逆に危ないこともあるし、距離をとれば怒らせることもあるから」
「……商人組合はなにもできなかったんですか?」
「店が閉まったあと、裏口で待ち構えてたとか聞いたな。
事件は店の外で起きたんだ。関与できない部分だろ」
悔しそうにマルコが眉間に皺を強く刻む。
「オレたちだって、常にいるわけじゃない」
「でっ、でも、殺人まで発展したからうちが動いたんですよね」
「殺人なんだからすぐに動くに決まってるだろ。……殺されなきゃ、こんな大ごとになってない」
言い方に含まれる言葉に、マルコは重たい気分になった。
この事件は、ノインたちの隊は担当していない。だが、他の隊の者たちも知らない者はいないだろう。
「担当した隊の連中は、すぐ捕縛したみたいだが……オレたちだって、やれることは大差ないからな」
ふいにジョスが隣を見た。
「おまえの芋……嫁にも夜道には気をつけろって言っておけよ?
地味だからって言っても、この事件の被害に遭ったのもなんの変哲もない女だっていうし」
一瞬でノインの周辺温度が下がった。
「まあ、あまり心配ないとは思うけどな。おまえの嫁、そういう目で見られなさそうだし」
「…………」
「それより、しょっちゅう起こってるスリとか田舎者を狙った詐欺のほうが危ないか」
ノインは普段から無表情で、なにを考えているかわかりにくい。
「『そういう目で見られなさそう』という判断をした結果が、今回の件では」
冷ややかな声のまま、食べ終えたノインが弁当の蓋をしめた。
「それ、殺された女性にも言えるんですか」
「あ、いや、そんなつもりじゃ……」
「夜道を気をつけろとは、具体的にどうするんですか」
「え? 具体的……? 一人で出歩かないとか、遅い時間は避けるとか……。変なのがいたら距離を取る、くらいか?」
「距離、とは」
「え、あー……近づかないように、っていうか……」
「相手が詰めてきたら?」
ジョスは少し思案して、口を開く。
「……いや、走って逃げれば――」
「追いつかれますよ」
その言葉にジョスはうまく、言葉を紡げない。
弁当を包んでからノインは立ち上がり、言った。
「現実的ではないですね」
冷たい言葉になにも言えないジョスを、マルコも同様に、視線を伏せた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
続きを読みたいと思っていただけたら、さらに嬉しいです。




