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第6話

 ユーリウスは背中をこちらに向け身を屈めている。暫くしてランタンを拾い戻ってくる。元の場所に座らず、何故かタマラの前に来て手に持つランタンをテーブルに置いた。

 ユーリウスはゆっくりと片膝を付きタマラを見上げる。タマラの手を掬い手の甲に唇を落とした。敬愛の口づけは一番最初の告白にされた時以来2回目だ。

 後ろに隠していた利き手を差し出され、タマラは瞬きを繰り返した。ユーリウスの手には一輪の花がある。ランタンの灯りに照らされた花は赤い薔薇だった。この王国では告白や求婚の時につきものの赤い薔薇の花。いつの間に用意していたのか薔薇の花枝にリボンが巻かれている。

 目の前の薔薇からユーリウスへと視線を移した。

 焦がれるような深緑の瞳はタマラを見つめ続けている。


「私ユーリウス・レプカはタマラ嬢に交際を申し込みます。そして――不滅の愛を誓い、生涯の伴侶となることの許しを(こいねが)います」


 月明かりの下に騎士が跪き赤い薔薇を片手に愛を乞うている。

 この状況の既視感はお姫様ごっこが好きだった幼い頃、絵本で見たこの王国の王と王妃の物語。学校に通うようになってからは女友達たちとはしゃいで語った、高貴な騎士としがない平民の娘との束の間の逢瀬での重要な告白の場面。

 今その物語の主人公たちと同じ局面を迎えている。

 騎士然としたユーリウスに見惚れていたタマラは我に返る。

 ユーリウスにここまで仕掛けられ、タマラは対峙するために深呼吸した。

 あの場面では平民の娘はどう答えたのか。

 タマラは手順はどうだったかと思いだそうとするが中々記憶に行き着かない。心臓が忙しなく気ばかりが焦る。返事をして薔薇を受け取るのか、それとも薔薇を取ってから返事なのか。

 それともどちらでも良かったかもしれない。

 ごく普通の無難な返事でも構わないだろうか、と意識を戻す。

 僅かな間に目の前の希求の瞳がほんの少し不安に染まっていくのがわかった。

 これはどうみてもユーリウスにとって正念場で一世一代の告白だ。見て見ぬ振りをしてきたタマラでもその真摯な態度と想いはわかる。

 ただの無難な一言でいいのかと躊躇いが生まれた時、平民の娘の応じる言葉が鮮明に蘇る。

 まるでユーリウスの味方をするかのような、煮え切らないタマラを叱咤するかのような啓示。

 娘が騎士の思いを受け入れた言葉は胸にすとんと落ち、タマラが言おうとした返事よりこの場に相応しい。


「誓いを受け入れ、許します」


 するとユーリウスが真剣な顔のまま、時が止まったかのように身動きしない。瞳の揺らめきも収まっている。

 目を見開き瞬きもせず見つめ続けているので、タマラはそっと差し出されたままの薔薇の花を取る。ユーリウスの空いたその手はゆっくりと下げていく。


「本当に……?」


 掠れた声がユーリウスから零れる。


「はい、よろしくお願いします」


 タマラはしっかりと声を出して、座ったまま頭を下げる。

 姿勢を元に戻した時、視界が揺らいでユーリウスに抱きしめられていた。

 タマラは急な行動に顔が赤くなっているのがわかる。それなのに冷静に薔薇の花が気になってしまう。


「あ、あの、薔薇が潰れちゃう」


 ユーリウスが素早くタマラの手から薔薇を抜き取り、テーブルに置くと再び膝立ちのままの姿勢で抱きつかれた。タマラは驚いたのと恥ずかしさで、両手をどうしようかとあたふたしながら、ユーリウスの背中に回して触れた。

 ユーリウスはそれに気がついたのか、さらにぎゅと抱きしめてくる。


「タマラさん」

「……何」

「僕を恋人にしてくれるの?」

「うん」

「僕の恋人になってくれる?」

「返事聞こえてなかった?」

「許すって言った……結婚してくれるって言ってくれた」


 タマラはお付き合いからの意味で返事をしたつもりだった。

 だが確かにユーリウスは結婚の意を込めた言葉に許しを求めていた。言質は取ったとばかりに、ユーリウスの抱きしめる力が表している。

 ユーリウスとしては待ちに待った募る想いが叶った訳で、タマラは否定するのも何か違うような気がした。ユーリウスとの話次第では受け入れるつもりだった。


「どうしよう。嬉しい……凄く嬉しくて、あぁ、どうしよう」


 ユーリウスが感極まった声を詰まらせ、抱きしめたまま安堵なのか感嘆なのかため息をついている。


「座ったらどうかな。体勢つらくない? 取り敢えず座って」


 声をかけると直ぐにも腕を緩め立ち上がり、タマラが置いていたランタンを足元に置いてユーリウスが座る。ぴったりと隙間なく隣に座られ、タマラは間を少し空けようと体を動かす。すぐにもユーリウスに手を握られて動きを封じられた。


