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夏休みの終わったあの絶望の日

 同級生たちの作り出す喧騒だけが、がやがやと何か楽しそうに私の周囲を取り巻いていた。

「・・・」

 そんな教室の日の当たらない廊下側の一角で、たった一人、自分の机の前に立った私の半径数センチくらいの空間だけは、暗く冷たく、絶望に沈黙していた。



 あれは確か小学校四年生の時だっただろうか。私はまだ十歳だった。私は本当に子どもで、教室以外の世界を何も知らなかった。



 今も忘れないあの夏休み明けの最初の登校日。自分の机にカバンを置いた、あの瞬間の、あの全身を押し潰すような重たい絶望感。目の前が真っ暗になるような心の底から全身に立ち上る暗く重たい震えに、冬休みまでのこれからの二学期が、永遠に続く地獄の業火に思えた。あまりの絶望と恐怖に、泣くことも出来ず、動くことも逃げ出すことも出来ず、何も考えることすらできずに、私はその場に呆然と固まっていた。



 昨日までのあの楽しかった夏休みを思い出し、思わず涙が出そうになる。夏のあの強烈な太陽の日差しと活動的な暑さの中で、輝くように楽しかったあの日々。近所の子どもたちと朝から夕方暗くなるまで毎日遊び回った、あの無限に楽しい意外微塵も何もない毎日。学校に行かなくていい朝。何をやってもいい時間。学校という憂鬱に侵されない晴れ晴れとした心。狭い教室に閉じ込められない関係性。

 毎日が日替わりで楽しいことの連続だった。当時やっていた少年野球の試合や行事。花火大会や肝試しなど、様々な地域行事。少年野球の友だちとも様々遊び、自然と心が浮き立ち、体は喜びに全身を高揚させた、寝るのがもったいないくらい最高に輝いていた日々――。

 

 


 地獄――。


 だが、学校は地獄だった――。


 私は、毎日、まるで全身に鉛をつけているような重苦しさで学校へと通っていた。心の中も鉛のように重く、空は鉛のような曇天が常にぐるぐると厚く渦巻き、景色は鉛色のようにすべてが色のない無機質な濃い灰色だった。

 朝起きると襲ってくる堪らない憂鬱と絶望。それに鞭打って私は毎日歩いて十五分ほどの学校へと通っていた。

 私にとって学校は、大げさではなく正に地獄だった。私は学校に入学した最初の日から、なぜか学校が苦しくて堪らなかった。その空間のすべてに違和感があり、適応している同級生たちのその楽しそうな姿に戸惑い、困惑し、その中で自分がどうしていいのかすらが分からなかった。私は教室内のあの狭い特殊な人間関係にまったくついていくことができず、同級生たちにまったく溶け込むことができなかった。どんなにがんばっても学校にまったく馴染むことができなかった。逆に無理に馴染もうとして、空回りし、私はより周囲から浮き、嫌われていった。

 私はクラス内で孤立し、疎外され、白い目で見られ、私という存在は否定され、消されていった。

 クラスの中に私の居場所はなく、どこにも安らぎはなかった。あるのは心細さと寂しさと惨めさと悲しさと孤独と苦しみだけだった。学校とは私にとってそんな存在だった。


 しかし、学校から逃げ出すことはできなかった。


 社会にとって、学校は水で、子どもは魚だった。魚がどうやって水の外で生きていけるというのか。そのくらいの自明の空気の中で、学校に行かないという選択肢はなかった。学校しか正解がなかった。

 学校に行く正解。行かない間違い。世界にはこの二つしかなかった。学校に行かないということを考えることすらが世界に存在しなかった。学校がない世界を想像することすらが世界に存在しなかった。




「・・・」

 私は自分の机の前で立ち尽くしていた。

 楽しかった夏休みとこの目の前の学校という地獄との、そのあまりの現実の落差に、私は、膝から崩れ落ちそうになる。目の前がくらくらして気を失いそうだった。というか気を失いたかった。それ程に目の前のその現実は辛過ぎた。 


 相変わらず、同級生たちは久しぶりの仲間との再会にこれでもかとはしゃぎまわり、教室中を走り回っていた。まだ明かりをつけていない薄暗い教室の窓の外では、まだまだ強い夏の日差しが、生命たちの生きる喜びを明るく照らし出していた。

 そのどれにも参加できない私は、その中で、立った一人、心の芯に打ち込まれた重たい絶望の杭に抗うことすらできず、その絶望の重みに微動だに動くこともできず、カバンを机の上に置いたまま机の前で固まり放心していた。


 あの時、誰か頼りになるやさしい大人がいてくれて、そっと私の隣りに寄り添い、「もう学校なんか行かなくていいんだよ」と言ってくれたなら、私はその場で号泣していただろう。あまりの開放感に空を飛んでいたかもしれない。

 もし、あの時そんな大人がいてくれて、そんな救いの言葉をかけてくれていたなら、あの時いつの頃からかずっと背負っていた、あの重過ぎる苦しみも、孤独も、絶望も、不安も、悲しみも、全部、下ろすことが出来たに違いない。そして、その後に、何十年にも渡って刻みつけられる、絶対的な心の傷も、卑屈さも、劣等感も、絶望も、自己嫌悪も、自分に対する過剰な卑下も、攻撃も、自己肯定感のなさも、持たずに済んだだろう。

 知らなくてもいい、人の深い残酷さも、人の冷たさも、人の汚さも、人のいやらしさも、人生の不条理も理不尽も、知らずに済んだかもしれない。 

 



 今も思い出す、あの重たく切り裂くような絶望感。それを抱えた日々。あれをどうやって受け入れ、乗り越え、小学校を卒業したのかは、未だに思い出せずにいる。





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