中学生の時に書いた妄想ノート見返すと設定と展開に割と整合性あって面白い
「あったあった」
ランニングが終わって、家に返ってくると、すぐさま部屋に向かい、押し入れに封印したノートを探す。
「とりあえず草稿として作ったものを見せるんだっけな。」
4人がそれぞれ作っている設定。それらを週明け火曜日、見せてみることになった。
全部をひっくるめて面白いストーリーを作る。
そういう話だったけれど、正直私自身も忘れてしまっているところがある。
「えぇっと、『現実の世界とは違う裏の世界という異世界』」
叫びだしそうになってしまった。すでに頭が痛い。
「『現実の世界は裏の異世界と繋がっており、現実で起こした行動は裏の世界でも反映される。』」
あぁ……そう言えばそんな感じだった……。
中学時代。やることもなく教室を眺めていたあの暗黒期。
授業中に褒められている人を見て、別の世界の自分が大層な徳を積んでいるから、とか考えたっけ。
逆もまた然りで起こられるようなことをしたら裏の世界の魔物が現実の彼ら彼女らに影響を及ぼしている、んだっけな。
「『裏の世界には因果を司る八神が存在している。私はその「事実」に気がついたことから一種の信託者として異世界の中で騒乱に巻き込まれていく』」
冷や汗が沸騰するような顔の熱を感じる。
「こ、これを見せるの」
とてもじゃないけれど見せられる状態じゃない。
設定段階でも相当きついのに……日記には現実で何が起きて異世界で何が起きていたのかも詳細にかかれている。
「ぐ、ぐあぁ……」
ひとりでに倒れ込む。
なんとか火曜までに、これを整えてしまわねば、ならない。
心が折れそうだ……。まぁやるしかないんだけれど。
内なる社畜魂を燃えさせ、机の上の「グラホビ」を一旦どけて新しいキャンパスノートを開いた。
***
顔も覚えていない同級生の生モノ小説だ……名前だけはこそっと変えとこう
日記は一通り流して読んだ。
「……こんなかんじか」
当たり前だけれど、誰かに見せるつもりもなかったから、設定作ってちょっとした展開があるだけで落ちなんてついていない。
しかし、こうして見ると、彼らの中二病と、私の中二病はちょっとした差異があることがわかる。
彼らは自分の世界と現実の世界に重ね合わせて、自分の理想を演じ、ストーリーに生きている。
だけど、私は設定は全くの空想で、その中で私がどうするかをニチャニチャしながら考えてるだけ。妄想のなかで生きている。
どちらが優れている、というわけではないけれど、誰かに見せる物語としては彼らの物のほうが見やすいだろう。彼らは平たく言えば「こうならかっこいいな」、と客観視して作った物で、私は「もしこうだったら良いな」、と主観的に作ったものだからだ。
頭を抱える。
そう考えるのなら、彼女らとは少し違っている。一から書き直したほうが良いだろうか。
しかし、やっぱり時間を掛けただけ完成度が違ってきてしまう。
それは彼らに対する裏切りのようなものになってしまう気もする。
そんなことを考えているとガチャと後ろで音がなる。
「おかえりー。あんたどうしたの帰ってくるなり」
母親が部屋にやってきた。
「っくりした……ノックしてよ」
急いでノートを隠す。
「汗まみれじゃない。シャワーでいいから入ったら?」
「はいはい、後で入るから」
「今入りなさい。冷えちゃうから」
ぶつくさ言いながら部屋をあとにする。
**
髪を濡らして、温かいシャワーを顔から浴びる。
「ふぅ……」
手元に書けるものが何も無い時こそ、案外妄想が捗るものだ。
そうして進んでいったストーリーは浴室から出るときにはすっかり忘れてしまう。シャワーとはそういうものだ。
しかし、誰かに見せる、と考えた時に、こんなところで考えた断片的な妄想をそのまま垂れ流すわけにはいかない。
妄想からストーリーには一つの壁がある。起承転結であったり、山と谷、詳細なキャラクター設定であったり。
そして、閉籠の言葉を借りるのならば、同じようにストーリーと作品の間にも大きな壁がある。
私があの妄想を一つの作品とするには足りないものがあまりにも多い。あのノートにも、私自身にも。
中二病では無い人たちに見せることが恥ずかしいと閉籠達は言ってたっけ。
けれど、私はまだ彼女らといった中二病同士に見せるのも恥ずかしい。
作ったものがどうとかではなく、その前の段階で私は彼女らと同じステージに立てていない。
まずは、見せられるくらいに整えるところから、いや見せても良いと思うところから、と自分でハードルをいくつも設定してしまう。
それは不完全なものを嫌い、添削を重ねるという意味では良いことなのだろうけど、何時まで経っても完成しないだけとも言える。
手を器にして、シャワーの中で顔を洗う。
だが、まずはそれを紐解くところから。
あの頃の私が何を考えて、どうしてこう思ったのか。
「思い出したくもないなぁ……」
こんなものを書いたのは、わざわざ言葉にするまでもない。
現実に不満があったからだろう。
どうしても理想とは乖離していて、人間関係も上手くいかずに生まれた一人の時間と感情が形を変え、文字となり、こんなものを生み出した。
結局私が彼女らに見せられないのは、そういう自分の弱みみたいなものを見せてしまうと危惧しているからだ。
小説家にしろ、漫画家にしろ、創作を生業にする人は自分の人生を切り売りしているだけに過ぎないと聞いたことがある。そりゃあ、そうだろう。なにかを表現したくて書いているわけだから、その原動力が人生になるというのは至極当然のことだ。
だが、いや、だからこそ。これを見せるためには自分の弱みみたいなものを克服しなければならなくなる。
私は16年を掛けても見つからなかった人生の正解みたいなものを物語を通じて提示しなければならない。
何を思ってこれを書いて、何を表現しようとしていたのか。誰かに見せるためには、それを。
「カロリーが要るなぁ」
シャワーを終えて、髪をタオルでワシャワシャと乾かす。
体を滴る水滴が熱を逃がす。
それが心地よくもあり、ひどく不快でもあった。