第2話
先程から意味深長な笑顔でタマラの話を聞いているのは2つ年上の幼馴染のエマだ。
幼い時は家が隣り同士で一人っ子だったタマラにとって姉のように慕い仲がよかった。それは今も続いていて、数年前にエマが結婚をしても続いていた。嫁ぎ先は小さな雑貨店を営む跡取り息子の元だ。
タマラの勤めるイザークの薬屋から少し離れた大通りに面した場所に雑貨店はあった。
今日はエマに呼び出され、雑貨店の裏にある居間で話をしている最中だ。
誕生日の昼食時の会話をやけに根掘り葉掘りエマに聞かれ、タマラは内心慄きながら吐き出すはめになった。
「それでどうするの。前途有望な若手の騎士様じゃない。私は賛成」
エマは同意を求めてくるがタマラは戸惑った。
「まあ、4年越しの想いに答えてあげたらいいんじゃない」
にやにやと笑う幼馴染は楽しそうだ。既婚とはいえ恋愛話をしていて楽しそうだ。
「だって19歳になるから考えてほしいだなんて、わざわざ言うなんて変じゃない」
「さすが王城勤めの騎士様ね、気遣ってくれたのよ。わからない? 騎士様は自分の年齢を出してタマラに負担をかけさせないように言ったのよ。結婚よ結婚。お貴族様がよく使う言い回しじゃない」
「結婚というよりは、恋人になりたいって感じが強いけど」
「だ・か・ら、結婚を見据えてのお付き合いから始めましょうってことよ」
エマが鼻息荒く詰めより、反応の鈍いタマラにため息を吐いた。
「それともバカ正直に『貴女は23歳の適齢期、後がない貴女と結婚を前提に交際をしましょう。僕は19歳なので貰ってあげますよ』って言われたら素直に受けるの? 受けないし、タマラは顔で笑って心で泣くでしょう。騎士様はそんな傷つけるような言い方はしないだろうけどね。ミランじゃあるまいし」
ここでミランの名前が出て、心に重しが乗ったようにきしむが一瞬のことだった。
それが顔に出ていたのだろう。エマから「ごめん」と謝られた。
エマとミランは従姉弟で、その縁でミランがエマの家に預けられることが多く、そんな時にタマラは出会った。そして幼い三人で遊んでいたのだ。
エマはミランをよく知っているし、タマラとミランの仲も応援していたし見守ってきてくれた。
事情を知るエマはミランの仕打ちに今でも憤りを隠さない。
その場の空気を払うかのようにエマは咳払いをして、優しく声をかけた。
「ねえ、タマラ、嫌なら毎年お互いの誕生日に二人っきりで過ごさないって」
「お昼ご飯を一緒にとるだけよ。休日や夜なんて誘われたことないもの」
やましい事などない。
昼食を食べて贈り物を貰い、帰りはお店に送ってもらい別れる。それが毎年繰り返されるだけだ。
「いい? 考えても見なさいよ。肉屋のホンザとか靴職人のラディムとか、彼らに誘われたら約束してた?」
「多分、約束してない……と思う」
「そうでしょうね。一歩でも半歩でも、そういう男共からタマラの騎士様は抜きん出てるのは、それだけ寄り添うことを許しているってことじゃないのかな。だったらその延長だと思って付き合ってそれから考えればいい。それに、お付き合いが始まれば結婚相手の紹介されないんじゃない。利用すればいいのよ」
あっさりした物言いにタマラは眉をひそめた。
「喜んで利用されると思うわよ、タマラの騎士様は」
エマは真面目な顔をしつつ頬杖をつき頷いている。
「ユーリウスさんに悪いよ」
「ほらね、様付けで呼ぶはずよ、いつものタマラなら。なのにさん付け。特別ってことね」
エマは目を見開きにやにやと笑顔に戻った。
「これには訳があって」
理由を言おうとすればエマに遮られた。
「それにさ、私に相談したのは最終確認なんでしょ。ようは背中を押してもらいたいのよ」
相談したわけではない。洗いざらい話せとばかりに質問してきたからだ。
だがタマラは迷っているのは確かなのだ。
タマラの表情を読み取ったのかエマは眉を上げておどけて言った。
「言っとくけど、イザークさんに相談するのは無駄だと思うよ。俺に聞くな、とか言いそう」
「俺に聞くな」
エマの言った通りだったとタマラは肩を落とした。
イザークの厳しい顔がさらに額のシワを深め顰めっ面へと変わった。
「色恋沙汰なぞこんな年寄りに聞くな」
「色恋沙汰ではなくて」
「店に出ていろ」
