②資料が届いたよ編
翌日、早速、ゆうパックの書留で資料が送られてきた。なんて仕事が素早いだ。気が変わらないうちにという、進研ゼミのような想いがひしひしと伝わってきた。
開封してみると、資料の他に、ご丁寧に手書きの手紙が添えられている。小川さんの名刺も挟まれていた。なんて教育が行き届いているんだろう。
(東京暮らしで頑張ってるんだなぁ……。親御さんはさぞや心配されているだろうに……)
と、しみじみ思った。
資料の内容は、会社の概要などが載ったパンフレット、Aプラン,Bプラン……などが書かれた自費出版の予算の情報、また七人のイラストレーターさんが書かれた数点の絵の資料、製本の流れが書かれた資料だった。
(こんなにもいろんな資料を準備しないといけないのか。出版業界も大変だなぁ……)
と、しみじみ思った。
当たり前だが、困ったことに《これな~んだ?》の情報はゼロであった。書いた本人が内容をすっかり忘れているなんて夢にも思っていない感じだ。そんな人、今までいなかったんだろう。
資料を見ると、ペンネームは大崎真ではなく別の名前だった。
(こんなペンネームだったんだ……。知らなかった……)
と、驚愕した。思い出すこともなく、初見で見た感じだ。
マジで困った。全然、思い出せない。記憶喪失にでもなったかのような不安が襲ってきた。《ボーン・アイデンティティ》のマット・デイモンくらい思い出せない。
かといって、ギブアップして、
「自分の作品を忘れたから教えてください」
なんて口が裂けても言えない。そんな人と作品作りに関わるなんて誰だって嫌だろう。
会社のパンフレットには、本に対する熱意や、物語に対する情熱が熱く語られていた。とてもじゃないが言い出せない。
おもむろにスマホを手に取った。
(5~6年前って言ってたよな……)
六年前からのグーグルフォトを見返してみた。
(そうそう、こんなにも小さかったよなぁ、うちの子たち。そうそう、ここに旅行したなぁ)
思い出をなぞりながら、ひたすら現在に戻っていく。あっという間に今日のフォトまで来てしまった。
やはり、作品を撮っていなかった。マジで分からない。確実に絵本を描いたし、小さくて折り畳んで茶封筒に入れたことは覚えているのだが、皆目、内容が思い出せない。
ここまで思い出せないとなると、物語ではなかったような気がする。さすがに物語だと覚えているだろう。
昨日の小川さんの台詞をふと思い出した。
『赤ちゃんが対象の絵本ですよね?』
赤ちゃんが対象……。となると、やはり物語ではないだろう。物語ではないことは、ほぼほぼ確定でいいだろう。
絵本だし、もちろん絵を描いたのだろうが、赤ちゃんが喜ぶ絵ってなにを描いたんだろう。
(6年前の私、お前は一体、どんな絵本を描いたんだ……?)
ここまで書いて思ったんだが、エッセイではなく、ミステリーになってきた。
必死に脳をフル稼働させていると、ここまで思い出せない理由はおぼろげながらに思い出してきた。
忙しい日々を過ごしていたある夜、ふと思いつき、そばにあった小さい紙にささっと描き、引き出しにあった茶封筒にささっと押し込み、パパっと切手を貼って、翌日の出勤時にぽとっとポストに入れたからだ。
作品と共に過ごした時間はわずか数時間。そりゃあ、思い出せないはずである。私よりも確実に、多くの作品の中から選んでくれた小川さんの方がよっぽど《これ、な~んだ?》に愛情があるだろう。
いやいや、そんなことよりもどんな絵を描いたかを思い出さなければならない。
実はこう言ってはなんだが、私は鉛筆画が得意だ。美術の授業の鉛筆画では毎回貼り出され、描いていたら後ろに数人が覗きにやってきたくらいだ。
ただし、得意なのは鉛筆画だけで水彩画や油絵はまったく描けない。そのため、選択科目で鉛筆画しか描けないから&パレットを洗うのが面倒臭いからという理由で書道を選択してしまった。硯も洗わなきゃならないじゃんと思われたかもしれないが、硯は半紙で吸うだけでよかったのである。
いやいや、そんな話はどうでもいい。とにかく、思い出さなければならない。
鉛筆画が得意だが、赤ちゃんが対象だから鉛筆画ではないだろう。短時間で描ける絵となると、苦手な水彩画や油絵でもないはずだ。
(となると、あとは……ペン?)
確かにペンのような気がする。短時間で描ける上に、赤ちゃんが対象の絵も描けるだろう。問題はペンでどんなものを描いたかだ。
(…………)
ヤバイ。こんなにも思い出せないものだろうか。なんとか記憶を戻す方法はないだろうか。
そういや、《ボーン・アイデンティティ》のマット・デイモンって、どうやって記憶が戻ったんだっけ? なんか、自分の所持品を調べて、自分の正体をいろいろ推測していたシーンがあった。
印象に残っているのが、手におさまるキーホルダーのような機械のボタンを押すと、謎の暗号が壁に映し出されたシーンだ。
そういや、餃子の王将で無料のキーホルダーをもらい、ボタンを押したら《餃子の王将》の企業マークが壁に映し出され、
(記憶喪失の時に所持品を調べて、これが出てきて、ボタンを押してこれを見たら、俺は一体何者なんだって笑えるやろうなぁ~)
と、一人でほくそ笑んだことがあった。
いやいや、そんなことより、マット・デイモンって、どうやって記憶が戻ったんだっけ? 壁に謎の暗号が映し出されたシーンはこんなにも覚えているのに、記憶が戻った方法が全く思い出せない。
ちゃんと映画を観たはずなのに、人間の記憶とはこんなにもあやふやなものなのか。マット・デイモンの記憶が戻った方法をなんとか思い出さなければならない。
いやいや、そんなしょうもないことを思い出している場合ではない。自分の作品を思い出さなければならない。
( …………)
ちょっと思い出せそうもないから、自費出版をするかどうかを考えてみようか。
まず、私に絵本作家としての才能があるのだろうか?
そういや、親戚に売れない画家が一人いる。更には売れない小説家も一人いる。この二人の感性が私にも備わっているならば、もしかしたら絵本作家の才能はあるのかもしれない。二人とも売れていないという修飾語がめちゃくちゃ気になるが。大金をはたいてまで自費出版するべきではないと、この二人が暗に知らしめてくれているようだ。世知辛い世の中だなぁ。
ちなみに、資料が届いて三日が経過した。未だに思い出せない。そろそろ電話をしなければならないが、どうしたものか。
自分の作品を知ってる体でいくのか、いかないのか。自費出版するのか、しないのか。
悩みは尽きない。
読んでくださって、ありがとうございました。
次回に続きます。
次回で最終回です。




