第8話 魔法少女、爆弾魔編/前編
モニタールームの時計は12時を回っていた。
ミオとマホポは昼休憩中。
任務も当番もなく、ようやく訪れた静かなひとときだ。
ミオは椅子に体を沈ませ、カップ焼きそばをずるずるすすっていた。
「はぁ〜〜平和って最高……」
『また炭水化物ですか。栄養バランスという概念は……』
「いま、癒やしの時間なんだから水差すの禁止ー!」
『じゃあ、口に含んでる焼きそばを机に飛ばさないでください。モニター壊れたらあなたの給料で弁償です』
「こわっ!?さすがマホポ、上司の圧〜〜!」
そんな、いつも通りのゆるいやりとり。
まるで、いつまでもこの日常が続くかのように思えていた――そのときだった。
ドォォォォンッッ!!!!!!!
突然、空気を引き裂くような爆発音が本部を揺らした。
机が揺れ、窓ガラスがびりびりと震える。
「っっ!?!?」
ミオは思わず椅子ごとひっくり返り、カップ焼きそばを床にまき散らした。本日のお昼タイムが終了した。
「な、なになに!?今の、地震!?違うよね!?爆発!?まって本当に爆発!?!?」
『窓の外を見てください』
マホポの声に促されるまま、ミオはガタガタ震える足で窓際に駆け寄った。
目に映ったのは――
市街地の一角から、黒煙と火花が上がる光景だった。
広がる火災。逃げ惑う人々。
その向こうで、またも小さな爆発が──。
「……っ!! ま、まって、なにこれ……本当にヤバいやつじゃん……っ!!」
直後、本部内に警報が鳴り響く。
《STELLA緊急指令:コード04番、都市爆発災害──現場:第三区ブロック》
《即応可能な魔法少女は、至急出動準備を整え、待機所へ向かってください》
『出番ですね』
「で、出番!?あんな場所に!?いやそりゃそうなんだけどっっ!!」
震える手を止められないまま、ミオは言葉にならない叫びをあげていた。
心臓が早鐘のように鳴っていた。
怖い。怖すぎる。今までの事件とは、明らかにスケールが違う。
でも──
『ミオさん』
ふわりと、マホポがミオの肩に浮かぶ。
『私が全力でサポートします』
ミオはぎゅっと目をつむった。
喉の奥から、「無理」と何度も言いそうになる。
──けれど。
「……行くよ。ビビってても、爆発止まるわけじゃないもん……!」
カップ焼きそばの破片を踏み越えて、ミオは立ち上がる。流石に踏むのは勘弁して欲しいと思った白井だが、今は言うのはやめといた。
震えてるけど、足を止めない。
『……その意気です、“25歳児”さん』
「だからそれ今言うなーーー!!」
泣きそうな顔で叫びながらも、ミオは走り出す。
その姿は、まだ頼りない。でも──
確かに、“前”に進んでいた。
そんな部下の成長に、マホポはその粋だと言わんばかりに飛び跳ねた。
ミオとマホポは、緊急用ゲートで現場に降り立った。
地響きと焼け焦げた空気。耳鳴りするほどの騒音。
叫び声。サイレン。火災の煙が視界を覆い、現場はすでに地獄絵図の様相を呈していた。
「うわっ……っ、なにこれ……っ!!」
息を吸うだけで咽せそうになる。ビルの一部が崩れ、瓦礫の山に変わっている。
そこに倒れた人たちや、負傷者を運ぶ救護班の姿が交錯していた。
『冷静に、ミオさん。目標は被害拡大の防止、そして爆弾がまだ残っているかの確認です』
「そんな……まだ爆弾あるの!?」
『未確認、ですが今のところ、STELLAによれば犯行声明は続いています。今この瞬間も“次”がある可能性は高い』
ぞわりと背中を冷たい汗が伝う。
その時だった。
「避難完了ッ!次、B区画の確認に向かうよ!」
「火元、封鎖完了!被害拡大、止まりました!」
「そこの人、怪我してる!?担架お願いッ!」
混乱の中、的確な指示を飛ばしているひときわ目立つ声が聞こえた。
ミオが目を向けると、そこには──
黄色い装束をまとった、一人の魔法少女の姿があった。
「キララ……!」
現場の指揮をとりながら、傷病者のケア、周囲の安全確保、すべてを最小限の完璧な動きでこなしていく彼女。
迷いのない眼差し、強い声。
その姿はまるで、混沌を制する「戦場の指揮官」のようだった。
「……すご……」
あまりの違いに、ミオは自分が立ち尽くしていることさえ忘れかけていた。
『比較は無意味です。あなたはあなたの仕事を』
「う、うん……わかってる……!」
そう言いながらも、ミオの胸の奥に小さな悔しさと焦りが芽生える。
──キララのようには、できない。
でも。
今、自分にできることをやらなきゃ。
『ミオさん、私は空から逃げ遅れた人が居ないか確認します。あなたに指示を出すので、それに従って下さい』
「了解ッ!」
ミオは深呼吸してから、煙の中に駆け出した。
怖くても、まだ頼りなくても。自分の役目を果たすために。
その姿を、キララが一瞬だけ横目で見ていた。
──だが、その眼差しは、どこか冷たかった。
「……白井さん」
彼女の口元が、わずかに歪む。
その背後で、さらなる爆発の予兆が、確かに蠢いていた──。
『ミオさん、こちらマホポ。上空より全域スキャン完了。北側路地裏に避難が遅れている市民を確認。大人3名、子ども1名。瓦礫の陰です』
「了解っ!」
ミオは無線に返事し、目の前の救護班に手を振った。
「こっちのルート、通れます!後方に子どもがいるって!」
「助かる!」
煙の中、叫ぶようにして情報を伝えていく。咳き込むのをこらえながら、必死に駆ける。
『次、西側非常階段に高齢者1名、屋上へ向かっています。転落のリスクあり』
「……っ、まってて!今行くから!」
足場の悪い瓦礫の上を踏みしめながら、ミオは走った。
恐怖は、消えていない。息は上がり、足も震えている。
でも、それでも、止まらなかった。
マホポの上空支援と、ミオの必死の誘導により──
散発的だった避難が、徐々にまとまり始める。
救護班も連携を取り、避難ルートが整理され、混乱の渦の中に一筋の秩序が生まれつつあった。
だが。
──その一瞬だった。
ドゴォォォン!!!!!!!
