とある日
今日もいつもどおり、午前六時ちょうどに目を覚ます。いつもどおり歯を磨いて、いつもどおり顔を洗う。一連のルーチンを済ませると、ゴミを捨てるために玄関の窓を開ける。そこにはいつもどおり梶さんがいて、いつもどおりマールボロを吸っていた。
「よ。今日は遅えな」
そう言って深くマールボロを吸って、工場の煙みたいに空に向かって煙を吐き出す。そのときに、工場は大きな音を出し始める。六時半だな、と思う。梶さんも同じことを思っている。
「今日は痰を吐かないでくださいよ」
分かってるよ、と言いたげに大きな目で俺を睨む。睨んでいるつもりなのだろう。
ゴミを捨ててきてしまうと、梶さんが俺の部屋、306号室の前に立っていた。郵便受けをじっと見て、何かぶつぶつと言っている。
「何かありましたか?」
俺が声をかけると、梶さんの肩が小さく跳ねる。
「いや、なんでもない。たいしたことじゃないから」
梶さんの大きな目は、これでもかというぐらいに派手に泳いでいる。
「そうですか、じゃあ」
自分の部屋に戻ろうと半分ほどドアを開けたところで、梶さんの方を向く。
「やっぱり気になります。何してたんですか」
梶さんはきまりが悪そうな顔をする。少し間をあけて言う。
「いや、同僚が映画のチケットをくれたのはいいんだけど、二枚あるんだよね。田崎、どうせ暇でしょ?」
俺はこめかみの部分を強く押さえる。「明日は仕事があります」という言葉を、そっと租借して飲み込む。
「そんなことですか、いいですよ」
梶さんの行動は至って単純明快だが、何を考えているか理解するには些か苦労を強いられる。
これは記憶の話だが、俺と梶さんがそのときどうやって映画館に行ったのか、どんな内容の映画を見たのか思い出すのに時間がいる。だけどキャラメルポップコーンがおいしかったことと、映画を見終わった後の出来事だけはよく思い出せる。
俺と梶さんは、シアターを出て無駄に広い廊下を並んで歩く。その間しばらくは黙っていた。そして俺は我慢できずに口に出した。
「くそつまらなかったですね」
「くそつまんなかったな」
俺と梶さんのセリフが、台本をなぞるみたいにぴったりと重なる。そのあまりの可笑しさに、俺は心の底から声を出して笑う。梶さんもそれ以上に笑う。
「来てよかったかもしれません」
仕事を休んででも、と心の中で付け加える。それはもしかしたら梶さんに伝わっているのかもしれないと思う。
「だな!」
そういって少年みたいに笑う梶さんを見ると、梶さんの笑顔を見られる嬉しさよりも、梶さんに仕事を休んだことが伝わっていないことへの安堵の方が大きくなる。
「ポップコーン残すんだったら俺にください」
「田崎ってそんな大食いキャラだったっけ?」
「食品ロスの削減ですよ」




