二人の買い物
陽も昇りきった頃、改めてヴァンヘルから謳歌の生活必需品を揃えるための資金を提供されたアルマは、衣類と朝食のパンとスープを持って、買い物に出かけるために謳歌の部屋をノックした。すぐに返事があったため鍵を開けて中に入ると、ブカブカの服が落ちないように必死で抑えている謳歌がいた。
「とりあえず、いくつかサイズを持ってきたから自分に合うやつを選んでくれ」
アルマは謳歌の返事を待たず、朝食を机に、衣類を床に投げ捨てると部屋を出た。
あの着替えている間ずっと壁をみているのは、妙な緊張感があるからあまりやりたくない。
アルマもまた自身が泊まっていた部屋へと戻り、出かける準備を済ませると再びドアをノックする。そして「大丈夫です」と返答があったので部屋に入った。
「い、いかがでしょうか」
「別に普通」
少し顔を赤らめつつ感想を聞く謳歌に対してアルマは実に冷たかった。
とはいえ謳歌が着ている服は給仕からもらった中古品であり、ジーパンに黒いシャツというとても簡素なものであり、見慣れているアルマからすれば特に感想をいただくようなものではないのだ。
「準備ができたなら早く行くぞ。夕方で閉まる店も多いんだ」
「あ、あの……長袖で暑くないんですか……?」
外では太陽が輝き、部屋の中に居ても熱気が伝わってくる。そんな中、アルマは長袖のローブを来ていた。
しかし当のアルマは暑さなど全く気にしていない様子で、
「暑くないし」
それだけ言うとさっさと部屋を出ていってしまった。
部屋を出るアルマの後をついて謳歌も部屋を出て、そのまま階段を降りる。そして酒場へと降りた途端、謳歌の顔が少し青くなった。
「おぉぅ」
謳歌妙な声を出して硬直する。
すでに開かれている酒場では酒に飲まれた男女が騒いでいる。他にも依頼に出るために重装備になっているものもおり、物々しい雰囲気で満ちていた。
アルマにとってはすでに見慣れた光景だが、謳歌には衝撃的だったらしい。
「あ、アルマさん。ここは毎日こんな感じなんですか」
「いや、今日はまだ大人しいほうだ」
「ヒェ……」
さらに青い顔になる謳歌。そんな様子をみていたアルマはその手を取って足早に酒場から出ていった。そして少し歩いたところで路地裏に入る。
「酒飲みは苦手か?」
「それは……」
「苦手ならそう言え。裏口から入るくらいの配慮はするから」
「……苦手、です」
「分かった」
次からは裏口から入れるように頼んでおくか。基本的に業者しか出入りしないし、多分大丈夫だろう。
「もう大丈夫か?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「ならいい。とりあえず行くぞ」
「え、あっ」
アルマは謳歌の手を取ると目的の店まで歩き出した。謳歌は急に手を握られたことに赤くなっているが、アルマがそれに気がつくことはない。
二人はそのまま裏通りを歩いて目的地へと向かう。すぐ隣の表通りからは常ににぎやかな声が響いている反面、裏通りは数人の男に守られた商人や柄の悪い集団がたむろしていた。
それはアラベンスクが抱えている問題の一つだった。
大通りは様々な店が並び、また露天も豊富にあるため、商人から家族、旅行客まで様々ん人間が行き来しており、日中は常に渋滞状態にあった。
馬車すら通れないため、荷物を運ぶ商人たちは基本的に裏通りを利用している。その商品を狙って強盗が出没し、表通りと裏通の治安の悪さは凄まじいものなっている。
度々、民衆が作った自警団や国から派遣された兵士たちが盗賊を捕らえているのだが、一向に解決する気配はない。
そんな裏通りの一角に、アルマたちが目指している店はあった。
見た目は少し大きな2階建ての一軒家である。ただ、家全体に植物のツタが這っており、白い塗装が所々に剥がれて黄土色の壁が見えており、一見すれば廃墟ような場所だった。
「ここですか? 目的のお店って」
「あぁ。このマッグスの魔導具店で大体の物は揃えられる。値段は張るが質もいい。これから利用することも多々あるから、覚えておけ」