「ねえ、タマラさん」


 目線を上げるとユーリウスの片手が頬に触れた。


「タマラさんに触れたいって言ったら、どうする?」


 今まで聞いたことがない甘さを含んだ声。ユーリウスの切なく揺れる瞳の熱量とその微笑み。ランタンの灯りの所為かやけに色気を帯びはじめる表情。

 さっきまで抱きしめていて今も手を握り頬に触れているのに、わざと尋ねてくる。

 頬に触れている指先が動き、タマラの下唇を撫でる。

 寄せる体の熱が伝染するように、タマラの身も心も巻き込まれる。


「触れる許可が欲しい」


 タマラは早鐘を打ち始める胸を押さえ、ユーリウスの願いが何かわかるから知らん振りはできない。適齢期を迎え過去に捨てられたことのある女だ。今更初心(うぶ)な態度は相手を冷静にさせるぐらいの威力はあるだろう。

 しかし今のユーリウスなら、どんな態度を取ってもいい様に確実に取られる。


「嫌なら嫌だって言って。そうじゃないなら――目を閉じて」


 声に出しながら拒まないでと言われているようで、その目はどう見ても獲物を狙う狩人のようで。拒絶すれば素直にやめてくれるだろう。タマラの気持ちを優先させてくれるから今も確認まで取る。

 目の前にいるのは一人の異性として向き合うユーリウスだ。

 期待と不安を滲ませユーリウスが覗き込むように首を傾げる。

 これから行うのは恋人同士の秘め事。

 相手がユーリウスなら――嫌じゃない。

 タマラは目を閉じた。

 ふっと唇に熱が灯り離れたのがわかる。

 ゆっくりと目を開けると、吐息が触れる距離にユーリウスの顔があった。

 真っ直ぐな深緑色の視線はタマラを捉えて離さないが、すぐにも瞳は溶ける。


「もっと触れたい」


 目尻を下げて幸せそうに笑うユーリウスを見て、タマラは恥ずかしさから睫毛を伏せる。

 本当にユーリウスからの口づけは嫌じゃない。

 寧ろ心がふわっと温かく心地良くて、それでいてこそばゆい恥ずかしさ。久しぶりの感情が滾々と湧いてくる。

 何度も重なる唇と熱に溶けるような気持ちに流されるまま、ユーリウスから与えられる想いを受けとめる。唇が離れると囁くように、何度も吐息紛れに「好き」と言われ際限がない。しかも唇以外の旋毛や額、頬など至る所へ口付けが降り注ぐ。

 長くて短い時間は、ユーリウスがタマラの肩に額をつけて残念そうな息をついて終わる。


「あーもう、帰したくない……けど、ご両親か心配するだろうから、今日はここまでか」


 またしてもぎゅうぎゅうに抱きしめられて、タマラは落ち着かない心をなんとか静めようと密かに息を吐き出した。

 あまりにも急展開に若さって恐ろしいと思いながらも、雰囲気に流されてしまった自分自身にも苦笑いしてしまう。

 なんだかんだ考えて悩んでいたのは、ユーリウスに嫌われたくない気持ちがあったのだ。ユーリウスが言うとおり、きっとタマラはユーリウスのことを好きなのだ。ほんの少し否定する自分がまだいるが、ユーリウスと過ごしていけば、いつか消えてなくなるだろう。そしてタマラの気持ちが追いつくまで、ユーリウスなら今までと同じく待ってくれるはず。


「先輩が痺れを切らす頃なので戻りましょうか」


 ユーリウスから手を差し出されタマラは素直に手を乗せる。

 薔薇はタマラの鞄に忍ばせて、裏門前で腕を組んだ男性が待ち構えていた。タマラがいるからかユーリウスは説教は免れたが、一睨みされ「今度奢れよ」と肩を叩かれていた。

 ユーリウスと手を繋ぎ王都の飲食街を通りタマラの住む西区へと向かう。

 隣りにいるユーリウスを見れば終始機嫌がいいのか笑顔のままだ。


「明日から、できたらタマラさんを仕事終わりに迎えに行ってもいいかな……家まで送りたい」


 タマラの仕事は基本暦通りで店番もイザークから手伝いを言われない限り夕方には終わる。その後は大体は家に真っ直ぐに帰るだけなのだ。タマラの住む地域は治安は悪くない場所にあるから心配する必要はない。


