第6話 マホポ、ハラスメント案件
白井は、操作端末の前で腕を組みながら静かに頭を抱えていた。
モニターには、自分の操作するロボット――マホポの視点。
そこに映るのは、マホポのことを馬鹿力を発揮し、決して離さない自分の部下であるはずの霧島ミオである。
これは由々しき事態だ。
「……まずい。非常に、まずい……」
白井は椅子から立ち上がり、部屋をぐるぐる歩き始めた。
落ち着け、冷静になれ、自分は冷静……いや無理だ。 なにがどうしてこうなった!?
霧島ミオにマホポが“連れ込まれてしまった”あたりから、嫌な予感はしていた。
だがそれがこうも長引くとは。
白井はもはや、遠隔で自らのアバターが“人質”にされるという、何故か監禁を受けている感覚だった。
なにが問題かと言えば、霧島ミオが上司である私の言葉をまったく聞いていない点である。
“マホポ”というマスコットボディを通されてしまったせいで、こちらの言動が、まるであまり懐いてないペットとして処理されている節がある。
『…いいですか、私は白井です。あなたの上司です』
「マホポってば固いな~。 でもそこが可愛いよね!」
『いやあの、確かにその場にあるのはマホポですが、上司です。中身は私です…どうか解放して下さい』
声が震えていた。マホポ越しに、白井の魂の叫びがスピーカーから滲み出ていた。
が、やはり手応えはない。
しかも、事態をややこしくしているのがマホポそのものである。
マホポには監視カメラやその他諸々の機能が搭載されおり、そんな物を放置して離れるわけにはいかない。
さらにマホポは精密機器。指定の場所以外での電源オフは原則禁止だった。
「……まさか自分のロボを人質に取られる日が来るとはな……」
白井は、タブレットを握る手にじんわりと汗を感じた。
自分は何もしていない。していないはずだ。だが…
“部下の部屋に入り浸る上司”
という社会的に破滅的な構図が、マホポ越しに成立してしまっている。
しかもその上司は部下に「もっと一緒にいて〜」と抱きつかれている。
終わった。完全に終わった。
もしこの映像ログが何らかのトラブルで記録として残され、誤って共有でもされようものなら、
明日には組織内掲示板に「白井、マスコットでセクハラ疑惑浮上」の見出しが躍る。
いやもう最悪「部下を騙す外道」とか「新しい形の上司パワハラ」みたいなタグが付きかねない。
「いや違う、違うんだ……これはそういうんじゃない……ッ!」
必死に否定しながら、白井はさらに頭を抱えた。
このままでは社会的に死ぬ。間違いなく死ぬ。胃も死ぬしメンタルも死ぬ。
マホポのボディに搭載された広角カメラは、正確に映像を白井に転送し続けていた。
…だから白井は、見ることができた。
マホポが部下にぎゅっと抱きしめられ、ナデられ、
膝にのせられながら「よしよし」されているという地獄絵図を。
「――ッ!!???」
その瞬間、白井の背筋が凍った。
手元のタブレットに映し出された光景は、もはやハラスメントどころの騒ぎではない。
これは事故だ。事故だけど…いや、だからこそタチが悪い!
『な、なぜそこまでする……!?』
思わず声が漏れる。
「マホポ~、ほんと可愛いな~!」
『あっ、そこ撫でないで、あああっそこはセンサがっ!!!』
ブチっ…
白井の声は届かない。スピーカーは無効化されていた。ミオがスイッチを切ったのだ。
この子は何でこう、トラブルばかりを起こすのだろうか。
これで白井は、「叫べない観察者」になった。
しかも、マホポのカメラは容赦なく“生中継”を続けてくる。
映像が鮮明であればあるほど、白井の羞恥は鮮明だった。
「……っ……うああああああ……!!!」
タブレットを伏せて顔を覆う。が、遅い。脳裏の記憶に焼き付いた。
「マホポは…私だぞ……私なのに……なんでこんな……可愛がられて……!何回も説明してるのに…!!」
白井は床に転がってじたばたした。
深夜の指令等、椅子から転げ落ちる中間管理職。誰にも見せられない姿だった。
「何がぎゅーってしよですかっ! こっちは羞恥で胃が爆発する寸前なんですが!!」
それでも、ミオは無邪気にマホポの頬をぷにぷにしていた。
「ふふ、やっぱマホポって落ち着くな~」
落ち着くわけがない。こっちは今この映像だけで胃が崩壊しそうだった。
白井の絶叫は、誰にも届かない。
「ふふ、マホポったら……なんでそんなにソワソワしてるの? もう~、落ち着きなよ~」
そんな白井の事など知らず、ミオが楽しそうにマホポの頭をなでながら、笑みを浮かべる。
白井にはその笑顔がもはや悪魔に見えていた。
白井の脳裏に走馬灯のように浮かぶのは、マホポが何故か生身の自分に置き換えられ、
“部下の膝に座る自分“
“ナデナデされる自分“
“抱きつかれている自分“
このままじゃ社会的にも精神的にも詰む……!!
