54話 望んではいけない
シオンはベッドで休んでいた。
大聖堂で魔力を返して貰い、疲れていた所にボリスの騒動があって、精神的にも体力的にも疲れ果ててしまったからだ。
それにまだ肩の傷は治っていない。今日は無理をしすぎたのかも知れないと、体を休める事にしたのだ。
心配するジョエルにもう大丈夫だからと無理に微笑むも、それはアッサリと見破られてしまう。だからいつまでもジョエルはシオンの側から離れられないでいた。
そしてそれはメリエルも同じで、街での事からボリスの騒動まで、今日は盛沢山な経験をしたシオンの側にいてあげたかったのだ。
「奥様、何か召し上がられますか? 結局お昼前に食べたのが露店の綿飴だけで、昼食もちゃんと食べられていませんでしたから……」
「あ、そうね、ごめんなさい。ジョエル、メリエル、わたくしに構わず食事を摂ってきてちょうだい。気づかずに申し訳なかったわ」
「いえ、そういう事ではなく……!」
「メリエルはお嬢様を心配してるんですよ。少しでも何か摂られるといいですね。もちろん私達も頂きます。ここで一緒に食事を頂いてもいいですか?」
「それはもちろん。じゃあ、わたくしは軽い物を……」
「承知しました。ではご用意致しますね!」
メリエルが部屋から出ていくと、リュシアンが入れ替わるようにして部屋に訪れに来た。
すぐにシオンは体を起こそうとし、それをジョエルが支える。この二人の一連の流れはもう見慣れた筈なのに、やはりリュシアンの胸はいちいち動かされてしまう。
「シオン、もう落ち着いたか?」
「はい。あの時リュシアン様が来てくださったからです。助けて頂いてありがとうございました」
「それは夫として当然の事だ。それよりも私は君に謝らなければならない」
「え……? 何を謝るんですか? リュシアン様は謝るような事を何もされていませんよ?」
「いや……これまで私は貴女の噂を信じ、悪女だと決めつけていたのだ。貴女がどのような環境にあってきたかを知ろうともせず、関心も寄せず、近づくなと言わんばかりの態度をとってきた。本当に申し訳ない」
そう言うとリュシアンは深々と頭を下げた。それには流石にジョエルも面食らった顔をする。もちろんシオンはリュシアンに頭を下げさせる、なんて事はしたくなかった。
「リュシアン様、顔を上げてください。謝って頂く必要なんてありません」
「いや、思い返せば私は貴女に酷い言葉ばかりを投げかけていた。女性に対して男としてみっともなく思っている」
「やっとその事に気づきましたか。公爵様」
「ジョエルっ!」
「お前がそう言うのも仕方がない。私は何も分かっていなかったのだから」
素直に謝罪するリュシアンに、ジョエルは調子を狂わされてしまう。
ハァとため息を吐いてから、ジョエルはリュシアンの目をしっかり見て告げる。
「お嬢様をこれ以上泣かさないでください。これまでお嬢様は酷い仕打ちを受けてきたんです。もうそろそろ報われてもいいと思いませんか? これからは守ってください。必ず!」
「そうだな。お前の言う通りだ。これからは私がシオンを守ると誓おう」
「それでも私はまだ公爵様を信じられませんけどね!」
「お前にもシオンにも認めて貰うよう努力するつもりだ。そして……私はお前に負けない!」
「何に負けるとか勝つとか言ってるんだか……」
リュシアンの言う事がイマイチよく分かっていなかったものの、ジョエルはリュシアンの気持ちの変化に期待した。
だが真意は確かなのか? と勘ぐる気持ちでリュシアンをしっかりと見つめてやる。
リュシアンも負けじと視線を合わせ見つめ合う。
お互いの目線がぶつかってバチバチと火花が散りそうな状態の二人をシオンはハラハラしながら見守っていた。
だけどこんな日が来るなんて、と嬉しくなって思わず
「ふふ……」
と笑った。
その笑顔にドキリとするリュシアン。
着実に二人の関係は良くなっていく。これでもう安心できる。ジョエルは胸を撫で下ろした。
そうなれば自分がここにずっといる必要はなくなる。二人を見守って、もう大丈夫と思えたらダニエルと一緒に住もう。必要であれば通えばいい。ならこの近くに住もうか。いや、それだとダニエルの仕事はどうなる?
等と、そんな事をジョエルは考えていた。
だがまだもう少し。もう少し様子を見ないと。まだリュシアンを完全には信用できないと、ジョエルはあの時の事を思い出しては、納得がいかないと憤っていたのだ。それはリュシアンがアウルベアからメリエルを庇った時の事だ
なぜメリエルを庇ったのか。もしかしてメリエルを女性として見ているのではないか。シオンと同様、ジョエルもそんなふうに勘ぐっていた。
「奥様、お待たせ致しました! あ、公爵様!」
「なんだ。今から昼食か? 街で食べて来なかったのか?」
「あ、そ、そうですね、浮かれてて忘れてしまっていたんです……」
取り繕うようにシオンが言うと、メリエルも慌てて弁明する。
「あの、色々見てまわって疲れてしまって、私も昼食の事を気づかずにいてですね、申し訳ありません! 奥様にこんな時間に……!」
「いや、怒っている訳では無い。そんなに恐縮するな」
「そうですか! なら良かったです!」
ホッとして笑ったメリエルを見て、リュシアンもフッと笑った。
シオンはそれを見て羨ましく感じてしまう。あんなふうにリュシアンが自分に笑ってくれた事は一度もない。自分にはまだあの笑顔を向けては貰えないのだろうか、と。
その様子を見てジョエルも、フゥとまたため息を吐く。
こればかりはどうしようもない。笑えと言って笑って貰うものでもない。それでもリュシアンのシオンへ対する誤解は解けたのだ。今はそれだけで充分だと思わなくては。
そしてそれはシオンも同じように思っていて、自分に価値はないと植え付けられて育ってきたシオンにとって、リュシアンの対応が自分には勿体無い位に思い、これ以上求めてはいけない事のように感じているのだ。
衣食住に困らず、誰も自分を冷遇しない。
今までそんな普通の事すら叶わなかったシオンは、今が幸せなんだと、これ以上の幸せは望んではいけないと自分に言い聞かせるのだった。