「大丈夫よ。今まで何事もなく帰ってるから」

「毎日会いたい。っていうのが本音だけど、迷惑?」


 眉を下げて沈む様子に、日頃の仕事はどうするのかと気になる。


「でも城下に用事もないのに出歩いたら怒られるんじゃない?」

「大丈夫。そこは上手くやりくりは得意だから。それからタマラさんを送るのは、僕にとって重要な用事だよ」


 拗ねたように外方を向かれ、タマラは口元を手で押さえ笑い声を耐える。

 ユーリウスの仕事に支障がないならば、タマラとしては構わない。


「仕事を優先させるならいいわよ」

「それから休みがあうなら……一緒に出かけたい」

「前にも何度か出かけたことあるよね」

「これからは恋人同士として出かけたいって意味だよ」


 ユーリウスが苦笑いをする。

 確かに恋人同士なら今の会話はあまりにも冷たい。改めて恋人同士と言われて、じわじわと心に染み込んてくる。夜の暗さのおかげでわからないだろうが、きっとタマラの顔は赤くなっているだろう。


「あ……そうだよね、うん。わかったわ」

「――こうも鉄壁なら誰も乗り越えられないのもわかる気がする」


 呟いたユーリウスと目が合うと、微笑んで首を振っている。


「何でもないよ、気にしないで」

「そう?」

「あとご両親に挨拶したいんだけど」

「え? どうして」

「お付き合いの挨拶」


 まだ従騎士だった頃に一度タマラの家に連れて来たことがあり、その時に両親とユーリウスは挨拶をしている。タマラが一言ユーリウスと付き合うことになったと報告すれば済むと思っていた。


「そうすればご両親安心するかと思って。タマラさん一人娘だし、お見合い話持ってこないようにする目的もあるけどね。でもその前に反対されるかもしれないか」


 確かに両親にユーリウスが挨拶すれば安心するだろう。

 以前の時は何もしなかったしする必要がないと思っていた。それが返って心配させることも学んだつもりだった。

 タマラは両親が反対するかと疑問に思っている。母ヘレナならば喜んでご馳走を作って歓迎してくれそうだ。父ダニエルは反応はどうか想像がつかない。そういった話はすべて母からで、父は気にはなるが聞きたくないとばかりに、いなくなるか無視をしていることが多い。実は母よりも父が心配しているのだと最近なんとなく気がついた。