若干引き気味の謳歌に声をかけつつアルマはマッグスの魔導具店の扉を開いた。ドアに取り付けられた呼び鈴がきれいな音を立てる。
中は外見とは違いかなりきれいなもので、規律正しく並べられた4つの長机にはケースに入ったガラスの空き瓶が並べられていた。ケースにはそれぞれ【耐火ポーション】や【酸性ウルシ毒】など書かれている。
店の壁際には4段ほどの棚が並んでおり、ガラス瓶に入った植物や、頭が二つあるトカゲの剥製などが値段と共に置かれていた。
さらに天井に並べられた火の付いたランプで照らされており、窓から差し込んでくる陽の光もあり、それなりに明るい。
まるで外見とは違う店内に謳歌が少し驚いていると、店の奥の扉が開き誰かが歩いて来た。
「いらっしゃ、い、ませ。元気、そうだ、ね。アル、マ」
「久しぶりだなマッグス。わざわざ出迎えてくれるとはありがたい」
「上、客だから、ね。いい品、は、揃っている、から、ぜひ買っ、て」
姿を現したのは、マッグスの魔導具店店長、マッグス=ガードナーだった。
赤いローブのようなものを着て、腰まである長い白髪が揺れる、高身長で痩せ型の女性である。しゃがれた声に、目の下の深いクマ。さらに頬も窪んでいるため、かなり不健康そうな老婆という印象を受ける。
特にその話し方は独特で、まるで全力疾走した後に息を切らしながら話しているかのように、変な部分で息継ぎをしているため少し聞き取りづらい。
「そっ、ちの、子、が。新しい、お客、様?」
「そうだ。日用品と衣類一式を揃えにきた。予算は銀貨五枚。日用品のリストはこれだ。衣類はこっちで選ぶ」
「分かっ、た。二階、に上がって。そのあい、だに揃、えておくから」
アルマからメモを受け取ったマッグスは店内から幾つか商品を手に取ると奥の扉へと入っていった。
「衣類や装備類は二階だ。いくぞ」
「え、はっ、はい……」
店に入ってからずっと話さなかった謳歌だが、アルマの声に弾かれたように返事をするとその後を付いて二階に上がるための階段を昇る。
「そういえば言ってなかったが、この店は【マッグスの魔導具店】だ。【マッグス魔導具】と呼ぶと不機嫌になるから、気をつけろよ」
「そうなんですね……」
階段を上がりながらアルマの言葉に反応はするものの、その目線はマッグスが入っていったドアに向けられている。
「あんまりマッグスを見てやるな」
「あ、ご、ごめんなさい……! 若い人があんな姿なのが気になって―――。あっ、そのバカにしているわけではなくて!」
「……若い? マッグスが?」
「えっと……だってあの人、二十代くらいですよね。多分」
謳歌の言葉に、アルマは驚いた顔を向ける。
それはマッグスがどうみても老けているにも関わらず、馬鹿なことを言ったという理由でなかった。
「お前、なんでマッグスが若いって分かったんだ?」
「人を見る目はあるつもりなので」
謳歌の言った通り、マッグスの年齢は二十二になったばかりであった。にも関わらずなぜ老婆のような様相になっているのか本人は頑なに言わず、研究にし過ぎやひどい不眠症、老化の呪いとまで言われているがその原因は分かっていない。
「マッグスに言うなよ」
「い、いいません……流石に」
自分でも見破れなかった事実を初見で見破ったことに内心驚きつつ、アルマは二階への扉を開く。
扉の先にはローブや普通の衣類、さらには鎧や剣なども置かれていた。
「今回は衣類だけな。武器やら防具は値が張る物が多いから、お前の力を見極めてからだな」
「そうですね。私自身、何ができるのか分かりませんし……」
申し訳無さそうに顔を俯かせる謳歌。その様子を気にすることなくアルマは話を続ける。
「衣類は上下併せて五着くらいは買えるはずだ。好きなのを選んでこい」
「いいんですか?」
「大丈夫だ。好きにしろ」
アルマの言葉に謳歌は礼を言って頭を下げると、服を見るために店内を回り始める。アルマは近くにあった椅子に座ってその様子を観察していた。
