第二章:城壁の古都、オブリッド
音、理解できない声。頭の中では少しずつ意識が戻りつつあったが、周りの状況はまだ把握できなかった。
「クシュ……んん……グズ……」
目を開けようとしても、どうしても開かない。体もまるで自分のものではないかのように感じた。
「エシュジュ……ビェク……?」
何を言っているんだ?
その瞬間、以前の出来事が頭をよぎり、少しだけ落ち着いた。もしアラタが一緒にいるなら、おそらく心配する必要はないだろう。
わかった、また意識を失っていたんだな。
ちょっと待てよ……それっておかしくないか? 考えているのに、なぜ何も見えないんだ? まるで真っ暗闇に包まれているみたいだ。
心が少し落ち着きかけたとき、ある記憶が強く頭をよぎった。それは最近の、忘れようとしていたぼんやりとした記憶だった。
すぐに呼吸が荒くなり、恐怖が襲ってきた。また同じ目に遭うのではないかという恐怖。
おいおい……また死んだなんて言わないでくれよ。
あの神様はどこだ? また俺をからかっているのか?
先ほどの音は消え、不気味な静寂が広がった。
これはいったい何なんだ?
「そろそろ目を開けるかな?」
「もう少し待って。薬草の効果だと思うから。」
二人の声が落ち着いたトーンで会話していた。声は遠くではなく、むしろ近くから聞こえていた。
ああ、聞こえる……はっきりと。ということは、また死んじゃいないんだな? でも、なぜ体が動かないんだ?
「ちょっと試してみるね。」と、そのうちの一人が言った。
かすかな鈴の音が空気中に響き渡った。まるで小さなクリスタルが踊っているかのようで、一つ一つの音が純粋で調和していた。遠くの鐘の音や、魔法がかかったガラスの破片が触れ合うような、優しい音だった。
その音とともに、今まで感じたことのない温かさが広がった。周りの暗闇も少し明るくなったような気がした。
この感覚……変だけど、なんだか安心する。まるで全ての心配が消えていくみたいだ。
音の風はゆっくりと消え、一時的に感じた安らぎも一緒に去っていった。
「ねえ、さっきのはもしかして……?」
「うん、魔法を使ったの。」
失っていた感覚が戻ってきた。ついに目を開け、体を動かすことができた。
ゆっくりと、苦労しながら起き上がり、地面に座った。視界はまだぼやけていたが、目の前に立つ二人の姿を何とか認識できた。
「うぐっ……」と、うめき声を上げた。
大丈夫そうではあったが、以前の戦いの後遺症はまだ残っており、痛みはかなり軽減されていたものの、体は重かった。
「気分はどう?」と、そのうちの一人が尋ねた。その声は、もう聞き覚えがあった。
視界が徐々にクリアになるにつれ、その姿もはっきりしてきた。心が安らぐのを感じた。
「アラタ?」
「ああ、俺だ。目を覚ましてくれてよかった。何時間も寝てたぞ。」
「何時間も?」
ダイキはゆっくりと体を伸ばし、手足の緊張がほぐれていくのを感じた。
周りを見回すと、自分がどこにいるのかさらに混乱した。そして、目の前に座っている少女に気づいた。
蜂蜜色の瞳が、丸いガラスの向こうから彼を見つめていた。茶色の前髪が、魔法使いのような奇妙な帽子からはみ出していた。
「かわいいな。」
少女は眉を上げ、明らかに驚いた表情で彼を見つめた。アラタも同じように、言葉を失っているようだった。
彼は無意識にその言葉を口にしていた。
あっ! バカだな!
