もしも女子2人がお互い好きになるまで出られない部屋に閉じ込められたら
目が覚めたら天井が見えた。あれと思って身体を起こして見渡したらワンルームのベッドで寝てたみたい。
「ここ、どこ?」
無機質な部屋でテーブルにソファ、奥にはダイニングキッチンが見える。窓は閉まってるけど、その先に見える住宅地を見下ろす景色からここはアパートのそれもかなり上の階って分かる。
私の家は一軒家だ。部屋も着飾ってるとは言えないけどそれでも流行りの小物とかはちょくちょく置いてる。
状況が分からない。記憶を辿ろう。
今の私は学校の制服を着てる。それに朝家を出た記憶はある。バスに乗ってそこでうたた寝してた時?
いや、違うと思う。確か運転手さんに起こされて学校に行ったから授業中に居眠りしたからあの時?
いやいや。それなら普通は保健室で寝てるし。いや、それもおかしいかも。
色々考えて思考が巡ってくる。そこで1つの嫌な考えが過ぎる。
「監禁されてる……?」
あり得ない話ではない。というか見知らぬ部屋に女子高生1人いるというのはそれしか考えられない。
「やばいやばい。早く逃げないと」
急いでベッドから身を起こしたその時、廊下の方から足音が聞こえて心臓が止まりそうになる。曇りガラス越しに人影が見えた瞬間、人生が終わったって思った。
今はもう指先も動かせない。ドアノブが回されてガチャリと開く。
頭が真っ白になった。でもそこに立ってたのは怖い人じゃなくて私と同じ学校の制服を着た女子生徒だった。
「目が覚めたのね。色々と聞きたいのだけれどいい?」
長くて白い髪はサラサラ。丸い目は大きくて、愛嬌のある顔立ちから男女共に人気のある女子。あの学校に通ってて同学年で、いや、全学年で知らない人はいないと思うほど清楚美人の人。それが白月冬華だ。
地味で目立たない私とは正反対とも言える。
「白月さん? どうして?」
「それはこっちの台詞よ。目が覚めたらソファで眠ってるし、玄関も開かないしでまるで状況が分からない」
「え? 開かない? どういうこと?」
私の質問に対して白月さんがベランダの窓に近付いて横に引こうとしたけどビクともしてなかった。気になって私も近付いたら驚くことに鍵も何もされてない。でも横に引こうとしても全然動いてくれなくて、2人がかりでもダメだった。
「玄関の方も同じ。ロックも何もされてないのに開かない。トイレとか小さな窓も全部ダメだった。開くのは部屋の間を移動できる所だけみたい」
白月さんはすごく冷静に言ってるけど私には訳が分からない。監禁されて誘拐されたって考えるのが普通だけどこの部屋は普通じゃない。それに私は誘拐されるほど美少女でもないし、一般人以下だと思う。白月さんは分かるけど、どうして私なんだろう?
「その様子だとここはあなたの住んでる所ってわけでもなさそうね」
「うん。白月さんも?」
私の質問にコクリと頷いてくれる。やっぱり誘拐だ。だったら早くここを出ないと。でも窓も玄関も開かないなら……。
そうだ、スマホ。いつも制服のポケットに入れてるから頼みの綱で手を入れてみた。
でもそこには何もなかった。一応内ポケットも全部探しても入ってない。
「固定電話もなかったから外部との連絡もできなさそうね。でも不思議と冷蔵庫の中には食べ物も入ってるし水も使えるのよね」
白月さんが冷蔵庫を開けて棚からコップを出して牛乳を入れて飲んでる。どうしてそんなに暢気なんだろう。
「それよりも早く出る方法を考えないと。このままだと大変だよ」
「そうでもないと思うけど。私、あなたより大分早く目が覚めたけどかれこれずっと誰かが来る様子もなかったのよね。それに」
白月さんがテーブルの方に視線を送る。釣られて私も目が行くとそこに一枚の紙が置いてあった。気になって近付いて見ると真っ白な紙に黒いマジックで、『お互い好きになるまで出られません』って書いてある。それだけ。
「どういうこと?」
私には意味も意図も理解できない。
白月さんからは何も返答がないからきっと私と同じなんだと思う。
それから私と白月さんは向かい合うようにソファに座って時間を過ごした。会話はない。私みたいな地味な女子と高嶺の花と呼ばれる人じゃ天地の差があるし、そもそも接点すらない。何もないから、会話もない。時間は過ぎてる気がするけど恐ろしく長く感じる。
「そうだ。声を出したら隣の部屋の人が気付いてくれるんじゃ?」