タマラは追い払われて終い、不機嫌になったイザークの向こうには妻のマルタが苦笑して手招きしている。
そっとイザークの背後からマルタのもとへ行った。
「帰る時に裏庭からいらっしゃい」
密やかな声でふふふと笑い、どうやらイザークの代わりにマルタが聞いてくれるようだ。
タマラは静かに頷いて販売店舗の扉へとそっと向かう。
イザークは振り向きもせずに薬草を黙々と秤に載せて計量を行っている。
これ以上怒られないように店頭のカウンターで粛々と伝票を掴み仕事に取りかかった。
普段通りに夕方の鐘の音がなりタマラの店番は終了となった。
店の裏口から出てすく隣の生け垣の入り口から小庭を通り家の扉の鐘を鳴らした。
直ぐにもにこにことマルタが現れる。
「今から夕食の用意をするの。手伝ってくれる?」
マルタの申し出に一つ返事で一緒に台所へ行く。
タマラの祖父母は既に他界し、その友人であるイザーク夫婦はその代わりと言っていいほど可愛がってもらった。イザークたちの子供や孫は店を継ぐ気がなく、タマラにその気があるなら譲ると言われたことがあった。
そのためにはタマラが薬草の調剤を覚え資格を取る、もしくはそれまでに調剤の知識を持つ者を雇うことになる。
イザーク曰く、まだまだ働くつもりだから直ぐのことではないので考える時間はまだある。
「手首の調子が悪いのよ。明日辺り雨かもしれないわね」
目の前にパン生地をだされて分割後の成形を頼まれた。明日の分の仕込みのようだ。
二人分にしては量が多いなと思いつつ手を動かす。
この国では定番の丸パンの形に作り、打ち粉を振っては次を丸めてをいくつも繰り返した。
天板に並べ布巾を被せて終了となった。
「ふふ、助かったわ。はいこれ、よかったら今日の夕食にでも食べてね。パンは明日焼くといいわ」
手提げの籠には小鍋と手伝った成形した生の丸パンがあった。
「相談する相手は、貴女のことを誰よりも知っている身近な人がいるでしょう」
タマラが首を傾げると、マルタはふふっと笑った。
「まずは貴女のお母さんに相談なさい。誰よりも親身になってくれるはず。それに誰よりも心配しているはずよ」
母の存在を忘れていたことに苦笑しながら頷いた。
その後はイザークが来る前に家を後にして、通い慣れた道を一人歩く。
薬局の道を抜けて大通りを歩いていると反対側に見慣れた藍色の警邏の制服が見えた。三人組の一人に見覚えがあり目があった。
その人物が一言仲間に声をかけた後、急ぎ足でタマラのもとへやって来た。
「お帰りですか」
「ええ……今日はもう帰るだけ」
「送ります」
「大丈夫よ?」
「ちょうど訪ねたい人がいるので、ついでですよ」
王都警邏士団の制服がだいぶ様になったなと思わずジロジロと見てしまう。
相手が眉毛を下げて困ったようにタマラは笑いかけられた。
「オレずっと気になってたんです。あ、それ持ちます」
籠を取られて歩き始めた背中を慌てて追いかける。
「えっと、私は元気よ。ヤンさんは、小隊長になったのね」
よく見れば制服の肩には小隊長である房飾りが付いていた。
新人や平団員だと飾りのない制服で、責任ある立場になるほど房飾りや勲章などが増える。
ミランと決別した時もその制服には房飾りがついていたことを思い出した。
ヤンはミランが初めて面倒を見た士団員で、その縁からタマラも何度か話したり三人で食事もしたことがあった。
ミランとのことがあって以来は気まずさもあり、目があっても会釈しかしない関係となっていた。
今日は珍しく一緒に歩きながらの、久々の会話だった。
「年功序列でなったようなもんですよ。警邏は人の出入り激しいでしょ」
「でも警邏の人たちのおかげで王都は治安が良いからありがたいわ」
「そう言ってもらえると、励みになります」
ヤンは頭をかきながら照れている。
「オレ、ミランさんに世話になって尊敬はしてます。だけど……タマラさんに対する態度は許せなくて。あ、いやその、タマラさんの中ではもう終わったことならいいんです。話をむし返してたらすみません」
ヤンが接触してきたことから何かしらミランについて話すだろうと身構えていた。心臓が跳ねただけに留まり顔には出なかったはずだ。
ヤンに心配されていたとは思わなかった。ミランの後輩ならばミランと同調した考えを述べるのではと勝手に思っていたタマラは内心恥じ入り感謝に気持ちが軽くなる。