彼は顔を背け、まるでその状況に直面することを拒否するかのように、明らかに赤くなった。
少女は軽く笑い、不快というよりはむしろ面白がっているようだった。
「気分はどう?」と、彼女が尋ねた。
「うーん。多分大丈夫だと思う。体が少し痛いけど、動けるよ。」と、喉を鳴らしながら答えた。声を太くしようとしているかのようだった。
「それはよかった。つまり、効いたってことね。」
「効いた?」と、彼は混乱しながら尋ねた。
少女は地面から立ち上がり、彼らの前にある部屋の方へゆっくりと歩いていった。
「ちょっと待っててね。」
ダイキは興味深そうに周りを見回した。一見すると、ここは古い図書館のようだった。
外は夜だったが、そばにある松明の薄明かりが、周りに並ぶ膨大な量の本棚を照らしていた。彼らが座っている場所は、まるで長い間訪れる者を待っていたかのような、図書館の入り口の受付のように見えた。
「ここはどこだ?」と、彼は尋ねた。
「まあ、何か忘れ去られた図書館みたいなものだと思う。彼女が君をここに連れてきたんだ。正確に言うと、俺が君をここまで運んだんだけど、目を覚ました後にね。」
「目を覚ましたってどういうこと?」
アラタは話を続ける前に、顎を手のひらに乗せて姿勢を整えた。
「君は俺より先に気を失ったから覚えてないだろうけど、彼女が俺を助けてくれたんだ。目を開けたとき、俺は彼女の膝の上に横たわっていた。その後、彼女は君を治すために彼女の家に行こうと言ったから、俺が君をここまで運んだんだ。でも、ここは家って感じじゃないな。」
「おい、早すぎるだろ。まだデートもしてないのに、もう膝枕とか。最低でもあと4回はデートしないとそんなことしないぞ。」
アラタは友人の発言に驚いて飛び起きた。
「バカ! そういうことじゃない!」と、彼は指をさして叫んだが、頬の赤みが彼の本当の気持ちを露わにしていた。
ダイキは彼の反応を見て大笑いした。いつものことだったが、直接見るとなおさら面白かった。
「ふん、まあいい。とにかく、今はそんなことどうでもいい。聞いてくれ、君が意識を失っている間、彼女は魔法を使ったんだ。それが何を意味するか、わかるだろ?」
「まあ、君が理論を確認するのに時間がかかったな。俺はあの神様と話して森に現れた時点で確認済みだよ。俺の視点からすれば、その証拠で十分だ。」と、ダイキは答えた。
アラタは一瞬イライラした表情で彼を見たが、すぐに落ち着いて言葉を飲み込んだ。
「ああ、そうだな。でも、早合点はしたくなかったんだ。まだ早すぎると思ったけど、これで確信した。じゃあ、どうやって魔法を使えるようになるんだ?」
アラタはダイキよりも理性的だったが、根はオタクだった。魔法を見たことで、興奮と好奇心が彼を内側からむしばんでいた。
「まだそれを考えるのは早いよ、アラタ。はは……」
「マナはこの手のアニメでは魔法の源だ。それに、異世界に召喚されたキャラクターは大抵チート能力を持ってる。つまり、俺たちも強大な力を持っているはずだ。ただ、それが何なのかを探さないといけない。あと、理論的には超人的な力も持ってるはずだ。まだ能力を発見してないだけか、もしかしたら俺たちの場合は違うのかもしれない。もしかしたら、最初は平凡な能力でも、旅を続けるうちに真の力を発揮するのかもしれない。そして、俺たちの目的は間違いなく、この世界に問題を起こしている魔王を倒すことだ。そのためには、魔王の城まで旅をしながら、配下の将軍たちを倒していかないといけない。ドラゴンも出てくるだろうな。エルフやドワーフもいるはずだ。もちろん、王都にも行かないと。そこにはあらゆる種族が集まっている。同じようなアニメを何千回も見てきた。できるだけ早く行かないと。聞いてるか、ダイキ?」
「え?」
ダイキは眠っていた。
「おい、バカ!」
「ああ! どうした!?」
「もういい……」と、アラタは顔を手で覆い、ため息をついた。
「こんにちは、お待たせしました。ちょっと隠れてたみたいです。」
奇妙な少女が戻ってきた。今度は大きな毛布を二枚持っており、それを彼らの前に置いた。
「行くところはないんですよね?」
ダイキとアラタは彼女を見て、同時に答えた。
「ああ、ないよ。」
「それなら、ここにいてもいいですよ。スペースはたくさんありますから。」
二人の若者は互いを見つめた。それだけで、彼らは何かを理解し、同意した。
この状況では、このチャンスを逃すわけにはいかない。
夜中に他の場所を見つけられる保証はないし、命の危険がない場所なんてどこにもないだろう。
「お願いします。」
その返事は速く、少女にとっては予想外だった。
「本当に?」と、彼女は信じられないという表情で尋ねた。
ダイキは立ち上がった。
「もちろん、提案が本気じゃなかったのか? こんなに親切な申し出を断る理由はないよ。」
彼女が俺たちを寝首をかきに来るつもりじゃないよな……?