「無駄よ。考えられる方法は全部試したから。ドアは蹴ったり叩いたりして反応をうかがったけど何もなし。窓を割ろうと物を叩きつけても傷1つ入らない。それに」
白月さんが窓の外を見る。どうしたんだろう、ジッと見て。私も見たけど何も変だと思わない。青い空に住宅街が見えて色んな店が見える。
「おかしいと思わない?」
「そう、かな。普通だと思うけど」
「音、何も聞こえないのよ」
言われてようやく気付いた。いくら高層マンションだからって車や電車の音が1つも聞こえないのは不自然だ。それによく見たら人の気配も、鳥の姿すらもない気がする。
まるで別世界のどこかに放り投げられたような、そんな気すらする。
「それに私は学校で確かに授業を受けていた。確か3限目。にも関わらず太陽はまだ空を昇っていない。というか動いてすらいない気がするの」
白月さんは私と違ってすごく論理的に考えてた。居眠りばかり白昼夢と言われても信じてしまいそうな私よりもずっと頼りになる。
「時間も音もなくて部屋からも出られないなんてこんなの異常だよ」
そこでまたテーブルの上の紙に視線が行く。
『お互い好きになるまで出られません』
それだけが書かれた紙。普通ならこんな言葉を信じる気もないけれど、この異常事態においてこのメッセージだけが何かヒントになってる気がした。
でもお互いってここには私と白月さんしかいないし、つまりはそういうこと?
そういうのって普通男女がするものじゃないの?
恋愛経験素人には何も分からないよ。私はそういうのと縁がないってずっと思ってたから。
「私の仮説だとこの紙の通りにしたらこの部屋から出られると思う」
「つまり好きになれってこと?」
言ってて少し恥ずかしくなってきた。そもそも誰かに対して好きなんて感情持ったことないし。
「同時に好きって言ったら出られる?」
適当に言ったら白月さんが頷いてくれた。それで深呼吸し合って間をあけてから目配りしたら頷いてくれる。恥ずかしいけどここから出るためだから。
「好きです」
「好き」
顔が少し熱くなってきた。誰かに対して面と向かって言うのがこんなに恥ずかしいなんて思わなかった。でも白月さんは冷静ですぐに立ち上がって窓が開かないか調べてる。やっぱり告白も一杯されるから慣れてるんだろうな。噂だとサッカー部のキャプテンと付き合ってるって聞くし。
「ダメ、開かない」
「なんで?」
好きってちゃんと言ったのに。これがお互い好きになることじゃないの?
白月さんはゆっくりと戻って来てソファに座った。少しだけ色っぽく息を吐いてから口を開いた。
「ねぇ、黒峰さんは醤油が好き?」
唐突な質問に面食らってしまう。この人は何を考えているんだろう?
でも2人きりの状況で機嫌を損ねるのはかなり気まずいから質問には答えるようにしよう。
「好き、だけど」
「そうよね。私も好き」
本当になんなのだろう。場を和ませようとふざけてるのかな。
「日本人の殆どの人がきっと同じ答えを出すと思うわ。なんでだと思う?」
「……分からない」
「2択だからよ。好きか嫌いかって聞かれると大抵好きに傾くもの。だって、どちらかと言えば好きや嫌いではないも好きに含まれる」
「何が言いたいの?」
「クラスの関係も同じだと思わない? 私は普段から人に嫌われるような行いをしてるつもりはないから見ず知らずの人に私をどう思うって聞いたらその人は好きって答えるんじゃない?」
それを堂々と言えるのがすごいよ。やっぱりこの人と私だと生きてる世界が違うんだなって思う。でも、白月さんの言い分は当たってる。少なくとも私は白月さんは嫌いじゃないし。
「私は黒峰さんが好きよ。でもこれは何となくの好きでしかない。これだとダメなんだと思う」
「ようするに恋人関係になれて結婚できるほどの好きじゃないとダメってことでしょ?」
漫画やアニメでしか知らないけど告白してオーケーできるような本気さが必要なんだって言いたいんだと思う。でも何故か白月さんは首を横に振ってた。なんなのこの人。
「世の中にはね、好きでもなく付き合ったり結婚する人もいるのよ」
「わけがわからない。好きだから恋人になるんじゃないの?」
「そう言う人もいるだろうけど。でもね、生きてる環境だったり周りの目だったり或いは経済的な問題だったり、人って案外と本当に自分が好む相手とは付き合えないものよ。それで自分の中で妥協して最終的にこの人とならまぁ結婚してもいいかなってなるのよ」
どうしてまだ結婚もしてない人がそんなに達観した考えができるの? 白月さんって普段からこんな風に考えてるの?
