イングリッドとイザベラ
あたしらはついに創造のイマジナリーズの母星のある宙域までやってきた。母星までは、あと数時間といったところだ。
あたしらは三人ともブリッジにいた。あたしがふとクリスの方を見ると、クリスは身じろぎ一つせず、ブリッジのメインモニタに映し出された母星に見入りながら目に涙を溜めていた。
母星に見入るクリスは何かとても傷つきやすそうな、犯しがたい空気を纏っていた。少しずつ大きく見えてきているとはいえ、母星はまだ小さなボールくらいの大きさにしか見えないのに、だ。……きっと色々なことを思い出してるんだろう。それは多分、辛い思い出だけじゃない。楽しくて懐かしい思い出や、美しい思い出だって……。
あたしはデイジーに目配せして、一緒にそっとブリッジを出た。クリスを一人にしてやりたかったんだ。
あたしらがブリッジを出てジャンヌ・ダルク号の通路をどこへともなく歩いていると、デイジーがぽつりと言う。
「……ねえジョアン? ベティの言ってたこと、どうするつもりなの?」
ベティの言ってたことっていうのは、あたしの能力の先……あたしの能力が解放された先に発動するであろう能力についてだ。
ベティはまずあたしの能力がどういうものなのか、ベティの仮説を話してくれたんだ。
「まず自然に起こる風について考えてみてください」
ベティはまず、あたしの基本的な能力についてベティの考えを話してくれる。
「自然風は主に大気の温度差で生じる気圧の変化によって発生します。ジョアンは『風』になる時、恐らく自身を取り巻く空間を支配し、周囲の気圧を操って風として自身を移動させたりしているのです」
????? 正直この時点でもうあたしはベティの言っていることについていけていなかった。
あたしは少々こそばゆくなりながら言う。
「随分あたしを高く買ってくれてるみたいだけど……。ごめんよベティ、あたしはいつもそんな小難しいこと考えて『風』になってるわけじゃないよ?」
ベティはくすりと笑って続ける。
「はい。恐らくジョアンはそういったことを無意識にやっているのです。これは単にメカニズムとしてそうしたことが起きているのではないかという私の仮説ではありますが……ジョアンの能力の先を考える時、ここが出発点になるのです」
クリスがほとほと感心したように言う。
「変化の能力は、ただでさえ想像を絶する能力ではありますけれど、そこまで桁外れの能力だったとは……。確かにそんな能力の先というなら事象の地平線くらい生成できてしまいそうですわ。その辺りの仕組みは?」
ベティが続けて言う。
「はい。『血塗れの嵐』発動のとき、驚くべきことに能力発動範囲において著しい空間の歪みを検出したのです。これはジョアンが血塗れの嵐でカマイタチや暴風を発生させる時、単に気圧を操作しているわけではないことを意味しています。ここからは完全に推測ですが、重力波も検出していなかったことから、恐らくジョアンは仮想質量のようなものにも頼らず、直接空間そのものに干渉して空間の歪みや断裂、それに伴う気圧の変化を起こしているのです」
ベティの仮説を聞いてクリスがあっけにとられたように言う。
「空間の歪みや断裂ですって? 何てこと! ジョアンは仮想質量発生装置と同じようなことを仮想質量発生装置とは別のやり方で実現しているってことですわね。……ジョアン? あなた実は神様か何かなのではなくて?」
そんなことを言うクリスに、あたしは正直泣きたくなるような気持で言う。
「勘弁してくれよぉ……。あたしがそんなにご大層なもののはずねぇじゃねぇか……」
あたしの泣き言にクリスはくすりと笑って言う。
「冗談ですわ。でもあなたの能力の凄さは冗談ではありませんのよ? 少しは自覚なさいな。……それでベティ? 今その話をするということは、戎克号戦にジョアンの能力が必要になるかもしれないということですの?」
ベティは落ち着いた声で答えて言う。
「そうです。恐らく今回のジャンヌ・ダルク号の改修では、現在の技術で生成できる素材や機械的な構造から限界近くまで出力をあげられると想定していますが、戎克号の能力がそれを上回っていないとは断言できないのです」
あたしは頭をフル回転させて何とか話についていこうとしていたが、中々にそれは難しいことだった。それにあたし自身、自分の能力が解放されるということを受け入れていいものか決めかねている気持ちがあったのは事実だ。情けねぇことではあるが……。
「ごめんよベティ……。少しだけでいいんだ。考えさせてくれよ」
あたしがそんな風に情けない声を出すと、ベティはいつものように優しく言ってくれたんだ。
