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「お前は無能だ。家の役にも立とうとしない。――クズだな」
父の低い声が、食堂の空気を冷たく震わせた。
ジーン・アルバントは、テーブルの上に置かれた銀のフォークを見つめたまま、何も言わなかった。
磨き上げられた銀器が、揃いも揃って今の自分よりよほど“役に立っている”とでも言いたげに光っている。
「お父様の言うとおりだわ」
母が細く笑う。
「こんな日が来るのを、どれだけ待ちわびたか。ようやく家からゴミが消えるのね」
「兄様も、僕みたいにちゃんとした能力があればよかったのに」
末の弟が、口元を歪めて笑った。
「……というか、兄様って“能力すらない”んだっけ?」
家族の言葉は、どれも鋭い針のようにジーンの心を刺した。
だが彼は、顔色ひとつ変えなかった。ただひたすら、心の中で数を数えていた。
(七つ目の罵倒。……さて、どんなのがくるかな。)
「黙ってないで何か言ったらどうだ!」
父の怒声がテーブルを揺らす。ナイフがわずかに跳ねて、皿の上で乾いた音を立てた。
「いえ、長々と話していて……お父様、そろそろ“いつもの時間”では?」
ジーンはゆっくりと顔を上げ、にこりと微笑んだ。
その瞬間、家族の空気が一瞬止まった。
「この……!」
父が立ち上がりかけたところを、弟が遮るように言った。
「もういいじゃない。お父様、お母様、こんな出来損ないに構わず、僕に構ってよ。僕、最近また能力ランク上がったんだよ?」
その一言で、父は再び腰を下ろし、手を振った。
「……そうだな。もういい。ジーンは――早く連れていけ」
扉の向こうで控えていた召使いが、小さく頭を下げた。
ジーンは無言で立ち上がり、ゆっくりと一歩、家族の方に近づく。
そして、わざとらしく思い出したように振り返り、にやりと笑った。
「そういえば、最後に言いたいことがありました」
「……なんだ。今さら家にいたいと泣きついても無駄だぞ。お前はもう、“売った”んだからな」
「ご心配なく。戻るつもりなんて一ミリもありません。ただ……お父様、最近香水の種類、変えましたか?」
「……は?」
「いやぁ、複数の女性の香りが混じっていて、なかなかカオスでしたよ。お母様以外の香りがね。……あ、そろそろ“会いに行く時間”ですよね?」
「な、何を――」
「ちょっと、あなた!? どういうことなの!?」
怒声が響く中、ジーンはすでに食堂を後にしていた。
ゆっくりと廊下を歩きながら、背後の混乱を楽しむように小さく笑う。
屋敷の外には、馬車が待っていた。執事のコルソ・バントレアが丁寧に一礼し、扉を開けて言う。
「どうぞ、お乗りください」
屋敷の前には、黒塗りの馬車が待機していた。
ジーンが近づくと、側に立つ老執事――コルソ・バントレアが、恭しく一礼して扉を開ける。
「どうぞ、お乗りくださいませ」
ジーンはその手を軽く無視するようにひらりと乗り込み、深く座席に腰を下ろした。
扉が閉まり、馬車が静かに動き出すと、彼は満足げに小さく笑った。
「いやあ……最高だったわ。まさかあそこまで母様がキレるとはね。あんな顔、なかなか見られない」
隣の席に控えていたコルソが、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……これで、よろしかったのですか? ジーン様」
ジーンは窓の外に視線をやりながら、肩をすくめる。
「どうしたじーや、何か心配事か?」
「アルバント家が怪しい取引をしていることがばれて、新しい雇用先に首にされることか?それなら問題ないちゃんと簡単には首にできないよう、相手とは契約を交わした。」
その言い方は冗談めいていたが、ジーンの目に浮かぶ冷たい光は、確かな計算を物語っていた。
だが、コルソは顔をしかめ、ゆっくりと首を振る。
「……そうではなく。私が案じているのは、あなた様のことです」