黒い天使
朝六時ぴったりに目を覚ます。カーテンを開けて、ビルのコンクリートに反射した光を浴びる。顔を洗って歯を磨く。時間をかけて入念に。ゴミ袋を持って外に出る。
「梶さん、そんなとこで吸ってたら迷惑ですよ」
玄関を開けると、少し錆びた柵にもたれかかってマールボロを吸っている梶さんがいた。
「いいんだよ。どうせ工場の煙で臭ぇんだ」
そう言って梶さんはマールボロをまた深く吸う。団地の目の前にはひとつの街並みに大きな工場があり、毎朝六時半きっかりに、おはようの欠伸をするように動き出す。
梶さんは工場が動き出すのを待ってるみたいにも見える。ゴミ袋を一旦ドアの前に置いて、梶さんの隣で同じように柵にもたれかかる。きっと二人とも同じ煙突を見ている。
「変な煙突だよな」
「ですね」
六時半になる。工場はずっと遠くで唸り声をあげている。
二人の沈黙を、轟音がかき消す。
「いったい何を作ってんのかね」
「いったい何を作ってるんでしょう」
轟音に交じって、二人の声が重なる。二人は目を合わせて吹き出す。
また沈黙が訪れる。梶さんはマールボロを吸い終わる迄工場をじっと見つめている。
梶さんは不思議な人だ。いや、不思議と言うより、おかしな人だ。もっとも厳密に言うならば、人じゃない。梶さんは天使だ。茶色いさらさらな長髪に整った顔。ただし美少女とも美少年ともとれる中性的な顔。毛穴のない透き通った白い肌。普段はしまわれている、漆黒のカラスのような翼。黒いヘイロー。ぶかぶかな薄汚いパーカーとラフな長ズボン。そして天使という地位を持ちながらこんな辺鄙な団地に住み、アルバイトをして暮らしている。
梶さんが痰を吐き出す。俺は慌てて手でそれを止める。
「ゲッ!お前汚ねえよお」
「汚いのは梶さんのほうです。俺の家の前ですよ」
一つ息を吸って、手のひらに神経を集中させる。
『浄化』
手のひらの痰はみるみる粘り気が無くなっていき、やがてただの水になってさらさらと手のひらからこぼれ落ちた。
「お前、そっちも使えんのか」
「ミックスですので。」
「はあ、今どき珍しいよな。天使と悪魔のミックスなんて。どっちも使えていいよなあ」
「器用貧乏ですよ。しかも梶さんも“あれ”使えるじゃないですか」
「まあな」
梶さんは吸い終わったマールボロを手のひらに乗せる。
『破壊』
ひとつひとつの組織が崩れていくように、マールボロは灰よりも細かく壊れて、どこか別の空間に飛ばされるみたいに跡形もなく消えてしまった。
「便利だよ」