「ヤンさんに心配されてるなんて思ってもみなかった。でもありがとう。今はそうね、気持ちは落ち着いているかしら」
「あのもし、また……もし何かあればオレに相談してください。オレ西区の担当なんで」
西区はタマラが住んでいる住宅地域も入っていた。
「――ミランは今もこの地域の担当なのかしら」
「いえ、半年前かな。東区に配置移動になりました。今は隊長補佐になったはず」
「そうなのね」
タマラがミランのことについて聞いたことに、気にしているのかヤンが伺うように見ている。
東区といえば宿泊施設や観光客向けの店が多くある地域だ。
カロリーナが言っていたことは真実なのだろう。
ここ何ヶ月もミランを見かけないし、タマラの勤め先にも顔を出さない。
隊長補佐になったというのならば順調に昇進しているようだ。さらに仕事に恋に自信をもって邁進するのが目に浮かんだ。
恋しいという気持ちは悲しみへと変わり、今はその悲しみも癒えてはいるが、たまに胸の奥に痛みが走るくらい。その痛みも徐々に鈍く刹那へと変わった。
ミランのもとで警邏の業務をおこなっていた新人の頃のヤンを思い出し、今のヤンを見てタマラが思っているよりも時間の流れを感じた。
痛みが薄らいできたということは、タマラの中では過去の出来事になりつつあるのだ。
それにヤンと会って話をしても苦にはならない。過去を懐かしむ気持ちもわかないが痛みもしない。
きっとミランと近い人々と会ったとしても、昔のように気兼ねなく話せるまで癒えてきたのだ。
急に気分が上がり安心感に心が満ちてきた。
ヤンは気にしているのかタマラの様子を見ている態度に、話を変えようと笑顔で話しかけた。
「ヤンさんが偉くなったのなら、そのうち新人の面倒をみるかもしれないわね」
「いや、もう一人受け持ってますよ。大変です、新人を受け持つのは」
ヤンは疲れたような顔で長いため息を出した。
それを見てタマラは思わず自然にさらに笑ってしまう。
そんな反応を明らかにほっとしたのか笑うが、直ぐにヤンは苦虫を噛み潰したような顔をして首をすくめた。
「先輩方の愚痴が今ならよくわかりますよ。本当に人を指導するのは大変です……だから、タマラさんにもお世話になったので、恩返しではないですけど頼ってくださいね」
「お母さんは良くなってきた?」
ヤンは母一人子一人で暮らしていた。ミランの後輩で親しくしていたことから、たまに具合の悪くなるヤンの母の面倒を看ていた。そのことからヤンの母とは面識があった。
最後に会った時はイザークの伝手で医者を紹介したきり。その後のことは極力ミランの知り合いとの接触を避けていたせいで、ヤンの母親を気にはなっていたが声をかけることはできずにいた。
「最近やっと仕事にも行けるようにまでなったんです」
タマラは安心から微笑めば、ヤンも柔らかく笑顔を見せてくれた。
家の前でヤンと別れ家の中へ入ると台所には母の背中が見えた。
いつもはいるはずの父の姿が見えない。母に聞けば急遽、外壁門の夜勤に呼ばれたらしい。
二人で夕食を取り終わった後、母ヘレナにユーリウスとの話を切り出すがその前に話さなければと口を開く。
顔色変えることなくヘレナは黙って聞いていた。
「お母さんたちに黙っていたけど、私ね、ミランとは……」
「知ってるわ。縁がなかったのは残念だけど、今は違う。そうでしょう」
いつものように優しい笑顔にタマラは困ってしまう。
「何年母親やっていると思ってるのかしら。それで、その方はどんな人なの」
ミランとのことは聞く必要がないと、ユーリウスに興味があるのかそちらへと話を流していく。
タマラは安堵して続けた。
「王宮騎士団の騎士様で年下だけど、とても優しくて思い遣ってくれる人」
「結婚を考えるほど好きなのね」
「まだそこまで、好きかと聞かれると……」
「あら、男性として好きじゃないの? 結婚相手としては駄目なの?」
意外とヘレナの食いつきの良さにタマラは身動ぐ。
何よりもヘレナの瞳がキラキラと輝いているのを、今日これを見るのは二度目だなと笑いそうになる。
「確かに一緒にいれば安心というか穏やかに過ごせるし、最近はわざと好意を示すから意識してきたのかもしれないし、昔みたいに弟のように思えなくなってきたというか。結婚はしたい、とは思うけど、その相手がユーリウスさんって考えると――躊躇いがあるの」