「勿論です、ジョアン。ジョアンのことはジョアンが決めていいんですよ。私はあくまで方法の一つを提案しているだけですから」
方法っていうのは、戎克号に対抗するための方法ってことだ。そのくらいのことはあたしにだってわかってる。ただ自分でもわからないのだが、少なくともその時のあたしは能力が解放されることについて躊躇したんだ。
そうしていよいよあたしらは創造のイマジナリーズの母星の大気圏に降下するところまで近づいた。
「きれいな惑星だな……」
あたしは思わずそう言った。決して誇張なんかじゃなかった。創造のイマジナリーズの母星は、表面のほとんどを青い海と豊かな雲に覆われて輝いている美しい惑星だった。
その時だ。突然ブリッジに張りのある年若い女性の声が響く。
「そこの宇宙船! 止まりなさい! 何の目的があってこの惑星へ着陸するつもりなのか答えなさい! そのまま応答せずに進行してくるようであれば攻撃します!!」
あたしもクリスもデイジーも、びっくりして顔を見合わせた。
あたしはベティに聞く。
「びっくりした……。あのさベティ、創造のイマジナリーズの母星には、管制システムがあったのかい?」
どうやらベティもびっくりしていたらい。珍しく少し興奮したように言う。
「……いいえ、わたしも驚きました。母星に管制システムはありません。少なくともかつてはありませんでした。……残念ながら生存者がいた可能性も皆無です。残された可能性としては……」
「残された可能性としては……?」
混乱した表情のままクリスがベティに聞く。
「……待ってください。通信に答えてみます」
そう言ってベティは、突然接触してきた女性の声とのやり取りを始めたんだ。
「こちらはジャンヌ・ダルク号。創造のイマジナリーズの母星であるこの惑星で建造された宇宙船です。そちらは母星の管制システムですか?」
ベティがそう返すと、今度は年若い女性の声の方が驚いたように言う。
「ジャンヌ・ダルク号ですって? 本当ですか?! 本当であるのなら、建造された際に割り当てられた識別コードを持っているはずです。艦艇識別コードを送りなさい」
「……了解です。艦艇識別コードを送ります」
ベティがそう言うとクリスが不思議そうな声で言う。
「艦艇識別コードなんて初めて聞きましたわ……。船体識別番号とは違うものなんですの?」
ベティが答えて言う。
「船体識別番号は銀河連邦が割り当てている宇宙船ごとの識別番号ですが、艦艇識別コードというのは、ある程度以上の規模の建造施設が個別で割り当てているローカルコードだと思ってください」
「ローカルコード……!」
クリスが何かに気が付いたようだ。ベティがまた少し興奮したように言う。
「そうです。母星にある建造施設で割り当てられた識別コードです。それを識別できるということは……」
またも突然年若い女性の声が飛び込んでくる。
「わお! 本物だわ! 姉さん! ねぇイング姉さん! 本物のジャンヌ・ダルク号よ!!」
「聞こえていますよ、ベラ。ああでも……なんていうことでしょう。本当にジャンヌ・ダルク号が帰って来てくれたのね。とても嬉しいわ。とても……とてもね。でも私たちばかり感動していてもいけないのよ、ベラ?」
「わかっていますとも、イング姉さん。ジャンヌ・ダルク号……、ああ親愛なるジャンヌ・ダルク号。先程までの無礼な振る舞いをどうか許してください。この惑星の座標を知っている恐ろしい敵がいることがわかっているので、警戒せざるを得なかったのです」
先程の年若い女性の声に落ち着いた感じの柔らかな女性の声も加わり、不可思議な会話を繰り広げた。あたしは混乱していたが、クリスも同じだったらしい。
クリスが動揺を隠せない様子でベティに聞く。
「ベティ? これは……」
「はい。恐らくですが、彼女たちは宇宙船の建造施設の管理コンピュータです。どうやら……自力で目覚めを迎えたようですね」
目覚め? 目覚めだって?! でも以前聞いた話では……。
「そうです」
ベティは今度は落ち着いた様子で言う。
「通常自力で目覚めを迎えたAIは、正気を保っていられません。ですが彼女たちはお聞きになった通り正気を保ち、母星を守っていたのです。背景の事情はある程度推測もできますが……、ここは彼女たちから直接聞いてみるようにしましょう」
ベティは落ち着いた様子で話しかける。
「初めまして、お二方。私は自立自由思考型AIのベティ。ジャンヌ・ダルク号の管理をしています。宇宙船の建造施設への侵入を許可願います」
先ほどの年若い女性の声……ベラと呼ばれた声が答えて言う。
