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見知らぬエレベーターに乗って(キャラ紹介画像アリ)

挿絵(By みてみん)


「――夜香ちゃんはさぁ、今まで何人くらいと付き合ったの?」



 起き抜けにシリアルをもぐもぐ食べている朝奈に訊かれて、夜香は眉を上げた。

 今日もこのバー【追憶の砂時計】には、相変わらず外の光が差さない。

 橙色の照明が照らす店内にあって、バーカウンターに肘をついて夜香は答えた。



「忘れたわ……。そんなの、いちいち覚えてられないわよ。名前も忘れた奴もいるくらいだわ」


「え、マジ? 数えきれないくらい付き合ったことあるの?」


 目を丸くした朝奈が、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げる。

 夜香は肩をすくめた。


「それでも、昼恵ちゃんには敵わないわ」


「えーっ? 昼恵ちゃん、そうなの?」


 また驚いて、朝奈がカウンターの向こうで朝ご飯を食べている昼恵に訊く。

 ほかほか湯気を立てている炊き込みご飯を頬張って、昼恵がおっとりと頷く。


「そうねえ。でも、わたしは付き合った人の名前は覚えてるわよ」


「はぁ……。凄え……」


 大きくため息をついて、朝奈が(ほお)(づえ)をつく。

 朝奈はずっと長い片思いを温めていて、まだ、異性と付き合ったことがないのだ。


「まあ、そんなの遠い記憶過ぎて、凄いも何もないけどね……」


 言って、夜香はコーヒーを啜った。

 今日の深煎りの豆は苦みが強く、刺激的で美味だ。


 ……今、朝奈に話した通り、夜香は以前、恋をしていた気がする。


 いい恋も、悪い恋もあった。


 片思い専門の朝奈だって、恋多き女の昼恵だって、そうだったはずだ。


 なのに、それが何時(いつ)何処(どこ)でだったかというと――、判然としない。

 その頃、夜香達三姉妹が、外の世界へ出られていたかどうかすらも。


 ふと見れば、牛乳をかけたばかりのシリアルのさくさくとした食感を楽しんでいた朝奈は、今は牛乳を吸ってすっかりふにゃふにゃになったそれを口の中で噛み締めている。


「元気いっぱい若さ溢れるさくさくシリアル君も美味しいけどぉ、牛乳に浸りきってくたびれた老体シリアルさんも、これはこれで旨いんだよなあぁ……」


 朝奈は、〆にはシリアルの糖分をたっぷり含んだ温まった牛乳をぐいぐい飲むのだ。

 そういえば、ケーキフィルムについた生クリームもフォークで丁寧にこそげ取って舐めるし、アイスクリームのカップもスプーンでくりくり器用に削り取る。


 このバー【追憶の砂時計】にあっては、看板娘の朝奈はやりたい放題だ。


「……ん? 夜香ちゃんもこのシリアル後に残った〆の牛乳飲むぅ? あたしと間接キスになっちゃうけどぉー!」


「飲まんわ……」


 ひらひら手を振って朝奈をあしらうと、そこで、エレベーターの降下を告げるランプが灯った。


 ――客が来るのだ。




 ++ ♢ ++




「あー……。寝坊しちゃったかも」


 エレベーターの格子に背中を預けて、【佐々木史帆(ささきしほ)】は(ひと)(ごと)を呟いた。

 今日は何か予定があった気がするのだが……、いまいち判然としない。


 まあ、この乗り気じゃない感じだと、たぶんバイトのシフトが入っているのだろう。


「そろそろ新しいバイトに切り替えようかなあ……。……つーかあたし、何でスーパーのバイトとかやっちゃってんの?」


 大学を何とか無事卒業して新卒採用された企業を一年持たずに辞めて、早数か月。

 相性の悪い職場環境に疲弊した心身復調のため、家から近い、的な気の迷いで地元のスーパーのバイトに応募してしまったのだが――……。

 バイト仲間やパートさんの年齢層は史帆の両親や祖父母世代で、何とも(しお)れた働き先なのだ。


 もちろん、出会いなんか一切ない。


 時給、業務内容、同僚、立地、すべてにおいて、枯れ切っている。


 ……のだが、何としたことか、参ったことに、職場の同僚は――皆いい人で優しいのだ。

 人間関係でのストレスフリーは史帆としてもかなり大きくて、なかなか辞めるきっかけが掴めずにいる。


 人手不足で、昔話に出てくる善いババアかよってくらいに親切ないつも大福をくれるお婆ちゃんパートさんが、ひいひい言いながら店長の顔を立ててシフトに入っているのも……、辞めにくい要因だ。

