49話 ルマの街
今日は街へ行く。
幼い頃、ジョエルを助ける為にルストスレーム家を抜け出して街へ行ったのが今世では最初で最後の事だったので、シオンは街へ行けるのがとても楽しみだった。
昨日から嬉しくてなかなか寝付けなかったし、ワクワクして朝食もあまり食べられなかった程だ。
シオンは貴族としてではなく、一般庶民として街に行ってみたかった。その街に馴染みたいとの思いからだ。
なので着替えたのは質素な服だった。
とは言え、シオンの持っていた服とは雲泥の差の物で、生地は肌触りの良い高級の布であって、色彩も豊かで鮮やかで、古びた所は一つもない上品なワンピースだった。
町娘に見えるように、との事だが、富豪の娘に見える程の服であり、それを着る事になったシオンは少し緊張してしまう。
これもリュシアンからの贈り物で、シオンが街へ行くとなってから急遽用意された物だったが、シオンはリュシアンの心遣いが嬉しくて仕方がなかった。
「では公爵さ……あ、えっと、リュシアン、様、行ってまいります」
「あぁ。無理はしないようにな。体調が悪くなればすぐに戻ってくるんだぞ。欲しい物があれば、モリエール家の名前を出せば支払いせずとも送って貰える。食事をする場所も、モリエール家の名前でどこにでもすぐに入れる筈だ。路地裏や怪しいと思う所は近寄らないように。それと人とぶつからないように距離を保って歩くように。肩の怪我にさわるといけないからな。それから……」
「ふふ……公爵様は心配性なんですね」
あれこれ口出しするリュシアンにメリエルは微笑ましく感じて笑ってしまう。シオンは恥ずかしくなって俯いてしまう。
「あ、いや、そういう訳では無い! こ、公爵夫人として、だな、弁えて貰いたい、と思ってだな……!」
「はいはい、分かっておりますよ。ご心配には及びません。私がついておりますので。では行きましょうか、お嬢様」
リュシアンの言葉をぞんざいに扱うのは例の如くジョエルだ。
今更反省して心を改めても遅いとばかりに、リュシアンの言葉を無礼にも遮ってシオンを馬車へと誘う。
ジョエルに窘めるような視線を向け、シオンは姿勢を正しリュシアンに向き合い、にっこり微笑む。
「ありがとうございます、リュシアン様。遅くならないようにしますので」
「そう、だな。まぁ、楽しんでくるといい」
「はい!」
公爵家と分からない馬車で、これからシオン達は街へと向う。ジョエルはもちろん、メリエルも一緒だ。
向かった先はルマの街。
公爵邸からは一番近くの街で、モリエール領の中で最も栄えている街だ。
馬車で一時間弱程の道のりだが、それさえもシオンには楽しく思えてならなかった。
初めてに馬車に乗ったのは、ルストスレーム家からモリエール家に嫁ぐ時だった。その時はルストスレーム家から脱出できた安堵感、リュシアンに会える高揚感、悪評の自分が受け入れられるかどうかの不安感等が合わさって、複雑な心境でいた事を思い出す。
あの時とは打って変わって、今日のシオンはワクワク感、リュシアンからもたされた幸福感、これからの事が上手く行きそうな期待感等が胸を埋め尽くしていて、終始笑顔の状態だった。
共に馬車の乗っているメリエルも、こんな楽しそうなシオンを見たのが初めてで、まるで幼い子供のようだなとその様子を見ているだけで嬉しくなっていた。
街にたどり着き馬車から降りる。
すかさずジョエルがシオンをエスコートする。そっと足を地に下ろすと、そこは今まで見た事もない程賑やかで、人々が多く活気があった。
「ね。ねぇ、メリエル……今日はここで何か催しがあったりするのかしら?」
「いいえ奥様。このルマの街はこれが日常なんです。とても活気があるでしょう?」
「本当ね。これだけの人々の姿を見たのは初めてよ」
珍しい物を見るように、シオンは辺りをキョロキョロ見渡す。
少し離れた所には路上市場があり、そこでは多くの人々が買い物を楽しんでいた。それを見て何かの催しなのだとシオンは思ったのだ。
ジョエルの腕に支えて貰いながら街中を歩いていく。それを見守っているモリエール家の護衛の者達。シオンはジョエルがいれば大丈夫だと言っていたが、リュシアンはジョエルの腕前も知らないし、一人に任せるのが不安だった。
だから秘密裏に護衛を就かせたのだ。
そんな事とは露知らず、シオンは嬉しそうに街をゆっくりと歩く。その歩調にメリエルもジョエルも合わせ、ゆっくりと歩いていく。
建物は大きく、だけど所々木々もあって、道路脇にはベンチがあり休憩できるようにもなっている。
子供達も嬉しそうに走り回っていたり露店の物を買い求めていたり、とても治安も良さそうに見えた。
花屋に寄り苗を購入し、露店で売っていた綿飴を食べ、路上で歌う歌人の美しい声に耳を寄せ、メリエルに声をかける人々と気楽に会話をする。
どれもが今まで経験した事の無かった事で、シオンには貴重な経験だった。
しかしメリエルは、シオンから段々と笑顔が消えている事に気づいていて、その原因が何なのかを様子を見ながらずっと探っていた。
しばらく歩いて、疲れただろうとジョエルはシオンに休憩を促す。
街の中心部には広場があり、そこにも露店が多くある。中央部分に噴水があり、その周りを囲うようにベンチが設置されており人々がくつろげる状態となっているので、そこで一休みしようとしたが……
シオンは立ち止まり、辺りを見渡す。
先程からシオンは既視感に襲われていた。
初めて来た筈の場所。なのに知っている場所のように感じるのだ。
「奥様、どうかされましたか?」
「この街は……」
「この街がなにか?」
「いえ……その……みんな笑顔で良い人達ばかりだと思ったのだけど……」
「そうなんです。ここルマの街は『祝福の街』と呼ばれているんですよ」
「祝福の街……?」
メリエルはシオンにこの街の事を話そうとしてハッとし、黙ろうかと悩む。
しかし途中まで言ってしまったが為に言わないという選択は出来なかった。ジョエルとシオンをチラリと見てメリエルは深く呼吸をし、息を整えてから告げた。
「この街は昔、元聖女様が疫病から守った場所なんです」