「どんなこと?」
「ユーリウスさんは、ユーリウス様は貴族だから。私は平民だから身分が違う」
「……その方は跡取りなのかしら。貴族に入ることに躊躇っているってこと?」
「跡取りは兄がいるって、ユーリウス様は確か……4番目の息子だと聞いてる」
「他の国と比べるとこの国は平民が貴族と婚姻を結ぶことに寛大よ。それでも身分がって言い訳を作るなんて、タマラは臆病ね」
臆病と言われぐっと喉の奥が詰まる。
数代前の王が平民の娘を娶り王妃としたことは有名な話だ。当時は舞台となって一世を風靡した。その残滓とも言える絵本は幼い子供たちに夢を与えるのはこの国では当たり前。発禁されないということはそういうことだ。
そのことから他国に比べれば問題がない限り許される。古い柵にこだわる貴族でさえ、わざわざ釣り合いの取れる貴族に養子にさせて向かい入れ恙なく婚姻が結ばれていく。
そして貴族が逆に平民に嫁ぐ話もよくある話だった。
ここ百年近く国を巻き込む戦争がないことから、婚姻に関しては自由さが目立っていた。
「それとも貴族入りに不安があるの?」
ヘレナの言うとおり言い訳を作ろうとしている。
「いずれ貴族籍を出て平民になる予定で、騎士団に入ったらしいの」
「それなら何も問題ないじゃない。タマラの気持ち、勇気次第でしょう」
ヘレナは首を傾げて他に問題がと言いたげに見てくる。そこでヘレナはハッとなり眉を下げた。
「ひょっとして向こうのご両親からお許しがでてないとか」
タマラは首を振って否定した。
「すでに話をして心待ちにしてると言われてしまったわ」
そのことは最初の断りのきっかけとばかりにタマラは聞いたからだ。ユーリウスの話では歓迎するとばかりに好意的だったと嬉しそうな笑顔を浮かべ、タマラは何も言えなくなったのを思い出し小さく息をこぼした。
タマラはそれでも躊躇いが生まれる。
信じていたミランのように、もしユーリウスに裏切られたらと先の未来を心配している。傷つきたくない自分がいる。
不安に近いものが心のなかにうずくまってタマラの思考を留まらせる。
「でももし、また……」
――また裏切られたらどうしたらいいのかわからない。
不安を口に出せず俯いて黙った。
ヘレナは待ってくれているが、タマラはそれ以上言うことができながった。
長い沈黙を破り静かにヘレナの声が聞こえた。
「返事は直ぐじゃないのなら悩めばいいわ。でもね、二人のことなんだから一人で悩むより騎士様とよく話をするのが一番よ。不安や悩んでいること全て話して憂いを払ってもらいなさい」
二人の問題と言われ、誕生日に会った時にユーリウスはすでに決めていたのだろう。いつもと違った顔つきと声の抑揚が、接する態度もタマラに対して真摯に希っていた。
後はタマラの返事、そして心の中をさらけ出し、勇気を持つだけだ。
視線を上げると微笑ましいと言いたげな目尻を下げているヘレナの手が伸びていた。そっと頭を撫でられる。
「後ろばかり見ていると目の前にある幸せを見逃してしまうわ」
「目の前にある幸せ……?」
「いなくなった人ばかりに目を向けて、そばにいてくれる人を見ないってことよ」
「そんなに私ってわかりやすいかな」
自然に言葉がこぼれた。
ユーリウスの告白の時もそうだった。だからあの時の告白では無理強いをすることなく引き下がってくれた。今なら何よりもタマラの気持ちを優先したに過ぎなかったとわかる。
ずっとおくびにも出さなかったユーリウスが距離を縮めるように、ここ最近は好意を示す機会が多いと思っていた。タマラ以上に心境の変化に気がついていたのかもしれない。
ヘレナにもタマラのミランに対するわだかまりを知っていたようだ。今まで知らず触れずにいてくれていたのはそういうことなのだろう。
「タマラ自身も気持ちを切り替えるきっかけが来ているのよ」
ヘレナは片目を瞑ってもうひと押しとばかりに告げる。
「幸せは自分で掴まなきゃね」
ヘレナにまで立ち止まらず前を向けと言わんばかりの言葉に、タマラは知らず苦笑をしてしまう。
一進一退を繰り返す悩み続ける日々は、ついにユーリウスとの約束の日へとなった。
返事を待つユーリウスの期待のこもった目を見て、怖気づくタマラの長い日が始まる。