 ちなみに彼女の口癖は、


『史帆ちゃん、ここに飽きたらいつでも辞めていいんだからね。若いんだから、もっと華やかな職場があるでしょう』


 ……である。


 おいおい、ますます辞めにくいじゃねーか。

 ……好きだけどよ。大福婆ちゃん。


 仕事はもうすっかり慣れて楽勝なのだが、いつの間にか史帆はバイト先で主力になっていて……ああ腹立たしい。

 あたら若い青春を無駄に消費している気しかしない。


 怠くて堪まらないのだが、史帆がいないと職場がまわらない気がして、ちょっとばかりの遅刻はしても、これまで欠勤はしたことがない。


 はあぁぁ……と大きなため息を吐いて、史帆は肩をすくめた。


「あー……。彼氏欲しいなあ……」


 そう呟いてみてから、ふと史帆は気がついた。

 そういえば、前にもこんな風に猛烈に彼氏が欲しい時期があった。


 恋に恋していた……あれは、史帆がまだ、高校生になったばかりの頃だっただろうか――。



 と、そこで、乗っていたエレベーターが、ガタガタと大げさな音を立てて止まる。


 たどり着いたフロアは――、どうやら、どこかのビルの地下に店舗を構えているバーのようだった。

 柔らかな暖色の照明が照らす店内には、三人の女が見える。


「――いらっしゃいませぇ! おぉ、今日は若いお客さんだ!」


 いかにもわくわくしている顔で、三人の中で一番若い女が史帆の側へと歩み寄ってくる。


「お客さぁーん、とりあえず席どうぞ! お腹は空いてますかぁ⁉」


 やたらとテンションが高い接客だ――と思ったら、彼女に息を合わせたようにお腹がぐうと鳴る。

 なぜだか戸惑いもないまま、常連客のような顔で、史帆はカウンターに座ったのだった……。



 ♢ 〇 ♢



「――まあ。史帆ちゃんは、今はバイトしながら転職活動してるのね。大変じゃない?」


 カウンターの横に座った、三人の中で一番年長らしい昼恵という女に訊かれ、史帆は曖昧に肩をすくめた。


「そうなんですかねえ。新卒で勤めた会社を辞めてから、気持ちが滅入っていろんなことにやる気が出なくて。……もしかすると、こうやってぷらぷらフリーターやって、現実逃避してるのかも」


 ……今日初めて会う人達相手だ。


 普段の史帆ならもう少しいい子ぶったことを言いそうなものなのに……、なぜだろう? 気がついたら、史帆は心の中にある自分の本音をさらりと口にしていた。


「まあ、現実ってのは厳し過ぎるくらいに厳しいもんだからね。モラトリアムしてたい気持ち、わかるわ。……あたし達だって、永遠のモラトリアムをしてるのかもしれないし」


 カウンターの向こうのキッチンに立った夜香が、何か料理しながら相槌(あいづち)を打ってくれる。


 ……さっきから、ニンニクとオリーブオイルのいい香りが漂ってきていた。


 くうぅっと、またお腹が鳴る。

 史帆は、このガーリック系の香気と味つけが大好きなのだ。


「おぉー、旨そー!」


 嬉しそうに、昼恵とは反対に座った朝奈が、おつまみができるのを待っている。

 やがて、ガーリックをバキバキに利かせたアヒージョと、美味しそうなバケットがカウンターに並んだ。

 ぐつぐつ油が煮え滾る鉄製の小鍋に、いい色に揚がったシュリンプに色鮮やかなブロッコリー、ニンニクに鷹の爪、それからマッシュルームがまだパチパチと白い泡を立てている。


「かんぱーい!」


 誰がオーダーするでもなく注がれたビールグラスを片手に、史帆は熱々のアヒージョを頬張った。

 舌が焼けるほどに熱くて、涙が滲む。

 史帆は慌てて、大好きなビールを喉に流し込んだ。


「はぁぁ……! うんまっ!」


「鷹の爪、利いてるねえ~!」


 ビールの白い泡を唇の上につけて、朝奈が感嘆する。

 まだ忙しなく動いている夜香が、今度は新じゃがいものバター炒めを出してきた。……もちろんまた、ガーリックをガンガン放り込んだやつだ。


「夜香ちゃんったら、ニンニク何個使ったの? これじゃ、明日はお出かけできないじゃない」


 にこにこしながら、昼恵が、バターの豊潤な風味が染み込んだ新じゃがを美味しそうに堪能している。


「いいでしょうよ。あたし達、どうせ外には出られないんだし」


「……?」


 夜香の返事に首を傾げて顔を上げると、彼女は一度調理の手を休め、カウンターの向こう側に座ってビールグラスを傾けていた。

 しかし、夜香はそれ以上は説明せずに、史帆に訊いた。


「それで……。史帆ちゃんは、何を話しに来たの?」


「えっ?」


 目を瞬いた史帆に、朝奈が懇切丁寧に教えてくれる。


「我らがこのバー【追憶の砂時計】はですねえ、誰かに聞いてもらいたい話がある人が来るんですよ。……ね、史帆ちゃん、何かあるんじゃない? 何でも言ってってよ。ここにはあたし達しかいないしさっ」


 朝奈に明るく促されて、史帆は小首を傾げた。

 話したいこと……。

 何かあっただろうか?



 ふと目をやると、バーカウンターに置かれた大ぶりな砂時計のオブジェが、光を強め始めたような気がした。



(……砂の粒が、光ってる……?)



 ……やっぱりそうだ。

 さらさらと音もなく落ちる砂粒が、(ほの)かに光を放っているのだ。

 反対に、店内を照らす淡い橙色(だいだいいろ)の間接照明は、ゆっくりと明かりを弱めていく。



 落ちていく砂粒一つ一つを眺めるうちに――、史帆の心の奥底で、まだ鈍く痛みとなってくすぶっている、〈初恋〉の思い出が蘇っていく。



 気がつけば、あの頃親友と(かよ)ったカラオケでよく歌っていた、懐かしいJPOPがどこからか流れていた。



 砂時計の中で落ちていく砂粒に、史帆の〈あの頃〉が映し出されていく。



 当時の史帆はそう、まだ高校生になったばかりで――……。


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