「母は誰が来ても歓迎しそう。父はわからないけど、大丈夫だと思う」

「誰が来てもなんて困る。反対されたら頑張って説得するから」


 そんな会話の中、西区のタマラの家の前についた。このあたりは小さいながらも一軒家が集まる。タマラの家の隣りは今もエマの両親が住んでいる。


「一応連絡は入れたんだけど、帰りが遅くなったこと謝るよ」

「そんなに気にしなくても」

「予定通りだったら今頃は家で寛いでた頃でしょ。それに心配してるよ」


 ユーリウスが家の入口を見ると扉が開く。そこにはダニエルがいた。


「遅かったな」


 ユーリウスは姿勢を正して深く頭を下げた。


「遅くまでタマラさんを連れ回してしまい、申し訳ありませんでした」

「タマラ、家に入れ」

「でも……」

「もう、何してるの。中に入ってもらったら?」


 ダニエルの背後から頭をのぞかせたヘレナが声をかけてきた。ユーリウスを見た途端、ヘレナがダニエルを押しのけて出てくる。


「確か今は騎士様になられたのですよね。お久しぶりです、レプカ伯爵令息様」

「王宮騎士団所属の一介の騎士なのでユーリウスで構いません」

「ふふ、お許しが出たわ。ではユーリウス様、狭いですがどうぞ中へ。ダニエルも突っ立っていないで入ってくださいな」


 ユーリウスは紳士的な態度を崩さず遠慮する。


「いえ、私はタマラさんの送り届けと、遅くなったお詫びをしたらお暇しますので」

「まあそうなのね。じゃあ、そのお詫びをお茶を飲みながら聞きますね。どうぞどうぞ。ダニエルも聞きましょう、ね? タマラにも、遅くなった訳を話してもらおうかしら」


 笑顔を絶やさないヘレナの押しの強さに、ユーリウスは視線を泳がせタマラに救いを求めてきた。

 しかしタマラはこの状態のヘレナが折れないことを知っている。ダニエルと顔を見合わせる。ダニエルも小さく息を吐いて観念したようだ。


「騎士殿、中へどうぞ。妻は掴んたら離さない主義なので」


 ダニエルがヘレナの圧力に屈してユーリウスを招き入れた。


「まあダニエルったら、何に例えてるのかしらね。タマラわかるかしら」

「お母さん、無理強いは良くないわ」

「とても楽しみ。どんなお詫びかしら。タマラ、お茶の用意手伝ってね」


 静かなダニエルと居た堪れない様子のユーリウスを、二人残して大丈夫なのかと心配になる。二人は居間へと入って行き、ヘレナとタマラは台所へ向かう。


「大丈夫かな」

「心配する必要はないわよ。ダニエルはああ見えて怒ってないわ」


 棚の奥からティーカップを取り出しながらヘレナは楽しげに鼻歌を歌っている。普段使いのカップではなく、カップとソーサーの茶器だ。タラマがよく子供の頃にお姫様の真似事の時に使っていた物でもある。


「懐かしいな、このティーカップ」

「久しぶりの出番の茶器だものね。うーん、お茶菓子は……これかしら」


 凹んだパウンドケーキを持っていこうとするヘレナを慌てて止める。


「駄目よ。こんなの食べさせられない」

「じゃあ、こっちかしら」


 型抜きあとの端切れを焼いたドライフルーツのクッキーが盛られた皿を出した。

 昔余った生地を再度まとめて切って焼いたら固いクッキーが出来上がった。それ以降はまとめず端切れのまま焼くようにしていた。見た目が悪いだけで味も歯触りも変わらない。これは流石にイザークたちに渡さず量が少ないから家族で消費しているのだ。


「ユーリウスさんに変なもの出さないで」

「美味しかったわよ」

「でも、そんなもの出して……」

「いいからいいから。ティーカップは任せるわね」


 さっさと菓子皿とティーポットを持って行ってしまったヘレナの後を、ティーカップを載せたトレイを持って追った。

 居間が静かと言うことは、二人は会話もせずに待っていたようだ。

 ヘレナはダニエルの隣りに座った。

 タマラはトレイを置いてティーポットからカップへと紅茶を注ぐ。いつも飲んでいる茶の匂いではない、香りが良く水色も濃い明らかに高そうな紅茶だ。いつの間に用意したのか。


「これタマラが焼いたクッキーなんですよ。形は変ですが良ければどうぞ」


 菓子皿をユーリウスの前に置いて、にこにことヘレナは歓迎を示す。

 ユーリウスはじっと穴が空くほど菓子皿を見つめている。

 タマラがそっとティーカップを置くと、ユーリウスは顔をタマラに向けた。


「イザークさんたちが食べたクッキー?」

「その端切れを焼いた物だけど、家族で食べる用だから。無理に食べなくていいわよ」


 ユーリウスは迷わす手に取り食べる。1つ、2つと食べている。


「……美味しい」


 得も言われぬ微笑みを浮かべるユーリウスに、ヘレナは微笑んでいるし、ダニエルは静かに見守る。タマラはゆっくりとユーリウスの隣りに座った。

 ユーリウスがカップに口をつけた後、ヘレナは話を切り出した。


「それで遅くなったのはどうしてかしら」


 ユーリウスは顔を引き締める。

 騎士団の手伝いでユーリウスが仕事に追われ、タマラとの約束の時間に遅れてしまったことを謝罪した。


「食事を終えて寄り道をした為、帰りが遅くなりました」

「お互い離れ難くなったのかと思ったわ」


 肩を落としヘレナがあからさまに残念な顔をする。

 ユーリウスがちらっとタマラを見た。

 タマラは言うのを迷っているのを悟り、代わりに話を続けた。


「公園に行ってたの。ほら、昔お爺ちゃんと一緒に行ったでしょう?」

「あの公園は、夜開いてないのに? どうやってじゃなくて、あんな場所へ何をしに行ったのかしら」


 楽しそうな声のまま、どうも何か誤解をしているのかヘレナの眼差しが険しくなる。ダニエルはというと対象的に何かを期待する目を向け黙ってお茶を飲んでいる。

 タマラは誤解を解こうとする前に、ユーリウスが堂々と口を開いた。


「タマラさんに薔薇の花を渡しました」


 ユーリウスがヘレナに真正直に向き合う。

 目が笑ってないヘレナが横にいるダニエルにゆっくりと顔を向け、見る見る瞳を潤ませ急に歓喜の声を上げた。


「ですってよ! きっと結婚の申込みよね。そうよね? この子にうんと言わせたのよ!」

「落ち着いて、浮かれてるのはヘレナだけだぞ」

「だって、この子まーったく興味ないみたいな態度だったのよ。年頃なのに悟りきった修道女みたいって言ったら、どこか修道院にでも行くつもりではって疑ってたのダニエルじゃない」