昨日の態度は分かる。知らない土地で知らない連中に囲まれていたら、怖がるのは当たり前だ。だが、今日にはもう戸惑いながらも会話し、さらに買い物までしている。引きこもられても困るが、ここまで従順なのも怖いものだな。
そんなことを思っていると、4着の衣類を抱えた謳歌が戻ってきた。謳歌から衣類を受け取り、値段を確認すると、想定したよりも下回る程度の金額だった。
「もう少し買ってもいいぞ」
「いえ、これで十分です」
謳歌の申し訳無さそうな声にアルマも何も言えず、二人は一階へと降りていった。一階ではマッグスが揃えた品物を大きい袋に入れるところだった。
「これも追加で頼む」
「わか、った。こ、れも確認、お願、いね」
そう言って袋を差し出すマッグス。アルマは頷き、袋の中身を確認する。
太陽布に避けゴミ落としに……うん、全部入ってるな。
確認をし終えたアルマはバッグの中から小さな袋を取り出すと銀貨を五枚取り出し、衣類を詰め終わった後のマッグスの手に置いた。
「たし、かに」
「多分すぐに武器とか見に来るから、そのときは頼む」
「分か、った。仕入、れてお、くね」
ぎこちない笑顔を浮かべるマッグスに対し、二人は礼を言うと袋を抱えて店を出ていった。
「服は持ってくれ」
「あ、はい」
服の入った袋を謳歌に手渡す。
店を出る頃には太陽は頭上に昇っており、表通りの活気は裏通りにまで伝わるほどになっていた。
そろそろ腹も減ったし、適当な場所で飯でも食うか。
次に行く店はどうしようかと考えていると、ふと視線を感じた。目線を向けてみれば、二人の右斜め後ろあたりを歩いている、腰の剣を下げた大柄な男と目が合う。男は少し立ち止まり、近くの曲がり角へと入っていった。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
アルマの様子がおかしいことに気がついたのか、謳歌も目線を後ろに向ける。しかしそこには当然誰も居ないため、何がなんだかわからないと眉をひそめた。
実際のところ、アルマが狙われるのは稀ではあるものの、今まででも何度かあった。というのも、その実力の高さから様々な任務に出ている。その結果、恨みを買うことも多々あり、その報復に来ることもあった。
なんにしても、謳歌を守りながら戦うのは面倒だ。大通りに出て騒ぎを起こさせないようにしてやろう。ついでに昼飯でも食うか。
アルマは謳歌の手を取ると早足であるき出した。そして裏通りから表通りに出る道へと入ったところで、細身の男が上から降ってきた。
土埃を上げて着地した男は、立ち上がって剣を抜く。
「持ち物、置いて行け」
「随分と派手なこそ泥だな!」
逃げられないと判断してすぐ、相手の顔面に殴りかかった。男は避けようと体を右に傾けるが、その前にアルマの袖から小型のナイフが跳んだ。男が丁度傾けた場所にナイフが迫る。
驚いた顔をた男はなんとか避けようとするも間に合わず、ナイフは男の肩に突き刺さった。
「いってぇ!」
叫び声を上げ、避けようとした勢いのままに倒れる男。間髪入れず男の顔面にアルマの靴底が突き刺さる。
「じゃーな」
そのまま足と壁に挟まれる形となった男は力なく脱力した。
「あ、アルマさん……」
震えた声を出す謳歌に向かって、包帯を外しながら振り向く。
その直後、謳歌の後ろに剣を振り上げ迫っていた大柄な男の動きが遅くなる。すかさず適当に拾った大きめの石を男の顔面目掛けて投げた。
「きゃぁぁぁぁ!」
悲鳴を上げ、アルマほうへと逃げてくる謳歌を後ろに匿うと、右目を閉じた。そして石にあたって
顔を抑える大柄の男に急接近をすると、その股間を蹴り上げた。
声もなく前のめりに倒れた男の頭を思いっきり踏みつけると、気絶したことを確認して離れ、細身の男のナイフを引き抜き、軽口を拭ってまた袖の中にしまった。
そして素早く包帯を巻くと落としていた荷物を拾い、壊れていないか中を確認する。
よし、中身は無事だ。あとは、逃げるだけだな。
「すぐにここから離れるぞ」
青い顔のまま、頷く謳歌の手をとってその場から離れた。二人の男が見回りの自警団に発見されたのは、それから五分後のことだった。