空が、破裂するような音とともに赤く染まった。
炎と衝撃波が、近くの建物を巻き込んで爆ぜた。
「っっ!?また爆発ッ!?」
ミオは地面に伏せながら、飛び散る瓦礫から身を守った。
悲鳴が響く。
誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが助けを求めていた。
いつも静かな指令塔では怒声が聞こえる勢いの忙しさだった。
STELLAの画面が一段と赤く染まり、緊急アラートが表示される。
《現在の爆発、地下ガス管を通じての遠隔起爆と推測。現場の安全が再度失われました──》
『……っ、状況が悪化しました。これ以上の爆発があれば、救護活動は継続不可能になります』
「そんな……!」
そのときだった。
どこからともなく、聞こえてきた。
「……ねぇ、まだ爆発してるの、おかしく無いか…」
それは、不安に満ちた青年の声だった。
「魔法少女いるのに……止められないの……?」
怖さで泣きじゃくる子供の声。
「何のために来たの……?」
そして我が子を抱きしめる母の声だった。
静かに、でも確かに。
人々の中から、次々と“声”が上がり始める。
「魔法少女なんでしょ……?」
「魔法で、爆弾、消せばいいじゃん……」
「……無理なら、最初から来ないでよ……」
もう誰が何を言っているのか分からない程のその言葉に、ミオの足が止まる。
まるで胸を刺すような感情が、押し寄せてくる。
「……っ」
たしかに、“魔法少女”だ。
制服を着て、マスコットがいて、魔法が使えると信じられている。
でも──現実には違う。
この世界に魔法なんて夢は存在しない。
爆弾を魔法で消すなんて、できない。
怪我を瞬時に治すなんて、できない。
それはただの幻想。
ミオは、俯いたまま拳を握った。
歯を食いしばる。心が揺れる。
──あのときの自分みたいだ。
ただ“魔法少女”って言葉に、都合のいい期待を重ねてた。そして真実を知ったあの日。私は…
『ミオさん』
マホポの声が、静かに響いた。
『あなたは、嘘をついてるわけじゃない。けれど、現実は優しくない。幻想を壊された人々は、きっとあなたを責めるでしょう』
「……うん、わかってる」
それでも。
ミオは顔を上げる。
「でも──私は、嘘を演じきる」
「“魔法少女”だから。期待されるなら、応えなきゃって思うもん……」
“魔法なんて無い”現実の中で、
それでも希望のふりをして、誰かを助ける。
その意味を、少しずつミオは掴み始めていた。
その瞬間──また、遠くで誰かの悲鳴が上がる。
ミオは走った。
誰よりも“怖がり”で、誰よりも“普通”なまま。
けれど、確かに。
その背中は、誰かのヒーローだった。
白井はマホポが出せる最大出力を駆使して、現場のサーチを続けていた。
その他にも付近の監視カメラの過去の映像や、近くを通った車に取り付けられていた車内カメラに至るまで、全ての情報を収集している。
そんな時、一つの映像に目が止まる。
白井の目が、監視映像の一コマで止まった。
「……止めて。そこ、巻き戻して──ストップ」
市街地の歩道に、ひとりの男女の判別がつきにくい人物が立っていた。
キャップを目深に被り、服装は地味なパーカーにジーンズ。よく見れば、肩から下げたトートバッグが重そうに揺れている。
その人物は、辺りを気にする様子もなく、歩道脇のベンチに腰を下ろした。
数分間──スマホをいじっているような素振り。
ジュースを飲み、あくびをして、何気なく立ち上がる。
そして──
トートバッグをそのまま、ベンチに置いていった。
忘れたかのように。
何もなかったかのように、そのまま人波に紛れて去っていく。
白井の手が止まる。
「……このバッグ……」
映像のタイムスタンプが少し進む。
そして、次の瞬間──
爆発。
トートバッグを中心に、炎と破片が四方に撒き散らされた。
「見つけた…」
白井は無言で立ち上がる。背筋が寒くなるような、冷たい震えが背を這った。
マホポを通して、現場にいる隊員全員に通達が行く。
『犯人の特徴と動線、全記録を送信します』
爆発は計画的に、冷静に、“普通”の顔をして仕組まれた──本当に、まるでただの通行人のように。
日常に溶け込んで起こったのだ。
そして、もう一つの事実が浮かび上がる。
──この爆破犯は、まだ近くにいる。
何故なら爆発までの時間が10分も無い。
そしてこの辺りの交通は乏しい方で、自転車の使用も禁止されているエリアだ。
なら、この爆弾魔は、現場にいる事になる。
逃げ惑う人々を見て、喜んでいるのだろうか。
自分も巻き込まれてしまうかもしれないのに、
そうして監視カメラの分析によって浮かび上がった、
優しそうな、気弱そうな顔をした青年の写真を、捜査員たちに一斉送信した。