少女は信じられないという表情で彼を見つめ、数秒後に笑い出した。
「まあ、あなたたちは変な人たちですね。」
ダイキとアラタは困惑しながら彼女を見つめた。
何かおかしなこと言ったか? と彼らは思った。
「ごめんなさい、ただここではこんな風に助けを受け入れる人は珍しいんです。私も似たような状況の人を助けようとしたことがあるんですが、みんな私の助けを拒むんです。悪意があると思われてるんでしょうね。」
「え? 本当に?」と、ダイキが尋ねた。
「じゃあ、あの人たちはバカか何かだな。君からは何も危険を感じないよ。」
「ダイキ!」と、アラタは叫んだ。まるで彼を叱りつけようとしているかのようだった。
「礼儀くらいわきまえろよ。女の子の前だぞ。」
「何が悪いんだ?」
「お前のマナーだよ、バカ!」
アラタは肩を落とし、降参のサインを送った。
「悪かった。」
少女は唇を手で覆いながら、くすくす笑っていた。
「大丈夫です。本当に、あなたたちはとても面白いですね。それに、ここら辺の人じゃないみたいです。どこから来たんですか?」
「日本から来ました。」と、ダイキは胸を張って答えた。
アラタはゆっくりとまばたきをし、魂の一部が体から抜けていくのを感じた。
本当に信じられない……こんなバカなやつと一緒にいるなんて……!
彼はダイキを見つめ、次に少女を見つめ、そして再びダイキを見つめた。
いつから俺はこんなバカの面倒を見るようになったんだ?
「あの……えっと……」
少女は指を唇に当て、数秒間考え込んだ。
「その場所は聞いたことがないですね。ディメリアのどこにあるんですか? それとも別の王国からですか?」
そりゃあ、聞いたことないよな……。
「ああ、すごく遠いところだよ! すごく遠い王国なんだ!」と、アラタは急いで説明した。
「なるほど、じゃあ別の大陸から来たんですね。」
少女はその説明を何の抵抗もなく受け入れた。それなりに説得力があったからだ。
「ああ、そうだよ……」と、アラタは安堵のため息をつき、ダイキに睨みつけた。
「何か間違ったこと言ったか?」
「後で話そう……」
ダイキは困惑しながらまばたきをしたが、アラタの反応を無視することにした。代わりに、目の前の少女に注目し、先ほどと同じ自信を持って尋ねた。
「ところで、君の名前は?」
「あっ、ごめんなさい! 私の名前はリンです。苗字はないので、リンって呼んでください。あなたたちは?」
ダイキは一歩前に出て、胸に手を当てた。
「正式に自己紹介させてください!」と、彼は声を整えてから、大げさにフォーマルなトーンで続けた。
ここは俺の見せ場だ。騎士にふさわしい、最も壮大な自己紹介をしなければ。
「俺の名前は田中ダイキ。さすらいの旅人で、遠い地からの騎士だ。」
彼はドラマチックな間を置き、まるで拍手を待っているかのようだった。しかし、返ってきたのは少女の困惑した沈黙と、アラタの深いため息だけだった。
「……そして、俺は宮崎アラタだ。」と、アラタは腕を組んで付け加えた。
少女は困ったように笑い、少し首を傾げた。
「すごく珍しい名前ですね。それに、アクセントもここら辺の人とは違うみたいです。もっとあなたたちのことを知りたいですが、きっと疲れているでしょう。」
「俺もだ。」と、アラタは呟いた。
リンはその場を去り、部屋の方へ歩いていったが、入る前に立ち止まった。
「必要なだけここにいてください。どうぞ、気を遣わないで。ここは安全ですから。」
リンは少しふらつきながら部屋に入り、こめかみを優しく揉んだ。疲れたようにため息をつき、頭を軽く振って気を引き締めようとした。
「また明日。おやすみなさい。」と、彼女は言い、部屋に消えた。
二人の若者は毛布を取り、床に横たわった。木の床は彼らの体重で軋んだ。
この新しい世界に来て初めて、少しだけ警戒を解くことができた。
「なんて日だ……」と、ダイキは大きくため息をついた。
「彼女を信じていいんだよな、アラタ? 彼女はいい人だと思う。とても親切そうだ。」
「……」
「アラタ?」
ダイキは彼の方に体を向け、返事を待ったが、返事はなかった。アラタはすでに深い眠りに落ちており、少しだけいびきをかき始めていた。
「先に寝ちまったか。」
結局のところ、彼は俺の面倒を見てくれたんだ。たとえ自分がまともに動けなくても……。
正直、俺はただの足手まといだった。彼が全てやってくれた。俺が何かしようとしたときは、死にかけた。
彼は本当にいいやつだ。一方で俺は……彼を置き去りにしようとした。
もしあの時、俺が彼を置いていたら……?
もしかしたら、兄弟たちの言う通りなのかもしれない。結局、俺は役立たずなんだ……。
でも、楽観的でいないと。
笑顔。
そこから全てが始まるんだ、そうだろ?
もし全てに笑顔でいられたら……たぶん……ただたぶん……自分が役立たずじゃないって思えるかもしれない。