何か策は無いだろうか…
ふと、視界の片隅――。
マホポの広角カメラに、開いたままの窓が映り込んだ。
いける……ッ!!!
白井は思わずコントロール端末を握り直し、かつてない手捌きでマホポを動かし、激しく抵抗する。
「マホポ~? あれ? なんか動きが変……あ、だめだよ、立っちゃ――」
ヒュッッ!!
マホポが突如、ミオの膝から飛び跳ねる!
「えっ!?」
驚くミオのスキを突き、クッションを踏み台に――
ポンッ!!
マホポは、開いていた窓枠にダイブ!
「あ――ッ!?」
ミオの声が背後で響くが、もう遅い。
マホポは…というか白井は、空中で一瞬の自由を感じながら、狭いベランダに無事着地した。
「……っはぁっ……! 成功……した……!!!」
コントロール室の白井は、まるで脱獄犯のように額を押さえて荒い息をつく。
その瞬間、白井の耳に入ったのは――
「……え~~!? マホポ逃げちゃったぁ……!?」
ミオの、悲しそうな声。
しかしそんなの知ったことでは無い。
いまは自分の胃と時間外労働の更新状態の方が大切である。
頼むから追ってくるな……いや、こっちは被害者なんだぞ……!!
白井はマホポの小さな足や羽をせっせと動かしながら、建物の外壁に沿って移動を開始する。
これ以上の接触は、上司としても人格としても危険すぎる。
よし……この勝負…今日のところは私の勝ちだ。
白井は己の勝利を確信し、ようやく帰宅準備を開始することが出来た。
そして今夜もひっそりと、白井のPCには「霧島ミオ・業務上過失集」が更新されていった。
しかし白井はまだ知らない。
この拉致事件は序盤に過ぎなかったことを。
マホポ拉致事件の翌日。
今日は通常任務だ。
白井ことマホポは、いつもの集合場所で空中にぷかぷか浮かびながら、腕(?)を組んでいた。
だが、待てど暮らせど来るはずの相棒――
25歳児ことミオの姿が、どこにもない。
『……遅いですね』
腕時計を見ても、約束の時間はとうに過ぎている。
『……まさか、寝坊?』
ありうる。
なんなら、想定内である。あの子供の様な部下ならやりかねない。呆れたものだ…
やれやれ、と羽根を一振りし、マホポは社員寮へと向かった。別に心配だからではない。義務である。
ピンポーン、とクチバシで部屋のチャイムを鳴らす。
ガチャ。
勢いよく扉が開いた――
その次の瞬間、彼の小さな体にポカポカパンチが降り注いだ。
「マホポのバカー!!」
『ちょっ、何するんですか!? 壊れたらどうしてくれるんです!?』
「めっちゃ昨日の人に見られてたんじゃん!!監視カメラ、あるなら言ってよぉ!!」
ミオは涙目で抗議する。
廊下で挨拶した職員に顔を見られた瞬間吐き出されて笑われたミオの羞恥心は計り知れなかった。
『……廊下の人の目だけで、十分かと』
マホポは目を逸らしながら、棒読みで言った。
完全に嘘である。
いや、嘘というか…
確信犯である。
ほんとは全部、知っていた。
廊下の監視カメラの角度も、記録状況も、誰がその担当かまで。
だが白井は言わなかった。
なぜならば…
ムカついていたからである。
ぐずるわ、泣くわ、離さないわ。
おかげで時間外労働がダラダラ延長。短い廊下を、謎に低速で歩き続けるハメになったのだ。
普通にイライラしたため、わざと黙っていた。
ちなみに後悔はしていない。
「もうダメだぁ……私、今日から“泣きながらマスコットにしがみつく魔法少女”ってあだ名になってる……」
『自意識過剰ですよ。そんな長いあだ名、誰も覚えません』
「私もう、社員食堂行けない……トイレも廊下に出るの怖い……もうこの部屋でひっそり暮らす……」
『どうぞご自由に。ゴミだけは毎週火曜に出して下さい。そんなことよりも早く。遅刻になりますよ』
ズル……ズル……とスリッパ音を響かせながら、ミオは引きづられていく。
その姿は連行されているようであった。
エレベーターの中、まだぶつぶつ言っている彼女に、マホポは一言。
『ところで現地にも監視カメラありますけど、気にします?』
「嫌だぁあああああ!!!」
平和な朝を引き裂く悲鳴が、社員寮にこだました。