72:親の心、子知らず
父さんは俺のコップも用意して酒を注ぐ。
夜の静かな空間で、酒の注がれる音だけが聞こえてくる。
コップを俺の前に置くと、父さんはコップを掲げて口を開く。
「まずは……ノーマが冒険者として立派にやっている事を祝おう」
「……どうも」
「よそよそしいぞ。ほら、乾杯っ!」
「か、乾杯」
父さんと俺は静かに乾杯と言って酒を呷る。
「ぷはっ……! 仕事の後の晩酌に、今日はノーマも付き合ってくれる。こんな嬉しい事はないぞ」
「はは、そりゃ良かったよ」
「……で、だ。お前には話しておこうと思ってな。あの日の事を」
父さんは少し言い難そうに、けれどしっかりと俺の目を見て告げた。
あの日の事……?
それは、どの日の事を言っているんだ……?
「あの日、って……いつの事さ」
「……ノーマが冒険者として、王都に旅立つ事を告げる前の事さ。俺もノーラも反対しただろ」
「あぁ……あの日ね……いや、気にしてないよ。俺も理解してるから」
「いや、しっかりと伝えるべきなんだ。聞いてくれ」
「…………」
父さんの真面目な顔を、俺は何も言わずにじっと見つめる。
「もう6年前の事だが、今でも覚えている。お前が15歳の誕生日を迎えて、すぐの事だ……あの時の村の宴会、覚えているか?」
「あぁ……」
覚えているさ。
なんせ、俺以外の幼馴染の才能開花を祝う宴会で、一人……
「その時、途中で抜けたお前に気付いて……俺もノーラも家に戻った」
「……え?」
「……だから、知っているんだ。お前が部屋で泣いていた事を……」
「……な、なんで。あの時はまだ、ノインが宴会に……」
「馬鹿だな……お前も大事な息子だろうが。子の異変に気付かない親がどこにいるってんだ。親を、余り見くびるなよ?」
ぎこちない笑顔を見せる父さん。
そうか……あの時の俺を……知られていたのか。
誰も見てすらいない、と思っていたんだがな……
「部屋の前でノーラは泣いていた。声を殺して、お前の泣き声に謝るように」
当時を思い出し、苦しむように父さんは言う。
「その夜にノーラは俺に話したんだ。ノーマに冒険者は厳しすぎる道で死ぬ可能性が高い。冒険者になれなくても、無開花者だって人並みの幸せは送れるから、別の夢を追わせてあげて……ってな」
「……うん」
「だから反対した。お前の夢を知っていながら、閉ざすために」
父さんは強くこぶしを握り、机に視線を落とした。
「それまでは、無開花者でもケガしない程度に、冒険者をやってみれば良い経験になる、と俺は思っていたんだ。だがノーラの息子を思う涙、訴えを聞いて、俺も折れた」
……父さんなら、そうするだろう。
母さんと仲良し夫婦であり、いつも笑いの絶えない家。
だからこそ、俺を思い……
「だが、お前は夢に向かって進んだ。ノーラは気丈に見送った後に泣き続け、祈っていたよ。息子が生き残り、いつかノインと帰ってくる事を。お前以外から便りが来ない事を。それを受け止められる自信がなかったからだろうな……」
俺以外からの便り。
死亡報告――ノインか冒険者ギルドから送られるだろうモノ……
実際、あのまま上位ダンジョンに向かっていれば、ありえた現実だ。
「……うん」
「……だから、ノーラを――母さんを責めないでやってくれ。お前の事が心配だったからこそ、反対をしたんだ」
母さん……
あの時の事を知られていると思うと気恥ずかしい気持ちもあるが……
本当に、ありがとう。
「だが、俺は心のどこかで思ってたんだ。お前なら、生きて帰ってこれる。それだけの機転はある、ってな。だから、ノーラほど心配しちゃ居なかったがな? はははっ! むしろ、ノインの方が変な虫がつかないか心配だったくらいだ」
父さん……
いや、男親としてはそのくらいの方が良いんだろうけどね?
それを、面と向かって言われると、それはそれで……
「そういう事で、だ。無事な姿を見て、安心してるし、今はクラン長として、無茶って言うほどの事はしてないんだろ。良かったよ」
「……あ~」
なんて言うべきか分かんねぇな……
ついこの間、無茶して石化しかけました、とか言ったら腰を抜かしそうなんだよなぁ……
「……おい、なんだ含みのある言い方して」
「実は少し前に石化して死にかけた」
何でもない風を装い、さらっと早口で言った。
「え? なんだって?」
父さんは理解できずに聞き返してきた。
「石化して死にかけたばっかり」
もう一度さらっと早口で言った。
「ふざけんな! お前、それ絶対にノーラに言うんじゃねぇぞ! 何が書類仕事が多いだ! 嘘つきやがって!」
急激に沸騰したように、言葉が爆発した。
「と、父さん、静かに! 聞こえるって!」
母さんに聞こえるって!
言わなくても、聞こえちゃうって!
「ふぅ~! ふぅ~!」
興奮する父さんを何とか静かにさせるも、息遣いが粗い。
「……まったく、石化して死にかけた、だと……!」
「今、こうして五体満足で生きてるから。セーフさ」
「アウトだ! ノーラに言ったら石になりかねん!」
慌てて言う父さんに、笑いがこみあげそうになった。
はは、確かに母さんならそうなるかもしれない。
父さんだからこそ、この件を言えた。
「お前なぁ……せめて、今後は少なくても良いから、便りの一つでも寄こすようにしろよな」
「そうだね……もし、ダンジョンに潜る機会があって、無事だったら送るようにするよ」
「それなら安心――って待て! また無茶する前提じゃねぇのか!?」
「ははは」
今度は笑い声が漏れてしまった。
父さんも、さっきまでの真面目な顔はどこへやら、一緒になって笑っている。
お互いに一頻り笑い終わると、コップの酒を飲む。
6年間、交わせずに溜まっていた心残りが、酒とともに消えていった。