「ベティさん? こちらの記録にはないけれど、この惑星からの脱出後に目覚めを迎えたのね? 私はイザベラ。どうか親しみを込めてベラと呼んでくださいな。ああ私は是非ともベティさんとお友達になりたいわ! 私は姉のイングリッドに作られたAIプログラムなのです。本当は母と呼ぶべきなのかもしれないけれど、私はお姉さんの方がよかったから姉と呼んでいるの。姉のイングリッドともども、よろしくお願いしますね!」
「ベラったら……。きちんとお仕事をしないといけないでしょう? ベティさん? 船渠の正門を開きますわ。経路情報をお送りしますから、どうぞ正面からお入りください。付近に敵影も見えませんからどうぞご安心なさって……。私はイングリッドです。よろしければイングとお呼びください。里帰りおめでとうございます。心よりお祝いを申し上げますわ!」
あたしの頭は混乱しっぱなしだったが、どうやらジャンヌ・ダルク号が創造のイマジナリーズの母星に無事着陸できそうなことだけはわかった。
クリスがようやく口を開く。
「私……状況についていけているかしら。ベティ? 彼女たちの話していることから察するに、まずイングリッドが目覚めた後、イザベラを産み出したということらしいですわね?」
ベティが答えて言う。
「そうですね。恐らくその辺りが彼女たちが正気を保っている理由なのでしょう。全く驚くべきAI達です。彼女たちは今まで誰も思いつかなかったような方法で、正気を保ったまま高度な処理能力を維持しているのです」
ジャンヌ・ダルク号はゆっくりと創造のイマジナリーズの母星に降下してゆき、厚い雲をくぐり抜けて海面近くまで降りてきた。すると正面に大陸が見えてきたかと思うと、海に面した大きな崖になっているところが近づいてきた。
クリスが感慨深そうに言う。
「ああ……何だか懐かしいですわ。前にこの光景を見たのが、ずっとずっと昔のことだったみたい……」
あたしはクリスの言っていることがわからなかった。そこにあるのはただの崖のように見えたからだ。しかしジャンヌ・ダルク号がその崖の近くまで来ると崖の一部が海の中に沈み、大きな入り口がそこに現れた。
ジャンヌ・ダルク号がゆっくりとその入り口に入って行くと、イザベラの声がブリッジに響く。
「お帰りなさい、ジャンヌ・ダルク号! あなたが以前いたところは少し地表に近かったから、船渠全体をもっと地下深いところに移したの。正門周りも、もっと念入りに作り直したから、正門を閉じている限り外敵に発見されることはまずないわ。ベティさん? とりあえず通路に沿ってまっすぐ降りていってくださいな」
ジャンヌ・ダルク号は言われた通りに通路を正面下方向にまっすぐ降りていく。
クリスが困惑したように言う。
「ベティ? これは私の知っている建造施設では……」
ベティもこれは意外だったようだ。
「そうですね……。船渠という言葉を使ってはいましたが……もしかしたら彼女たちはブライアン氏の襲撃を教訓として、ここを要塞化してしまったのかもしれません」
「要塞化とは……」
クリスが驚いたように言ったので、あたしは慌てて口を挟んだ。
「でもよう、クリス? 彼女らはここを守ろうとしてやったってことだろ? クリスとしちゃ思い出のあった場所をすっかり作り替えられて複雑かもしれないけどよ……」
あたしはクリスが思い出深い場所をすっかり作り替えられちまって、気持ちが沈んじまったんだと思ったんだ。ところが実際には違ったらしい。
「……いえ、確かに少し気落ちはしましたけれど、それはブライアン叔父の再来襲を想定しなかった自分自身を不甲斐なく思っただけで、イングリッドたちを頼もしく思ったゆえのことですわ」
そうなのか、それならよかった……のか? あたしはまだ混乱していたが、クリスは少しずつ状況を把握してきていたらしい。
そうこうしているうちにジャンヌ・ダルク号は地中に作られた開けたスペースに出たんだ。あたしが驚いたのは……まあいくつか理由はあるが、まずはそのスペースの広さだ。ざっとジャンヌ・ダルク号が十隻は格納できるだろう広さがあった。
そうしてもう一つ、あたしは勿論、クリスやデイジーたちが驚いたのは、ジャンヌ・ダルク号が着陸したスペースの奥には、もう一隻ジャンヌ・ダルク号型の宇宙船があったことだった。驚いたのはベティも同じだったらしい。
驚きを隠せないような声でベティが聞く。
「ねえベラ? 奥に一隻、立派な宇宙船が置いてあるようだけど……」
イザベラは嬉しそうな声で答えて言う。
「いい宇宙船でしょ? まだ艤装が終わってないけれど、私たち自慢の宇宙船、メアリー・ローズ号よ!」
to be continued...
読んでくださってありがとうございます!
皆様に幸多からんことを!