「うちの親、お見合いで結婚したからそこに好きも愛もなかったんだと思う。現に私はいままで愛情を感じたことはなかった」
「そうなんだ」
別に白月さんの家の事情なんて興味ないし。これから関わりもないだろうし。
「恋人になるのも、結婚するのも、妥協と強制力が働くとそこに好きはあると思う? あなたは今、この部屋から出られるなら私を好きになってもいいくらいの認識なんじゃないの?」
それを言われてドキッとした。まるで心を読まれた気分だった。実際、私はこの現状にうんざりしてきてたから、心のどこかでそう思ってたと思う。現にさっきも好きって言い合ったのも出る為だからって名目だったから。
「きっとこの紙に書かれてる好きはそんな生易しいものじゃないと思う」
「じゃあどうすればいいの? 本気で好きになるなんて私には分からないよ」
もし好きになれなかったら一生この部屋から出られないの? 白月さんとずっと一緒に1日中過ごすの? 食べ物とかはどうなるの? 私、死ぬの?
そう考えたら涙が溢れてきた。確かに人に誇れるような人生は歩んでいない。でも誰かから憎まれるような悪行をした覚えもない。いや、記憶にないだけでどこかでしていたのかもしれない。私は私が思う以上に卑屈だ。その卑しさが神様に覗かれて罰を与えたんだろう。これは罰なんだ、きっと。
「1つ、昔話をしてもいい?」
泣いてる私を他所に白月さんが語り出す。
「小学1年生の頃、遠足に行った日があるの。子供の足だからそんな遠い所じゃなかったけど、それでも子供の足だとすごく遠く感じる場所にあった。帰る頃には皆遊びつかれてたけど、それでも学校に帰らないとダメで、その道のりがすごく遠かった」
急に何を言ってるんだろう? でも私にはその語りを止める権限もない。
「同伴してた先生も少なかったから全員を見れなかったんだろうね。だから皆と離れて行く私に誰も気付いてくれなかった。声を出してもか細い声しか出なくて、楽しそうに談笑する人にかき消されて、人生のどん底に落ちた気分だった。でもね、そんな時に1人だけ戻って来てくれて手を引いてくれた子がいたの。あなた、なんだけど」
気付いたら顔を上げて白月さんを見てた。白月さんは私を見ると優しく微笑んでくれた。その表情があまりに儚くて美しかったら涙も枯れるくらい頬が熱くなってくる。
「ごめん。記憶に、ないよ」
俯いてそういうしかなかった。こんな真っ赤な顔を見られるのは恥ずかしいから。
きっと幻滅しただろうな。だってそんなに細かく言われても何も思い出せない。遠足があったのすら記憶に怪しい。
「いいの。私すごく嬉しかった。今まで親にも愛されなくて、今も上辺でしか近付いて来ない人も多くて、だからあの時ほど私の心が動いた時はなかった。私はずっとあなたにお礼を言いたかった。だってあなたは学校に着くなり何も言わずに去って行くんだもの。だから今言わせて。ありがとう」
記憶にないことでお礼を言われて余計に恥ずかしい。顔がどんどん熱くなる。どうしてこんな気分になるんだろう。何も、分からない。
「きっと、私はあなたを好きになっていたんだと思う。だって、あの日以来あなたを目で追うようになってしまったから。でも、あなたはこんな私と一緒にいたくないって思うと自然と一歩引いてしまった」
「もう、いいよ。無理しなくて。白月さんには彼氏がいるでしょ? 無理して私を好きにならなくていいよ。こんなの、きっとダメだよ」
何とか出せた声も自分でも思う以上に小さくて弱かった。
「全部周りや親の期待の為だったもの。周りを幻滅させないために、親を落胆させない為に完璧な自分を演じてきた。でも、ここに来てようやく自分の本心に気付けたの。ここにはあなたしかいないから、私は自分の本心に正直に生きていこうと思う。妥協でもなく強制でもない、私の意思であなたを好きになりたい」
きっと真っ直ぐな目で言ってくれてるんだと思う。私はダメな人間だ。こんなに正直に本心で語ってくれているのに、顔もあげられず俯いたまま。
ここで「はい」と返事をしても、それって私の意思なの? 流されただけの何となくの意思? 私はどうすればいいの?
