69話 ふたりの距離
リュシアンは王城へ向かっていた。
シオンから離れる時は、くれぐれも無茶をしないように、食事はしっかり摂って、不調を感じたらすぐに言うように、等を何度も何度もシオンに言い聞かせ、リュシアンは渋々大神殿を後にした。
シオンは心配性なリュシアンに、何度も安心させるように
「はい、分かりましたよ」
と笑顔で答え続けた。
まるで大きな子供みたいだなぁと、シオンは微笑ましく感じていた。
初めは怖いと思っていた。大人で男の人で、綺麗な服と洗練された動きは見るからに貴族そのもので、その人が家に帰してくれないのだから、また抑圧された生活を送るのだと思っていた。
でも違った。
シオンに見せる気遣いは留まる事を知らず、大切にしてくれようとしているのが凄く伝わってくる。
本当はカタラーニ家になんて帰りたくない。ずっとここにいたい。だけど、あそこにはリアムがいるのだ。ここにはいないのだ。それだけがシオンの心をカタラーニ家に向けさせている。
「あの、メリエルさん」
「はい、なんでしょう? ノアさん」
「公爵様はどこに行ったの?」
「まぁ……」
シオンが自分をノアと言い出してからリュシアンの事を聞いてくるのは初めての事で、それがメリエルには嬉しかったのだ。
「公爵様は王城へ行かれたんですよ。国王陛下に呼ばれたんですって」
「こくおーへーか?」
「この国の王様ですよ」
「王様!」
メリエルはシオンの反応が可愛く思えて仕方がない。まるで子供のようで、メリエルはつい子供に接するようにシオンに対応してしまう。
「ふふ……そうです。凄いでしょう? 公爵様はとてもお強くて王位継承権もお持ちで、格好良くて政治力、経済力、財力もおありで、とっても素晴らしい方なんですよ!」
「おーいけーしょー?」
「そうです。えっと、とにかく凄いって事ですよ。それにお優しいでしょう?」
「うん。凄く優しいの。でも、どうしてかな……」
「それはノアさんを好きだからですよ」
「私を? どうして?」
「どうして……うーん……人を好きになるのに理由なんて必要でしょうか?」
「ん、と……よく分かんない……」
「そうですね。あまり深く考えなくても良いんだと思いますよ。ノアさんは公爵様の事、好きですか?」
「うん。優しいから好きなの」
「そういう好きではなく……」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
「リアムも」
「はい?」
「リアムもここに来れたら良いのになぁ……」
「ノアさん……」
シオンがノアと言い出した事を不思議に思ったメリエルは、ジョエルからシオンの前世の話を聞き出した。だからシオンがリアムを求めるのは仕方のない事だと分かっている。だがリアムはもうこの世界にはいないのだ。リアムはリュシアンなのだから。
しかしそれを言うのはメリエルの役目ではない。当事者であるリュシアンでなければ告げる事は許されないと、メリエルは思っている。
一方でリュシアンは王城で国王と謁見中であった。
「なんと! ではもう現場には出ぬと申すのか?!」
「はい。既に国境の村には騎士団を派遣済みです。それに関してはご心配なきよう願います。今後私は指導者となり、人材の育成に励むつもりです」
「しかしリュシアン卿はまだ若い。これからではないか」
「私はこれからは医療、経営に力を入れようと思っています。勿論、部下への教育は徹底致します」
「だが……」
「財政を揺るぎなく確実にし、それを国にも反映させるつもりでいます」
「ではどうするつもりなのか、聞かせて貰えぬか」
「万能薬の治験を行います。服役中の犯罪者に契約を持ち掛け、治験者にする予定です。統計を出し、問題なければ承認されるでしょうが、それを我が公爵家と王家の管轄に致します」
「あの万能薬がもうすぐ出来ると申すか?! それを我が王家の管轄にも出来ると申すのか!」
「万能薬を税金として納めましょう。どのように使われるかはお任せ致します」
「そうか……そうか、分かった。リュシアン卿の申し出、受け入れようではないか」
「ありがとうございます」
「して、そのような思考に至った理由を教えては貰えぬか?」
「それは……」
「公爵夫人の為、か?」
「……」
「ハハハ! そうかそうか! なら仕方がないのぅ! 戦場に行くからには心配は付き物だからのぅ! それはリュシアン卿も公爵夫人にも、という訳なのだな!」
「え、えぇ、まぁ……」
「いや、良かった。無理に婚姻させたのではと思っていたのだが、それは杞憂だったのだな。安心したぞ」
「……恐れ入ります」
その後、新婚生活の事を根掘り葉掘り聞かれ、リュシアンは曖昧にそれらに答え、神経を擦り減らして帰路に着いたのは茜と群青が空を染める頃だった。
公爵家にある転移陣から王都へ行くのは容易い。が、王都の転移陣は申請し許可が下りるまで時間が掛かる為、馬車で帰る必要がある。リュシアンはこの時間が勿体ないと感じていて、なるべく急ぐようにと馭者に伝えるも、気持ちは逸るばかりだった。
ようやくたどり着いたのは陽もとっくに暮れ、皆が就寝しようとする頃のだった。
そっと大神殿の裏手から入り、音を立てないように部屋を開けると、シオンは既にベッドで眠っていた。
ベッドに近づき間近でシオンの顔を見ると、スヤスヤと寝息をたてているのが聞こえてくる。寝顔を見ているだけで得た安心感と同時に、これまでの疲れが一気に飛んでいく。
優しくシオンの頬に触れる。柔らかく滑らかな肌。だがまだ細い。もっと食べさせなければと考えていると、頬を撫でるリュシアンの手に触れた指先が……
「公爵様……?」
「すまない、起こしてしまったか?」
「ううん、大丈夫です」
「何も困った事はなかったか?」
「はい。何もありませんでした」
「食事はちゃんと摂ったのか?」
「いっぱいいっぱい、食べました。ジョエルさんが買ってきてくれたお菓子がね、とっても美味しかったです。公爵様にもね、残そうと思ったんですけど、ジョエルさんが「そんな事はしなくていい!」 って言って、全部食べちゃったんです」
「ハハハ、そうか、アイツらしいな」
「あ、やっと笑った」
「うん?」
「公爵様が笑ってくれました」
「それがどうした?」
「だって、初めて見たから。いつも公爵様は悲しい顔をしてるから」
「そう、だったか?」
「どうしてそんな悲しい顔をして私を見るのかなって。ずっと考えてたんですけど、私、分からなくて」
「そうか……それは悪かった」
「あ、いえ、謝って欲しいとかじゃなくて……」
「あぁ、分かっている。シ……ノアが病気になったのが悲しくてね。それと、身体に傷がいっぱいあるのも……」
「そうですか……でもね、この傷痕はね、なんだか、仕方がないって思うんです。傷がいっぱいだけど、嫌な感じがしないって言うか……良かったって思うって言うか……なんだか不思議なんですけど」
「……っ!」
リュシアンはシオンに覆い被さるようにして抱きついた。突然の事にシオンは驚いたが、嫌な感じはしなかった。むしろ、リュシアンからの温かさと重みを感じて、心が満たされるように感じたのだ。
背中に手を回し、シオンを抱き締めるリュシアンがまた泣いてるように感じたので、シオンは前のように背中に回した手で優しくリュシアンの背中と頭を撫で続けるのだった。




