72話 モリエール邸へ
リュシアンはシオンの眠るベッドの横に椅子を起き、そこでシオンを見守っていた。
ずっと眺めていても退屈しないし飽きない。この美しい顔をいつまでも見ていられると、シオンの髪を撫でながら何時間もそこに居続けた。
突然、シオンは何やら苦しそうで悲しそうな顔をして、何かを言いたげに口を動かしだした。
「リア、ム……やだ、よ……いかな、い、で……」
「ノア?」
「やだ、やだ、リアム……待って、置いて、いかないで……っ!」
シオンが手を伸ばす。その手はリアムを求めていた。
「ノア! 大丈夫か?!」
「え……?」
伸ばした手を取ったのはリュシアンだった。大きく温かな手は、しっかりとシオンの手を握っている。
「あ……リュシアン、様……」
「悪い夢でも見たのか?」
「凄く……凄く怖い夢をみたの……」
「もう大丈夫だ。大丈夫だから」
またポロポロと涙を零すシオンを抱き締める。さっきまで感じていた絶望が、何故かリュシアンに抱き締められると和らいでいく。リアムがいないという事実に耐えられる訳などシオンにはないのに、何故リュシアンにそうされると心地よく感じてしまうのか。
慰めてくれるリュシアンの言葉は暖かくて、シオンは自然と身を委ねてしまうのだ。
「ノア、帰ろう。私達の家に帰ろう」
「帰る……?」
「あぁ。ジョエルも待ってる。庭も随分整えられたようだから、きっとジョエルは自慢しに来るぞ? できたら本邸にいて欲しいが、別邸が良ければそこにいても良い。あぁ、でもやっぱり私の傍にいて欲しいな。本邸の君の部屋を変えよう。私の部屋の隣にして、夜は一緒に眠ろう」
「一緒に……」
「帰ったら新しく雇ったパティシエに、君の好きそうなお菓子をたくさん作らせる。香りのいいお茶も仕入れてあるんだ。天気の良い日は庭園でティータイムもいいな。あ、別邸の庭だけじゃなく、庭園も好きなふうにしてくれても良いんだ。季節に応じた色とりどりの花をたくさん仕入れよう。庭だけじゃなく部屋の内装も好きに変えて貰って良い。家具もカーテンも壁紙も、何でも好きにしてくれて構わない」
「でも……」
「君が動きやすいようにスロープを造らせる。私が君を抱き上げるから階段の昇り降りは問題ないとは思うが、少しの段差も負担に感じて欲しくはないからな。もちろん使用人達にも全てに関して徹底させる。負担なく過ごしやすようにする。だから……」
「だから……?」
「だから、頼む。これからもずっと私と共にあってくれないか? 一人にしない。必ず傍にいる。いや、私がそうしたいんだ。ずっと傍にいて欲しい」
「リュシアン様……」
「君が……愛おしくて愛おしくて仕方がないんだ」
「私を、どうして……?」
「どうしてとか、そんな事は私も分からない。ただ君の全てが愛おしく感じて仕方がない」
リュシアンはギュッとシオンを抱き締めた。
本当はシオンも何処かで分かっていたのかも知れない。幾年も経ったように老けていたルーベンス。身体は幼い頃とは違って成長していて、自分とは思えない程の白い肌をしている。この場所に来た経緯も何も思い出せない。 何年も経っている筈なのに、それを一切覚えていない事が普通である筈はない。
あの夢は本当にあった事かも知れない。それ程にリアルな夢だった。なら本当にリアムはもう……
ではリアムがいない間、自分はどうやって生きてきたのか。あの夢では自分も生きている事さえ不思議な状態だった。
もしかしたらあの時、自分は死んでしまったのではないだろうか……
そう考えると恐ろしくなった。怖くて怖くて、思わずリュシアンを同じようにギュッと抱き締めてしまう。だがその腕が震えている事をリュシアンは気付いている。
「ノア、怖がらないで欲しい。私は君に危害は加えない。嫌がる事もしない。約束する」
「本当に……?」
「あぁ、本当だ。誓うよ」
今はリュシアンの言葉を信じるしかなく、シオンはしがみつくように抱き締める腕に力を込めた。
そうしてしばらくの間、二人は慰め合うように抱き合っていたのだった。
翌日、シオン達は大神殿を出る用意をする。
とは言え、その用意は全てメリエルが済ませていて、あとは大司教ルーベンスに挨拶するのみとなっていた。
「司祭様、今までありがとうございました。また時々会いに来ても良いですか?」
「もちろんですよ、ノア。貴女の幸せを心からお祈りしております」
「司祭様……!」
シオンはまたルーベンスに抱きついた。シオンにとってルーベンスは父親みたいなもので、誰よりも安心し心を許せる大人だったのだ。
優しく微笑むルーベンスや他の司祭達に見送られながら、シオン達は大神殿を後にした。
シオンが困惑するかも知れないから転移陣は使わない事にして、馬車でモリエール邸まで向かう事にした。
馬車の中で、リュシアンとシオンはピタリと寄り添い、だけど何も話す事はなく、ただシオンの不安と悲しみを拭うようにリュシアンはシオンを抱き寄せていた。
シオンもリュシアンの肩に頭を寄せ、身を委ねていた。
馬車を走らせ続け、モリエール邸に着いたのは昼頃だった。
「お嬢様! おかえりなさいませ!」
元気よく出迎えたのはジョエルだった。馬車から降りようとするシオンに手を差し伸べていたリュシアンを無視し、サッとシオンの手を取った。
「ジョエルっ! お前っ!」
「お嬢様のエスコートは今まで私がしてきたんです。そう簡単にはその役目を渡せませんよ?」
そう言うと、ジョエルはフワリとシオンを抱き上げた。その手際良さにシオンも関心しつつ、何だか懐かしい感じがした。
「お嬢様、もうすぐ昼食のお時間です。今日は暖かいですし、別邸のお部屋のベランダで昼食を摂りませんか?」
「えっと……」
「お庭もね、とても綺麗になったんです。それを眺めながらの食事は、きっといつもより美味しく感じると思いますよ」
「あ、の……リュシアン様、それでも良いですか?」
「君がそうしたいなら」
「公爵様の事なんて考えなくてもいいんですよ」
「おい!」
「怒らないでください、公爵様。お嬢様が怖がりますから」
「あ、いや、違うんだノア! これは怒っている訳じゃない!」
「さ、公爵様の事は気にしないで、行きましょう、お嬢様」
「あ、う、うん」
シオンを抱き上げたまま別邸まで颯爽と歩き続けるジョエルの後を追うように着いていくリュシアンとメリエル。
そのジョエルの勝手な行動が、リュシアンは何だかいつもらしいジョエルの態度でホッとするのだった。