長い沈黙が流れた。
何もかも優柔不断な私だから、白月さんにも面と向かって何も言えない。
白月さんはすごいよ。私にないもの全部持ってる。頭もいいし、運動もできるし、交友関係も広い。こんな状況でも打破しようとずっと考えてくれてる。
私は? 私には何もない。何もできない。何もしてない。
白月さんの返事1つも満足に答えられない私はきっと最低なんだ。だって、私なんかと白月さんとじゃあ全く釣り合わないから。私が隣にいるだけで白月さんは周りから変な目で見られる。それに私を仮に本気で好きになったらそれこそ世間からも痛い目で見られる。
そんな白月さんは見たくない。
私も本当は白月さんと仲良くなりたかった。でも私がいると邪魔になるって分かってたから近寄りもしようと考えなかった。それがお互いの為になると思ってたから。
どうして私と白月さんがこの部屋に選ばれたんだろう?
もっと適任者がいたと思う。仮に女性同士だったとしてももっと良い人がいたと思う。
なのに。
……なのに。
ああ、まただ。涙が溢れる。もう止まらないよ。この涙の意味も、どうしてこんなに胸が苦しいかも分からない。分からないよ、もう何も。
「大丈夫。ここには私とあなたしかいないから」
ああ、そっか。そうだった。どんなに泣いてもどんなに醜態を晒しても誰も見てないし、誰も聞こえないし、誰も気付いていない。こんな私にも優しく接してくれるのが白月冬華って人だった。
「私も恋焦がれていたんだと思う。言葉にもできなくて、自分でも分からなくて、常識とかの言葉に遮られて、本当の自分は殺されて」
自分でも何を言ってるか分からない。でも言葉が勝手に紡がれる。
「きっと私も好きだった。あなたの後ろ姿がいつも遠くて手に届かないのが悲しかった」
そこで顔を上げたら白月さんは見たこともないくらい優しい顔……いや、照れた顔をしてた。恥ずかしかったのは私だけじゃなかったんだ。
心の中の穴がすうっと閉じていった気がした。
それと同時にどこからかガチャリって音も聞こえた。
それに気付いて白月さんと一緒に玄関の方に行くと扉が勝手に開いてた。涼しい風が髪を揺らしてちょっと寒い。
私と白月さんは迷わずに外に飛び出した。その先に行くとまるで世界が息を吹き返したみたいにざわざわと色んな音が耳に入ってくる。私と白月さんは現実に帰ってきたみたい。
「出られたみたいね」
「うん」
これからどうしよう。学校に行く? 家に帰る? 警察に相談?
悶々と考えていると白月さんが隣に立って私の手を握って悪戯に笑ってる。
今までの全部嘘じゃなかったんだ。
そっか。
どうしてだろう。胸が高鳴る。こんなに嬉しいって思ったの、いままでにない。
私も手を握り返して白月さんを見て微笑み返した。この気持ちが伝わっているならそれでいい。
私達の関係を祝福するみたいに鳥達が飛び立っていく。太陽の光も眩しいけど、新しい一歩を踏み出すには丁度いい。
きっとこれからが大変だろうけど、色々と考えるのはもうやめよう。これ以上自分に嘘はつけない。
あの部屋は私達を縛っていなかった。私達を縛っていたのは世間だったんだと、そう思う。