 両親からそこまで心配させてたのかとタマラは驚いた。


「確かに心配はしていたが、そうなのか?」


 ダニエルから問いかけられ、タマラは横からの視線を感じて言葉を探した。

 交際を申し込まれた。

 それを言えばいいだけなのに、期待に満ちた両親の手前恥ずかしさが襲う。


「今日は遅いので、後日改めてご挨拶に伺っても構いませんか?」


 助け舟を出してくれたユーリウスの声にタマラは俯く姿勢を正した。

 隣りのユーリウスは真っ直ぐに両親に対面して真摯に接している。

 ヘレナは微笑しながら嬉しさを含んだ声で返す。


「ええ、お待ちしていますわ」


 ダニエルも同意としてゆっくりと頷いている。


「夜分遅くに失礼しました」


 ユーリウスは立ち上がり両親に頭を下げる。


「ユーリウス様、何時でも歓迎しますので、気兼ねなくいらして下さい。タマラ、お見送りをお願いね」


 上機嫌なヘレナに背中を押されて、玄関までユーリウスを連れて歩く。

 さっそくユーリウスが明日からの帰りの約束を取り付けてきた。


「明日、仕事終わり迎えに行くね。裏庭で待つよ」

「仕事は大丈夫なの」

「無理な時は前日にきちんと言うから」


 そう言われたら頷くしかない。


「こんなに引き止めてしまってごめんなさい。お母さんの強引さはいつもだから」

「いや、もっと怒られる覚悟してたから。それにタマラさんのクッキー食べれた」

「端切れなのに」

「できたらあのクッキー、少し貰ってもいい?」


 遠慮がちにユーリウスに強請られる。


「端切れの? いいけど、ちょっと待ってね」


 紙に包んで急いでユーリウスに手渡した。

 好物なのなのか。それとも気に入ってくれたのか。


「ドライフルーツのクッキー好きなの?」


 ユーリウスが思い出し笑いをする。


「このクッキーは家族で食べる用なんでしょう? それって認められたような気がして、嬉しかったから。言っとくけどタマラさんが作るクッキーはどれも好きだよ。たとえ形が変でも焦げていても」


 ユーリウスが顔を近づけそっとタマラの頬に唇を落とした。


「でも一番好きなのはタマラさんだけどね。お休みなさい」


 ユーリウスは目を細めて頬を染め、扉の向こうへと消えていった。

 茫然とその場に立ち尽くし、無意識に口づけされた頬を触る。

 最後の最後に不意打ちの言葉と触れた頬に放心していた。


「タマラちゃ〜ん?」


 それが破られたのが背後に現れたヘレナの声に反応する。思いっきり肩が跳ねて振り返る。


「な、何?」

「さあさあ、お母さんに見せて。どんな薔薇貰ったの?」


 そこで花瓶に生けなければならないことを忘れていた。

 慌てて鞄から薔薇の花を取り出して、そこで目に止まったのはリボンだった。

 いかにも上等なリボンは2枚に重ねて結ばれている。一つは亜麻色に薄い青色の2色使いでタマラの髪と目の色合い。もう一つは金茶色に深緑色はユーリウスの色を示している。


「まあ、咲き初めの赤い薔薇ね。随分と綺麗な――あら?」


 ヘレナが瞬きながら薔薇を食い入るように見ている。

 タマラは台所で薔薇の花を水揚げする前に花瓶を取りに行き、戻ってきてもヘレナは見続けている。


「ねぇ……私の見間違いじゃなければこの薔薇、ただの薔薇じゃないわ」

「どういう意味?」

「スタニスラヴァよ、これ。正真正銘の愛の告白の薔薇。舞台や絵本にまでなったアレフレート王がスタニスラヴァ妃に贈った薔薇よ。手に入れるなんて、さすが王宮騎士団の騎士様ね」


 花瓶に挿した一輪の赤い薔薇を持って自室の部屋に飾る。


「これが愛の告白の薔薇……スタニスラヴァ」


 ユーリウスがタマラに告白とともに贈ってくれた。正真正銘の愛の告白の赤い薔薇。

 ユーリウスが史実に(なぞ)り、タマラの忘れかけた乙女心を擽る。

 タマラはユーリウスの告白を思い出し、薔薇を見ながらときめきにはにかんだ。

次話あたりにタイトル変更予定です。

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