パヴァールの神話
パヴァールはターヒル家の長男として生まれた。父は優れた商人であり、教養もあった。母は美しく、慈愛を持ってパヴァールを育てていた。
パヴァールは活発というよりは静かな子供であり、人々の様子や生き物の動きから想像力を働かせ、自分の世界を物語として構築していた。しかし、内気というわけではなく、父の客である人々に物語を話し、可愛がられていた。
すくすくと成長し、パヴァールが12歳になった年、父はパヴァールを王の会に連れて行くことにした。
年に一度開かれる王の会に、家族の長は出席することになっていた。父も例外なく、毎年この会に出席し、ターヒル家に任された一節を朗読するのであった。
神話を後世に伝える唯一の手段として王の会は機能していた。出席者が順に自らに当てられた一節を朗読し、全員が揃って読み終わることで初めてその神話は完成するのであった。
膨大な長さの神話を分割し、保存することを提案したのは太古の神であり、当時から存在した家族が代々その一節を受け継いでいる。そして王に与えられた使命は、毎年神話が失われていないことを確認することであった。
ターヒル家に与えられていた一節は960個の概念からなる64文であり、神話の終盤に位置する。終わりに近いほどその節の重要さは増し、朗読することは栄誉として考えられていた。
パヴァールは幼少期より、父からこの64文を毎日聞かされていたため、6歳になる頃には完全に暗唱できるようになっていた。会の終盤、父が朗読する隣で、パヴァールは口を同じように動かしていた。
初めて完全な神話を聞いたパヴァールは深い感動を覚えた。王も満足し、その年の会は終了し、人々は神話を祝して宴会を夜通し行うのであった。
パヴァールはその後毎年の王の会に出席するようになった。そして、4年目の会で、神話の内容が前年に比べて少し違うことに気づいた。
父にこれを尋ねると、感慨深そうな顔をした。父曰く、一家が任された一節を次の代に託す際、一つだけ概念を変更することになっている。故に、世代交代が起きた家族の数だけ、概念に変異が起き、神話が変化するのだそうだ。
祖父から父が一節を託された時、22文目の300個目の概念である『蝶』を『蛇』に変異させたらしい。そして父は変異後の一節をそれから朗読し続けているのだった。
その後も会に出席し続けたパヴァールは、毎年起きる少しずつの変異が蓄積し、神話が初めて聞いたものと大きく変化していくことを感じた。良い方向への変化もあれば、悪い方向への変化もあった。パヴァールはこの変化を寂しく感じでいた。
パヴァールは20歳になり、世代交代の年となった。父が入れた変異は、64文目の958個目の概念である『悲しみ』を『慈しみ』であった。入れる変異はその人のする最大の仕事であり、父は考え抜いた末にこの変異を入れたのであった。
パヴァールはその年から会に家族の長として参加した。父はその3年後に病で命を落とし、パヴァールは商人としての仕事も受け継いだ。
妻ができ、子供が生まれたその年の集会のことであった。パヴァールはいつものように集会に出席し、神話を聞いていたが、その変異の量と、それがもたらした変化の素晴らしさに圧倒されていた。
そして自分の朗読を終え、神話が終えられると、自然に涙が流れてきた。会に出席した周りの朗読者も一様に目を潤ませていた。その年の神話があまりに素晴らしすぎたのである。
宴会は類を見ないほど盛り上がっていたが、パヴァールは参加することなく、帰路についていた。その顔は深い感動と、一種の絶望を感じさせるものであった。
パヴァールは翌日、王へ謁見した。彼の願いは一つ、変異を入れさせることの廃止であった。幼い頃から物語に親しんできたパヴァールは、今回の神話を超える物語は存在しないと確信していた。この傑作が失われることはあってはならない。
しかし王は、彼の願いを受け入れなかった。
パヴァールは絶望した。次回の王の会において、あの傑作が損なわれてしまう。どんなに些細な変異であろうと、あの傑作はもう過去の思い出となってしまうのだ。
パヴァールは人々に、世代交代を止めるよう説得した。しかし、変異を入れるという最大の仕事を行わないことは家族の長としては許容できないことであり、説得は失敗に終わった。
そして、パヴァールは決断した。
翌年の王の会において、パヴァールは順番が回ってきた時、ナイフで首を切り自殺した。周囲は騒然となり、あるものがターヒル家が担当する一節が永遠に失われたことに気づいた。
神話はその年から完成することはなくなり、あの傑作が最後の神話となった。




