77話 仲直り
リュシアンは憤っていた。
何に対して、誰に対して、と聞かなくてもお分かり頂けるだろうが、紛れもなくフィグネリアに対してだ。
前世では毎日のように甚振られ嬲られ、食事も満足に与えられず、最後は死ぬ程に殴られ蹴られ続けて真冬に身一つで放り出された。
誰が聞いても恨みや憎しみは当然のように沸くのだろうが、リュシアンが一番憤っていたのは大切なノアを蔑ろにし、暴力を振るい、死ぬ事を分かりながらルマの街へ行かせた事だった。
リアムは力が無かった。守りたくても守れなかった。それが一番悔しかった。
そして今、またもや自分はフィグネリアからシオンを、ノアを守れていないと知った。それどころか守られていた。シオンに守られて屈強な体を手に入れられていた。揺るぎない地位にいる自分になれているのに、まだフィグネリアをどうにも出来ていない自分が許せなかった。だから決めたのだ。
リュシアンはまず、ルマの街にある大神殿へと赴いた。そしてその後、王城へ行き国王と謁見を願った。そこで様々な手続きを済ませた。
数日間、そうやって王城へ通い詰めたリュシアンは時間に追われた。しかしシオンへの声掛けは欠かさずにいて、毎朝シオンの部屋へ赴いては
「おはよう。今日もこれから王城へ行ってくる。何かあれば、すぐにジョエルに言うんだよ」
と告げて出発する。
メリエルのお陰でリュシアンと会おうと決心したシオンだったが上手くタイミングが合わずに、リュシアンとはあれから会えずにいたままだった。
毎朝声は掛けて貰うが、リュシアンは会いたいとか顔を見たいと言わなくなった。やっとシオンが会おうとしたのに、リュシアンからの申し出が無くなってしまった事に、シオンは戸惑っていた。
もしかしたら自分の行動にリュシアンは呆れてしまったのかも知れない。もう好きじゃなくなったのかも知れない。そう考えると不安で仕方が無くなった。
あれからシオンは別邸の部屋を出て本邸の部屋で過ごしている。そして毎日メリエルと共にいた。メリエルは本当は食事を摂るのも喋るのも辛いらしく、だけどシオンの為にしっかり伝えなければとあの時元気づけてくれたのだ。
それが嬉しくて申し訳なくて、改めて自分の弱さを情けなく思ったシオンだった。
メリエルは体は元気だと働こうとするが、それは流石にシオンとジョエルが止めたのだった。
仕事をしなくともメリエルはシオンの共にいて、庭園を散歩したり一緒に食事したり、本を読んだり貴族としての嗜みをメリエルが無理のない程度に教えたりと、穏やかに過ごしながらそれを療養としていた。
そんな日々が続いたある日、シオンの部屋にリュシアンがやって来た。
久しぶりに顔を合わせる事になるシオンとリュシアン。その事にシオンはかなり緊張した。だけど、自らリュシアンから離れてしまった事を謝りたいとも思っていたし、何よりリュシアンに会いたかった。
容姿はリアムとは違う。だけど、たくましい腕、綺麗な顔立ち、凛とした佇まい、優しい笑みに甘い言葉……その全てがシオンの心をざわつかせるのだ。
こんな気持ちになるのは、リュシアンがリアムだからなのかと考えてもみた。もちろんそれもあるのだが、それだけではないようにも思える。
シオンの心はまだノアの時のままであって、記憶は幼い頃の、亡くなってしまった頃の少女のままなのだ。だからこの感情がなんなのかは分かるはずもなく、ただリュシアンに会いたい、また抱き締めて貰いたいと考えては恥ずかしくなって一人顔を赤らめていたのだ。
そんなリュシアンとやっと会えて、シオンの心臓はドキドキがずっと止まらない状態だった。
そしてそれはリュシアンも同様で、ジョエルから毎日シオンの様子の報告を受けてはいたが、会うのは自分の元から去って行った時以来で、また同じように顔を見せてくれずに去られたらと緊張していた。
しかし今日は言わなければならないと、リュシアンはシオンの元を訪れたのだ。
「ノア、その……久しぶり」
「うん、リアム、そう、だね」
「ちゃんと食事は摂ってたかな? また痩せたように感じるよ」
「ちゃんと食べてたよ。ここの食事は美味しいから、食べないと勿体ないなくて……」
「ハハ、そうだな。でも無理はしなくても良いからな。 食べたい物を食べられるだけで良いんだから」
「うん」
「って、こんな事を言いたいんじゃなくて、いや、この事も必要なんだけど、その……会いたかった」
「うん……」
「俯かないで、ちゃんと顔を見せて欲しいんだ」
「嫌、じゃ……ない?」
「嫌なものか。何度も言うけど、君とあの女は全く違う。ノアは……シオンの顔はとても美しいんだ。あの女とは比べモノにならない」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。だからちゃんと顔を見せて。ずっとずっと、君の顔が見たくて仕方がなかったんだ」
「リアム、ごめんなさい。私……」
「分かってる。僕を思っての事だったんだろう? 君はいつもそうだ。僕の為に自分が犠牲になろうとする」
「そんな事はないよ。だってリアムにはいつも助けて貰ってたもの」
「僕がしてきた事は僅かな事だよ。結局ノアを救えなかったし……」
「私は何もしてないよ?」
「そうじゃないんだ。ノアには記憶が無いかもそれないけど、シオンとして生まれ変わってから、僕をずっと助けてくれていたんだよ」
「そうなの?」
「あぁ。だから僕はノアとシオンの恐怖を取り除くと決めたんだ」
「それはどうやって?」
「それをね、今日はどうしても言いたくて会いに来たんだ」
「そうなんだね」
「だけどその前に良いかな」
「うん?」
シオンが返事をする前に、リュシアンはシオンを抱き締めた。急にそうされてシオンは凄く驚いたが、もちろん嫌ではなかった。それどころか、そうして貰えるのをずっと待っていたのだ。
ギュッとシオンをキツく抱き締めるリュシアンの背中に手を回し、シオンもリュシアンを抱き締め返す。
「あぁ……やっとこうして君を抱き締めることができた。ずっとこうしたかったんだ」
「ん……私も……」
「本当に? 本当にそう思ってくれてる?」
「うん。本当だよ?」
「あぁ良かった……」
リュシアンは嬉しくて、思わず腕に力を込めてしまいそうになるが、ひ弱なシオンの体を労らなければと、思いとどまる。
でもやっぱり……
「口付けしても、いい?」
「えっ?」
「ダメ、かな……」
「えっと、どう答えたら良いのかな……えっとね、あのね、その……」
言ってる途中でそれは遮られた。シオンの唇はリュシアンの唇に塞がれてしまったからだ。
驚いたけれど、シオンは顔を逸らす事はしなかった。嫌じゃなかったからだ。
優しく何度も唇を重ね、その柔らかさを確認するように啄んでいく。
温かい唇に、シオンはうっとりしながらリュシアンに任せ続けた。でもやっぱりどう息を吸って良いのか分からずに苦しくなって下を向く。
「ごめん、我慢できなかった」
「ううん。ちょっと息継ぎが難しくて」
「ハハ、そっか。そっか……」
もう一度ギュッとして、今までの時間を補うように、これまでのわだかまりを無くすように二人は抱き合い続けた。
それを引き裂いたのは、来客を知らせるセヴランの声だった。




